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生前の記憶
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これは、瞬がハイドと出会って間もない時の出来事。
瞬は最初の頃、言葉は理解できても字は読めなかった。
だからハイドと共に勉強してある程度読めるようになっていた。
覚えたての字を練習するように本を読んでいた時、隣で難しい資料を見ていたハイドが不思議そうに瞬と瞬が読む本を交互に見た。
その真剣な眼差しに少し嫉妬したなんてハイドは絶対に言わない。
ハイドとは無縁そうな可愛らしいラッピングの写真の表紙が見えた。
「何の本を読んでるんだ?」
「ハイドさんはどれが好き?」
そう言い瞬はハイドに本のページを開き見せた。
そこには色鮮やかなカラフルなお菓子の写真が見えた。
すぐにお菓子の作り方が載っている本だと分かった。
瞬がそう聞くという事は作ってくれるのだろう、嬉しいが…それと同時に断るのが申し訳なく感じた。
ハイドは甘いものが苦手だった、一口食べるだけで気分が悪くなる。
言葉一つ一つを選び困った顔をして瞬を見た。
「すまない、俺は甘いものが苦手なんだ」
「それじゃあこれは?」
瞬が不機嫌になる事を覚悟して言ったが瞬は気にせずペラペラと捲り別のページを見せた。
ページの一番上には『ショコラ・フロマージュ』と書かれていた。
さっきまでカラフルな写真が並んでいたがこちらは茶色いカップケーキのようだ。
スポンジケーキの上にクリーム色で四角いものが乗っている。
甘いものは嫌いだったから、お菓子は皆甘いと思っていたがこれは甘くないのだろうか。
料理とは無縁の生活を送っていたから、瞬が甘くないお菓子だと説明してくれた。
「チョコもビターだし、上にブロックチーズを乗せてるお菓子だからハイドさんも食べれるかな?」
瞬がそこまでしてハイドに食べさせたくて聞いてきたのには理由があった。
勿論お菓子作りが趣味でもあるが、ハイドに「美味しい」と言ってもらいたかった…お世辞じゃなく本当に…
それにハイドは国の騎士だ、危ない場所に行く時があるだろうから小腹が空いた時に食べてほしいと思った。
元の世界では瞬のお菓子を食べてくれる人がいなかった。
……初めてだった、誰かに食べてほしいと思ったのは…
ハイドは美しく微笑み「ありがとう」と言った。
ーイノリsideー
「……ハイド、さん」
彼を捕まえるように伸ばされた手は何も掴めない。
暖かい一筋の涙が頬を伝い枕を濡らしていた。
転生してから一度も夢を見た事がなかった幸せな日々。
…ハイドそっくりの彼と会ったからだろうか、あんな夢を見てしまったのは…
ダメだダメだと思いながら枕に顔を伏せて強く目蓋を閉じる。
やはり愛した未練は簡単に消えるものではない。
「…会いたいよ」
もう一度、美味しいって言ってほしい…笑ってほしい…愛してるって嘘でもいいから言ってほしい。
瞬は普通の料理より、甘いお菓子を好んでいつも作っていた。
…本当はショコラ・フロマージュは甘いお菓子だ。
ハイドに食べてほしくて、ビターなお菓子としてアレンジして作った…ハイドだけに…これからもハイドにしか作らない。
もう瞬じゃなくイノリなんだ、ハイドに会えない…そう思うと胸がとても苦しかった。
神様は意地悪だ、何故彼がいる時代にもう一度生まれたのだろうか。
これは、神から与えられた罰なのかもしれない…
決して手の届かない、愛してはいけない人を愛したから…
瞬は…いや、イノリはもう恋はしたくないと思った。
…こんなに苦しくなる思いをもうしたくない。
イノリにとって最初で最後の恋人はハイドだけだ。
もし、ハイドの幸せを祝福出来るぐらいに余裕が出来たら…一国民としてハイドと婚約者の結婚を心から祝福しよう。
でも…まだ余裕はないから、もう少しだけ好きでいる事を許して下さい。
もう少しだけ、幸せだったあの日々の夢を見させて下さい。
シヴァはハイドじゃないけど似過ぎていてドキドキするが、やっぱりイノリはハイドが好きだった。
シヴァとは友達になれるといいなと思いながら目を閉じる。
