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「で、ついでに四つ目」
これで小夢の話は終わりかと思った聖だったけれど。予想に反し、彼女はさらに言葉を続けてきた。それも気のせいか、先程までと比べるといささかながら柔らかく穏やかな口調で。
「わたしが冒険者になって、この邪竜の地下迷宮にもぐっていることを話すと。意外にも義父が結構喜んでくれたからかな」
「え? 義父って、その芹沼教授っていう人が?」
聖が思わずというように尋ねると。小夢は心なしかほんのわずかに頬を赤らめながら小さくうなずいた。
「さっきも言ったように。義父がわたしを養女にしたのは、一種の雇用契約みたいなもので。別にわたしのことを可愛いと思ったり、気の毒に思ったりしたからじゃないの。あの人が愛していたのは亡くなった、実の娘の麗菜さんだけだから」
「ああ……」
「だから親子になっても、わたしたちは必要以上の会話をすることはなかったし。そもそも義父は仕事やなにかで忙しいらしくて。一か月以上も続けて家を空けることもざらだから、顔を合わせることすら滅多になかったの」
まあ自分だって学校や予備校や図書館にいることが多いので、家には寝る時とお風呂に入る時くらいしかいないからお互いさまなんだけどねと。軽く苦笑を浮かべながら小夢は話を続ける。
「だけど一年前。わたしが地下迷宮に入るようになってから二~三週間くらい経った頃かな。ある日たまたま顔を合わせた時に、なんとなく思い立ってわたしが冒険者になったことを話したら。意外なほど激しく食いついてきてね」
「へえ。それはやっぱり、自分もむかし冒険者だったからかな?」
賢悟が合いの手を入れると、小夢は多分ねと肯んじた。
「職場にいるのはほとんどがインドア派の研究者だから、冒険の話をする相手に飢えていたのかも。わたしの話を聞くだけじゃなくて、自分がかつて冒険者だった頃の話も色々してくれたなあ。自慢話とか、失敗談とか」
あんなに嬉しそうに、感情を剥き出しにして熱弁する義父を見るのはあの時が初めてだったと。こちらも少しだけ嬉しそうに、懐かしそうに小夢は続けた。
「それで話の最後に、がんばりなさいと言いながら。むかし使っていたというマジック・アイテム……この万能棒とか、転位の宝石とかをプレゼントしてくれたの」
「だから、冒険者を続けているのか。冒険の話をするとお義父さんが……芹沼教授が喜んでくれるから」
「そんな、いい話みたいに言われても困るけど。でもまあ、なにかの拍子に二人きりになった時なんかに、お互い話の一つもなくむっつり黙っているのも芸がないでしょう。そんな時のために会話のネタを作っておこうかくらいのつもりね」
賢悟の言葉に、小夢はぷいと不器用にそっぽを向いて。照れ隠しみたいな口ぶりになって、吐き捨てるように言った。
そんな小夢の姿を見て。聖はなんとなくほほ笑ましい気分になり、思わずくすりと笑い声をあげた。そのことに気づいた小夢がじろりと怖い目つきで睨みつけてきたため、慌てて表情を作り直したけれど。
「そ、それで。最近もその、お義父さんと話したりしたの? 冒険のこととか」
話を逸らすように聖が尋ねると。小夢はわずかに表情を暗くしながら首を横に振って、いいえと素っ気無く応えた。
「最近は研究が大詰めを迎えているらしくて。これまでにも増して家にいる時間が少ないから、冒険の話をする時間なんてないわ。ま。研究がさらに進めばわたしの手助けが必要になるみたいだから、またすぐ話す機会も出てくるでしょうけど」
と、そこまで言ってから。小夢は自分が柄にもなく長々と、自分の真情を吐露しててしまったことに気づいたような表情を浮かべ。舌打ちせんばかりに苦々しげな吐息をこぼした。
