事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

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第十二章

第三部 失敗という結果

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 その日、事故は起きなかった。

 救急車も、パトカーも、報道もない。
 誰かの名前が、ニュースの片隅に載ることもない。

 対象者は、何事もなかったように一日を終えた。

 帰宅し、靴を脱ぎ、食事をして、テレビを見て、眠る。
 明日も、同じように目を覚ますだろう。

 彼は知らない。

 自分が、死ぬ予定だったことを。


 B派の監視記録には、空白が残った。

 異常値なし。
 突発事象なし。
 事故発生——なし。

 それは、報告書としては成立している。
 だが、内部では、明確な異常だった。

 「……どういうことだ」

 誰かが呟く。

 失敗、という言葉は使われない。
 使えない。

 事故は、起きなかった。
 しかし、それは「未遂」ではない。

 未遂とは、起こそうとして、阻止された結果だ。
 だが今回は違う。

 起こすこと自体が、出来なかった。

 「条件は揃っていたはずだ」

 時間帯も、場所も、人の動きも。
 記録上は、完璧だった。

 それなのに。

 何かが、抜け落ちている。


 その“何か”が、はっきりと形を持った瞬間があった。

 B派の一人が、静かに言った。

 「……誰かが、触っている」

 声は低く、確信に満ちていた。

 「事故を止めたんじゃない。
  事故が起きる前に——」

 言葉が、そこで途切れる。

 誰もが、同じ結論に辿り着いていた。

 見えない介入。

 犯人はいない。
 現場もない。
 証拠もない。

 だが、結果だけが、残っている。

 事故が、存在しないという結果。

 それは、これまで一度もなかった。


 会議室の空気が、変わる。

 これまでは、
 「失敗率」や
 「露見リスク」
 といった数字の話だった。

 だが今は違う。

 議題に上がったのは、たった一行。

 事故が起きなかった

 その事実が、初めて、問題として扱われた。

 「偶然じゃない」

 「偶然にしては、整いすぎている」

 「同じことが、続いている」

 その“同じ”の中心に、名前が浮かぶ。

 天川黎人。

 誰も口に出さないが、
 誰もが、思い至っていた。


 一方、A派の側では、理解が早かった。

 彼らは、事故の設計を知っている。
 成功率が、何に依存しているのかも。

 だからこそ、気づいた。

 「……彼は、事故を壊していない」

 A派の一人が、資料を閉じながら言った。

 「前提を、壊している」

 事故が成立するための、前提条件。
 人の判断。
 時間の歪み。
 焦りと慣れ。

 それらが、最初から存在しなかった。

 事故は、設計できなかった。

 「これは……危険だ」

 事故を止める存在は、想定していた。
 だが、事故を“設計不能”にする存在は、想定していない。

 対処のしようがない。


 沈黙の中で、別の声が上がる。

 「排除するしかない」

 それが、B派の結論だった。

 事故が使えないなら、
 事故を使える状況を、取り戻す。

 そのためには、
 原因を消すしかない。

 天川黎人。

 その名前が、
 初めて、明確な“標的”として共有された。


 同じ夜。

 天川は、事務所で一人、灯りを落としていた。

 事故は起きなかった。
 だが、胸の奥に、ざわめきがある。

 成功の実感はない。

 ただ、分かっていることが一つ。

 相手は、もう気づいた。

 事故が起きなかったことを、
 “異常”として認識した。

 それは、引き返せない合図だ。

 天川は、静かに息を吐く。

 これから先、
 相手は、事故を起こさなければならない。

 起こせなければ、
 自分たちの存在が、崩れる。

 事故は起きていない。

 だが——

 均衡は、確実に、壊れ始めていた。

 それは、音もなく、
 だが、決定的に。
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