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第2章

視点を変えれば(R-15)

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昔々ある所に、非常に情弱な環境に置かれたお姫様がいました。その名をマリーアントワネットと言いました。
当時のヨーロッパにはテレビもねぇ、ラジオもねぇ、どころか、電話も新聞もありませんでした。そして、たったの14歳で、オーストリアからフランスという訳の分からない所に嫁がされました。もちろん、嫁ぐという事がどういう事か、よく分からないままフランスに嫁ぎ、周りの人達から、フランス王室での伝統や流儀・所作を教わるだけで精一杯。新しい環境に馴染み自分の生活に追われ、情報のアップデート先といえば、同じ貴族たちからの情報だけで、何が本当で何が嘘なのか、よく分からないままに感覚的・直感的に生きるといえば恰好がいいですが、要するに、ほぼあてずっぽうで生きるしかすべのない、殆ど狼に育てられた子供のような人生でした。あの閉鎖的な環境と自分がそこに存在する意味。そんな事を考える暇などない程、社交界でのハードスケジュールをこなす事に明け暮れておりました。

夫の国王はオタク気質で大人しいので、夫婦関係はまあ相手が逆らって来ない相手だから、取り敢えず仲は良かったですが、10代20代の女性なら、オタクよりも、やっぱりカッコいいイケメンに惚れられたら、そっちの方が良いに決まっています。あの環境に放り込まれたら、10代20代の女性1億人中1億人までが同じような行動に出る事をしたまででした。それなのに、稀代の悪女とかいうむごいレッテルを貼られて、最後はギロチンの刑に処されました。あと、よく誤解されがちですが、「パンが食べられないなら、お菓子を食べればいいじゃない。」という一発ギャグは、マリーアントワネットの持ちネタではなかったというのが、歴史学者の見解です。
同じことを平安貴族が普通にやって、普通に天寿を全う出来たのに、運命とは残酷です。まあ平安貴族だって、最後は武士に政権を明け渡し、悲しい結末を遂げるのですが。それでも天皇家はお咎めなしでした。ラッキーですね。日本人にとっても、それはラッキーな選択でした。

話を戻します。情弱な女王マリーアントワネットの信頼を、一心に受けていたのが、オスカルフランソワでした。が、この人はご存じの方も多いと思いますが、れっきとした女性です。フェルゼンに密かに想いを寄せていましたが、それを知られる事は命を取られる事と同じなので絶対に禁句でした。別にだからと言ってマリーアントワネットにやきもちを焼くなどと言う狭い心の持ち主ではありませんでした。
伯爵家を継ぐために、男として育てられたオスカルは、マリーアントワネット専属の近衛兵をしていました。つまり、起きている間は、何をするにも一緒でした。その有能さと危機管理能力と細やかな気遣いから、すっかり信頼しきっていたマリーアントワネットでしたが、フランス革命が起きると、いともあっさりと民衆側に寝返って、先陣を切って王族の敵になりました。

マリーアントワネットは情弱で世間知らずなまま、ギロチンに掛けられました。そもそも、政治力などまるでない王族のくせに、仕事もせずに裕福に暮らし、民衆は食うや食わず。分かりますよ。民衆は、自ら汗水たらして働いて得た、そのお金の数割で、王室を支えていました。分かりますよ。その革命は正しい革命でした。本当は政治力のないあの夫婦に、世間の現実を伝える人がいれば良かったですね。ところがあの時代は、王族の悪口など言おうものなら死刑ものですから、誰一人声を上げるものがおらず、我慢に我慢を重ねて来ました。ぱんぱんに膨れた風船は、ある日突然爆発します。行儀よく真面目なんて出来やしなかったから、キレた民衆はロベスピエールに煽られて、人間凶器となってしまいました。が、マリーアントワネットが全幅の信頼を寄せていたオスカル、汝もか・・・。
私は、マリーアントワネットを庇う気は全くありません。だけど、可哀想だったとも思います。政権だけを奪って、国の象徴として質素に暮らさせるという手もありました。彼らはただの、オタクと情弱な女王に過ぎなかったのですから。

