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番外編・温泉回!
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ここ一週間ほど、ファンタジウム王国の天気はずっと不機嫌続きで。上を見れば灰色の空ばかりが視界に入るという冴えない日が続いていたけれど。そんな天気も週末に差しかかる金曜日の朝になって、ようやく少しだけ機嫌を直してくれたらしい。
空のほとんどはまだまだぶ厚い雲に覆われていたけれど、東の空にだけはわずかながら雲に切れ目が生まれており。そこから顔を出している眩いばかりの朝日が、川向こうの鉄橋をキラキラと輝かせていた。
駅前の商店街にほど近い川べりの土手をゆっくりと歩きながら、眩しさに目を細めつつそんな鉄橋を眺めていた神代聖だったが。不意にその目の前をなにかが横切ったような気がして、驚いて足を止める。
目をこらしてよく見てみると、どうやら赤トンボのようだ。もう一二月も下旬だというのに、なんとも季節外れなことねと半ば呆れ半ば感心しながら、聖はなんとなくそちらに手を伸ばしてみた。もちろん捕まえることなど出来なかったけれど。
トンボはしばし聖をからかうように、その周辺を飛び回っていたけれど。そのうちにそれにも飽きたのか、川の水面に群生している露草に似た雑草のほうへと飛来して行って、やがてその葉の中の一枚にと止まる。
トンボを捕まえることが出来なかった照れ隠しというわけではないけれど。聖は胸を反らすようにして大きく上を向きながら、天に向かってはあと息を吐き出した。息は存外大きな白い煙となり、雲の一部にならんとするかのように天へと昇りゆく。
「うー、寒」
聖は肩を小刻みに揺らしながら独り言ちると、再び足を動かし始めた。
そうして土手の道を登り、さらにその先にあるコンクリートで作られた白い階段を上がると図書館や国立病院、市役所などが建ち並ぶ通りに出たので。そこから本道にと進んでいく。
普段は駅にと向かう通勤通学客でごった返す道なりなのだけど。いまはまだ時間帯が少し早いせいか、あるいは多くの学校が今日から冬期の休みに入るので、学生たちの姿がないためか。道行く人影はかなりまばらである。
そのわずかな通行人の流れに乗るように、聖もまた駅へと続く道を歩き続ける。
聖は、ファンタジウム王国のほぼ中心部に位置する瞑竜町という割と大きな町で生まれ育った一六歳、高校一年生の女の子である。
特徴はくりくりした大きな瞳と、首の後ろで括った仔馬の尻尾のような髪型。本人はポニーテールのつもりなのだが。友人たちに言わせれば、ただ無造作に結んであるだけでアップにしていないので、そう呼ぶにはちょっと微妙であるらしい。
顔立ちは、かなりの美少女なのではないかと自分で思っているが、残念ながら女友達による評価は大体『中の上』といったところ。
ちなみに異性の評価はというと……。学校内ではあまり親しくしている男友達はいないので、彼らにどのように見られているのかはいまいちはっきりしない。
ただ、学校外の趣味の活動で一緒にいることが多い同年代と年下の男子三人にそれとなく尋ねてみたことがあるのだが。返ってきた言葉は、
『あぁ? 一〇人並みじゃね?』
『そうですね。ものすごい美人だと思いますよ。ゴリラの中でなら』
『聖さんはとってもおきれいで、なおかつ可愛らしいですよ』
とのことだった。
見事にバラバラすぎてあまり参考にならないが。まあ間を取って『とてもきれいでなおかつ可愛らしい』ということでいいのではなかろうか。
