コーポ404、306号室。

深川夜

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コーポ404、306号室。

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 コーポ404の306号室はいわゆる「事故物件」というやつで、この部屋で自殺した霊が出るともっぱらの噂である。借り手がついてもひと月も持たないらしい。おかげで家賃が他の部屋よりとても格安だ。私がこの部屋を借りるとき、不動産屋さんから「本当にいいんですか?」と何度も念押しされた。その不動産屋さんの反対を押し切って入居し、半年ほどになる。なんだか変な話である。
 実際のところ、幽霊は出た。ショートボブの若い女の人だ。首が半分ほど切れている。だが誤解しないでほしい。彼女――まゆちゃんは非常にいい人で、私達の関係は良好なのだ。



 まゆちゃんと出会ったのは、私が入居して三日目の夜である。深夜、ふと目を覚ますと、ベッドサイドに彼女が立っていた。何をするでもなくこちらをじっと見つめている。お互いしばらくそのまま見つめあっていたのだが、いい加減沈黙が気まずくなった私がまず口を開いた。

「こんばんは。えーと、ベッド使います?」

 彼女は驚いた顔をして二、三歩後ずさった。

「あ、私ソファー使うんでお気遣いなく」

 続けて言うと、彼女は何か言おうと口をぱくぱくさせて、それから恐る恐るというように聞いてきた。

「あの、…………怖くないんですか?」
「はい?」
「私、もう死んでて」
「はい」
「大体皆さん、私を見ると怖がるのですが」
「はあ」

 私は首をかしげる。

「不動産屋さんから大体の事情は聞いていますし、幸い幽霊は見慣れているので怖くはないですね……?」

 こちらの事情を簡潔に伝える。彼女はただでさえ白い顔をさらに白くして、信じられないといった様子でこちらを見た。

「そうそう。申し遅れました。私、先日ここに越してきた立川たてかわ早由さゆと申します。気軽にさゆちゃんと呼んでいただけると助かります」
「…………す、須藤すどう真弓まゆみです」
「まゆちゃんですね。よろしくお願いします」

 お互いぺこりと頭を下げる。差し出した手にまゆちゃんの細くて白い手が重なる。まゆちゃんは幽霊なので物理的な握手はできなかったが、こういうのは気持ちの問題なので特に気にしなかった。



 それから、まゆちゃんとの本格的な共同生活が始まった。彼女はとても面倒見がよく(恐らく元々そういう人なのだろう)、私が寝坊しそうになると優しくポルターガイストを起こして教えてくれるし、ゴミ出しの日もきっちり把握している。仕事で留守の間は部屋を守っていてくれるし、悪夢にうなされた夜はベッドサイドで寄り添ってくれる。お風呂のお湯を止め忘れたときもそっと止めて置いてくれた。
 めちゃくちゃいい人である。
 初めこそまゆちゃんは私との距離感に悩んでいたようだったが、私があまりに普通に接するからか(逆にこれだけお世話になっていて怖がるもなにもない)、そのうちぽつぽつと身の上話をしてくれるようになった。

 まゆちゃんには好きな人がいたらしい。まゆちゃん曰く、「私にはもったいないくらい素敵な人」だったらしいが、その素敵な人はある時を境にまゆちゃんに手をあげるようになったのだそうだ。そしてまゆちゃんが一生懸命稼いだお金を持ち逃げして、そのまま帰ってこなかった。とんだDV男である。私はその話を聞いて死ぬより酷い目にあわせてやろうかと立ち上がったが、まゆちゃんが頑なに鍵を開けてくれなかったのでやめた。

「クソ男じゃないですか。まゆちゃん優しすぎます」
「優しくはないですよ。私が至らなかっただけです。ついでに勝手に死にましたし」
「まゆちゃんが至らない人間だったら、世の大半の人間はゴミ虫レベルですよ。私も含めて」
「さゆちゃんはゴミ虫なんかじゃないですよ」
「じゃあまゆちゃんも至らない人間じゃないです」

 ぷすぷすと怒りの炎を上げる私に、まゆちゃんは半分ほど切れた首を揺らしながら、困ったように笑った。



 コーポ404の306号室。私の住所を教えると、大抵の人は怖がるか面白がるかのどちらかだ。興味本位で無理やり押しかけられることもある。そうすると、まゆちゃんはとても怒る。失礼な来客に怒るのは誰だって同じだ。まゆちゃんが追い返した相手は、二度とこの部屋を訪れようとはしない。そして私に「よくあんな部屋で暮らせるね」なんて言う。
 だけど私はこの部屋と同居人をとても気に入っていて、もう数年は転居するつもりもない。少なくともまゆちゃんが成仏するまでは、一緒に暮らしてみようか。そんなふうに思っている。
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