今となっては夢の中でだけ貴方に会えて、貴方に甘える事が出来る。
夢だからいっぱいいっぱい本音を伝える、現実では口に出来なかった事を…
ーどうして婚約者の事を言ってくれなかったの?ー
ー俺の事、本当に好きだった?ー
ーいやだ、いやだ…いかないでー
ー…偽りの関係でも、ただの友人でもいいから側にいたかった、もう好きとか言わないから…ー
ー死にたくないよ…ー
夢の中のハイドは優しく頭を撫でてくれて、全て受け入れてくれた。
…もう、一生夢から覚めたくないと思いながらハイドに抱きつく。
ハイドはいつもの優しい顔で瞬に微笑んでいた。
ーーー
ふと目が覚めると開店時間30分前を切っていた。
まだボーッとしながらのろのろと起きて身支度をする。
顔を洗おうと思い、洗面台に立つと酷い顔だった。
寝ながら泣いたのか目元は赤くなり髪もボサボサ。
…こんな顔をしていたら、お店を開けられない。
顔を洗い髪を整えて、でも顔はまだ暗くて店の外に出た。
並んでくれてまでイノリのお菓子を楽しみにしてくれてる人達に謝りながら今日はお店を休む事にした。
最近忙しかったから疲れたのかもしれない、気分転換に何処か散歩にでも行こうかな。
厨房に行きおにぎりを作りピクニック気分で部屋にあったリュックにラップで包んだおにぎりと水筒を入れて背中に背負う。
家を出て生前の記憶を頼りにある場所に向かった。
ハイドが遠征に出かけた時、城に一人でいる時間が怖くなりいつも行っていた場所があった。
それはハイドにも教えていない秘密の場所だった。
実は瞬が死んだあの日、ハイドが出かけて帰ってきたら一週間くらい休みが出来ると聞いていた。
あの時は婚約者の存在を知らず、ハイドの休みの日に一緒に行こうと思っていた…結局叶わなかったけど…
イノリは城下町の壁にある隠れた抜け道のトンネルを通り進む。
この道はイズレイン帝国の横にある森に繋がっている。
トンネルの中は薄気味悪く、入ったら二度と出られないなんて噂がありイノリ以外入ろうと思う人はいないだろう。
当時は噂を知らず入り、出られたから噂を知り、噂は噂だと思った。
トンネルの奥に進むと出口を知らせる光が見えた。
抜けるとそこには視界いっぱいの緑が出迎えた。
そよ風が髪を揺らして気持ちよくて、深呼吸する。
森をもう少し抜けるとイノリのお気に入りの場所に出る。
そこはちょうど太陽が森の葉を光らせて幻想的な空間を生み出す湖だった。
汚れがない透き通った綺麗な青い湖に光が反射してキラキラと光る。
イノリがそこに着くとふよふよと湖の側を飛んでいた丸い光がイノリを歓迎するように集まってくる。
丸い光は精霊と呼ばれる種族が身を守るための結界を身体に張っていると本で読んだ事がある。
だからこの森を知る人の間で精霊の森と呼ばれている。
普段は人見知りの精霊だが、前に知らずに入った瞬の前に光として集まってきて、それから仲良くなり姿を現してくれるようになった。
しかし今はイノリだ、精霊は瞬だと分かるのだろうか。
「俺が瞬だって、分かるの?」
精霊は返事のようにイノリの周りを一周した。
イノリは嬉しくなり草の絨毯のような地面に座り、持って来たおにぎりをリュックから取り出し精霊達に分け与えながら食べた。
…やっぱりこの場所はとても静かで気分転換には最適だ。
空気も綺麗で余計なものがなく、気持ちも軽くなる。
誰もいない精霊だけの空間で、まだ夢の中にいるようだ。
空を眺めると雲一つない青空が広がっていた。
「ハイドさん…」
消えそうなほど小さく呟き、食べ終わったものをリュックに片して、地面に寝転がり瞳を閉じた。
何も夢を見る事なく、リラックスして深い眠りに落ちた。
ーーー
目が覚めたらもうすっかり日が落ちて、空は真っ暗だった。
精霊達は道しるべのように身体を光らせてイノリを出口まで導く。
トンネルは昼間でも不気味なのに夜になると更に増して不気味で早足でトンネルを抜けた。
明日からまたお店頑張ろうと決意して城下町を歩き出す。
すると誰かの話し声が聞こえてびっくりして夜に明かりが灯る酒場の影に隠れた。
…今はイノリだ、堂々とすればいいのに…まだ会うのが怖かった。
「なぁハイド、見回り終わったし久々に飲まねぇ?」
