悪役令嬢はスパイに向いてない

雨音

文字の大きさ
1 / 49

序章 上

しおりを挟む
鉄臭い。



 壁に染み付いた血の匂いだろうか。それとも、目の前の鉄格子の錆びた臭いだろうか。打ちっぱなしの壁は武骨という他なく、赤黒い汚れがこびり付いている。明かり取り用の窓もなく、牢の外の灯火でなんとかわたしたちも周りを認識できる。

 こんな血腥い部屋……一体ここは元々何に使っていた部屋だったのだろう。想像するだけで吐き気がしそうだ。

 鉄格子で外界と隔たれた豚小屋のような座敷牢の中には、わたしとそう変わらない年頃の子どもたち――おおよそ十歳前後だろう――がすし詰めにされている。襤褸切れのような服を着せられ肌も薄汚れているが、子どもたちは全員、一目見ればはっと息を飲むような美貌を持っていた。昨日まではお母さん、とすすり泣いていた子たちも今ではすっかり大人しく、皆死んだような絶望の瞳をして口を閉ざしている。

 ――それも無理はない。

 なぜなら、わたしたちは、これから貴族や富豪が多数出席するという闇オークションに掛けられる予定の『商品』だからだ。

 オークションで落札されれば一生好事家たちの奴隷として生きなければならない。もちろん、落札されなければ次のオークションを待ち、それでも売れなければ『処分』されることとなる。……生物のしての死と、尊厳の死、どちらかを選ばせてやるという、つまりはそういうことである。

 要するに、ここにいる子どもたちが見目のいい子ばかりなのは『そういう』理由からだった。そしてここにいるのは皆、ほとんどがストリートチルドレンの孤児、あるいは家族や親しい人間がいたとすれば、スラムの貧困家庭か貧しい孤児院から、口減らしのために売られたか、だ。――ああ、まったくもって腐っている。この国は世界でもそれなりの治安の良さと評判だが、一皮剥けばこんなものだ。国の暗部なんて覗くもんじゃないな。

 そしてわたしも、気分は最悪だ。

 こんな『仕事』大嫌いなのに、こんな現場を見てしまえば、否応なく『誰かがやらなければならないのだ』と思い知らされてしまう。

「ロッティ、無事かな……」

 隣に座っている――早々に自分の運命を悟ったのか、ここに放り込まれて数日間ずっと静かにしていた少年が、不意にぽつりと呟いた。明るい髪色に綺麗な目をした彼は、その容姿の愛らしさと珍しさからここに攫われてきたのだろう。呟きから察するに、親しい子と一緒に攫われそうになって、ここに彼だけ放り込まれたのだろうか。こんな状況下で他人を気遣えるとは。まったく、こういう清廉な精神構造こそを大人が備えるべきだ。

 ――コツ。

 暗闇の中で研ぎ澄まされた聴覚が、遠くで鳴った足音を拾う。足音と歩く速度からして大人。それも屈強な男。

 ――コッ、コッ、コッ、コッ。

 わたしはごくりと唾を飲み下した。覚悟を決めるように、他の子どもたちも怯えながら唾を飲み込む。……だがわたしの緊張は、彼らとは少し意味が異なる。

 ……早く、早く、早く。

 そう念じていると不意に、耳につけた小型の改造通信機がぶん、と震えた。



『――こちらC地点。第一フェーズは滞りなく。行動を開始せよ』



 きた。

 わたしはぴんと背筋を伸ばすと、奥歯を二度鳴らす。『了解』を示す符合だ。

 そして首をこきこきと鳴らすと、ふぅ、と細く長く息を吐き出し、近づいてきている足音が牢の前で止まるのを待つ。

「時間だ」

 鞭と短銃を持った、屈強な男が牢の中を覗き込み、言った。「出ろ」

 子どもたちはのろのろと立ち上がると、鉄の手枷と足枷をそのままに、ほとんど動かせない足と手を引き摺りながら、なんとか動き出す。それを見て男はふんと鼻を鳴らすと、牢の扉を開けた。子どもたちがそこから這い出す。

 わたしの隣の男の子が扉から出ていくと、牢の中にはわたしだけが取り残された。男は動かないわたしを見ると、チッと大きく舌打ちをした。そして、「オイ」と低い声で唸りながら中に入ってくる。

「出ろってんのが聞こえてねェのかテメェ」

「ぼ、僕、死にたくない、おねが、たすけて」

「ッセェいいから出――」

 男がわたしの首根っこを掴もうとしたその時だった。

 わたしは瞬時に肩の間接を外し、後ろ手に拘束されていた手を前に持ってくると、もう一度肩を入れる。そして鉄の手枷で、思い切り男の米神を抉った。

「カッ……」

 不意打ちの一撃。

 ろくに悲鳴も上げず、男は力なく倒れ伏す。どんなものだって利用して自身の武器とすることができなければ、この『仕事』をする者としては三流だ。

 わたしは男に息があることを確認してほっとしつつも、手早く着衣を漁り、持っているはずの鍵を探す。早くしなければ、時間は限られている。

 こんなのわたし以外の『彼ら』であれば、わざわざ鍵など探さずとも自分で外せるのだが、それをわたしは、少しでも鍵が複雑になると鍵開けを諦めるしかなくなる。どんな鍵でも針金、いや、ヘアピンさえあれば開けられますワハハと豪語する同僚たちに比べ、わたしは壊滅的に不器用なのだ。