「ともかく。これで、わたしの話は終わりよ。面白くもなんともない話を、長々と聞かせて悪かったわね」
「え? そ、そんなことは……」
「これで用は済んだでしょうから、わたしはもう帰るわね。余計なお喋りなんかをしちゃったせいで時間がかなり押し迫ってきているし。一刻も早く地上に戻って学校に行く準備をしないと、遅刻するかも……」
くるりと踵を返し、小夢は吐き捨てるような口調で言うと。そのまま地下一階への直通階段に向かおうとしてか足を一歩踏み出しかけた。
だがその次の瞬間。小夢はなにやらギョッとしたように肩を震わせると、慌てて腰に差した万能棒を正眼に持って構え出す。
それとほぼ時を同じくして。賢悟もやはりギョッとしたような驚きの表情を浮かべたかと思うと、腰を落として刀を引き抜いた。
「な……なに!? 二人とも、急にどうしたのよ?」
聖は独りわけが分からずに、ただおろおろとしながら、そんな二人を交互に眺めているだけだった。だが数秒遅れて、聖もなにやら身体中の毛が続々と逆立つような寒気とおぞけを覚え、ビクリと身体を震わせる。
これは、魔物の気配というやつだ。
僧侶である聖は盗賊や侍ほど気配に敏感ではない……と言うか、かなり鈍いのだけど。ある程度以上の力を持つ魔物が近くにいると、第六感が警戒の声をあげるかのような、うすら寒い感じを覚えることがあった。
だが今回のこれは、いままで感じたどの気配とも違う。いままでに感じた警戒音が腕時計のアラームだとしたら、これは火災報知器のサイレンである。
身体中の皮膚という皮膚が全てざわめきゆらめき。その下を無数のアリや虫がぞわぞわと忙しく歩き回っているような感じとでも言えばいいのだろうか。
あまりの気色悪さに聖は身体をブルブル震わせながら、両腕で自分の身体を強く抱き締め。そのままへたりこんだ。
「な、なんだ? どういうことだ? 地下四階に、こんな凄まじいまでに邪悪な気配を放つ魔物なんかいるわけはないぞ! なにがやって来るんだ!?」
「そんなの、わたしが知るわけがない!」
怒鳴り声をあげる賢悟に、小夢もヒステリーを起こしたように怒鳴り返す。
二人とも顔色はまっ青である。仮にも上級職の侍である賢悟と、盗賊とは言えレベル二八に達して並の戦士など足元にも及ばないほどの力を身につけた小夢が、これほどまでに恐れるなんて。
本当に、なにがやって来るのだろう? 聖は恐怖と緊張のため、身体中から大量の冷や汗を噴き出させながら思った。
「お迎えに参りましたよ。芹沼小夢さん」
次の刹那。聖たちから見て右側……地下五階へと続く階段がある方向から、若い男のものらしい声が響き渡ってくる。
その声を聞いただけで。聖は悲鳴をあげながら全速力で、一目散にどこかに逃げ出したいと思う気持ちを抑えるのに、並ならぬ苦労をしなければならなかった。
死体に撫でられたかのように冷たく、おぞましい。しかしよく澄んだ甘い香りの漂う声。このまま長いことこの声を聞いていたなら自分はこの声の主の虜となり、身も魂も捧げようとするのではないか……?
聖が思わずそう感じるほど危険な、誘惑に満ちた声であった。
「誰? どうしてわたしの名前を?」
「長らくお待たせして申しわけありませんでした。もっと早くお迎えに上がりたかったのですが。この迷宮に張り巡らされている結界は、さすがに強固なものでして。いかに私でもこれを突破して迷宮の外に出るのはいささか困難でしてね」
「……は?」
「それに私のような者がうかつに外の世界に顔を出すと人間界に存在する魔力の量が爆発的に増加して、この国の人間たちにいらぬ警戒心を抱かせるだけでしょう。それは私の……いえ、私のマスターの望むところではありませんから」