懐かしいリチャードの声に楽しかった日々を思い出し、また泣きそうになるが目元が腫れたら大変だから我慢する。
さっきイノリは並んで歩くリチャードとハイドを見つけて隠れてしまった。
もっとハイドの顔が見たかったが、ハイドは勘が鋭い…もしかしたらイノリを瞬だと気付いてしまうかもしれない。
それだけはどうしてもダメだ、もし死んだはずの元恋人なんて現れたらハイドを困らせて幸せを壊してしまう。
…ハイドは婚約者の人と幸せになるべきなんだ…きっとハイドも瞬と居ても幸せになれないと思ったから婚約者のところに行く事に決めたのだろう。
傷付く資格なんて死んだ俺にはないのに、痛い痛い…
そしてハイドの声が聞こえて心臓が飛び出るほど高鳴った。
「飲みたきゃ一人で飲め」
「一人酒なんて寂しいじゃねーか」
酒場を挟みハイドとイノリが寄りかかる場所が同じになった。
ハイドとイノリは気付いていないが、イノリはハイドが近くにいるような気持ちになり、怯えていた。
…どうしよう、このまま酒場に入ったら鉢合わせしてしまう。
今すぐ離れようとするが、何故か足が思うように動かない。
恐怖で石のように硬くなって足が重くなっている。
…それだけじゃない、きっとハイドに会いたい気持ちが勝っているのだろう。
必死に足と格闘しているとハイドが動く気配がした。
「付き合いきれない」
「ちょっ!!待てって!!」
足音と共に二人が遠ざかっていくのが分かった。
ホッとしたと同時にびくともしなかった足が軽くなり、普通に歩き出し家に向かう。
…まだ心臓がドキドキとうるさく鳴り響いている。
本物のハイドの声はイノリの知らない冷めたような声だった。
ハイドはやはり氷の騎士になってしまったのか。
…その理由を知るのが今のイノリには怖かった。
その日、イノリはとても怖い夢を見てしまった。
ハイドがあの冷たい声でイノリを拒絶していた。
イノリは夢だけでもハイドに会いたかったのに、夢でも結ばれる事はないと言われたような気がした。
ー…ハイドさんは邪魔な存在だと思っていた?ー
ーじゃあ…死んで嬉しかった?ー
何故か幸せな日々より悪夢をハイドの本音だと思ってしまった。
それほどまでに、イノリは追い詰められていて心がぽっかりと開いていた。
瞬は最初の頃、言葉は理解できても字は読めなかった。
だからハイドと共に勉強してある程度読めるようになっていた。
覚えたての字を練習するように本を読んでいた時、隣で難しい資料を見ていたハイドが不思議そうに瞬と瞬が読む本を交互に見た。
その真剣な眼差しに少し嫉妬したなんてハイドは絶対に言わない。
ハイドとは無縁そうな可愛らしいラッピングの写真の表紙が見えた。
「何の本を読んでるんだ?」
「ハイドさんはどれが好き?」
そう言い瞬はハイドに本のページを開き見せた。
そこには色鮮やかなカラフルなお菓子の写真が見えた。
すぐにお菓子の作り方が載っている本だと分かった。
瞬がそう聞くという事は作ってくれるのだろう、嬉しいが…それと同時に断るのが申し訳なく感じた。
ハイドは甘いものが苦手だった、一口食べるだけで気分が悪くなる。
言葉一つ一つを選び困った顔をして瞬を見た。
「すまない、俺は甘いものが苦手なんだ」
「それじゃあこれは?」
瞬が不機嫌になる事を覚悟して言ったが瞬は気にせずペラペラと捲り別のページを見せた。
ページの一番上には『ショコラ・フロマージュ』と書かれていた。
さっきまでカラフルな写真が並んでいたがこちらは茶色いカップケーキのようだ。
スポンジケーキの上にクリーム色で四角いものが乗っている。
甘いものは嫌いだったから、お菓子は皆甘いと思っていたがこれは甘くないのだろうか。
料理とは無縁の生活を送っていたから、瞬が甘くないお菓子だと説明してくれた。
「チョコもビターだし、上にブロックチーズを乗せてるお菓子だからハイドさんも食べれるかな?」
瞬がそこまでしてハイドに食べさせたくて聞いてきたのには理由があった。
勿論お菓子作りが趣味でもあるが、ハイドに「美味しい」と言ってもらいたかった…お世辞じゃなく本当に…
それにハイドは国の騎士だ、危ない場所に行く時があるだろうから小腹が空いた時に食べてほしいと思った。
元の世界では瞬のお菓子を食べてくれる人がいなかった。
