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#005

俺の妹2

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 多分宝くじの一等が当たった次の日、あるいは自分の彼女が実は会社の上司の妻だったっていう秘密を知った次の日というのはたぶんこんな感じなんだろうな。地に足が着いていないような心地で、身体の指先まで感覚がないみたいだ。

 あまりに大きな秘め事は人間を極端に臆病にさせる。今の俺もそうであり、普通に登校しているだけなのにスクールバッグに一億円を入れて運んでいるような気分だった。もし今後ろから突然「わっ!」と驚かされたら俺は背後に置かれていたキュウリに気付いた瞬間の猫のように飛び上がる自信がある。

 その服の内ポケットに爆弾を抱えているような緊張は放課後、宮之阪と話すまで続いた。授業中なんてずっとトイレに行きたいソワソワした感じが続いて地獄だったぜ。

 右から左へと流れていくだけの授業を全て受け終え、メールで呼び出した宮之阪と下足場で合流した俺はこの時間人の多いファミレスを選んで入ると、宮之阪の分も含めて二つのコーヒーを頼んでから話を切り出した。言うまでもない、内容は昨日の一件の事だ。

 まぁ、俺が今もまだこうして自分であり続けているから身体には何事も無かったと言える。が、しかし、心身共にとは言えないな。

 俺はそれを表情に表さないように言った。

「……俺の妹はKじゃあなかった」

 もちろん嘘だ。

 俺の妹はKである。それは紛いもない事実だった。何せこの目で確認したんだからな。今もトラウマとなって俺の脳裏に焼き付いている。忘れたくても忘れられないぜ。

 だが、俺は宮之阪に事の経緯を説明しつつ、昨日の事を思い出していた。



「……お、おっす、兄ちゃんの部屋に何か用か?」

 俺の口から咄嗟に出た言葉だった。

 しかし、俺の妹―――――正確には妹だったやつは返事のひとつも寄越さずにしばらく黙っていた。兄妹水入らずだというのに、この部屋の空気は肌を刺すようにピリピリとしている。

 動けばヤられる。その空気だけがヒシヒシと背中側から伝わってきていた。

 逃走しようとは思わなかった。多分出来ないし、仮に出来たとしてもKの中で俺の情報を共有されて死ぬまで追いかけられることになるだろう事は簡単に想像出来たからな。奴らはその存在に気が付いた人間から消していくのだ。ついでに、部屋の鍵なら今さっき自分で閉めてしまっている。

 もうどうしよもない。

 俺は今一度コンタクトを試みようと口を開いた。

「風呂なら沸いたぞ。先入れよ」

 一体俺は誰に話しかけているんだろうな。見た目は妹だが、その中身が違うということは振り向かなくても背中に突き刺さっている鋭い視線から分かっているというのに。

 ……一か八か、不意をついて何かしら攻撃を仕掛けてみるか?妹の中身が格闘技経験者かもしれないとは言え、身体の大きさは妹そのものだ。何とかのしかかってしまえばさすがにひっくり返すのは難しいだろう。

 という俺の考えはやはり甘かったようで、振り向いた瞬間には喉元を掴まれ膝立ちの馬乗りになる形で机に仰向きに押し付けられていた。そして次の瞬間には俺の瞳スレスレの所にまで持っていたカッターナイフを振り下ろしていた。瞬きすれば瞼がその刃に触れそうだ。

 俺は生唾を飲み込んでから尋ねた。

「……いつからだ。いつから俺の妹は妹じゃなくなっていたんだ?」

 表情を絵のようにぴくりとも動かさないまま、妹に似たその偽物は俺の質問から少し間を空けてからゆっくりと口を開いた。

「……あなたが高校に入学する前、正確にはあなたが中学生最初の冬休みを迎えた頃です」

 ということは、俺達が鏡をばらまいた時にはとっくにKになっていたというわけだ。あのロッカーに入れた鏡もかなりの不意打ちだったはずだが、どうして反応を見せなかったんだ。お前らは自分が映るものを苦手としているんじゃなかったのか?

「あなたが数日前から鏡を何十枚も準備していたのを知ることは同居している上で必然、どこかのタイミングで仕掛けてくるのは簡単に予想出来ていました」

 身構えてさえいれば我慢出来ないこともないってわけか。

「私達が全員が必ずしもそうであるわけではないです。私は特別鏡に対して耐性があっただけ。この身体での生活はもう三年にもなるので」

 というわけは、あの鏡の件で見つけ出した以上にあの学校にはKがいる可能性があるわけだ。頭が痛くなりそうだぜ。

 俺は「そうかい」とだけ返した。

 ここに来て何となく分かったのだが、こいつには俺に対して殺意のみたいなものは抱いていないようだった。抵抗出来ないように拘束されてはいるものの、存在に気が付いた俺をすぐ殺さないどころか質問にまで答えてくれている。

 かと言ってそれがなぜなのかは俺には分からんのだが、とりあえず遺書を書き認めていないのを後悔せずに済みそうだ。

「それで、何が目的でこんな事をしたのか教えてくれるのか?何かして欲しい事でもあるのなら凡人たる俺にも出来そうなことにしてくれよ」

 俺がそう言うと、妹似のそいつは目に今にも触れそうなカッターナイフをしまって俺の上から退いて、

「私があなたに望むことはひとつだけ。私の事を公表しない事です。それ以上は望みません。代わりにあなたも殺しません」

 思っていたよりも簡単な事だった。こいつがKである事を誰にもバラさない、それだけでいいそうだ。「公言」と言わないあたり、ただ単に「言わなければいい」という話ではなく、「匿う」という意味が大きいだろうな。

 どちらにせよ了承しないとこの場で殺されるらしいので、俺には首を縦に振るしかないのだが。

「分かった。誰にも言わないさ」

 でも、どうしてそんなことをまた。俺を殺してしまえばお前に気が付いているやつは誰もいなくなるだろうに。

 俺が理由を聞くと、こいつは初めて人間らしい表情をして言った。

「……私はこの世界のことを見たいのです。この世界が滅びていく様を」

 ここで俺はKにも個性があるのだと改めて実感した。奴らはその全員が全員人間をのっとって増えることだけを目的にしているわけではないのだ。

 ただ、ここでひとつ聞いておかなければならない事がある。それは俺がこの世界を救うヒーローの一員である以上必要な質問だ。

「……お前は人間を殺すか?」

 もし、殺すのであれば易々と見過ごすわけにはいかないからな。俺から出た錆みたいなもんだ、俺は死んじまうかもしれんが両親やあいつら二人まで殺させるわけにはいかんのだ。

 俺は明らかに対等な立ち位置でないことを自覚しつつ、取引を持ちかけた。

「出来るだけ譲歩する。とりあえず聞くだけ聞いてくれ」

 その内容は俺が妹のことを隠し匿う代わりに人間に手を出すな、というものだ。ただでさえ「殺されない」という条件があっての話だというのに、我ながら厚かましいな。

 しかし、こいつは意外にもそれを受け入れてくれた。「私一人が動かないくらいで人間が絶滅しなくなるわけではないでしょうから」というのがこいつの言い分だ。

 確かにそうかもしれないが、そうじゃないかもしれないぞ?そのために俺たちは戦っているんだからな。タダでやられたりはするつもりはないぜ。

「一方的な勝負程つまらないものはありませんから。その為に協力はしませんが、協調はします。せいぜい足掻いてみせてください」

 お前らが先に消えちまうかもしれないぞ?

「それならそれでいいでしょう」

 万が一にもありえませんが、と最後にそいつは付け加えた。嫌味で言っているわけではなさそうな分、心が折れそうになるぜまったく。
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