「なに? なんの話をしているの?」
「それならば、あなたのほうから迷宮に入ってきていただくのを待っていたほうがいいと思いましてね。幸いあなたは週末冒険者で、週に一度はこの迷宮に探索に訪れるという話でしたし」
小夢の問いを無視して。上機嫌な口ぶりで自分の言いたいことだけをぺらぺら喋りながら姿を現したのは、年齢二四、五歳くらいの、金髪碧眼の男だった。
背はスラリと高く、よくひき締まった無駄のない体型の持ち主。顔立ちはこれ以上ないというくらいに整っており。年上は完全に守備範囲外であるはずの聖でさえも、思わずごくりと唾を飲みこみたくなるほどの美形だ。
だがあまりにも美形すぎて、かえって作り物めいた印象もあった。身に着けているのは黒を基調とした夜会服のような服で。裏に銀の糸で鳥の刺繍が施された、素材はよく分からないが高級そうなマントをも羽織っている。
「……何者だ、貴様! 人間のようだけど人間じゃないな。人間がそこまで禍々しい気配を発していられるわけはないからな!!」
聖を背後にかばって立ち、刀を構えながら賢悟は詰問するように言った。
だが金髪の男はそんな殺気でいっぱいの賢悟を見ても、怯えたり恐れたりする様子などは微塵も見せず。それどころか顔中に満面の笑みを浮かべ、他人を小馬鹿にするような仕草で恭しい仕草で頭を下げたのだった。
「これは申し遅れました。私はベリアルと申す者です。あなたがた人間の発音に似せて言えば、ね」
言って、ベリアルと名乗った男はニヤリと嗤い、賢悟、聖、小夢の順番でその場にいる人間を一人ずつゆっくり見つめていく。
「お察しの通り、私は人間ではございません。私はあなたがたがデーモン・ロードとお呼びになっている種族ですよ」
「デーモン・ロード!?」×3
聖たち三人は同時に、驚きの声をあげた。
デーモン・ロードと言えば。昨日聖たちが地下六階で死闘を繰り広げたレッサー・デーモンや、かつて本職冒険者だった熊さんの足に不治の怪我を負わせ引退にまで追いこんだアーク・デーモンなどと同じ、悪魔族に属する魔物である。
だがデーモン・ロード……すなわち王種の悪魔などと呼ばれるだけあって。その魔力や能力、知力、体力などは下級魔族であるレッサー・デーモンはもちろん、中級魔族のアーク・デーモンすらもはるかに凌駕する。
とてもではないが。転職して半年程度の侍やひよっこ僧侶などでは、束になってかかってもかなう相手ではない。
「な、なんでデーモン・ロードなんかがこの迷宮にいるのよ! この迷宮にいる魔物は邪竜ゲドゥルフの屍体から発せられる瘴気によって開けられた穴を通って魔界から人間界にやって来た連中ばかりのはずでしょう?」
聖は声をガタガタ震わせながら、わめくように言った。
「だけど上級以上の魔族や魔獣は身にまとった魔力が大きすぎるせいでその穴をくぐることは出来ないから。迷宮内にいるのは最強でも中級の魔族魔獣までだって訓練所で教官が言ってたのに。デーモン・ロードなんて最上級レベルじゃんか!!」
「……上級レベル以上の魔物や魔獣が人間界にやって来る方法は、現在知られている限り一つしかない。それはレベルの高い魔法使いか召喚士が呪文によって、魔界から召喚すること」
小夢が独り言を言うように、ぽつりと呟いた。と言うことは、このベリアルと名乗るデーモンも、何者かに召喚されてきたということかと聖は思った。
そういえば先程ベリアルは、マスターがどうのこうのと言っていた。つまりそのマスターというのがおそらく、こいつを召喚した張本人。
しかし誰がなんのために、デーモン・ロードなどをわざわざ魔界から召喚したというのだろう……?
