疾風の往く道

初音

文字の大きさ
9 / 37

悉乃の過去②

しおりを挟む
「もしかして、あのキヨさんというお友達ですか?」

 悉乃は頷いた。

「どうして。仲、良さそうだったのに」

 悉乃は、差し出された手拭で目頭を抑えた。
 その様子を、武雄は心配そうに見つめている。

「私が、どうしてあの時スリの男を捕まえられたかわかりますか?」

 武雄は首を横に振った。

「昔、自分でやっていたんです。スリ」

 えっ、と武雄は目を丸くした。無理もない。普通の反応だ。
 悉乃は、覚悟を決めた。というよりは、開き直った。
 この人に嫌われたところで、何も自分の損にはならない。
 どうせ、もともと二回しか会っていない人。縁もゆかりもないのだから。

「私、今は浅岡の家に引き取られて、女学校に通わせてもらっていますけど、元々花街で働く母の子だったんです。遊びに来た父との間に私を身ごもったというわけで。当然、父には家がありますから、私は母と二人で暮らしていました。でも、その母も病で亡くなって。私、人相書きだけは得意だったから、通りすがりの人の似顔絵を描いてお金をもらったり、歌舞伎役者の絵なんか描いて売ったりしていたんですけど。それだけじゃ足りなくて。スリをやっていました」

 武雄は、何を言うでもなく黙って話を聞いていた。悉乃はここまで来たら同じだ、とそのまま続けた。

「そんな生活を続けているうちに、とうとう捕まって警察のお世話になりました。皮肉ですけど、そこで父親が誰なのかわかったんです。父は、財界や政界に顔を広げたくて、そういう家の人と自分の子供を結婚させることに躍起になっているような人でした。だから、駒が多いに越したことはありませんでしょう。私は、浅岡の家に引き取られて、言葉遣いから所作振る舞いまで厳しく教育されました。高等女学校に入るには一つ年嵩だったのに、父の見栄のために特別に二年生から編入したんですのよ」

 武雄は、ぽかんとした様子で話を聞いていた。

「茂上さんの思うような、お嬢様なんかじゃありませんの。むしろ、川原の草のにおいも、茂上さんの汗のにおいすらも、なんだか懐かしかった」
「わあ、やっぱり臭かったですか?」

 今度は、悉乃が驚きにぽかんとする番だった。

「今の話全部聞いて、最初の感想がそれですか?」

 言いながら、だんだん可笑しくなってきて悉乃は思わず口元を緩めた。

「ああ、すみません。いや、苦労されたのですね。なんだか、僕なんかがあーだこーだ言えるようなことじゃなか……あれ? それが、お友達との喧嘩にどう関係あるんですか?」

 武雄はそこまで言うと、あっと腑に落ちたような顔をした。

「僕のせいですか? 僕のせいで、悉乃さん自身がスリをやっていたのが知れてしまったと……?」
「茂上さんのせいじゃありません。ただ、あの時私から事情を聴取した警官が、女学校の同級生のお父様で」

 それで今は、学校内でつまはじき者にされているのだと。悉乃はとうとうすべての経緯を武雄に話した。

「本当は、先週、偶然高師の寄宿舎の近くを通ったわけじゃないんです。なんとなく、誰か、学校と関係ない人と話したくなって。それでわざわざ茂上さんに会いに行ったなんて、ご迷惑ですよね。ごめんなさい。会ったばかりの方に、こんな重苦しい話」

 膝を抱え俯く悉乃に、武雄は「そんなことないです」と声をかけた。

「やっぱり、悉乃さんがそんな目に合ってしまったんは僕のせいです。申し訳ない。僕が、悉乃さんの話し相手になることで悉乃さんの気休めになるんなら、僕はいくらでも話、聞きます」
「そんな、謝らないでください。ありがとうございます。茂上さんは、私とは関わりたくないとか、思わないんですか?こんな、前科者の卑しい女……」
「そんな風に思うわけないでしょう。だって、悉乃さんがスリをやってて、あの時見つけてくれたから、僕は助かったんですよ。悉乃さんにどんな過去があろうと、僕にとっては恩人なのには変わりありません」
「茂上さん……」

 悉乃の目から、また涙が溢れてきた。
 スリをやっていてよかった、などと言えるはずはないけれど、変えられない自分の苦い過去が少しだけ救われた気がしたのだ。

「悉乃さん。そのお友達にも話してみたらどうですか。今の悉乃さんのことをちゃんと知っとるお友達でしょう。僕は、大丈夫だと思いますよ」

 目を拭っていた手ぬぐいを顔から離した悉乃と武雄の目が合った。

「万が一、悪い方に転がったら、またこうやって気分転換したらいいんです。僕はいくらでも付き合いますから」

 悉乃は何も言わず微笑んだ。
 不思議と、大丈夫だ、とそんな気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

処理中です...