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 部屋の中に入ってすぐさま、帽子を取る女性に目が向いた。

ベールの下から現れたのは、艶やかブルネットの髪と、少し目じりの上がった薄青の瞳が美しいかんばせだった。
高貴な雰囲気をまとう整った顔は一見冷たく見える。
「今頃あの子はどんな顔をしているのかしら。この目で見れないのがなんとも残念だこと」
シンプルに結い上げたブルネットの髪を撫でつけながら無表情で言う彼女の奥から、陽だまりのようにほがらかな男性の声が掛かった。
「初めまして、エドモンド侯爵フェルナン・リットンだ。フェルと呼んでくれ。妻のマーガレットがすまなかったね」
金髪のエドモンド侯爵は、微笑んだ目が糸のようで、なんとも愛嬌あふれる顔だった。

 でも、真に受けてフェルなんて呼べるわけがない。
「初めまして、エドモンド侯爵様、奥様。アリー・シュナイダーと申します」
貴族の挨拶ルールはよく知らない。知ったかぶりをして間違うよりはましだろうと、いつものように頭を下げた。
わたくしのことはマーガレットと呼びなさい。さ、座ってお茶にしましょう」
メイドが淹れてくれた極上の紅茶と、飛び跳ねたくなるスプリングのソファーに少し気持ちが上向きになる。

 向かいに座ったお二人は上品な仕草で紅茶を飲んでいるけど、質問しちゃだめかな。
この部屋に入る前と違って空気は穏やかだが、高位の貴族を前にすると話しかけることさえ躊躇してしまう。
「色々聞きたいでしょうが我慢なさい。夫に顔を見せに寄っただけで、次の予定まで時間が無いわ」
心を読まれたのかと思った。
マーガレットには、人知の及ばない能力を持っているんじゃないかと思わせる不思議なオーラがある。
飲み終わるなり、マーガレットに連れられ別の部屋へと移動したが、日常生活を狭いワンルームで済ます身としては、なぜこんなに部屋を変えるのか、はなはだ疑問に思う。
もしかして、貴族の散歩って家の中でするのかしら。

 次の部屋には、女性ばかり六人がいて、うち一人は侍女らしいお仕着せの年配女性だった。
入るなりエドモンド侯爵夫人に――
ぎゃーー!!胸、揉まれてるっ!
なんとか悲鳴は我慢したが、すごい形相をしてたと思う。
そのままウエストからヒップまで撫で下ろされ、腰が抜けそう。
「若いと張りが違うわね。うらやましいこと」
お仕着せの侍女らしき人から
「あらあらマーガレット様、許可を取らなければダメですよ」
微笑まし気に言われたが、知り合ったばっかりの人に、胸を揉んでも良いかと問われても許可は出せないです。

「コルセット無しでこれだけ胸があるなら、下から搾り上げればデコルテの開いたものでも貧相にみえないわね」
今度はウエストから胸まで持ち上げるように撫で上げられ、白目をむきそうになった。
「おほほ、搾り上げるだなんて。ですが、お嬢様のミルクのようなお肌は見せびらかしましょう」
ニコニコしながら和気あいあいと話しているが、皆さんにはマーガレットの手が見えていないのか?
この人、絶賛、人の胸を鷲掴み中ですよ。
あぁ、座らせて欲しい。もう倒れそう。
「白い肌ね。キメも細かいわ。この肌が手に入るなら魔女に魂を売る人もいるでしょうね」
マーガレットの手が髪に移動してやっと一息ついたのに、
「この髪にこの肌。アリーを初めて見た時、あの子の初恋相手を思い出したわ」
髪から首筋に下ろされた指先に思わずゾクゾクした。
「ほんとうですわねぇ。あのお姫様のようですわ」

控えていた他の人達も会話に加わり盛り上がっている。
「まぁ、あの初恋話は本当だったのですね。こちらの専属お針子になってすぐに聞きましたけど、今の精悍なお姿からは想像出来ない可愛らしさですわ」
「噂になっているなんて、ご本人に知られては恥ずかしがってしまいますから、彼の方には秘密ですよ」
誰かの初恋相手に似ているのなら、それに関連した依頼だろう。
エドモンド侯爵は私を見ても驚く様子がなかったので外していい。
誰であっても閨のお相手依頼でない事を祈るばかりだ。

 今度は色について話が弾みだした。
「淡いお色も似あいますが……でも」
「初恋の姫を思い起こさせる赤はどうかしら」
「やはりそうですわね。林檎のような赤がよろしいですわ」
「ベースを明るい赤にして、白のシルクを三分の一ほど入れてみてはいかがでしょうか」
「それが良いわね。若さと可憐さが引き立つわ。編み上げに水色のリボンを使いましょう」
「水色は必須ですものね」
「今着ていらっしゃる、首元の詰まった服ではもったいないですわ」
「普段着も何枚か必要よ」
「清楚かつセクシーなネグリジェも」
「初日は清楚だけにしましょう。あの子が狼になるとアリーがかわいそうだわ」
「狼は物語が違いますものね」
「「「ふふふふふっ」」」
私を放置したまま、七人で話が進んでいく。
ネグリジェの言葉にやっぱり夜伽なのかと青くなる。
「では、お嬢様。失礼いたしますね」
半分意識の飛んでいたアリーに何本もの手が伸ばされ
――服を脱がされた!
今度こそ、大声で悲鳴を上げた。

「あらあら、恥ずかしく思うことはございませんよ」
腕で胸を隠すアリーをものともせず、エドモンド侯爵夫人と侍女以外の十本の手がせわしなく動く。
素早くメジャーで測りながらも、おしゃべりは止まらない。
「まぁ、なんてきれいなお胸の形でしょう。この胸に合う下着も新調しなくては」
「こちらも見て。理想的なお尻の形ですわ。透け感のある下着を着せてみたいですねぇ」
「水色のレースもシフォンもたくさん用意しております。ウエストも細くて……」
と、誰かが言ったところで、大きな音を立て扉が開いた。

「はぁ、はぁ…………」
「「「……」」」
髪を乱し、肩で息をするランドルフが立っていた。
「きゃああーーーーーー!」
再び切り裂くような大声を上げて、その場でうずくまった。
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