「それで? デーモン・ロードのベリアルさんが、おれたちになんの用だ?」
油断なく刀の切っ先をベリアルに向けながら、賢悟が尋ねた。しかしベリアルはそんな賢悟を虫けらでも見るような目つきでフンと一瞥した後。その形の良い口唇を歪め、あざ嗤うような声をあげる。
「なにがおかしい!?」
「別に私は、あなたやそちらの僧侶の娘さんなどに用はありません。用があるのはそちらの竜の因子を持ったお嬢さん、芹沼小夢さんだけです」
「わ、わたし!?」
上級の悪魔に名指しで指定され、小夢は戸惑ったような声をあげる。
「冗談でしょう? わたしは悪魔に用事を頼まれるほど大層な人間じゃないわよ。わたしなんか竜の因子を持っている他はこれといって特技も特徴もない、どこにでもいるごく普通の女子高校生なんだから」
「その竜の因子を持った人間が必要なのですよ。私には……いや、私を魔界から召喚してくれたマスターにとってはね」
「竜の因子が? あなたを召喚したマスターとやらはそんなものをなにに使うって言うの!?」
「竜の因子、そのものが必要なのではありませんよ。必要なのは竜の因子を持った人間、つまりあなた自身です」
「なんですって?」
「より正確に表現するならば、あなたの肉体と言うべきですか。魂はいりませんからね。と言うより、むしろ邪魔です。魂の残った身体には、ゲドゥルフはうまくとり憑くことが出来ないとのことですので」
「ゲドゥルフ!?」×3
迷宮の最下層に安置されている邪悪な竜の名前がこの悪魔の口から出ると、聖たち三人はまたもや同時に声をあげた。
驚きと恐怖と、絶望とが混じった声を。
これで小夢の話は終わりかと思った聖だったけれど。予想に反し、彼女はさらに言葉を続けてきた。それも気のせいか、先程までと比べるといささかながら柔らかく穏やかな口調で。
「わたしが冒険者になって、この邪竜の地下迷宮にもぐっていることを話すと。意外にも義父が結構喜んでくれたからかな」
「え? 義父って、その芹沼教授っていう人が?」
聖が思わずというように尋ねると。小夢は心なしかほんのわずかに頬を赤らめながら小さくうなずいた。
「さっきも言ったように。義父がわたしを養女にしたのは、一種の雇用契約みたいなもので。別にわたしのことを可愛いと思ったり、気の毒に思ったりしたからじゃないの。あの人が愛していたのは亡くなった、実の娘の麗菜さんだけだから」
「ああ……」
「だから親子になっても、わたしたちは必要以上の会話をすることはなかったし。そもそも義父は仕事やなにかで忙しいらしくて。一か月以上も続けて家を空けることもざらだから、顔を合わせることすら滅多になかったの」
まあ自分だって学校や予備校や図書館にいることが多いので、家には寝る時とお風呂に入る時くらいしかいないからお互いさまなんだけどねと。軽く苦笑を浮かべながら小夢は話を続ける。
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「へえ。それはやっぱり、自分もむかし冒険者だったからかな?」
賢悟が合いの手を入れると、小夢は多分ねと肯んじた。
「職場にいるのはほとんどがインドア派の研究者だから、冒険の話をする相手に飢えていたのかも。わたしの話を聞くだけじゃなくて、自分がかつて冒険者だった頃の話も色々してくれたなあ。自慢話とか、失敗談とか」
あんなに嬉しそうに、感情を剥き出しにして熱弁する義父を見るのはあの時が初めてだったと。こちらも少しだけ嬉しそうに、懐かしそうに小夢は続けた。
「それで話の最後に、がんばりなさいと言いながら。むかし使っていたというマジック・アイテム……この万能棒とか、転位の宝石とかをプレゼントしてくれたの」
「だから、冒険者を続けているのか。冒険の話をするとお義父さんが……芹沼教授が喜んでくれるから」
「そんな、いい話みたいに言われても困るけど。でもまあ、なにかの拍子に二人きりになった時なんかに、お互い話の一つもなくむっつり黙っているのも芸がないでしょう。そんな時のために会話のネタを作っておこうかくらいのつもりね」
