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第7章 戦争、そして様々な勢力争い

12.三大権力者

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死の連鎖が起きる少し前頃の時代の三大権力者です。


●  ルイ12世

●  フェルディナンド・ダラゴーナ

●  マクシミリアン1世



先にも触れましたが、
そうです!

彼らいずれの狙いも、共通として“イタリア征服”がありました。



当時、ローマ教皇だったレオ10世は、いずれの一者によるイタリア支配も防いで自己の権力強化とメディチ家の勢力や安泰を図るべく、三者と対応していました。



権力者は、皆さんすばらしい異名を持ちます。



ルイ12世「民衆の父」


フェルナンド・タラゴーナ「カトリック王」


マキシミリアン1世「中世最後の騎士」


まるで、コマーシャルのキャッチフレーズみたいに、人物を分かりやすく説明していますよね?



3大権力者は、活躍した時期も、同年代であれば、
亡くなった時期もまた、近いです。

(ルイ12世-1515年没、フィルナンド-1516年没、マクシミリアン1世-1519年没)



※以下、3大権力者のプロフィールを載せますね。 

※Wikipediaから転載



●ルイ12世(フランス王)


生年月日:1462年6月27日
出身地:ブロワ城
死没:1515年1月1日 (52歳)
ルイ12世は、ヴァロワ朝第8代のフランス王。シャルル5世の曾孫。「民衆の父」と呼ばれた。


●フェルナンド2世 (アラゴン王)

生年月日:1452年3月10日 
死亡:1516年6月23日 (64歳)

アラゴン王(在位:1479年 - 1516年)

カスティーリャ王としてはフェルナンド5世(在位:1474年 - 1504年)

カトリック王と呼ばれ、最初の妻であるカスティーリャ女王イサベル1世と共にカトリック両王と呼ばれる。



●マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)

生年月日 :1459年3月22日 

死亡:1519年1月12日 (59歳)

神聖ローマ帝国のローマ皇帝(1508年 - 1519年)

ローマ王(ドイツ王、在位:1486年 - 1493年

オーストリア大公

ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いたことから、マクシミリアン大帝と称される。

また武勇に秀でな体躯に恵まれ、芸術の保護者であったことから、中世最後の騎士とも謳われる。

ハプスブルク家ならではの多民族国家の姿が、マクシミリアン1世の時代に生み出されていった。









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