……初めてだった、誰かに食べてほしいと思ったのは…
ハイドは美しく微笑み「ありがとう」と言った。
ーイノリsideー
「……ハイド、さん」
彼を捕まえるように伸ばされた手は何も掴めない。
暖かい一筋の涙が頬を伝い枕を濡らしていた。
転生してから一度も夢を見た事がなかった幸せな日々。
…ハイドそっくりの彼と会ったからだろうか、あんな夢を見てしまったのは…
ダメだダメだと思いながら枕に顔を伏せて強く目蓋を閉じる。
やはり愛した未練は簡単に消えるものではない。
「…会いたいよ」
もう一度、美味しいって言ってほしい…笑ってほしい…愛してるって嘘でもいいから言ってほしい。
瞬は普通の料理より、甘いお菓子を好んでいつも作っていた。
…本当はショコラ・フロマージュは甘いお菓子だ。
ハイドに食べてほしくて、ビターなお菓子としてアレンジして作った…ハイドだけに…これからもハイドにしか作らない。
もう瞬じゃなくイノリなんだ、ハイドに会えない…そう思うと胸がとても苦しかった。
神様は意地悪だ、何故彼がいる時代にもう一度生まれたのだろうか。
これは、神から与えられた罰なのかもしれない…
決して手の届かない、愛してはいけない人を愛したから…
瞬は…いや、イノリはもう恋はしたくないと思った。
…こんなに苦しくなる思いをもうしたくない。
イノリにとって最初で最後の恋人はハイドだけだ。
もし、ハイドの幸せを祝福出来るぐらいに余裕が出来たら…一国民としてハイドと婚約者の結婚を心から祝福しよう。
でも…まだ余裕はないから、もう少しだけ好きでいる事を許して下さい。
もう少しだけ、幸せだったあの日々の夢を見させて下さい。
シヴァはハイドじゃないけど似過ぎていてドキドキするが、やっぱりイノリはハイドが好きだった。
シヴァとは友達になれるといいなと思いながら目を閉じる。
今となっては夢の中でだけ貴方に会えて、貴方に甘える事が出来る。
夢だからいっぱいいっぱい本音を伝える、現実では口に出来なかった事を…
ーどうして婚約者の事を言ってくれなかったの?ー
ー俺の事、本当に好きだった?ー
ーいやだ、いやだ…いかないでー
ー…偽りの関係でも、ただの友人でもいいから側にいたかった、もう好きとか言わないから…ー
ー死にたくないよ…ー
夢の中のハイドは優しく頭を撫でてくれて、全て受け入れてくれた。
…もう、一生夢から覚めたくないと思いながらハイドに抱きつく。
ハイドはいつもの優しい顔で瞬に微笑んでいた。
ーーー
ふと目が覚めると開店時間30分前を切っていた。
まだボーッとしながらのろのろと起きて身支度をする。
顔を洗おうと思い、洗面台に立つと酷い顔だった。
寝ながら泣いたのか目元は赤くなり髪もボサボサ。
…こんな顔をしていたら、お店を開けられない。
顔を洗い髪を整えて、でも顔はまだ暗くて店の外に出た。
並んでくれてまでイノリのお菓子を楽しみにしてくれてる人達に謝りながら今日はお店を休む事にした。
最近忙しかったから疲れたのかもしれない、気分転換に何処か散歩にでも行こうかな。
厨房に行きおにぎりを作りピクニック気分で部屋にあったリュックにラップで包んだおにぎりと水筒を入れて背中に背負う。
家を出て生前の記憶を頼りにある場所に向かった。
ハイドが遠征に出かけた時、城に一人でいる時間が怖くなりいつも行っていた場所があった。
それはハイドにも教えていない秘密の場所だった。
実は瞬が死んだあの日、ハイドが出かけて帰ってきたら一週間くらい休みが出来ると聞いていた。
あの時は婚約者の存在を知らず、ハイドの休みの日に一緒に行こうと思っていた…結局叶わなかったけど…
イノリは城下町の壁にある隠れた抜け道のトンネルを通り進む。
この道はイズレイン帝国の横にある森に繋がっている。
トンネルの中は薄気味悪く、入ったら二度と出られないなんて噂がありイノリ以外入ろうと思う人はいないだろう。
当時は噂を知らず入り、出られたから噂を知り、噂は噂だと思った。
トンネルの奥に進むと出口を知らせる光が見えた。
抜けるとそこには視界いっぱいの緑が出迎えた。
そよ風が髪を揺らして気持ちよくて、深呼吸する。
森をもう少し抜けるとイノリのお気に入りの場所に出る。
