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「朴さん、朴宣美さん、お迎えに上がりました」
時計を見るとキッチリ午前十時、麗娜は二時間前に起きて、えずきながらも仕事に行った。ハルボジはほんの数分前に出かけたがどうせパチンコだろう。
すっかり準備万端の宣美は静かに扉をひらくと黒いスーツに黒いネクタイを締めた体格の良い男が二人立っていた。
「わざわざすみませんね、迎えにまで来てもらって」
皮肉を込めて言ったつもりだったが黒スーツの男は「仕事ですので」と言ったきり口を閉じた。
階段の下には黒塗りのセダンが止まっている、ボロいアパートとまるで噛み合わない風景の中に帽子を被った男が直立不動で立っていた、おそらく運転手だろう。すると前後にいる男たちはボディガードというわけだ、ずいぶんビップな対応をするものだ。
前方の男が車に近づくと運転手がドアを開けた、男が乗り込み宣美は後に続く、挟むようにして後方にいた男が乗ってきた、なるほど。これはビップと言うよりは容疑者の連行に近い。広いはずの車内も大柄な男二人に挟まれると息苦しくて仕方ない。
「ねえ、なんでボディガードになろうと思ったの?」
「……」
「死ぬ可能性もあるんでしょ」
「……」
「家族は?」
「……」
だめだこりゃ、眉毛すら動かさない。こんな状態で小一時間もドライブとは死ぬ前の試練としてはあんまりだ、だから一人で行きたかったのに。宣美はあからさまにため息を吐いた。
あきらめて前方に広がる窓の景色を見ることにした、なんて事のない風景も最後だと思えば少しは感慨深い。
石川誠一郎、果たしてどんな男だろうか。テレビで見る限りでは軽そうな、そうか、石川孝介の父親と言えばしっくりくる。
彼に恨みはない、しかし、在日朝鮮人の問題を軽視してきた歴代の政治家を代表して責任をとってもらう。総理大臣が殺されれば世界中でニュースになる。問題提起、一石を投じる役目としてこれほどの人物は皆無だろう。
その男と接触するチャンスが自分には巡ってきた、彼にとってはアンラッキーだが。
「あ、ちょっと寄り道できます?」
少し身を乗り出して運転手に問いかけた。横の二人がピクリと反応する。
「え、いや、申し訳ありません、決まったルートを走らないといけませんので」
「ちぇっ、久しぶりに実家見たかったな」
と言ってもマンションはとっくに売りに出されて今は知らない人が住んでいるだろうが。なぜ急にそんな事を言い出したのか自分でもよく分からなかった。あの頃に戻れるはずもないのに。
「北赤羽だ、少しルートを変えれば通り道になる、寄ってくれないか」
左隣に座っていた黒スーツが運転手に指示をした。「わかりました」と頷いて運転手はウインカーを出す。
「あ、ありがとうございます」
「……」
相変わらず無口な男だったが案外良い人なのかも知れない、そのまま車が五分ほど走ると見慣れた風景が目の前に広がってきた。国道沿いのコンビニも、ファミレスも、回転寿司も当時のままで、変わりすぎた自分とのギャップがおかしかった。
「そこの白いマンションだ」
「はい」
運転手が答えるとマンション敷地内の駐車場に車をすべりこませた。あれ、そこで、どうしてこの人は私の実家、いや、もと実家を知っているんだろうと考える。
「降りますか?」
「あ、良いんですか」
「少しなら」
お言葉に甘えて外に出る、かつて住んでいたマンションを見上げるとでっかい豆腐を縦に置いたようなマンションは少し色褪せていて月日が経った事を感じさせる、なぜか少し安心した。時間は確実に進んでいて、自分だけが破滅の道に突き進んでいるわけじゃない。
エントランスに入ると寄り道を許可してくれた男だけが後ろを付いてくる、あたりを警戒しながらインカムに向かってボソボソと喋っている。
しかしこれ以上はオートロックの扉があるので進むことはできない。何気なく右に視線を向けると掲示板にチラシやポスターが貼ってある。
「オートロックの開け方知ってます?」
「は?」
宣美の問いかけに男は訝しむだけだった、掲示板から画鋲を外してチラシを一枚取った。透明な扉の前にしゃがみ込むとチラシを床と扉のわずかな隙間に滑り込ませる、手首のスナップを効かせてチラシを左右に動かすと扉の向こう側のセンサーが反応して呆気なく開いた。
「ね、開いた」
「ぷっ」
ずっと眉間に皺を寄せていた男の頬が緩んだ、笑うと可愛らしい顔をしている。宣美はチラシを元に戻して男に「ありがと」と礼を言った。
「随分と印象が違うものですね、平成のコリアンモンスターなんてあだ名が付いているので恐ろしい女かと警戒していましたが」
「随分なあだ名ね、年頃の娘に付けるフレーズじゃないわよ」
「たしかに、あ、娘がいます」
「え? ああ」
最初に家族がいるか質問した事を思い出した。
「家族を護るためにこの仕事をしています」
「でも、危険な仕事でしょ?」
「日々鍛錬は欠かしません」
「どうして実家知ってるんですか?」
「警護対象の事は調べておきますので」
「そっか」と言って車に戻った。男は再び無言になるが先程まで感じていた息苦しさはもうなかった。
分かり合えるのかも、朝鮮人も日本人も。ちゃんと話をしてお互いを知れば。それを拒否して遠ざけてきたのは自分自身なのかもしれない。