身に着けているものは、見るからにもっさりとして暖かそうな薄ピンク色のダウンジャケットに、厚手のズボン。おそろいの水色をした毛糸の帽子とマフラーと手袋。靴は白のローファー。背中には旅行用のリュックを負っている。
ジャケットの下も、ウール一〇〇パーセントの肌着を三枚重ね着した上に、長袖トレーナーとセーターをきっちり着こんで。ボトムも防寒用ストッキングの上から毛糸のパンツも穿いているという、年頃の女の子としてどうよと思うほどの完全装備。
本人としても、出来ればもう少しスマートで可愛らしい格好をしたいと思っているのだけれど。残念ながら聖は元々冷え性で、寒さにはかなり弱いほうなので。忸怩たる思いではあるけれど、こうして防寒を優先した服装をしているのだ。
「よお。どこの着膨れダルマかと思ったら、神代じゃねえか」
そんな聖の肩を誰かがぽんと軽く叩きながら、気安い調子で声をかけてきたので。聖は誰だろうと思って反射的に背後を振り返る。
もっとも実際には確認するまでもなく、声の主が誰なのかは分かっていた。その声は聖と同じくらいの年頃の男子のものだったからである。
同年代の男子で、聖にこのような軽口を叩いてくる人間の心当たりは一人しかいなかったし。なによりもその声は聖がこれまで何度となく耳にしている、聞き慣れたものだったのだから。
「おはよ。朝から元気ねえ」
肩をすくめ、半分以上皮肉のつもりで聖は言ったのだけれど。当の男子はその言葉を額面通りに取ったらしく、それがおれの取り柄だからなとしれっとした口ぶりで言葉を紡いできた。
彼の名前は砂川賢悟。クラスは違うが聖と同じ高校に通う一年生だ。
背丈はそれなりだが男子にしては細身で華奢な体格をしており、一見しただけではかなりひ弱そうといった印象がある。実際、腕力や体力などは同年代の男子の中では相当低い部類に入り、腕相撲では女の子である聖にも負けてしまうほどだ。
だがそんな賢悟を優男とみくびってちょっかいを出した者は、ほぼ例外なく手痛いしっぺ返しを食らうことになる。確かに賢悟は腕力においては他の男子より一歩も二歩も劣るが、決してケンカが弱いというわけではないからである。
というのも。彼の筋肉は持久性や耐久性が弱い代わりに、機動力と瞬発力においてはずば抜けた能力を有しているのだ。その柔軟でしなやかな身体のバネによって生み出される動きと身のこなしの素早さは、並の人間では目で捉えることすら難しい。
実際、彼は以前に町でチンピラ六人に絡まれた際。その素早い動きで鼻歌交じりに相手を翻弄し。結果、指一本すら触れさせることなく六人全員をあっと言う間に叩きのめしたこともあったくらいである。
特徴は、金色っぽい茶髪と意志の強そうな太い眉毛。顔立ちも悪くないので、女の子人気もまあまあ高いらしい。もっとも性格のほうはバカでがさつで自分勝手な朴念仁野郎なため、その本質を知られるとすぐに幻滅されてしまうそうなのだけれど。
「どうでもいいけど砂川くん、ずいぶん涼しそうな格好ね。それで大丈夫なの?」
二人並んで駅への道を歩きながら、聖は賢悟の服装に目をとめて眉をしかめながら尋ねかけた。
聖と賢悟は、学校内での接点はほとんどないが。学外ではとある趣味のサークルに参加している仲間同士なのだ。ちなみに賢悟がそのサークルのリーダーで、聖がサブリーダーという立場である。
今日から三日間、聖はそのサークルの仲間たちと一緒にある場所に泊まりがけで遊びに行くことになっているのだが。その場所というのが内陸部で標高が高い場所であるため、冬になるとかなり寒くなるのだ。
だからこそ聖も涙を呑んでおしゃれを犠牲にして、このように沢山着こんだ格好をしているのに。賢悟の格好ときたら恐ろしく軽装なのである。
