リドル・ストーリーズ!~riddle stories~

魔法組

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第3話 天国と地獄(Live or Die)

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 世の中には、自分は危うく死にかけたことがあるのだと変な自慢をする人がいるけれど。おれの祖父もまさに、そんな変自慢をする人間の一人だった。

『あれはワシが二五歳くらいのころ、じゃったかな』

 機嫌のいい時、酒を飲んで酔っ払った時など。祖父はおれたち孫を前にすると、決まってそのように口火を切ったものだった。

『その日は仕事先でトラブルがあってな。ワシはその解決のためにほうぼう走り回らなくてはならず。ようやく全てを終えて会社を出たのはもう、深夜と言ってもいい時間帯になっていたんじゃよ』

 その話題が出るとおれを含めた孫たちは『やれやれ、また始まったか』と思いながらげんなりとした表情を浮かべたものだったが。ここで文句を言ったり茶々を入れたりすると祖父は途端に不機嫌になるので、おれたち孫連中はただうなずきながら聞いているしかなかった。

『時間が遅かったので帰りのバスはもうないんじゃないかと思っていたが。幸いにも最終の時間にギリギリ間に合って、ワシは飛びこむようにバスに乗りこんだ』

『バスの乗客はワシを含めて四人。いずれも二〇代から三〇代くらいの若い年代の男女じゃった。ワシは乗り遅れずに済んだ安堵感と仕事の疲れのせいで、シートにもたれかかるように座るとそのまま眠りこんでしまったんじゃ』

『そうしてどのくらいの時間が経ったころじゃったかな。ふと気がつくとワシは、切り立った崖の上に作られた細い一本道のど真ん中に立っていた』

『周囲には他に四人の人間がいた。ワシ以外の三人の乗客と、バスの運転手じゃな』

『ついさっきまで、自分たちはバスに乗っていたはずなのに、どうしてこんな所にいるのだろう? などといった疑問は、何故か一切浮かばなかった』

『やがて彼ら四人は誰からともなく、道の一方に向けてゆっくり歩き出して行き。ワシも当然のように、その後をついて歩き始めたんじゃよ』

『しばらく歩くと、やがてその先で道が二つに分かれているのを見ることが出来た。右の道を見るとその先には色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥たちが歌い、何人もの美女たちが楽しげに舞い踊っているという、まさに極楽のごとき光景が広がっていたのじゃ』

『一方左の道はと言えばじゃ。毒々しい血の色をしたマグマが間断なく噴き上げていて、そこでは貧相な体格と顔つきをした半裸姿の男女らが見るも恐ろしい鬼たちによってとても口には出せんような責め苦を受け、絶望のうめき声をあげている様子を見ることが出来た』

『そう。まさにこの場は天国と地獄の分かれ道であるかのようじゃった。この時点で、ようやくワシは自分が何故このような所にいるのかという疑問を覚えた。ワシは確か仕事を終えて帰途につくためのバスに乗っていたはずなのに。何故このような所にいるのか? とな』

『ひょっとしたら、ワシは死んでしまったのではないか。そう確信するのに時間はかからなかった。そういえばワシと一緒にこの道を歩いていたのはバスの運転手と、ワシ以外の乗客三人じゃったし』

『追突だか横転だかは分からんが。とにかくワシらが乗っていたバスはなんらかの事故にあって、運転手と乗客は全員死亡してしまい。それでこうしてあの世へと続く道を歩いているのではないか?』

『ワシは顔面からさあっと血の気が引いていくのを覚え……なに? 死んでいるのに血の気が引くというのはおかしいって? うるさい! そんなものは言葉の綾じゃ。黙って聞いておれ!』

『それで、どこまで話したかな? そうそう。もしかしたここは死後の世界なのではないかと気づいたワシは意見を求めるべく、歩きながら他の四人のほうに向き直り、話しかけてみたんじゃよ』

『じゃがワシ以外の乗客や運転手は心ここにあらずと言った様子での。ワシがいくら声をかけてもまるで反応せず、うんともすんとも応えることはなかった』

『なに? 死人ならいくら声をかけても応えないのが当たり前じゃと? またそういうへ理屈を……それなら死人が道を歩くのだっておかしいじゃろうが。ワシの話を聞きたくないのなら、構わんから出て行け! その代わり出て行った奴らには今年の分のお年玉はやらんからな』

『ほぅ。誰も出ていかんのか。ふむ? 全員、ワシの話の続きを是非聞きたいって? フン。最初からそういう殊勝しゅしょうな態度でいればいいんじゃ。もちろん聞かせてやるが、これ以上話の腰を折るようなことは言うんじゃないぞ』

『話を戻すが。ワシ以外の四人はどうやら意識を取り戻してはいなかったらしく。全員どこか虚ろで死んだような目をしたまま……そこ! なにか言いたいことがありそうだな? 別にない? 本当か? 本当じゃろうな!?』

『とにかく。他の四人は黙ったままゾンビのように歩き続けているだけなので、ワシも仕方なくそのまま彼らの後について歩くしかなかった』

『そうこうしているうちに、ワシらは分かれ道へとたどり着いて。ワシ以外の四人は迷う素振りも見せずに右の道……天国へと続く道のほうへと進んで行ったんじゃ』

『もちろんワシも彼らと一緒に、右の道を行こうとした。じゃが天国へ行くということはつまり、このまま本当に死んでしまうということじゃ』

『冗談ではない! ワシはまだ、人生に未練が残りまくりだったのじゃからな。死にたくなんかなかった。なのでもと来た道を戻ろう、戻ればきっと生き返ることが出来るはずじゃと思って、後ろを振り返った』