賢悟の言葉に、小夢はぷいと不器用にそっぽを向いて。照れ隠しみたいな口ぶりになって、吐き捨てるように言った。
そんな小夢の姿を見て。聖はなんとなくほほ笑ましい気分になり、思わずくすりと笑い声をあげた。そのことに気づいた小夢がじろりと怖い目つきで睨みつけてきたため、慌てて表情を作り直したけれど。
「そ、それで。最近もその、お義父さんと話したりしたの? 冒険のこととか」
話を逸らすように聖が尋ねると。小夢はわずかに表情を暗くしながら首を横に振って、いいえと素っ気無く応えた。
「最近は研究が大詰めを迎えているらしくて。これまでにも増して家にいる時間が少ないから、冒険の話をする時間なんてないわ。ま。研究がさらに進めばわたしの手助けが必要になるみたいだから、またすぐ話す機会も出てくるでしょうけど」
と、そこまで言ってから。小夢は自分が柄にもなく長々と、自分の真情を吐露しててしまったことに気づいたような表情を浮かべ。舌打ちせんばかりに苦々しげな吐息をこぼした。
「ともかく。これで、わたしの話は終わりよ。面白くもなんともない話を、長々と聞かせて悪かったわね」
「え? そ、そんなことは……」
「これで用は済んだでしょうから、わたしはもう帰るわね。余計なお喋りなんかをしちゃったせいで時間がかなり押し迫ってきているし。一刻も早く地上に戻って学校に行く準備をしないと、遅刻するかも……」
くるりと踵を返し、小夢は吐き捨てるような口調で言うと。そのまま地下一階への直通階段に向かおうとしてか足を一歩踏み出しかけた。
だがその次の瞬間。小夢はなにやらギョッとしたように肩を震わせると、慌てて腰に差した万能棒を正眼に持って構え出す。
それとほぼ時を同じくして。賢悟もやはりギョッとしたような驚きの表情を浮かべたかと思うと、腰を落として刀を引き抜いた。
「な……なに!? 二人とも、急にどうしたのよ?」
聖は独りわけが分からずに、ただおろおろとしながら、そんな二人を交互に眺めているだけだった。だが数秒遅れて、聖もなにやら身体中の毛が続々と逆立つような寒気とおぞけを覚え、ビクリと身体を震わせる。
これは、魔物の気配というやつだ。
僧侶である聖は盗賊や侍ほど気配に敏感ではない……と言うか、かなり鈍いのだけど。ある程度以上の力を持つ魔物が近くにいると、第六感が警戒の声をあげるかのような、うすら寒い感じを覚えることがあった。
だが今回のこれは、いままで感じたどの気配とも違う。いままでに感じた警戒音が腕時計のアラームだとしたら、これは火災報知器のサイレンである。
身体中の皮膚という皮膚が全てざわめきゆらめき。その下を無数のアリや虫がぞわぞわと忙しく歩き回っているような感じとでも言えばいいのだろうか。
あまりの気色悪さに聖は身体をブルブル震わせながら、両腕で自分の身体を強く抱き締め。そのままへたりこんだ。
「な、なんだ? どういうことだ? 地下四階に、こんな凄まじいまでに邪悪な気配を放つ魔物なんかいるわけはないぞ! なにがやって来るんだ!?」
「そんなの、わたしが知るわけがない!」
怒鳴り声をあげる賢悟に、小夢もヒステリーを起こしたように怒鳴り返す。
二人とも顔色はまっ青である。仮にも上級職の侍である賢悟と、盗賊とは言えレベル二八に達して並の戦士など足元にも及ばないほどの力を身につけた小夢が、これほどまでに恐れるなんて。
本当に、なにがやって来るのだろう? 聖は恐怖と緊張のため、身体中から大量の冷や汗を噴き出させながら思った。
「お迎えに参りましたよ。芹沼小夢さん」
次の刹那。聖たちから見て右側……地下五階へと続く階段がある方向から、若い男のものらしい声が響き渡ってくる。
その声を聞いただけで。聖は悲鳴をあげながら全速力で、一目散にどこかに逃げ出したいと思う気持ちを抑えるのに、並ならぬ苦労をしなければならなかった。
死体に撫でられたかのように冷たく、おぞましい。しかしよく澄んだ甘い香りの漂う声。このまま長いことこの声を聞いていたなら自分はこの声の主の虜となり、身も魂も捧げようとするのではないか……?
