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3章 背後にいる存在

3-8.自分だけの問題じゃない

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「疲れた……」

 部屋に戻るとベッドにどさりと横になった。いろいろとありすぎて、頭が回らない。ふと、棚の上に置いた、ホットワインの瓶に挿した白い小さな花束が目に入り、頬が緩んだ。近くに行き、匂いを嗅ぐ。優しい春の香りがした。

 アーティの、「森で彼と狼と暮らす」という提案はとても魅力的に思えた。大型犬に囲まれて1日中モフモフして過ごしたい。さらに横に彼がいて、その血を吸えるなら最高だと思う。
 
『祭りの度に血を抜いて、ほとんどずっと寝て過ごしてて、楽しい?』

 ステファンの言葉を思い出す。カミラはこの数十年ずっと、貴族を≪血族≫として維持するため定期的に血を抜くせいで、ほとんど寝て過ごしてきた。他に方法があるなら、そろそろ休んでもいいんじゃないだろうか。

 最初は、ルシアに吸血鬼になってもらって、バッドエンドのように、領民を周辺国と戦わせて、このままの暮らしを維持すればいいんじゃないかと思っていた。けれど、この安穏とした暮らしは私たちにとって幸せな暮らしなのだろうか。
 
 お父様は女王の一族の娘を≪恋人≫にし、お母様の影を追い続けている。ステファンは変わらない日々に疲れていて、アーロンは狼だけと寄り添って過ごしている。……アーノルドは特に不満はないように思うけれど。

 そもそも、貴族たちを今後も≪血族≫として維持し続ける必要はあるのだろうか。90年前、初代女王のナタリーのもと、この地域を彼女をトップとする王国にまとめあげた時は、彼女の一族を魔女として滅ぼした周辺領主を支配するため、無理やり従わせる必要があった。でも、今は?

 私たちが彼らを≪血族≫として支配してきたことで、アラスティシアはこの90年の間、目立った争いもなく、平和だった。かつて、女王の一族が周辺領主から狩られたのは、魔術を用いて自分の領地だけに恩恵を与え、周辺が飢えに苦しんでも助けなかったからだ。でも今は、女王の魔術で王国全体の気候を操作し、自給自足に近いけれど、この国全体で飢えることのない暮らしができている。本来こんなに雪深い地で、ワインのための葡萄は育たないけれど、気候操作のお陰で、葡萄栽培は順調で、雪に耐えてたくさん実をつける品種が生み出されている。決して豊かではないけれど、この国の人々は平和に日々を生きている。――≪血族≫として、支配しなくても、彼らは魔女である女王や、私たちを受け入れてくれるのでは?

 バッドエンド以外では、ルシアのお父様の自殺をきっかけに、≪血族≫支配に対する不満が暴発して、貴族たちが私たちを滅ぼしにかかってくるんだけど、円満に≪血族≫支配を終わらせることができれば、彼らは私たちを受け入れてくれるんじゃないだろうか。周辺国からの侵入だって、彼らが自分たちの国だって認識して自分たちで戦えば何とかなるエンドだったし、私たちが生きたままそれを実現することも可能なんじゃないかしら。

 カミラに、アーティからの提案があるように、お父様やステファンやアーロンにも、別の、もっと幸せになれる生き方があるんじゃないかと考える。沙代里としての前世を思い出した直後は、自分が生き残る終わりを迎えられればいいと思っていたけど、今はもう、私だけの問題ではなかった。今は、カミラは、長い時間を一緒に生きる彼らが、平和に幸せに生きることを何より望んでいることがわかるから。

 ――とりあえず、ルシアと、彼女のお父様の安全確保と、ハンターの問題は解決しないと。

 また何があるかわからない。体調は万全にしておかないといけない。
 もう一度、白い花の甘い香りを吸い込んで、私はベッドに横になった。
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