蚊帳の外

紺野真

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蚊帳の外

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蚊帳の外
最近不思議な事がある。
〝私〟にそっくりな人間がいるのだ。そっくり、というのも背格好が似ているだとか声が似ているだとか近しい交友関係があるだとかその程度の話ではない。
私にそっくりな、言わば〝偽物の私〟を仮にXとしよう。Xは私と全く同じなのだ。


私は自分で言うのも恥ずかしい位に特筆するに値しないような平々凡々とした地味な人間だ。誰かに憧れられ、真似られるだなんて無縁な話だ。羨ましがられるようなものなど何も無い。


Xの存在、即ち異変に気付いたのは今から一週間程前だっただろうか。


平々凡々で地味な私にも習慣の一つや二つはある。
その一つに仕事帰りにスーパーに立ち寄り、缶ビールを二缶買うというものがある。
その日もいつも通り地味な仕事を終え、くたびれたスーツでスーパーの缶ビールコーナーへ足を運んだ。
そこにXはいた。Xは私と同じようにくたびれたスーツに身を包み、キリンのラガービールを二缶手に取った。
正直、顔ははっきり見えなかった。直感というものだろうか。ただ、些細な仕草や雰囲気といった曖昧なものが恐ろしい程に私に似ていた。
その時は少しばかりぎょっとしたが、疲れていたし何より自分に似た人間など山のようにいる、と思い直しいつものようにラガービールを二缶手に取りレジに向かった。
その間にXは既に会計を終えたのか姿はなかった。


次の日。
昨夜見た自分そっくりな人間、Xの事など私はすっかり忘れていた。
仕事の昼休み、近くのコンビニに煙草を買いに行った。
するとそこにXはいた。

その日も私とそっくりなスーツを着て私と同じ銘柄、マルボロのブラックメンソールの番号を店員に伝えていた。その声を聞いて鳥肌が立った。本能的なものだろうか。
(あれは私の声だ)
自分で聞こえている自分の声と他人が聞こえる自分の声が違っているだなんて事は重々承知だ。
しかし、Xの声は紛れもなく私の声だった。

動揺した私は煙草を買わずコンビニを出た。
今さっき見た出来事を認めたくないのか
(同じ人間が同じ煙草を二度も買いに来たら店員は変に思うだろうな)
などとつまらない事を考えながら急ぎ足で会社へ戻った。

会社に着くと、いつもの私なら真っ先に喫煙所に向かう。しかし今日ばかりは自分の持っている煙草がXと同じものである事が気味悪く感じ、気を紛らわすためにパソコンに向かった。昼休みはまだ半分程残っていた。


集中力が切れるとどっと疲れが襲ってくる。
私は昼休みからずっとパソコンに齧り付いていた。
いつも不真面目に仕事に取り組んでいるつもりはないが、今日は鬼気迫る様子であったのだろう私を見兼ねた上司に
「何かに取り憑かれたみたいだな」
と笑われ、缶コーヒーを奢ってもらった。
一応ぶっきらぼうにお礼を言った。ブラックコーヒーは苦手なのだ。
しかし周囲の人間が異変に気付くなんてよっぽどだ。
疲労で頭はぼんやりとしていたが気分はすっきりしていた。


私は少し怯え過ぎていた。
同じ缶ビール、同じ銘柄の煙草を好む人間などどこにでもいる。第一、昨夜ラガービールを買っていた人間と今日ブラメンを買っていた人間が同一人物だという確証は何一つない。

そんな存在すら不確定な自分そっくりの人物Xを怖がっていた自分が可笑しかった。
込み上げる笑いを噛み殺しながらスーパーへ行くとXがいた。
いや、〝X一号〟とでも言うべきか。
兎も角背格好や仕草が私と似ていて同じ缶ビールを好む、私と別の人間。
そう思うと気が楽になった。