聖が思わずそう感じるほど危険な、誘惑に満ちた声であった。
「誰? どうしてわたしの名前を?」
「長らくお待たせして申しわけありませんでした。もっと早くお迎えに上がりたかったのですが。この迷宮に張り巡らされている結界は、さすがに強固なものでして。いかに私でもこれを突破して迷宮の外に出るのはいささか困難でしてね」
「……は?」
「それに私のような者がうかつに外の世界に顔を出すと人間界に存在する魔力の量が爆発的に増加して、この国の人間たちにいらぬ警戒心を抱かせるだけでしょう。それは私の……いえ、私のマスターの望むところではありませんから」
「なに? なんの話をしているの?」
「それならば、あなたのほうから迷宮に入ってきていただくのを待っていたほうがいいと思いましてね。幸いあなたは週末冒険者で、週に一度はこの迷宮に探索に訪れるという話でしたし」
小夢の問いを無視して。上機嫌な口ぶりで自分の言いたいことだけをぺらぺら喋りながら姿を現したのは、年齢二四、五歳くらいの、金髪碧眼の男だった。
背はスラリと高く、よくひき締まった無駄のない体型の持ち主。顔立ちはこれ以上ないというくらいに整っており。年上は完全に守備範囲外であるはずの聖でさえも、思わずごくりと唾を飲みこみたくなるほどの美形だ。
だがあまりにも美形すぎて、かえって作り物めいた印象もあった。身に着けているのは黒を基調とした夜会服のような服で。裏に銀の糸で鳥の刺繍が施された、素材はよく分からないが高級そうなマントをも羽織っている。
「……何者だ、貴様! 人間のようだけど人間じゃないな。人間がそこまで禍々しい気配を発していられるわけはないからな!!」
聖を背後にかばって立ち、刀を構えながら賢悟は詰問するように言った。
だが金髪の男はそんな殺気でいっぱいの賢悟を見ても、怯えたり恐れたりする様子などは微塵も見せず。それどころか顔中に満面の笑みを浮かべ、他人を小馬鹿にするような仕草で恭しい仕草で頭を下げたのだった。
「これは申し遅れました。私はベリアルと申す者です。あなたがた人間の発音に似せて言えば、ね」
言って、ベリアルと名乗った男はニヤリと嗤い、賢悟、聖、小夢の順番でその場にいる人間を一人ずつゆっくり見つめていく。
「お察しの通り、私は人間ではございません。私はあなたがたがデーモン・ロードとお呼びになっている種族ですよ」
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聖たち三人は同時に、驚きの声をあげた。
デーモン・ロードと言えば。昨日聖たちが地下六階で死闘を繰り広げたレッサー・デーモンや、かつて本職冒険者だった熊さんの足に不治の怪我を負わせ引退にまで追いこんだアーク・デーモンなどと同じ、悪魔族に属する魔物である。
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とてもではないが。転職して半年程度の侍やひよっこ僧侶などでは、束になってかかってもかなう相手ではない。
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聖は声をガタガタ震わせながら、わめくように言った。
「だけど上級以上の魔族や魔獣は身にまとった魔力が大きすぎるせいでその穴をくぐることは出来ないから。迷宮内にいるのは最強でも中級の魔族魔獣までだって訓練所で教官が言ってたのに。デーモン・ロードなんて最上級レベルじゃんか!!」
「……上級レベル以上の魔物や魔獣が人間界にやって来る方法は、現在知られている限り一つしかない。それはレベルの高い魔法使いか召喚士が呪文によって、魔界から召喚すること」
小夢が独り言を言うように、ぽつりと呟いた。と言うことは、このベリアルと名乗るデーモンも、何者かに召喚されてきたということかと聖は思った。
そういえば先程ベリアルは、マスターがどうのこうのと言っていた。つまりそのマスターというのがおそらく、こいつを召喚した張本人。
しかし誰がなんのために、デーモン・ロードなどをわざわざ魔界から召喚したというのだろう……?
「それで? デーモン・ロードのベリアルさんが、おれたちになんの用だ?」
油断なく刀の切っ先をベリアルに向けながら、賢悟が尋ねた。しかしベリアルはそんな賢悟を虫けらでも見るような目つきでフンと一瞥した後。その形の良い口唇を歪め、あざ嗤うような声をあげる。
「なにがおかしい!?」
「別に私は、あなたやそちらの僧侶の娘さんなどに用はありません。用があるのはそちらの竜の因子を持ったお嬢さん、芹沼小夢さんだけです」
「わ、わたし!?」
上級の悪魔に名指しで指定され、小夢は戸惑ったような声をあげる。
「冗談でしょう? わたしは悪魔に用事を頼まれるほど大層な人間じゃないわよ。わたしなんか竜の因子を持っている他はこれといって特技も特徴もない、どこにでもいるごく普通の女子高校生なんだから」
「その竜の因子を持った人間が必要なのですよ。私には……いや、私を魔界から召喚してくれたマスターにとってはね」
「竜の因子が? あなたを召喚したマスターとやらはそんなものをなにに使うって言うの!?」
「竜の因子、そのものが必要なのではありませんよ。必要なのは竜の因子を持った人間、つまりあなた自身です」
「なんですって?」
「より正確に表現するならば、あなたの肉体と言うべきですか。魂はいりませんからね。と言うより、むしろ邪魔です。魂の残った身体には、ゲドゥルフはうまくとり憑くことが出来ないとのことですので」
「ゲドゥルフ!?」×3
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