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第34話 お嬢様は迷子でございますか?~過去・出会い①~

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 ルシアが6歳の誕生日を迎えたすぐ後のこと。

 父であるスチュワート伯爵ローガンが、用事があってサガンの町に行くと言うので、ルシアは付いて来ていた。

 父が仕事をしている間、手持ち無沙汰になったルシアは近隣の店を見てみたいと言って外に出たのだが、人通りの多いにぎやかな町中を歩いているうちに、ルシアはお付きの者とはぐれ、気が付けば見覚えのない裏通りに一人迷い込んでいた。

(ここはどこかしら?)

 ルシアは辺りをキョロキョロと見回した。

 表通りのにぎやかな様子とは違い、店もなければ人もいない。

 こっちかも、と思った方に駆けて行くが、一向に見覚えのある場所には出ない。

 建物の角を曲がっても、また同じようなさびれた裏道が続いている。

 ルシアは不安で胸がつぶれそうになった。

(どうしましょう・・・)

 その時だった。

 ニヤニヤと下品な笑いを浮かべた男が近づいてきて、ルシアの腕をつかんだ。

「嬢ちゃん、こんな所で何をしているんだ?一人で歩いていたら危ないじゃないか」

 ルシアはびっくりして、立ち竦んでしまう。

「おじさんがいい所に連れて行ってあげるよ。さぁおいで」

 男はそう言って男はルシアを荷物のように抱き上げ、連れ去ろうとした。

 ルシアは荷物のように担がれ、恐怖から声も出ず、ガクガクと全身が震えた。

(こ、怖い!だれか助けてっ)

「ぐふふふ。こんな上玉めったに手に入らねーぞ」

 男は機嫌よく独り言を言いながら、足早に立ち去ろうとした。

 しかし、突然地面の土がぐにゃりとぬかるみ、足を取られてルシアを落としてしまう。

「なんだこりゃ!」

 男がぬかるみから足を抜こうと、泥と格闘を始めた時、ぼわんという音がして男の顔の周りに水たまりが突如発生した。

 空中に浮かんだ水たまりは、男が手で振り払おうとしても消すことができず、男は次第に息苦しくなってみっともなく暴れ、そのうち意識を失って倒れた。

 男が倒れると、水たまりは音もなく消失した。

 ルシアは地面に落とされた衝撃でしばらく身動きもとれなかった。

 男に背を向けて倒れていたので、一体男の身に何が起きたのか、目撃せずに済んだのは幸いだった。

「大丈夫か?」

 背後から声を掛けられ、ルシアはなんとか身を起こし振り返った。

 そこにはあちこち擦り切れた古い服をまとった少年がいた。

 ボロをまとっているのに、不思議と清潔感を感じさせる。

 ルシアより何歳か年上であろう少年は、少し離れた場所で腕を組んでルシアを見ていた。

 リアムである。

 たまたま通りがかった裏道で、唇をかみしめ涙目でオロオロと歩き回るルシアを見かけ、声を掛けようかと思った矢先に、男に攫われそうになったため助けに入ったのだ。

 リアムは今や希少となった魔術の使い手で、しかも土と水の二属性を同時に発現させるという高度な技をいとも簡単に使って見せた。

 このような下町の裏道でお目にかかれるような技ではないのだが、ルシアは気が付かない。

「怖かった…」

 男に掴まれていた腕がじんじんと痛む。

 ルシアは涙目になりながら、腕をさする。

 それを見てリアムはルシアのそばまで歩み寄って来た。

「けがをしたのか?」

「ううん、大丈夫。あなたが助けてくれたの?」

「まぁ、そうかな」

「この人、死んでいるの…?」

 震えるようなか細い声でルシアが尋ねる。

 人の死を間近に感じたことは、これが初めてだった。

 自分をさらおうとした悪人なのだとしても、死んでしまうと思うと恐ろしかった。

「いや、気を失ってるだけだよ」

 それを聞いて、ルシアは肩に入っていた力を抜いた。

「お前、迷子?」

「お前って、わたくしのこと?」

「そうだけど。・・・失礼だった?」

 リアムはルシアの全身を見た。

 紺色のワンピースは色こそ目立たないが、肌触りの良さそうな天鵞絨びろうどで仕立てられていることが見て取れた。

 切り替え部分にはサテンのリボンが結ばれているのが品良くかわいらしい。

 どうみても平民ではない。

 ルシアは首を横に振った。

「お前って呼ばれたことがなかったから」

「ふーん。じゃあ何て呼ばれてるんだ?」

「みんなはお嬢様って呼ぶわ」

「名前じゃないの?」

「お父様とお母様だけはルシアって呼ぶの」

「ふーん。それで、お嬢様は迷子でございますか?」

 リアムが恭しく尋ねると、ルシアは頬を少し赤らめた。

「迷子って言わないで」

 さっきまで大きな目に零れ落ちそうなほど涙をためていたのに、今は恥ずかしさを表情に出さないように懸命にお嬢様の仮面をかぶろうとしているルシアが、リアムにはとてもかわいらしく見えた。

「だれかと一緒に来たんだろ?大通りに出て待ってれば見つけてもらえるんじゃないか」

「えーと…たぶん見つけてもらえるけど、大通りまで出られなくて…」

「あはは!じゃあ、俺が大通りまで送ってやるよ」

 ルシアはパッと顔いっぱいに笑顔を浮かべた。

「ありがとう!あなた、とても優しいのね」

「別に、普通だろ。立てるか?」

 ルシアは立ち上がろうとしたが、腰に力が入らず立ち上がれなかった。

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