怖かったらいいなと思って綴る短編集

天田れおぽん

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妖し絵の誘い 前編

 わたくしは美しいものが大好き。

 だからその男を見つけたとき、あとをつけてしまったのは必然です。

 後悔などありません。

 まだ明るい昼日中。

 夏の足音近付く春の日の公演は、色とりどりに咲き乱れる花の香りも賑やかで、頭がクラクラします。

 わたくしは供の者を遠ざけ1人、美しい花壇を眺めておりました。
 
 朝露残る花々は、午前の日差しを浴びてキラキラと煌めていています。

 貪欲に日差しを求めるかのように、淫らに花弁を大きく広げ、誘うような芳香を放つ花々に惹かれつつも苛立つわたくし。

 取り留めなく身のうちに広がる感情が、わたくしの心を振り回す。

 どこに向かって行けばいいのか分からない、何を求めたらいいのか分からない混乱した状態のわたくしの目の前に、美しい男が現われたのです。

 その男は、まるでわたくしを誘うようにチラリとこちらを振り返り、妖しくも色っぽい流し目をよこしました。

 黒い瞳のはまった切れ長の目は妖しく煌めいています。

 開きは大きくないけれど、まつ毛の長い印象的な目です。

 わたくしの心はグッと掴まれました。

 わたくしの反応に満足したからでしょうか。
 
 男は薄くて赤い唇を歪めるようにして笑みを浮かべました。

 その顔の妙に色っぽいこと!

 いつものわたくしであれば、そのような誘いに乗ったりはいたしません。

 ですがいまのわたくしに怖いものなどないのです。

 だって唯一無二と思っていた恋を失ってしまったのだから。

 いくらお金を貢いでも、いくら自分を磨いても、離れていくときには離れていく。

 それが恋心というものでございます。

 わたくしの恋人を奪った女は、どこにでもいるような見た目をしていましたし、お金も持っていなければ地位や名誉など特筆すべきものはなにひとつ持っていない凡庸な女でした。

 嫉妬すべき美点も見つからない浮気相手に、わたくしの心はなおのこと揺れるのです。

 恨みも、嫉妬も、次に進むためには役立つというのに、わたくしは失うばかりで何も得られてはいません。

 凡庸さも時には武器ですね。

 わたくしは思いのほか傷ついている自分を感じています。

 わたくしの好いた婚約者も、秀でているかといえばそうではなく。

 美しい見た目はしておりますが、中身は愚か寄りの凡庸さ。

 そのギャップがわたくしには目新しく、結果として婚約に至るまでに心動かされてしまったのです。

 わたくしを捨て浮気相手を選んだ婚約者は、いままで援助した分のお金の返却と、莫大な額の慰謝料を求められています。

 婚約者は、それでもなお凡庸な浮気相手を選んだのです。

 わたくしの負った心の傷は、お金で解決できるものではありません。

 時間も、お金も、愛していた婚約者のためならば惜しくはありませんが、わたくしは前へ進まなければならないのです。

 そのためにわたくしは、何かが必要なのです。

 その何かが、何かは分かりません。

 婚約者や浮気相手がお金の工面に苦しんだとしても、わたくしの救いにはならないのです。
 
 あの人たちは、苦しむでしょうね。

 お金がない者にとってお金を稼ぐことは、容易なことではありません。

 もともと援助を必要としていた婚約者にとって、並大抵の苦労ではないことでしょう。

 とはいえ、そのことがわたくしの慰めになるとは思えません。

 わたくしと一緒になることで不要になる苦労を背負ってまで浮気相手を選んだ、という事実が浮かび上がるだけです。

 わたくしが前を向くには、もっと別の何かが必要なのです。
 
 あの美しい男についていけば、わたくしの心を救う何かが手に入る。

 わたくしは予感めいたものを感じて、その美しい男のあとをつけました。
 
 だっていまのわたくしには怖いものなど何もなく、無敵なのですから。

 美しい男は軽い足取りではあるけれど、早すぎないスピードで歩いています。

 わたくしの足でも後をつけるには充分なスピードです。
 
 わたくしは供の者をまいて単身、美しい男のあとをつけていきました。

 そして気付けば公園の出口をくぐっていたのです。
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