そこはちょうど太陽が森の葉を光らせて幻想的な空間を生み出す湖だった。
汚れがない透き通った綺麗な青い湖に光が反射してキラキラと光る。
イノリがそこに着くとふよふよと湖の側を飛んでいた丸い光がイノリを歓迎するように集まってくる。
丸い光は精霊と呼ばれる種族が身を守るための結界を身体に張っていると本で読んだ事がある。
だからこの森を知る人の間で精霊の森と呼ばれている。
普段は人見知りの精霊だが、前に知らずに入った瞬の前に光として集まってきて、それから仲良くなり姿を現してくれるようになった。
しかし今はイノリだ、精霊は瞬だと分かるのだろうか。
「俺が瞬だって、分かるの?」
精霊は返事のようにイノリの周りを一周した。
イノリは嬉しくなり草の絨毯のような地面に座り、持って来たおにぎりをリュックから取り出し精霊達に分け与えながら食べた。
…やっぱりこの場所はとても静かで気分転換には最適だ。
空気も綺麗で余計なものがなく、気持ちも軽くなる。
誰もいない精霊だけの空間で、まだ夢の中にいるようだ。
空を眺めると雲一つない青空が広がっていた。
「ハイドさん…」
消えそうなほど小さく呟き、食べ終わったものをリュックに片して、地面に寝転がり瞳を閉じた。
何も夢を見る事なく、リラックスして深い眠りに落ちた。
ーーー
目が覚めたらもうすっかり日が落ちて、空は真っ暗だった。
精霊達は道しるべのように身体を光らせてイノリを出口まで導く。
トンネルは昼間でも不気味なのに夜になると更に増して不気味で早足でトンネルを抜けた。
明日からまたお店頑張ろうと決意して城下町を歩き出す。
すると誰かの話し声が聞こえてびっくりして夜に明かりが灯る酒場の影に隠れた。
…今はイノリだ、堂々とすればいいのに…まだ会うのが怖かった。
「なぁハイド、見回り終わったし久々に飲まねぇ?」
懐かしいリチャードの声に楽しかった日々を思い出し、また泣きそうになるが目元が腫れたら大変だから我慢する。
さっきイノリは並んで歩くリチャードとハイドを見つけて隠れてしまった。
もっとハイドの顔が見たかったが、ハイドは勘が鋭い…もしかしたらイノリを瞬だと気付いてしまうかもしれない。
それだけはどうしてもダメだ、もし死んだはずの元恋人なんて現れたらハイドを困らせて幸せを壊してしまう。
…ハイドは婚約者の人と幸せになるべきなんだ…きっとハイドも瞬と居ても幸せになれないと思ったから婚約者のところに行く事に決めたのだろう。
傷付く資格なんて死んだ俺にはないのに、痛い痛い…
そしてハイドの声が聞こえて心臓が飛び出るほど高鳴った。
「飲みたきゃ一人で飲め」
「一人酒なんて寂しいじゃねーか」
酒場を挟みハイドとイノリが寄りかかる場所が同じになった。
ハイドとイノリは気付いていないが、イノリはハイドが近くにいるような気持ちになり、怯えていた。
…どうしよう、このまま酒場に入ったら鉢合わせしてしまう。
今すぐ離れようとするが、何故か足が思うように動かない。
恐怖で石のように硬くなって足が重くなっている。
…それだけじゃない、きっとハイドに会いたい気持ちが勝っているのだろう。
必死に足と格闘しているとハイドが動く気配がした。
「付き合いきれない」
「ちょっ!!待てって!!」
足音と共に二人が遠ざかっていくのが分かった。
ホッとしたと同時にびくともしなかった足が軽くなり、普通に歩き出し家に向かう。
…まだ心臓がドキドキとうるさく鳴り響いている。
本物のハイドの声はイノリの知らない冷めたような声だった。
ハイドはやはり氷の騎士になってしまったのか。
…その理由を知るのが今のイノリには怖かった。
その日、イノリはとても怖い夢を見てしまった。
ハイドがあの冷たい声でイノリを拒絶していた。
イノリは夢だけでもハイドに会いたかったのに、夢でも結ばれる事はないと言われたような気がした。
ー…ハイドさんは邪魔な存在だと思っていた?ー
ーじゃあ…死んで嬉しかった?ー
何故か幸せな日々より悪夢をハイドの本音だと思ってしまった。
それほどまでに、イノリは追い詰められていて心がぽっかりと開いていた。
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