モラハラ夫との離婚計画 10年

桐谷 碧

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「乾杯」

 ちょっと雰囲気が良いイタリアンでワイングラスを合わせた。土曜日。夫は泊まりでゴルフ。嘘だろうけどいないのはとてもありがたい。

「ごめん、突然誘ったりして。迷惑じゃなかった?」

「うん、全然。暇だから」

 あの馬鹿がいなければ。

「水森って実家暮らしだっけ?」

「え? ああ、うん」

 なぜ嘘をつく。言わなければ、私は結婚してます、と。

「松本くんは?」

「気ままな一人暮らし」

「へー、いいなあ」

 本当に羨ましい。

「水森は家でないの?」

「あ、そう、だね。そのうち」

 だめだ、今さら結婚してますなんて言えない。どうして嘘をついたのか説明が出来ない。


「失礼いたします」

 ソムリエが空いたグラスにワインを注ごうとボトルを傾けた。松本くんは慌てて「ありがとうございます」と言ってグラスを持つ、しかも両手だ。

 結婚前に私は同じ事をした、夫は馬鹿にしたように「グラスはテーブルに置いたままでいいんだよ」と言って手を叩いた。あの時に気づいていたら。

「あざっす」

 もう一度、お礼を言って頭を下げた。その姿は中学生の松本くんだった。思わず吹き出す。

「あれ、なんか変だった?」

「ううん、全然、変わらないね、安心した」

「水森は変わったよ、綺麗になった。あっ、昔は汚いとかそんなんじゃなくてさ、さらに綺麗になった」

 大きくも小さくもない瞳、痩せても太ってもいない体型、良くも悪くもない頭。ザ、普通。どんな調合をしたらこんな普通の人間が出来上がるのか神様に聞いてみたい。

 そんな私が綺麗?

「はいはい、松本くんはお世辞が言えるようになったんだね」

「え、本当だよ。そもそもクラス会開いたのだって水森に……」

「え?」

「あ、いや、何でもない」

 
 沈黙が私たちのテーブルを支配する、気まずさを紛らわすように彼が口を開いた。

「バレンタイン……」

「え?」

「嬉しかったんだ、ほら、俺ってめちゃくちゃ小さくて女子からも遊ばれてたじゃん。チョコくれる子はいたけどポッキーとかチロルチョコとかさ」

 クラスのマスコット的な存在。松本くんの周りはいつも賑やかだった。

「だから、あんなちゃんとした手作りのケーキ貰ったの初めてでさ、嬉しくて。それから意識するようになって……。その」


 ああ、ドキドキするなあ。その先、聞きたいなあ。たとえ昔の事でもすごく嬉しい。

「好きだったんだ、水森のこと」

 なんでそんな事したんだろう、夫がクズだから? そうだ、きっとそう。自分に言い聞かせる。

 恥ずかしそうに俯いて下を向く彼の手に自分の手を重ねた。ハッと驚いたように私を見る。

「私もずっと好きだったよ」

 彼の目を見てそう言った。

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