『じゃが振り向いた時、何故かそこにはすでに道はなく。ただただ暗黒の虚無が広がっているばかりじゃった。さらにその暗黒はゆっくりとじゃが確実に、ワシの立っている場所をも侵食せんと、広がりつつあったのじゃよ』

『あたかも。右か左か、行くべき道を決めて、早く行けとワシを促すかのようにの』

『ワシは迷った。死にたくはない。じゃがもと来た道を戻ることは出来ない。混乱したワシは、自分でも思いもよらぬ行動をとった。左……つまり地獄へと進む道を選んで、全速力で走り出したんじゃよ』

『その後ワシは意識を失い、次に目覚めたのは病院のベッドの上じゃった』

『後で聞いた話じゃが。やはりワシの想像通り、ワシらの乗っていたバスは事故を起こしていたんじゃよ。運転手と乗客のあわせて五人は救出され、救急車で運ばれたものの全員、意識不明の重態状態』

『医者は最善を尽くしたものの、ワシ以外の四人はほぼ同時に息を引き取り、ワシだけが生き残った。医者は言っていたよ。五人ともすでに身体はぐちゃぐちゃになっていて正直、全員死亡は避けられないと思っていたと』

『なのにワシは……ワシだけは生き返った。これは医学の常識を超えた驚くべき出来事だった、とな。地元の新聞社やテレビ局も取材にやって来て、奇跡の生還だなんだと、一時期すごくもてはやされたものじゃ』

『何故、ワシだけが生き返ることが出来たのか。それは分からん。じゃがあの分かれ道でもしワシがみんなと同じ、天国へと続く道を進んでいたら、結局ワシも助からなかったと思うんじゃ。地獄へと続く左の道をあえて選んだからこそ、ワシは生き延びることが出来た』

『そんなような気がしてならないんじゃよ』

 と、そこまで言った後。祖父はおれたち孫連中のことなど忘れてしまったかのごとく感慨深げにまぶたを閉じ、当時の思い出にふけるかのように独りしみじみと、うんうんうなずき続けるのが常であった。

 この話を聞いて、なにを思うかは人それぞれだろう。

 天国を拒否して、地獄への道を選ぶことが出来るほど強い精神力を持っていたから、祖父は生き返ることが出来たんだと素直に感心する孫もいれば。

 実はおれたちが現在生きているこの世界こそが地獄であるのだから、地獄への道を選んだ祖父が生き返ったのは至極当然で当たり前のことだなどという、うがったことを言う孫もいたし。

 あんな話はしょせん、死に際に見た夢。祖父が死なずに済んだのは単なる偶然で運が良かっただけであり、天国や地獄に通じる道うんぬんなどという話にはなんの意味もないと、ミもフタもなく斬って捨てる孫もいた。

 おれの意見がそのうちのどれなのかは、ご想像にお任せするとして。何故、おれがいまそんな話をしたのかというとだ。ぶっちゃけ、いま現在おれは当時の祖父と同じ立場に立たされているのである。

 記憶は定かではないが。多分高速道路をバイクで走っている途中で、多重衝突事故に巻きこまれたのだと思う。それで次に気がついた時おれは、見知らぬ何人かの男女と共に、崖の上の狭い一本道をゆっくり歩いていたのだ。

 もしやと思い道の先を見てみると案の定、ある地点で道は二つに分かれていて。片方はどう見ても天国、もう一方は地獄のような場所へと続いている。

 もちろんおれだって死にたくはない。となると祖父の例にならって、分かれ道までたどり着いたら地獄へと続く道を選べばいい。そうすればおれは無事に……かどうかは分からないが、とにかく生き返れるはずだ。

 ……本当に、そうだろうか?

 祖父の話は、あくまで祖父がそう語ったというだけの話であり。こういう場合、実際に地獄への道を選ぶのが正しい方法だという保証など、どこにもないわけで。

 バカ正直に祖父の話の通り地獄への道を選んで、そのまま結局本当に地獄に落ちてしまうなどということになったら笑いごとではすまないではないか。

 だけど天国への道を選んで、それでハッピーエンドというわけでもないだろう。大体、天国に通じているように見えるからといって、それが本当に天国へ続いているのだという保証だって、これまたどこにもない。

 甘い匂いを発し、それに誘われた虫がのこのことやって来たらすかさず捕まえて食べてしまう食虫植物の例だってある。そう思って見てみれば、ここから見える天国の様子はいかにも『ここは天国ですよ』というテンプレめいていて、死者の魂を誘う罠のようにも見えてしまうのだ。

 仮にそこが本当の天国だとしても、そちらに進んで死んでしまうというのも困る。おれだってまだ現世に未練があるのである。死にたくなんかない。

 ではやはり地獄を選ぶべきか? いやでも……。

 迷っているうちにも時間は無情に過ぎていき、やがておれたちは分かれ道の前へとたどり着いてしまった。

 おれ以外の男女は迷うことなく、次々に天国へと続く道に進んでいく。おれはこの期に及んでもどうするべきか決めかねて、その場に突っ立っているだけだ。

 恐る恐る後ろを振り返ってみると案の定、おれたちがこれまで歩いてきた道は暗黒の虚無によってふさがれており引き返すことは出来ない。

 悩んでいるうちに、おれ以外の連中はすでに全員、天国に続く道へと進んでいた。おれも早急に決めなければいけない。天国への道と地獄への道のどちらを選ぶのかを。

 果たしてどちらを選ぶのが正解なのか。と言うかそもそも、正解などあるのか……。悩んでいるうちにも虚無はすでにおれの足元まで迫って来ていた。



    
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