 やがてそれらしい鍵束を探し当てると、わたしは急いで手枷足枷を外した。ガシャンガシャンと重い音を立てて地面に落ちた枷を踏みつけながら、軽くなった手首と足首を回す。

「ふう」

 わたしは気絶した男に枷を付けてやると、牢の外に出る。

 そこには数日を共にした拉致被害者の子どもたちが、こちらを呆然とした顔で見ている……が、詳しく説明している暇はない。

 わたしは慌ててそこにいた全員の枷を外すと、「聞いてくれ」と言った。

「今は悠長に話している暇はない。でも必ず助かるから頑張ってくれ」

「え、あの……」

「地下から出たら裏手に回れ。裏手には黒塗りの大きな馬車と自動車があるが、馬車の方に乗り込むんだ。そうすれば安全なところまで送り届けてくれる。……追っ手がかかる可能性も考慮するとうちまでは無理だろうが、とにかくここからは離れられるから」

 男を牢に放置したまま、わたしは牢の鍵を閉める。ガチャンと錠が掛けられたのを確認すると、わたしは彼らに指示した方向とは違う方向へとさっさと足を進めようとする。

「お、おい! そっちは裏じゃないだろ、おまえはどうするんだよっ」

「僕はまだここでやることがある」

 ずっと隣にいた男の子に呼び止められたので、そうとだけ答える。するとせめて名前を、と言われたので、わたしは立ち止まって子どもたちを振り返った。ため息をつきつつ。



「――僕はユリウス。でももう会うことはないかと思うから、忘れていいよ。どうか元気で」





 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

虜囚の王女は言葉が通じぬ元敵国の騎士団長に嫁ぐ

あねもね
恋愛
グランテーレ国の第一王女、クリスタルは公に姿を見せないことで様々な噂が飛び交っていた。 その王女が和平のため、元敵国の騎士団長レイヴァンの元へ嫁ぐことになる。 敗戦国の宿命か、葬列かと見紛うくらいの重々しさの中、民に見守られながら到着した先は、言葉が通じない国だった。 言葉と文化、思いの違いで互いに戸惑いながらも交流を深めていく。

悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!

ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」 特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18) 最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。 そしてカルミアの口が動く。 「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」 オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。 「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」 この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断罪後の気楽な隠居生活をぶち壊したのは誰です!〜ここが乙女ゲームの世界だったなんて聞いていない〜

白雲八鈴
恋愛
全ては勘違いから始まった。  私はこの国の王子の一人であるラートウィンクルム殿下の婚約者だった。だけどこれは政略的な婚約。私を大人たちが良いように使おうとして『白銀の聖女』なんて通り名まで与えられた。  けれど、所詮偽物。本物が現れた時に私は気付かされた。あれ?もしかしてこの世界は乙女ゲームの世界なのでは?  関わり合う事を避け、婚約者の王子様から「貴様との婚約は破棄だ!」というお言葉をいただきました。  竜の谷に追放された私が血だらけの鎧を拾い。未だに乙女ゲームの世界から抜け出せていないのではと内心モヤモヤと思いながら過ごして行くことから始まる物語。 『私の居場所を奪った聖女様、貴女は何がしたいの?国を滅ぼしたい?』 ❋王都スタンピード編完結。次回投稿までかなりの時間が開くため、一旦閉じます。完結表記ですが、王都編が完結したと捉えてもらえればありがたいです。 *乙女ゲーム要素は少ないです。どちらかと言うとファンタジー要素の方が強いです。 *表現が不適切なところがあるかもしれませんが、その事に対して推奨しているわけではありません。物語としての表現です。不快であればそのまま閉じてください。 *いつもどおり程々に誤字脱字はあると思います。確認はしておりますが、どうしても漏れてしまっています。 *他のサイトでは別のタイトル名で投稿しております。小説家になろう様では異世界恋愛部門で日間8位となる評価をいただきました。

お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました

蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。 家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。 アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。 閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。 養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。 ※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。

婚約破棄されたスナギツネ令嬢、実は呪いで醜くなっていただけでした

宮之みやこ
恋愛
細すぎる一重の目に、小さすぎる瞳の三百眼。あまりの目つきの悪さに、リュシエルが婚約者のハージェス王子に付けられたあだ名は『スナギツネ令嬢』だった。 「一族は皆美形なのにどうして私だけ?」 辛く思いながらも自分にできる努力をしようと頑張る中、ある日ついに公の場で婚約解消を言い渡されてしまう。どうやら、ハージェス王子は弟のクロード王子の婚約者であるモルガナ侯爵令嬢と「真実の愛」とやらに目覚めてしまったらしい。 (この人たち、本当に頭がおかしいんじゃないのかしら!?)

【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】

暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」 高らかに宣言された婚約破棄の言葉。 ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。 でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか? ********* 以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。 内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。

処理中です...