上は厚手のトレーナーと、フードの付いた水色のパーカー、下はデニムのズボンにスニーカー。その他はスポーツバッグを持っているだけで、マフラーや手袋すらしておらず靴下も履いていないのだ。
冬でも比較的気候が温暖な瞑竜町ならば、それでもいいのかもしれないけれど。これから向かう場所はファンタジウム王国屈指の寒冷地。このような軽装では冗談抜きで凍えてしまうのではないかと心配したのだが。
「ご心配なく。おれにとってはこのくらいで丁度いいんだよ」
人がせっかく心配してやっているというのに。当の賢悟は、誰かさんとは鍛えかたが違うからな、と上の歯を見せてニカッと笑うだけだった。無駄にさわやかなその仕草に聖はなんとなくイラッとして、横を向いてから小さく『ケッ』と吐き捨てる。
「フフン。さすが脳ミソの中まで筋肉で出来ているような体力バカは、寒さを感じる神経まで麻痺してしまっているんでしょうかね。ボクみたいに繊細な人間にとってはその無神経さがうらやましい限りですよ」
続いて、再び背後から聞き慣れた男子の声が聞こえてきた。いや、彼の場合は声もだけれど、むしろそのイヤミったらしい話しかたに覚えがあると言うべきか。
二人そろってその場に立ち止まり振り返ってみると、そこには予想通りの顔が意味もなく偉そうにふんぞり返りながら立っていた。
この少年は吉田敦哉。一四歳で、聖や賢悟と同じ学校の中等部に通う二年生。彼もまた聖にとっては、趣味を通じての仲間である。
基本的な容姿はそう悪くないのだけど。眉毛がないため目がかなり腫れぼったく見えるのと、オールバックにした長髪が若いくせに半分白いものが混じっているのと、なによりひねくれた性格がそのまま顔面に現れているためかなり醜く見える。
そう。彼の一番の特徴が、その性格の悪さだ。人を人とも思わず、他人の些細な失敗や過ちを最大限にとりあげては罵倒し嘲笑するその言動は、見る人聞く人の神経を逆撫でせずにはいられない。
そのため肉体的に報復を受けて、血を流しながら地面を舐める羽目になったこともこれまでに一度や二度ではなかった。にも関わらず彼は決して懲りることなく、今日も明日もあさっても他人を馬鹿にし、嘲り続けるのである。
もはや他人を嘲笑し、見下すことに生命を懸けているとしか思えない。一体なにが彼をそこまで駆り立てるのか? それは、誰にも分からなかった。
そんな敦哉の本日のいでたちだが。ジャンパーやオーバーを何枚も着た上、ズボンも何枚も重ね穿きし。屋外にも関わらずどてらまで羽織っているという、聖以上の着膨れダルマ姿だった。
頭にもジャンパーやオーバーなどについているフードを全てかぶった上に、毛糸の帽子まで着けており、全体的にぶくぶくしていて見るからに動きにくそうだ。
「吉田。お前、その格好でよく家からここまで歩いてこられたな。て言うかおれたちこれから、暖房の効いた電車やバスに合計で八時間くらい乗り続けることになるんだぞ? そんな厚着で大丈夫か? 熱中症や脱水症状になるんじゃないか?」
いつもは敦哉に罵倒されるや否や問答無用で殴り飛ばすという、敦哉キラー双璧の一人である賢悟(ちなみに、もう一人は聖)だが。今回はさすがに心配になったらしく、攻撃するどころか気遣うような視線と言葉で尋ねかけた。
だが当の敦哉は、賢悟の気遣いに感謝するどころか。逆に蔑むように鼻で嗤いながら『心配は無用です』と言葉を垂れ流す。
「そこにぬかりはありません。実は暖房対策として、シャツの下には冷たい水が入った二リットルのペットボトルを四つ、腹と背中に紐で結わいてくくりつけてあるのですよ。そのため暖房が効いた電車内でも肌はほどよく冷えて身持ちいいはずです」
ちょっと重いし、電車の中に入るまでは寒いのが難点ですがねと。盛大にくしゃみをしながら言葉を続けた。
