事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

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第六章

第四部 影の観測者

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 地域課の仕事は、事件ではなく生活だった。

 落とし物。
 騒音。
 酔客の保護。

 天川黎人は、巡回用の自転車を押しながら、住宅街を歩いていた。

 制服は同じ。
 だが、ここには捜査はない。

 ——公式には。



 「……今日も、平和ですね」

 同行のベテラン巡査が言った。

 天川は曖昧に頷く。

 平和。
 その言葉ほど、信用できないものはなかった。



 地域課は、情報の終着点だ。

 事件にならなかった“異常”。
 処理された“違和感”。

 誰も拾わないものが、ここに落ちてくる。

 天川は、それを拾う側になった。



 交番に戻ると、内線が鳴っていた。

 「天川。
  お前宛てだ」

 名を呼ばれた瞬間、空気が変わる。

 受話器を取る。

 「……はい」

 数秒の沈黙。

 そして、女の声。

 「生きてる?」

 短く、乾いた声。

 天音梨花だった。



 「……天音先輩?」

 「声、低くしなさい」

 即座に指示が飛ぶ。

 「今、
  あなたは誰かに見られてる?」

 天川は、反射的に周囲を見る。

 交番。
 同僚。
 特に異常はない。

 「分かりません」

 「正解。
  分からないなら、
  見られてる」



 天音梨花。

 捜査一課の資料分析担当。
 現場には出ない。

 だが、
 彼女の解析で線が繋がらなかった事件はない。

 後藤と斎藤が拾ってきた情報を、
 「形」にする存在。

 天川が、
 最初に“異質”だと見抜かれた相手。



 「……あなた、
  港湾倉庫の件、
  どこまで視た?」

 天川の喉が鳴る。

 「……どういう意味ですか」

 「とぼけるの、
    下手ね」

 天音は続けた。

 「あなたの“推理”は、
    推理じゃない」

 「映像よ」

 天川は、言葉を失う。



 「心配しないで。
  誰にも言ってない」

 天音は淡々と言う。

 「言ったら、
  私も消される」

 その一言で、
 冗談ではないと分かった。



 「……何があったんですか」

 天音は、答えなかった。

 代わりに言う。

 「今日、
  私、事故に遭う予定」

 静かだった。

 あまりにも、静かすぎた。



 「どういう……」

 「階段から落ちる」

 天音は言う。

 「書類を抱えて、
  足を滑らせて」

 「監視カメラの死角」

 「救急は呼ばれる」

 「でも、
  打ち所が悪い」



 天川は、拳を握った。

 「……誰が?」

 「分からない」

 天音は即答した。

 「でも、
  警察」



 電話が切れた。

 その瞬間、
 天川は確信した。

 これは“事故死未遂”だ。



 天川は、能力を使った。

 天音梨花の名前。
 署内の写真。

 ——視る。

 映像が、走る。

 階段。
 夜。
 人影。

 背中。

 押される。

 否。
 “手を離される”。

 誰かが、
 支えていた手を、
 離す。



 天川は、息を呑んだ。

 「……これは」

 事故ではない。

 だが、
 証拠は残らない。



 天川は、動いた。

 正式な命令はない。
 権限もない。

 だが、
 見てしまった以上、
  戻れない。



 夜。

 署の裏階段。

 天音梨花は、
 書類を抱えて歩いていた。

 表情は、いつも通り冷静。

 だが、
 歩幅が僅かに速い。



 天川は、影にいた。

 制服ではない。
 私服。

 “いない存在”。



 その時。

 足音が、もう一つ。

 天音の背後。

 天川は、
 叫びそうになるのを堪えた。

 ——まだだ。



 手が伸びる。

 天音の背中に、
 触れる寸前。

 その瞬間。

 「——やめろ」

 低い声。

 後藤直次だった。



 男は、
 即座に引いた。

 顔は見えない。

 だが、
 逃げ方が慣れている。



 天音は、
 その場に座り込んだ。

 書類が、床に散らばる。

 震える手。

 「……本当に、
  来たのね」

 天川が、姿を現す。

 「後藤さんが……?」

 「連絡した」

 後藤は、短く言った。

 「お前より、
  俺の方が先に気づいてた」



 その夜。

 天音梨花は、
 天川黎人の自宅にいた。

 簡素な部屋。

 カーテンは閉め切られている。



 「ここ、
  落ち着かないわね」

 天音が言う。

 「でも、
  今は、
  これでいい」

 天川は、水を差し出す。

 「……先輩」

 天音は、少しだけ笑った。

 「“梨花”でいい」

 そして、真顔に戻る。

 「あなたの力、
  完全に隠しなさい」

 「もう、
  次は未遂じゃない」



 天川黎人は、
 この夜、理解した。

 守る側の人間も、
 簡単に消される。

 真実に近づきすぎた者は、
 例外なく。
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