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窮地①
しおりを挟む夏休みが、近づいていた。
周りの生徒たちの態度は依然として冷ややかだったが、この頃になると露骨に貼り紙をされるようないじめは鳴りを潜めていた。
「貼られても貼られても剥がして捨てましたもの。倉橋さんとの根比べに勝ちましたわ」
悉乃は得意気に言ってのけた。キヨも嬉しそうに微笑んだ。が、少し何かを言い淀むような顔をしていた。
「あら、キヨさんどうしたの?」
「悉乃さん、あのね、言いにくいのだけど。もちろん、悉乃さんは立派に戦いましたわ。でも、倉橋さんが大人しくなったのには別の理由もあると思うの……」
「別の理由?」
「結婚よ」
「まあっ!」
やっぱり知らなかったんですのね、とキヨは説明してくれた。
「どうも、警察官の息子さんのところに嫁ぐみたいなんですの。その人のおじい様が、戊辰の戦で会津から落ち延びてきて警察官になった、っていう経歴の持ち主だそうだわ」
「はあ、相変わらずこだわるんですのね」
未だに旧幕府側とか、新政府側とか、いがみ合う気持ちもわからないではないが、そんなのはせいぜい子供の代までにしてほしい。孫世代には関係ないのに。そんなことを思ってしまう悉乃だった。
夏休みの間に結婚し、秋からは学校に来ないという女生徒は倉橋だけではなかった。ざっとクラスの三割から四割が、結婚もしくはお見合いの予定が入っているという。キヨも、すでに二件のお見合いが組まれているらしい。
「最後に決めるのはお父様ですけれどね」
キヨは柔らかな笑みを浮かべてそう言った。
「どんな風だったか、教えてね。どちらか迷ったら私に相談なさって」
未だ縁談のえの字もない悉乃は、キヨを応援しようとそう言った。
「ありがとう、悉乃さん。悉乃さんにも、いいご縁が来るといいわね」
夏休みは、帰省するもよし、寄宿舎に残るもよし、とされていたので、悉乃は迷わず残る方を選んだ。
残る生徒は少ない。寄宿舎を一人占めしてのんびりしよう、などと悉乃は考えていた。
が、そうは問屋が卸さなかった。
明日から夏休み、と生徒たちが浮き足立つ中、事件は起こった。
終業式を終え、そのまま帰る者、寄宿舎の食堂で昼食を取ろうとする者、三々五々下校しようとしていたところだった。
悉乃は、職員室に呼ばれた。
職員室の隅には、簡単な応接スペースがあったが、そこに座る人物を見て悉乃は青ざめた。
「お父様……」
座っていたのは父・文信《ふみのぶ》だった。確か、洋行に出ていてあとひと月は帰らない予定だったはずだ。
「悉乃!」
文信は鬼の形相で立ち上がり、ツカツカと悉乃に歩み寄った。
「なんてことをしてくれたんだ! せっかく縁談が決まりかけていたのに、お前が余計なことをしてくれたおかげですべて台無しだ!」
要するに、「悉乃は元スリ犯である」という話は学校内に留まらず、文信が水面下で話を進めていた悉乃の見合い相手の耳にも入ったらしい。そのことが電報で伝えられ、文信は早めに帰国したというらしいのだ。
まあまあお父様、となだめに入った教員を無視し、文信は怒り狂った様子で悉乃にまくし立てた。
「まったく、何のためにお前を引き取って教育してきたと思ってるんだ」
「お父様、ごめんなさい。でも、私、掏られそうになっている人を助けたんですのよ」
「そんなことはどうでもいい。おかげでお前が前科者だと知れてしまったではないか」
「お父様、どうでもいいだなんて……!」
「どうでもいいとは随分ですなあ!」
父娘の会話に突如割って入ってきた声があった。
この声の主を、悉乃はよく知っている。
振り返ると、職員室の入り口に武雄が立っていた。
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