「なんで厚着をしながら暑さ対策なんて面倒臭いことをわざわざするのよ? それくらいなら、最初からもう少し薄着にしておけばいいじゃないの」
しまった。電車内での暖房のことを考えていなかったと内心で舌を打ちながらも、聖がそのように声をかけると。敦哉は分かっていませんねえと嘲るように、顔の前で右手の人差し指をちっちっと軽く振って見せる。
「いいですか神代さん? これなら暑い電車の中では、ペットボトルが身体を冷ましてくれるので涼しいですし。電車を降りて寒い場所に降りる頃には、水はぬるくなっているので寒くならず。厚着のお陰で暖かいだけということになるんですよ」
お陰でわざわざ上着を脱いだり着たりしなくても自然に体感温度を調節出来るという優れた仕様なのですよと、敦哉は得意げに胸を張った。
「いや、でもさ。だからって……」
「これから寒い所に行くのだということで頭の中がいっぱいで、暖房の効いた電車に乗るのだということを忘れ。ただ闇雲に厚着をしてきてしまったせいで、これから電車の中でゆだる羽目になってしまうような考え無しの神代さんとは違うんですよ」
さらに敦哉がせせら嗤うように、言葉を続けてくる。
聖はそんな敦哉のもとにゆっくり近づいていくと。ニッコリ一つ微笑んで見せてから、その着膨れした身体をおもむろに思い切り蹴り飛ばした。
厚着のせいでバランスがとりにくい敦哉は、なす術もなくその場にひっくり返り。甲羅を下にして地面に置かれたカメのごとく手足をバタバタさせるものの、どうしても起き上がることが出来ない。
その上……。
「ギャー! なんてことをしてくれたんですか神代さん! 転んだ弾みでペットボトルが破れて水がこぼれたせいで、身体がびしょびしょになってしまったじゃないですかー! 冷たいしシャツの中がぐちょぐちょで気持ち悪いー!」
「バーカ」
一人地面でもだえる敦哉に、聖は雪よりも白い視線と共に言葉を投げつけ。そんな二人を見ていた賢悟はやれやれと呟きながら、はあと吐息をこぼしたのだった。
空のほとんどはまだまだぶ厚い雲に覆われていたけれど、東の空にだけはわずかながら雲に切れ目が生まれており。そこから顔を出している眩いばかりの朝日が、川向こうの鉄橋をキラキラと輝かせていた。
駅前の商店街にほど近い川べりの土手をゆっくりと歩きながら、眩しさに目を細めつつそんな鉄橋を眺めていた神代聖だったが。不意にその目の前をなにかが横切ったような気がして、驚いて足を止める。
目をこらしてよく見てみると、どうやら赤トンボのようだ。もう一二月も下旬だというのに、なんとも季節外れなことねと半ば呆れ半ば感心しながら、聖はなんとなくそちらに手を伸ばしてみた。もちろん捕まえることなど出来なかったけれど。
トンボはしばし聖をからかうように、その周辺を飛び回っていたけれど。そのうちにそれにも飽きたのか、川の水面に群生している露草に似た雑草のほうへと飛来して行って、やがてその葉の中の一枚にと止まる。
トンボを捕まえることが出来なかった照れ隠しというわけではないけれど。聖は胸を反らすようにして大きく上を向きながら、天に向かってはあと息を吐き出した。息は存外大きな白い煙となり、雲の一部にならんとするかのように天へと昇りゆく。
「うー、寒」
聖は肩を小刻みに揺らしながら独り言ちると、再び足を動かし始めた。
そうして土手の道を登り、さらにその先にあるコンクリートで作られた白い階段を上がると図書館や国立病院、市役所などが建ち並ぶ通りに出たので。そこから本道にと進んでいく。
普段は駅にと向かう通勤通学客でごった返す道なりなのだけど。いまはまだ時間帯が少し早いせいか、あるいは多くの学校が今日から冬期の休みに入るので、学生たちの姿がないためか。道行く人影はかなりまばらである。