自宅のアパートに戻り、さっき買った缶ビールを飲む。疲れた身体に染み渡る。爽快な気分だ。一缶半空けるとその日はソファで寝てしまった。


翌朝、スマートフォンのアラームで目を覚ました。
ソファで寝てしまったせいか身体が怠い。
兎に角シャワーを浴びて支度をしなくては。急いでシャワーを浴びると浴室から飛び出し、着替えを済ませると朝食もそこそこに家を出た。

駅までの道すがらゴミ捨て場に目がいった。
(しまった。今日はゴミの日だった。)
私は毎日缶ビールを飲むため資源ゴミが溜まりやすいのだ。
昨夜の事を軽く後悔しながらゴミ捨て場を通り過ぎようとした時私は目を疑った。

自分のゴミが捨ててあるのだ。

いつもの缶ビールにいつもの缶コーヒーの空き缶。
上司がくれる缶コーヒーはいつぞや「ブラックコーヒーは苦手だ」と言いそびれてしまい、毎回申し訳ないと思いつつも飲まずに家に持ち帰り中身を捨てていた。
時々灰皿の掃除が面倒で、その空き缶を灰皿代わりにしていた。

まじまじとそのゴミを見る。
いつもの缶ビール、いつものブラックコーヒー…その缶の口から微かに見える煙草の灰と吸殻…。
見れば見る程私の物だとしか思えない。戦慄した。
今までの平々凡々とした人生の中でこれ程不気味な体験は初めてだ。

嫌な汗がこめかみや背中を伝う。
それすら他人事のようだ。
無いような感覚に陥った。

激しく動揺して思考停止状態だったがある考えが浮かんだ。

(このゴミは記憶が無いだけで昨夜の私が捨てたのではないか)

(このところ精神的にも肉体的にも疲れていた。
物忘れという程ではないが〝うっかり〟忘れてしまっていてもおかしくはないだろう)

その考えのお陰で束縛されていた身体が動いた。
家に帰って確かめよう。
きっと自分の気の所為に違いない。踵を返しながらついさっきまで脂汗をかきながらゴミ捨て場に立っていた自分を思い出し、恥ずかしくなる。
(そもそもXも私の気の所為だ。
疲れていたんだ。大の大人が何を怖がっていたんだろう。馬鹿馬鹿しい。)

(家に戻ってゴミがない事を確認しよう。
それが分かれば〝存在しないX〟などともおさらばだ。)

軽い足取りで自宅へと戻る。
いつものアパート。いつもの階段。いつものドア。いつもの――。


表札に書かれた文字に違和感を覚える。
文字が読めない。いや、文字自体は読める。そこに書かれている苗字。苗字だ。見覚えがない。
しかし紛れもなくそれは私が書いた文字である事は分かる。

苗字?私の、苗字?私の、苗字は何だった?
名前、名前は、なんだった?


再び脂汗をかき始める湿った手で鍵を開けドアノブを握る。
部屋に、いつもの、私の部屋に入りドアを、閉める。

(私は誰なんだ?)


身体から力が抜けていくのを感じる。
いや。身体?
埃っぽい匂いと煙草の匂い。いつもの匂いがしない。
見える物。目。視界。資源ゴミがない。

「なあ、自分の存在を証明できるか?」
「お前は本当にお前なのか?」


頭の中で誰かの声を聞く。
それで全てを悟った。いや思い出しただけなのかもしれない。
いつから勘違いしてしまっていたのだろう。
〝偽物〟などはじめからいなかったのに。


煙草に火をつける。
それを口元に持っていき煙を吐く。
いつも煙を吐いていたと当たり前のように思っていた。
私の手は何も持つ事も掴む事も出来ずにすり抜けていたとも知らずに。

私の目に映るものは全て誰かの視界だ。

思考だけがそれこそ煙のように漂うだけだ。
いつもの事だ。いつもの事なのにどうしてこんな思い込みをしてしまったのだろう。
寂しかった。
寂しかった、のか?
私の感情など無意味だというのに。
私の存在は、いつだって、蚊帳の外だというのに。
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