が、〇されました。ギロチンに掛けられました。マリーアントワネットの本音は、「貧しくてもいいから、フェルゼンと一緒に暮らしたい。我が子だけは庶民でいいから命だけは取らないで欲しい。彼なら連れ子でも可愛がってくれるに決まってる。だって、どの子も美男美女で、私そっくりだから。」という悲しいお花畑状態で、それも叶わず、ギロチンに掛けられました。罪名は「情弱罪」だと思います。情弱が原因でギロチンに掛けられました。情弱が原因でギロチンに掛けられました。情弱が原因でギロチンに掛けられました。情弱が原因でギロチンに掛けられました。
そして、ある日突然、いつも一緒に行動していた、側近のオスカルが寝返りました。忠誠を誓ったはずのオスカルが寝返りました。最も信頼を置いていたオスカルが寝返りました。オスカルが寝返りました。オスカルが寝返りました。オスカルが寝返りました。もう一度言います。オスカルが寝返りました。
マリーアントワネットは、時代に恵まれなかった可哀想な女性だったとも思います。オーストリアの立場を守る為だけにフランスの王族に嫁ぎました。現イギリス王室の事を悪く言う人はいません。イギリス王室の人達は、現代でも日本の天皇家よりも、遥かに贅沢に暮らしていると思います。豊かなイギリス国民になって良かったと思いますし、政権は完全に民間が握っているので、〇す必要もないバリバリの先進国です。

マリーアントワネットの時代には、疫病・貧困・フランス本土での戦争はありませんでしたが、他国の戦争の影響に掛かる費用が、実は一番えげつない出費だったそうです。どこかの国によく似た状態でした。疫病・戦争の影響・貧困化。どこかの国の国民は、行儀よく真面目なんで出来やしないでしょう。この情報化社会で、そんな大それた事をしても何も変わらない事を知っているからです。最近、それに近い事が、その国で起こりはしましたが、本命を〇せなかったので、八つ当たりで〇されました。いつだって、〇される人はツイていない人なのだと思います。こういうしょうもないネタを書いている作者も、人生の殆どは運で決まるのかなと思います。
しかし、当時のフランス人は、王室の息の根さえ止めてしまえば、きっとみんな幸せになれると本気で考えたからこそ、食うや食わずでも立ち上がって行ったのです。普通人間は、お腹が空いたままでは、辛くて動く気が無くなります。ダイエット経験者なら、分かってくれると思います。何も出来ずに寝そべるだけです。寝そべり族。どこかの国も、戦争の後押しにトップが名乗り出た為に、そういう学生が増えているようで。もう、アジア人同士ディスリ合っている場合ではないかと。国の一番の金食い虫は、結局戦争ですから。ラブもピースも関係ないです。

お腹が空いて動けないはずの国民全員が、それでも火事場の馬鹿力を発揮しました。そして、幸せになりました。革命を起こした人達の中にも、処刑された人はいました。ある日突然幸せになる事は、現実問題不可能なのは周知の事実です。だから、革命家サイドにも〇んだ人達が結構いました。マリーアントワネットは時代に〇されたのだと思います。気の毒だけど致し方が無かったと思います。民主化の落とし前を付ける為に腹を括って、自らの命を絶つことで民衆に希望を与えました。

そして、話を戻します。マリーアントワネットは、いつも一緒に行動を共にしていた、一番の側近に裏切られて死んでいきました。マリーアントワネットは、オスカルならそうするな。と達観していたと思います。民衆に寝返り、〇す側に回るだろうという事は、予想する範囲内だったと思います。見方によっては潔い死に様だったと思います。ギロチンって痛かっただろうな。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨むことはありませんでした。ギロチンって怖かっただろうな。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨むことはありませんでした。首と体を切断されました。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨む事はありませんでした。血がいっぱい出ました。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨む事はありませんでした。〇される前に泣いていました。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨む事はありませんでした。収監されたその夜、髪の毛は銀髪から、全部白髪になりました。それでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を恨む事はありませんでした。あくまでもどこまでも民衆の側に寝返ったオスカルの事を、恨む事はありませんでした。もう一度言わせて下さい。マリーアントワネットは、とっととさっさと民衆の側に寝返ったオスカルの事を、1ミクロンたりとも恨む事はありませんでした。

オスカルが架空の人物だったからこそ、この心理描写も許された。そういう作者や編集者側の都合。或いは、読者の願いもあったと思います。側近として、近衛兵として、権力の犬に成り下がって終わるオスカルでは、結末がカッコ悪過ぎるからダメだという、相当に強い空気感ゆえに、マリーアントワネットは一番身近にいた、最も信頼する側近であるオスカルが、実は女である事すら知らされない情弱状態のまま、ギロチンに掛けられましたが、読者の願望通り、あっさりサクッと民衆の側に寝返った、そんなオスカルの事を恨む描写は、1ミクロンもありませんでした。
おしまい。
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