そのわずかな通行人の流れに乗るように、聖もまた駅へと続く道を歩き続ける。
聖は、ファンタジウム王国のほぼ中心部に位置する瞑竜町という割と大きな町で生まれ育った一六歳、高校一年生の女の子である。
特徴はくりくりした大きな瞳と、首の後ろで括った仔馬の尻尾のような髪型。本人はポニーテールのつもりなのだが。友人たちに言わせれば、ただ無造作に結んであるだけでアップにしていないので、そう呼ぶにはちょっと微妙であるらしい。
顔立ちは、かなりの美少女なのではないかと自分で思っているが、残念ながら女友達による評価は大体『中の上』といったところ。
ちなみに異性の評価はというと……。学校内ではあまり親しくしている男友達はいないので、彼らにどのように見られているのかはいまいちはっきりしない。
ただ、学校外の趣味の活動で一緒にいることが多い同年代と年下の男子三人にそれとなく尋ねてみたことがあるのだが。返ってきた言葉は、
『あぁ? 一〇人並みじゃね?』
『そうですね。ものすごい美人だと思いますよ。ゴリラの中でなら』
『聖さんはとってもおきれいで、なおかつ可愛らしいですよ』
とのことだった。
見事にバラバラすぎてあまり参考にならないが。まあ間を取って『とてもきれいでなおかつ可愛らしい』ということでいいのではなかろうか。
身に着けているものは、見るからにもっさりとして暖かそうな薄ピンク色のダウンジャケットに、厚手のズボン。おそろいの水色をした毛糸の帽子とマフラーと手袋。靴は白のローファー。背中には旅行用のリュックを負っている。
ジャケットの下も、ウール一〇〇パーセントの肌着を三枚重ね着した上に、長袖トレーナーとセーターをきっちり着こんで。ボトムも防寒用ストッキングの上から毛糸のパンツも穿いているという、年頃の女の子としてどうよと思うほどの完全装備。
本人としても、出来ればもう少しスマートで可愛らしい格好をしたいと思っているのだけれど。残念ながら聖は元々冷え性で、寒さにはかなり弱いほうなので。忸怩たる思いではあるけれど、こうして防寒を優先した服装をしているのだ。
「よお。どこの着膨れダルマかと思ったら、神代じゃねえか」
そんな聖の肩を誰かがぽんと軽く叩きながら、気安い調子で声をかけてきたので。聖は誰だろうと思って反射的に背後を振り返る。
もっとも実際には確認するまでもなく、声の主が誰なのかは分かっていた。その声は聖と同じくらいの年頃の男子のものだったからである。
同年代の男子で、聖にこのような軽口を叩いてくる人間の心当たりは一人しかいなかったし。なによりもその声は聖がこれまで何度となく耳にしている、聞き慣れたものだったのだから。
「おはよ。朝から元気ねえ」
肩をすくめ、半分以上皮肉のつもりで聖は言ったのだけれど。当の男子はその言葉を額面通りに取ったらしく、それがおれの取り柄だからなとしれっとした口ぶりで言葉を紡いできた。
彼の名前は砂川賢悟。クラスは違うが聖と同じ高校に通う一年生だ。
背丈はそれなりだが男子にしては細身で華奢な体格をしており、一見しただけではかなりひ弱そうといった印象がある。実際、腕力や体力などは同年代の男子の中では相当低い部類に入り、腕相撲では女の子である聖にも負けてしまうほどだ。
だがそんな賢悟を優男とみくびってちょっかいを出した者は、ほぼ例外なく手痛いしっぺ返しを食らうことになる。確かに賢悟は腕力においては他の男子より一歩も二歩も劣るが、決してケンカが弱いというわけではないからである。
