悪役令嬢はスパイに向いてない

雨音

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悪役令嬢が重要任務を課されるまで 4

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 ――さて、その日の放課後のことである。

 わたしは図書室で本を借りようとした時、ばったり兄と会った。



「お兄様」

「ユリアか。なんだか顔色が悪いけれど、どうかしたのかい」

 眉を寄せる兄は、わたしの顔を見るなりそう言った。……そんなにわかりやすかっただろうか。

 確かに、わたしは今日一日、落ち込んでいる様子のハンナに変に心配させないように、ずっと気を張っていた。そのせいで朝の疲れを放課後まで引きずってしまっていたのだ。

 切り替えの早いクルトはピンピンしていたようだが、生憎不器用なわたしはそうもいかない。全く、親族であるはずなのに叔父には程遠いな。

「今朝、何かあったらしいが……もしや原因はそれかな」

「え……お兄様、ご存知だったのですか」

「どうも殿下とレオナルドがピリピリしていたものだから。うまくごまかされたが、やはり何かあったわけか」

 兄は軽く肩を竦め、「何があった」と聞いてきた。

 一瞬の逡巡ののち、わたしは今日起こったことについて説明をすることにした。攻略対象が三人とも敵に回っている可能性が高い以上、兄くらいは味方とまではいかずとも、敵にはなってほしくない。

 かいつまんで朝起きたことを話すと、兄は難しい顔で深い溜息を吐いた。

「シャルロット・マグダリア嬢への嫌がらせ、か」

「ええ。まったくの事実無根ですわ。わたくしはそんなことをした覚えはございませんし、陰口さえも叩いておりません。誰かにそうせよと命じた覚えもございません。そもそも、シャルロットさんへの悪感情自体がありませんわ」

「そう」

 兄はやけにあっさりと頷いた。それが少し意外で、わたしは目を瞬かせる。

「……聞かないんですの? お兄様。本当にお前の仕業ではないのか、と」

「別にお前がやったとは思っていないよ。ハインツ殿下やレオナルドと仲が良いのは傍目に見ても明らかだから、彼女を目の敵にしている貴族令嬢は少なからずいる。その中の誰かだろう」

「お兄様……」

「ユリア様という方がおられるのにおこがましい、と勝手に動く者もいるようだが……それに関してはお前が責任を負う必要もないことだしね。気にかけてやるくらいはしているんだろう?」

 淡々と言った兄が、「全く、殿下にも困ったものだ」と眼鏡を押し上げる。

 わたしはそんな兄を、半ば呆然として見つめた。攻略対象キャラであるはずの彼が、あっさりとわたしのことを信じたのが、信じ難かった。

 そんなわたしの視線に気が付いたのだろう。兄が片眉を上げて「どうした?」と問うた。

「い、いえ。どうしてお兄様は、わたくしのことを信じて下さるのだろうか、と」

「どういう意味だ」

「殿下の物言いは業腹でしたけれど、わたくしがワガママでどうしようもない女だったのは事実でしょう。ですから……」

「『お前は変わった』と、私は以前にもそう言ったろう」俯くわたしに、兄は宥めるような声でそう言った。「人は変わる。ほんの些細なきっかけで。私がそうであったように」

「え……?」

 予想外の言葉に目を瞬かせると、兄は優しく微笑んだ。美しいが怜悧な印象を与える顔立ちに、今まで見たことがないような、花のごとき笑みが浮かぶ。

「私も少し変わったんだ。ずっと前から好いていた人と、ようやく婚約まで辿り着いた」

「こ、婚約なさったのですか! 存じ上げませんでしたわ、お相手は一体……」

「お前もよく知っている、リタだ。彼女は男爵家の娘だが、その父親が外交で手柄を立てて、伯爵に陞爵することになってね。ヴェッケンシュタインには家格が劣るが、伯爵の令嬢ならば、と父は彼女と婚約することに了承してくれた」

 ありがたいことだ、と兄は笑顔のまま続ける。

「だがここまで来るのは大変だった。リタはもう適齢期を過ぎている。けれど彼女はギリギリまでどこかへ嫁がず、肩身が狭いだろうにヴェッケンシュタインで行儀見習いの侍女のままでいてくれた。……それも、お前のおかげだそうだ」

「わたくしの……?」



「『お嬢様が、応援しますわよ、と言ってくれましたから』とリタは言っていた。お前の言葉がなければ、リタは早々に諦めて、他家に嫁いでいってしまっていただろう」



(り、)

 リタぁぁぁぁー! 本当に成就させていたとは! ナイスリタ! 素晴らしい! リタしか勝たん! やっぱりおまんが優勝!

 わたしは、心の中で踊り狂っていた。言った、確かに言いましたとも、応援しますわよと。

 しかしまさかその一言が、兄をわたしの味方へと引き入れていた原因になるとは。人生何があるかわからないな。あの図書室での一件も彼の心に引っかかっていたのかもしれないが、リタと五歳のわたししか勝たんでしょこれは。万歳三唱しちゃう。

「……それに、お前はもう、ハインツ殿下を好いてはいないだろう」

「エッ」

 反射的に声を上げると、兄は苦笑を零した。見ていればわかるよ、と。

「お前の気持ちはどこか、他へ向いている。私はそう思う」

「他へ……?」

 まあ確かに、わたしの全力は断罪イベント回避とネズミへ向いているけれども。

 わたしが首を傾げると、兄は「気にしなくていい」と言い――それから改めてこちらに向き直った。

「もし何か本当に困ったことがあれば、私に言え、ユリア。そうでなくても、殿下が暴走し、お前との婚約をどうにかしようとしたら……」

「したら?」

「狂気に囚われた王子様など、ユリアには釣り合わないと――そう父上に進言しておくよ」

 その言葉に、わたしは思わず「アハハハハッ」と、笑い声を上げてしまった。高笑いは高笑いでも、淑女らしくない高笑い。

「……よろしくお願いいたしますわ、お兄様」 

 わたしは笑いすぎで目に溜まった涙を拭うと、不敵な笑みを浮かべてそう言った。

 ……さて、自室に戻ったらさっそく手紙を書こう。もちろん、送る相手はいずれわたしのお義姉様になる方である。





 ――そうして、わたしは祝福の手紙を書いたのだが。

 期末テストも終わり、ウィンターホリデーを控えた時期。可愛らしい字でお礼やら日々のことなどがつづられた未来のお義姉様の手紙は、零課からの『報せ』と同じ日に届いた。

 わたしが定期的に読むことを、若い女性向けの雑誌。その雑誌によく似せられた『届け物』には、零課で使われる暗号が刻まれていた。





『緊急事態ニヨリ 以下ニ示ス日付ニ アジトヘ来ラレタシ』





 それはつまり、ボス――ライナス・ヴェッケンシュタインからの、招集命令であった。
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