れおぽん短編集

天田れおぽん

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夕立に走る

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 雲が急に湧きたって掻き曇かきくもった空から、いきなり大粒の雨が降ってきた。

「あー、間に合わなかった」

 響生ひびきは落胆の声を上げた。戦いに負けた気分だ。

 夏の夕立など寒くはない。それでも、なるべくなら濡れたくなかった。
 
 制服姿の響生ひびきは、雷鳴を遠くに聞きながら雨の中を走る。

 耳元がザーザーという音で遮られていても、空気揺すぶり響き渡る雷鳴を遮断するには至らない。

 ずぶずぶに濡れて重たくなっていく衣類に足を取られそうになりながら響生ひびきは公園に走り込んだ。

 公園を抜けていけば、自宅まではすぐだ。

 ショートカットの道筋は通学路からは外れるが、この雨の中、咎める者もいないだろう。

 響生ひびきは少しでも早く自宅に着きたくて、通学カバンを抱えて走った。

 雨から守ろうとしたけれど、この降りっぶりではカバンの中は全滅だろう。

 それは分かっていたが、いったん抱えてしまったモノを離すのは難しい。

 ザーザーという雨音に遮られることなく耳に届いた音にも、それと同じことが言えた。

 いったん耳まで届いてしまったものを聞こえなかったことにするのは難しい。

 響生ひびき走り抜けようとした公園で足を止めた。

 細い、細い、鳴き声。

 目をこらして植え込みの中を見れば、ボロ雑巾が動いてる。

「……猫?」

 それは小さな小さな猫だった。

 響生ひびき子猫も濡れていた。ずぶ濡れだ。

 柔らかな命を包む体は、どこが耳で、どこまでが胴体なのか分からないほど雨と泥に汚れていた。

 小さな声で鳴きながら細かく震える体は目的地も持たぬまま、モゾモゾと動いている。

 その命は、やがて雨に体温を奪われて消えるだろう。小さな小さな塊だけを残して。

「……もうっ。しょうがねぇなぁっ」

 響生ひびき生は小さな塊をそっと持ち上げた。

 もう弱っているのだろう。モゾモゾと動いてはいたが、驚いたとか、怯えるとか、攻撃してくるとか、特別な反応はない。

 手の中で小さな声で鳴きながら弱々しく動き、儚く脆い温もりを伝えてくるだけだ。

「もう、しょうがねぇなぁ」

 響生ひびきは制服のシャツをヒョイとまくり上げると、その中に子猫を入れた。

 小さな塊は体温を感じたのか心地よい収まり先を求めてモゾモゾと動いた。

 命はまだ、ココにある。

 響生ひびきは再び駆けだした。夕立はもう止んでいる。

 自宅までは、あともう少し ――――。
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