というのも。彼の筋肉は持久性や耐久性が弱い代わりに、機動力と瞬発力においてはずば抜けた能力を有しているのだ。その柔軟でしなやかな身体のバネによって生み出される動きと身のこなしの素早さは、並の人間では目で捉えることすら難しい。
実際、彼は以前に町でチンピラ六人に絡まれた際。その素早い動きで鼻歌交じりに相手を翻弄し。結果、指一本すら触れさせることなく六人全員をあっと言う間に叩きのめしたこともあったくらいである。
特徴は、金色っぽい茶髪と意志の強そうな太い眉毛。顔立ちも悪くないので、女の子人気もまあまあ高いらしい。もっとも性格のほうはバカでがさつで自分勝手な朴念仁野郎なため、その本質を知られるとすぐに幻滅されてしまうそうなのだけれど。
「どうでもいいけど砂川くん、ずいぶん涼しそうな格好ね。それで大丈夫なの?」
二人並んで駅への道を歩きながら、聖は賢悟の服装に目をとめて眉をしかめながら尋ねかけた。
聖と賢悟は、学校内での接点はほとんどないが。学外ではとある趣味のサークルに参加している仲間同士なのだ。ちなみに賢悟がそのサークルのリーダーで、聖がサブリーダーという立場である。
今日から三日間、聖はそのサークルの仲間たちと一緒にある場所に泊まりがけで遊びに行くことになっているのだが。その場所というのが内陸部で標高が高い場所であるため、冬になるとかなり寒くなるのだ。
だからこそ聖も涙を呑んでおしゃれを犠牲にして、このように沢山着こんだ格好をしているのに。賢悟の格好ときたら恐ろしく軽装なのである。
上は厚手のトレーナーと、フードの付いた水色のパーカー、下はデニムのズボンにスニーカー。その他はスポーツバッグを持っているだけで、マフラーや手袋すらしておらず靴下も履いていないのだ。
冬でも比較的気候が温暖な瞑竜町ならば、それでもいいのかもしれないけれど。これから向かう場所はファンタジウム王国屈指の寒冷地。このような軽装では冗談抜きで凍えてしまうのではないかと心配したのだが。
「ご心配なく。おれにとってはこのくらいで丁度いいんだよ」
人がせっかく心配してやっているというのに。当の賢悟は、誰かさんとは鍛えかたが違うからな、と上の歯を見せてニカッと笑うだけだった。無駄にさわやかなその仕草に聖はなんとなくイラッとして、横を向いてから小さく『ケッ』と吐き捨てる。
「フフン。さすが脳ミソの中まで筋肉で出来ているような体力バカは、寒さを感じる神経まで麻痺してしまっているんでしょうかね。ボクみたいに繊細な人間にとってはその無神経さがうらやましい限りですよ」
続いて、再び背後から聞き慣れた男子の声が聞こえてきた。いや、彼の場合は声もだけれど、むしろそのイヤミったらしい話しかたに覚えがあると言うべきか。
二人そろってその場に立ち止まり振り返ってみると、そこには予想通りの顔が意味もなく偉そうにふんぞり返りながら立っていた。
この少年は吉田敦哉。一四歳で、聖や賢悟と同じ学校の中等部に通う二年生。彼もまた聖にとっては、趣味を通じての仲間である。
基本的な容姿はそう悪くないのだけど。眉毛がないため目がかなり腫れぼったく見えるのと、オールバックにした長髪が若いくせに半分白いものが混じっているのと、なによりひねくれた性格がそのまま顔面に現れているためかなり醜く見える。
そう。彼の一番の特徴が、その性格の悪さだ。人を人とも思わず、他人の些細な失敗や過ちを最大限にとりあげては罵倒し嘲笑するその言動は、見る人聞く人の神経を逆撫でせずにはいられない。
そのため肉体的に報復を受けて、血を流しながら地面を舐める羽目になったこともこれまでに一度や二度ではなかった。にも関わらず彼は決して懲りることなく、今日も明日もあさっても他人を馬鹿にし、嘲り続けるのである。