気がつくのがちょっと遅かったな。車はどんどん目的地に近づいてく。宣美は少しだけ目を閉じて眠る事にした。
時計を見るとキッチリ午前十時、麗娜は二時間前に起きて、えずきながらも仕事に行った。ハルボジはほんの数分前に出かけたがどうせパチンコだろう。
すっかり準備万端の宣美は静かに扉をひらくと黒いスーツに黒いネクタイを締めた体格の良い男が二人立っていた。
「わざわざすみませんね、迎えにまで来てもらって」
皮肉を込めて言ったつもりだったが黒スーツの男は「仕事ですので」と言ったきり口を閉じた。
階段の下には黒塗りのセダンが止まっている、ボロいアパートとまるで噛み合わない風景の中に帽子を被った男が直立不動で立っていた、おそらく運転手だろう。すると前後にいる男たちはボディガードというわけだ、ずいぶんビップな対応をするものだ。
前方の男が車に近づくと運転手がドアを開けた、男が乗り込み宣美は後に続く、挟むようにして後方にいた男が乗ってきた、なるほど。これはビップと言うよりは容疑者の連行に近い。広いはずの車内も大柄な男二人に挟まれると息苦しくて仕方ない。
「ねえ、なんでボディガードになろうと思ったの?」
「……」
「死ぬ可能性もあるんでしょ」
「……」
「家族は?」
「……」
だめだこりゃ、眉毛すら動かさない。こんな状態で小一時間もドライブとは死ぬ前の試練としてはあんまりだ、だから一人で行きたかったのに。宣美はあからさまにため息を吐いた。
あきらめて前方に広がる窓の景色を見ることにした、なんて事のない風景も最後だと思えば少しは感慨深い。
石川誠一郎、果たしてどんな男だろうか。テレビで見る限りでは軽そうな、そうか、石川孝介の父親と言えばしっくりくる。
彼に恨みはない、しかし、在日朝鮮人の問題を軽視してきた歴代の政治家を代表して責任をとってもらう。総理大臣が殺されれば世界中でニュースになる。問題提起、一石を投じる役目としてこれほどの人物は皆無だろう。
その男と接触するチャンスが自分には巡ってきた、彼にとってはアンラッキーだが。
「あ、ちょっと寄り道できます?」
少し身を乗り出して運転手に問いかけた。横の二人がピクリと反応する。
「え、いや、申し訳ありません、決まったルートを走らないといけませんので」
「ちぇっ、久しぶりに実家見たかったな」
と言ってもマンションはとっくに売りに出されて今は知らない人が住んでいるだろうが。なぜ急にそんな事を言い出したのか自分でもよく分からなかった。あの頃に戻れるはずもないのに。
「北赤羽だ、少しルートを変えれば通り道になる、寄ってくれないか」
左隣に座っていた黒スーツが運転手に指示をした。「わかりました」と頷いて運転手はウインカーを出す。
「あ、ありがとうございます」
「……」
相変わらず無口な男だったが案外良い人なのかも知れない、そのまま車が五分ほど走ると見慣れた風景が目の前に広がってきた。国道沿いのコンビニも、ファミレスも、回転寿司も当時のままで、変わりすぎた自分とのギャップがおかしかった。
「そこの白いマンションだ」
「はい」
運転手が答えるとマンション敷地内の駐車場に車をすべりこませた。あれ、そこで、どうしてこの人は私の実家、いや、もと実家を知っているんだろうと考える。
「降りますか?」
「あ、良いんですか」
「少しなら」
お言葉に甘えて外に出る、かつて住んでいたマンションを見上げるとでっかい豆腐を縦に置いたようなマンションは少し色褪せていて月日が経った事を感じさせる、なぜか少し安心した。時間は確実に進んでいて、自分だけが破滅の道に突き進んでいるわけじゃない。
エントランスに入ると寄り道を許可してくれた男だけが後ろを付いてくる、あたりを警戒しながらインカムに向かってボソボソと喋っている。
しかしこれ以上はオートロックの扉があるので進むことはできない。何気なく右に視線を向けると掲示板にチラシやポスターが貼ってある。
「オートロックの開け方知ってます?」
「は?」
宣美の問いかけに男は訝しむだけだった、掲示板から画鋲を外してチラシを一枚取った。透明な扉の前にしゃがみ込むとチラシを床と扉のわずかな隙間に滑り込ませる、手首のスナップを効かせてチラシを左右に動かすと扉の向こう側のセンサーが反応して呆気なく開いた。
「ね、開いた」
「ぷっ」
ずっと眉間に皺を寄せていた男の頬が緩んだ、笑うと可愛らしい顔をしている。宣美はチラシを元に戻して男に「ありがと」と礼を言った。
「随分と印象が違うものですね、平成のコリアンモンスターなんてあだ名が付いているので恐ろしい女かと警戒していましたが」
「随分なあだ名ね、年頃の娘に付けるフレーズじゃないわよ」
「たしかに、あ、娘がいます」
「え? ああ」
最初に家族がいるか質問した事を思い出した。
「家族を護るためにこの仕事をしています」
「でも、危険な仕事でしょ?」
「日々鍛錬は欠かしません」
「どうして実家知ってるんですか?」
「警護対象の事は調べておきますので」
「そっか」と言って車に戻った。男は再び無言になるが先程まで感じていた息苦しさはもうなかった。
分かり合えるのかも、朝鮮人も日本人も。ちゃんと話をしてお互いを知れば。それを拒否して遠ざけてきたのは自分自身なのかもしれない。
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