理想を叶える魔法の本

炬燵ねる

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理想を叶える魔法の本

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 人気のない館内をふらついていたら、一冊の古びた本に目を奪われた。
「こんな本、あったか…?」
 手に取ってみると、どこか懐かしい匂いが香る。
 表紙には何の装飾もなく、ただただ重厚感のある革の表面があった。
 埃の積もったページをめくるたび、ぺりぺりと剥がれる音がする。
 きっと長い間、誰にも読まれていなかったのだろう。
「妙だな…」
 本を開き、好奇心から文字を追った。
 古いものの、読めないわけではない。
 最初の数ページは、ラノベの冒険譚のような内容だった。
 登場人物たちが異世界の王国を舞台に、魔法やモンスターとの戦いを繰り広げる話。
 どこかで聞いたような内容だなぁと思っていたら、だんだんと内容が奇妙なものへと変わっていった。
「うーん…」
 ページをめくりながら、俺は落ち着かない気持ちになる。
 何かがおかしい。けど、続きが気になって読む手が止められない。
 次のページ、また次のページと読んでいたら、急に文字が途切れた。
「あれ? ここからがいいところなのに!」
 捲る、捲る。白紙のページが続いていく。
 まさか、これで終わりなわけないよな?
 そして、とあるページでめくる手を止めた。「……どうゆうこと?」
 そこには、こう書かれていた。
「今回は君が”メイン”だよ。さぁ、こっちに来て」
 目の前の文字が突然、俺に語りかけてきた――かのように感じた。
 反射的に身を引いた俺は、持っていた本を取りこぼす。
 ――床に本が落ちると思った瞬間、突然、本がまばゆい光を発して突風が吹き荒れた。
「な、なんだこれ…⁉」
 身体が浮き上がり、空気が吸い込まれていくような感覚。周りの音が消え、心臓の鼓動だけがやけに耳に響いてくる。
 気がつくと、俺は本に吸い込まれるように、光の中へと引きずり込まれていた。



 どれくらいの時間がたったのだろう?
 意識はある、痛みはなかった。
 うるさいくらいの風の音も、いつの間にか消えている。
 俺は周囲の状況を確認したくて、恐る恐る、目を開け――。
「ここは…?」
 状況が飲み込めないまま、その光景に目を奪われた。
 目の前には、石造りの建物が立ち並び、中世のような街並みが広がっている。
 空を飛ぶ何か――いや、飛行船? も見えるし、道を歩く人々の服装も現代のものとは明らかに違っていた。
「へ? なに? …俺なんで、ここどこだ?」 
 信じられない現実が広がっている。
 何度も瞬きをして、目の前の景色が夢だということを確認しようとした。
 しかし、どう考えてもこれは。
「……夢じゃない?」
 夢にしては、ちょっとリアリティが過ぎる。「いったい、何が起こったんだ?」
 周囲を見回すが、何もわからない。
 ただ、目の前にあるのはライトノベルなんかでよく知っている異世界そのもの。
 その時、背後から声がした。

「ようこそ、異世界へ」
 ふり返ると、そこに立っていたのは、白いローブをまとったお姉さんだった。
 その人はにっこり微笑むと、俺を嘗め回すように全身を見て、ゆっくりと近づいてきた。
「君が選ばれし者……」
 その言葉に俺は言葉を失った。
 何を言われているのか全く理解できない。

「君は、とこの世界を救うために選ばれたんだ。どうか、私と一緒に旅に出て欲しい」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は頭の中がさらに真っ白になる。
 世界を救う?  一体、どういうこと?
 自分にはそんな力なんてない、ただの学生だ。「でも…俺はただ、本を読んでいただけで…」
 そう言葉を続けようとしたが、お姉さんは手を振って遮った。
「大丈夫。なにも心配することはない」
「ちょ、ちょっと⁉」
 その人はそう言って、無理やり俺の手を取り歩き始める。
 その足取りは軽快で、まるでこの世界に何の不安も感じていないようだった。
 その後ろを追いながら思い出す。
 ここが異世界で、もし俺がこの世界に転生――いや、『転移』していたのなら、お約束の展開として行き着く先は。
「もしかして、ギルドに向かってますか?」 
 俺の前を歩く、白ローブのお姉さんに訊いた。
 するとこちらを振り返り、またにっこりと笑顔を見せてくれた。
 やっぱりそうか。ラノベと一緒だ。
 もしかしたら、お姉さんは神様とか超越者的ななにかで、このあとチートやスキルを授けてくれる展開かもしれない。
 物欲過ぎるが、だんだんと、俺の中から不安がなくなっていく。
 知らない場所でひとりになって、これからどうなるのかと思ったけど、どうにかなりそうに、そう思っていた矢先。
「さぁ、時間だ。選ばれし者くん」
「え? もうギルドに着いたんで…す……え?」
 そんなお姉さんの言葉に反応して正面を向くと、巨大なモンスター――オークが立っていた。