もはや他人を嘲笑し、見下すことに生命を懸けているとしか思えない。一体なにが彼をそこまで駆り立てるのか? それは、誰にも分からなかった。
そんな敦哉の本日のいでたちだが。ジャンパーやオーバーを何枚も着た上、ズボンも何枚も重ね穿きし。屋外にも関わらずどてらまで羽織っているという、聖以上の着膨れダルマ姿だった。
頭にもジャンパーやオーバーなどについているフードを全てかぶった上に、毛糸の帽子まで着けており、全体的にぶくぶくしていて見るからに動きにくそうだ。
「吉田。お前、その格好でよく家からここまで歩いてこられたな。て言うかおれたちこれから、暖房の効いた電車やバスに合計で八時間くらい乗り続けることになるんだぞ? そんな厚着で大丈夫か? 熱中症や脱水症状になるんじゃないか?」
いつもは敦哉に罵倒されるや否や問答無用で殴り飛ばすという、敦哉キラー双璧の一人である賢悟(ちなみに、もう一人は聖)だが。今回はさすがに心配になったらしく、攻撃するどころか気遣うような視線と言葉で尋ねかけた。
だが当の敦哉は、賢悟の気遣いに感謝するどころか。逆に蔑むように鼻で嗤いながら『心配は無用です』と言葉を垂れ流す。
「そこにぬかりはありません。実は暖房対策として、シャツの下には冷たい水が入った二リットルのペットボトルを四つ、腹と背中に紐で結わいてくくりつけてあるのですよ。そのため暖房が効いた電車内でも肌はほどよく冷えて身持ちいいはずです」
ちょっと重いし、電車の中に入るまでは寒いのが難点ですがねと。盛大にくしゃみをしながら言葉を続けた。
「なんで厚着をしながら暑さ対策なんて面倒臭いことをわざわざするのよ? それくらいなら、最初からもう少し薄着にしておけばいいじゃないの」
しまった。電車内での暖房のことを考えていなかったと内心で舌を打ちながらも、聖がそのように声をかけると。敦哉は分かっていませんねえと嘲るように、顔の前で右手の人差し指をちっちっと軽く振って見せる。
「いいですか神代さん? これなら暑い電車の中では、ペットボトルが身体を冷ましてくれるので涼しいですし。電車を降りて寒い場所に降りる頃には、水はぬるくなっているので寒くならず。厚着のお陰で暖かいだけということになるんですよ」
お陰でわざわざ上着を脱いだり着たりしなくても自然に体感温度を調節出来るという優れた仕様なのですよと、敦哉は得意げに胸を張った。
「いや、でもさ。だからって……」
「これから寒い所に行くのだということで頭の中がいっぱいで、暖房の効いた電車に乗るのだということを忘れ。ただ闇雲に厚着をしてきてしまったせいで、これから電車の中でゆだる羽目になってしまうような考え無しの神代さんとは違うんですよ」
さらに敦哉がせせら嗤うように、言葉を続けてくる。
聖はそんな敦哉のもとにゆっくり近づいていくと。ニッコリ一つ微笑んで見せてから、その着膨れした身体をおもむろに思い切り蹴り飛ばした。
厚着のせいでバランスがとりにくい敦哉は、なす術もなくその場にひっくり返り。甲羅を下にして地面に置かれたカメのごとく手足をバタバタさせるものの、どうしても起き上がることが出来ない。
その上……。
「ギャー! なんてことをしてくれたんですか神代さん! 転んだ弾みでペットボトルが破れて水がこぼれたせいで、身体がびしょびしょになってしまったじゃないですかー! 冷たいしシャツの中がぐちょぐちょで気持ち悪いー!」
「バーカ」
一人地面でもだえる敦哉に、聖は雪よりも白い視線と共に言葉を投げつけ。そんな二人を見ていた賢悟はやれやれと呟きながら、はあと吐息をこぼしたのだった。
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