 目の前に立ちふさがるそれは、まさに想像以上の大きさで、見るだけで圧倒されてしまうような存在だった。
「さあ、君の力を試す時だ」
「え? いや、ちょっとこれは――!」
 いつの間にか、お姉さんの姿が見当たらない。
 嵌められた! と気づいた時には遅かった。 
 俺はその場に立ち尽くし、モンスターと向き合っていた。
「うあ、ああぁああ!」
 後退していた、不安と恐怖が急速に込み上げてくる。
 手に力を込め、何かをしなければという思いに駆られたが。
「がはっ⁉」
 その時には、オークの巨大な腕が俺の体を容赦なく殴り飛ばしていた。
 視界が一瞬で赤く染まる。
 痛みを感じる暇もなく、体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。
「……ッ⁉」
 言葉もろくに出せず、視界がかすむ。
 全身を貫く痛みに意識の糸が切れそうになる。
 視界の端でオークの足が迫ってくるのをとらえた。
「たす、けて……」
 漏れた悲鳴が、頭の中で響き渡る。
 胸が押し潰されたかのような圧迫感。
 それと同時に、俺の意識は徐々に薄れていく。
 その時だ。俺の耳元に微かな声が届いた。
「……お姉さん?」
「はーい。ここにいますよー」
 その声は間違いなく、お姉さんの声だった。 眼だけで声のした方を見る。
 そこに白ローブのお姉さんが俺を見下ろすようにしゃがんで、じっと――まるで、品定めでもするかのように目をぎらつかせて微笑んでいた。
「なん、で?」
 俺は、お姉さん――その後ろで待機するように動かないオークを見て、疑問を口にした。
「ああ、これですか? よくできてると思いますよね? 私の自信作なんです」
 そう言って、お姉さんは俺好みの大きな胸ぷよんとさせて無邪気に笑う。
「君は今日の”メインディッシュ”ですからね。特別に教えて差し上げましょう」
 抵抗しようとしても、身体がしびれて動かない。
 俺はお姉さんが語ることに耳を傾ける。
 せめて、どうしてこんなことになってしまったのかを知りたかった。
「『ミミック』ってご存知ですか? 私、そのミミックなんです!」
 すごいでしょ! と言わんばかりに弾んだ声で話すお姉さん。
「どこが?」っと訊く体力も残されていない俺は、ただ意識が途切れないよう、お姉さんの話に意識を集中する。
「私も”異世界に転移”した時は驚きました。全然、違うんですね。君たちの世界って。まず宝箱がないんですもん! 餌を捕るのに、どれだけの思考錯誤を重ねたことか!」
「……」
「でも、一人食べてみたら、こちらの言語を分かるようになりまして。本を読んでみたんです。娯楽小説っていうんですか? 面白いですよね! 若くて、瑞々しい”餌”が勝手に寄ってくるなんて、なんと素晴らしい! これに擬態するきゃないと私、閃きました!」
 ……そんな、そんなのないだろ。
「けど、最近はめっきりと餌がかからなくて。ずっとお腹が空いて空いていたんです。ほら、見てください。満足に幻覚も作れなくって」
 お姉さんが白ローブを捲りあげる。
 そこには魅惑的なボディラインなどなく、ただ何もない空間があった。
 白ローブのなかは空っぽで、ローブから見えるところにだけ、手と足と頭があった。
「君が馬鹿で助かりました。あんな見え透いた美味しい話に食いつくなんて、こっちの世界の人ってほんと危機意識が足りないですよね。元の世界なら、もっと引き返せない所まで引き込んでからじゃないと逃げられてしまうんで――」 
 ああ、俺、ここで死ぬのか。
 今更になって、そんな実感が湧いてくる。
「それじゃ、もう我慢できませんし!」

――いただきます!

 お姉さんの嬉々とした声と人ひとり呑み込めそうなバカでかい口が迫る光景を最後に、俺はこの世界に飲み込まれた。



 数日後。
 図書館にあの古びた本が現れた。
 青年がその本に吸い込まれた瞬間を目撃した者たちが口々に語るなか、興味を引かれたのは一部の好奇心旺盛でオカルト好きな若者たちだった。
「本当に異世界に繋がってるのかな?」
「この本があれば、俺も異世界転生できる⁉」
 誰かが言ったその言葉に、「おぉ!」と周囲がざわめきたつ。
 青年が消えたあの瞬間から、図書館では異世界に行けるかもしれないという噂が広まり、気づけば多くの人々がその本を手に取ろうと集まっていた。
 だが、本に触れた者たちが全員帰ってくるわけではなかった。
 最初に吸い込まれた青年は帰ってこなかった。
 その後に続いた何人かの学生たちが運よく帰還を果たしたとき、彼らの顔には満ち足りた表情が浮かんでいたという。
「俺の理想が、あの世界にあった……俺はまた帰るって、すっげぇ美人なお姉さんとも約束してきたんだ!」
 その言葉が一度広まると、本を手にした誰もがその理想を求めて次々とページをめくるようになった。
 「異世界」への扉が開かれれば、理想が現実になると確信したからだ。
 ただ、すべての人間が帰ってきたわけではなかった。
 むしろ、戻らない者たちの方が多いくらいだ。
 だが、戻ってきた者たちが繰り返し言ったのは、「あそこには、自分の理想がすべてあった」ということだった。
 その本は、次第に「理想を叶えてくれる魔法の本」として都市伝説のように語られ、誰もがそれを手に取ることを夢見るようになる。

 だが、そんなある日。

「ここが異世界――異界に跳ばされたミミックの情報があった場所ですか」

 その呟きがあの図書館に響く。
 扉が開き、現れたのはショートカットに黒服の女性だった。
「……まったく。面倒な仕事を押し付けられたものです」
 彼女の冷たい眼差しとともに、世界はまた少しだけ変わり始める。

 停滞した物語の扉を前に、はじまりを告げる靴音だけが響いていた。
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