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写真の裏側④
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一瞬、時が止まったかのように、武雄以外の全員が息をするのも忘れた。使用人たちは、武雄を押さえる手を離してしまった。
「ど、どういうことだ!」
文信が青筋を立てて武雄に詰め寄った。武雄は、落ちついた様子で淡々と説明した。
「三田秀成は僕のはとこです。そもそもこの縁談は、悉乃さんのことを秀成が帰省の時に話して、それが親戚の三田宗助の耳に入って、宗助おじさんが秀成と悉乃さんを夫婦養子にする縁談話を思いついたというのが発端だそうです」
「なんだと……しかし、そうか……だから、三田さんは悉乃にどのような過去があろうとも構いません、と。だが……こんなことが……」
文信は動揺しつつも武雄に続きを話せと促した。
「秀成が、どうせなら僕の方が悉乃さんとよく交流があったことだし、気楽に結婚できるのではないかと言い出しまして。おじさんにとっては別に僕でも秀成でもいいだろうから、交換してもらおう、と。最初は、そんな突拍子もないこと、無理だと思いました。けれど……」
武雄は顔を赤らめ照れ臭そうに声を低めた。自由になった両手をもじもじと動かしている。
「秀成と悉乃さんの結婚を見届けるなんて、その方が、僕にとってはもっと無理なことだと思いました! だから、宗助おじさんにお願いしました!」
文信は、驚きのあまり文字通りにあいた口が塞がらないといった様子だ。武雄は話を続けた。
「おじさんは僕たちの話をよく聞いてくれました。とはいっても、やはり学校の成績がいいのは秀成の方ですから、三田の跡取りに相応しいのは秀成です。けれど、僕がオリンピック代表選手になるのであれば、そういう何か特徴のある人間の方が、日本でも異国でも、交渉する時なんかに覚えてもらいやすいからと、僕の方を跡取りにとおじさんは約束してくれました。その時は、秀成も三田物産で雇ってもらえるということで、こちらとしては落着しました」
「な、なんてことだ……」
絞り出すように言った文信を差し置いて、悉乃は武雄の前に躍り出た。
「本当、なんですの? 武雄さん、私……」
「勝手に話を進めてしまって申し訳ありません。あ、もちろん、秀成の方がよければ僕は身を引きますが」
「謹んで、お受けいたします」
悉乃は、柔らかい笑みを浮かべて武雄を見つめた。このたった数分で、こんなにも大きく道筋が変わってしまうなんて。悉乃は未だに信じられなかった。
「ですから、選考会、必ず代表入りなさって」
「はいっ、がんばります!」
二人の間に流れるほんのり温かい空気をぶち壊すように、正気を取り戻した文信が割って入った。
「お、お前たち、何勝手なことを言ってるんだ。悉乃、こんなことが許せるか、破談だ破談!」
「まあお父様。こんないい縁談はないのだとおっしゃっていたではありませんか。三田物産の嫁になれば、浅岡家の事業もますます安泰だと。三田家の方ならどなたでもよいのでしょう? それなら、秀成さんでも武雄さんでもどちらでもいいはずですわ」
「そういう問題では……!」
「それじゃあお父さん、僕はこれで失礼します」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「悉乃さん、行きましょう」
「へ?」
驚いている悉乃の手を取って、武雄は走り出した。悉乃は慌てて袴の裾を絡げ、引っ張られるがままに走った。
「おい、待ちなさい!」
文信が二言三言叫んだが、その声は次第に聞こえなくなった。最初は、父の言いつけを破って屋敷の外へ出てしまった不安に襲われた悉乃だったが、やがて嬉しさと楽しさが勝った。
武雄と一緒に走っているのだ。初めて、自分の足で。ハッハッと息を弾ませ、風を切っている。さすがに武雄も手加減してくれているようで、悉乃の走りやすい速さで走ってくれている。こんな風に走れるなんて、今日は信じられないことの連続だ。
「ど、どういうことだ!」
文信が青筋を立てて武雄に詰め寄った。武雄は、落ちついた様子で淡々と説明した。
「三田秀成は僕のはとこです。そもそもこの縁談は、悉乃さんのことを秀成が帰省の時に話して、それが親戚の三田宗助の耳に入って、宗助おじさんが秀成と悉乃さんを夫婦養子にする縁談話を思いついたというのが発端だそうです」
「なんだと……しかし、そうか……だから、三田さんは悉乃にどのような過去があろうとも構いません、と。だが……こんなことが……」
文信は動揺しつつも武雄に続きを話せと促した。
「秀成が、どうせなら僕の方が悉乃さんとよく交流があったことだし、気楽に結婚できるのではないかと言い出しまして。おじさんにとっては別に僕でも秀成でもいいだろうから、交換してもらおう、と。最初は、そんな突拍子もないこと、無理だと思いました。けれど……」
武雄は顔を赤らめ照れ臭そうに声を低めた。自由になった両手をもじもじと動かしている。
「秀成と悉乃さんの結婚を見届けるなんて、その方が、僕にとってはもっと無理なことだと思いました! だから、宗助おじさんにお願いしました!」
文信は、驚きのあまり文字通りにあいた口が塞がらないといった様子だ。武雄は話を続けた。
「おじさんは僕たちの話をよく聞いてくれました。とはいっても、やはり学校の成績がいいのは秀成の方ですから、三田の跡取りに相応しいのは秀成です。けれど、僕がオリンピック代表選手になるのであれば、そういう何か特徴のある人間の方が、日本でも異国でも、交渉する時なんかに覚えてもらいやすいからと、僕の方を跡取りにとおじさんは約束してくれました。その時は、秀成も三田物産で雇ってもらえるということで、こちらとしては落着しました」
「な、なんてことだ……」
絞り出すように言った文信を差し置いて、悉乃は武雄の前に躍り出た。
「本当、なんですの? 武雄さん、私……」
「勝手に話を進めてしまって申し訳ありません。あ、もちろん、秀成の方がよければ僕は身を引きますが」
「謹んで、お受けいたします」
悉乃は、柔らかい笑みを浮かべて武雄を見つめた。このたった数分で、こんなにも大きく道筋が変わってしまうなんて。悉乃は未だに信じられなかった。
「ですから、選考会、必ず代表入りなさって」
「はいっ、がんばります!」
二人の間に流れるほんのり温かい空気をぶち壊すように、正気を取り戻した文信が割って入った。
「お、お前たち、何勝手なことを言ってるんだ。悉乃、こんなことが許せるか、破談だ破談!」
「まあお父様。こんないい縁談はないのだとおっしゃっていたではありませんか。三田物産の嫁になれば、浅岡家の事業もますます安泰だと。三田家の方ならどなたでもよいのでしょう? それなら、秀成さんでも武雄さんでもどちらでもいいはずですわ」
「そういう問題では……!」
「それじゃあお父さん、僕はこれで失礼します」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「悉乃さん、行きましょう」
「へ?」
驚いている悉乃の手を取って、武雄は走り出した。悉乃は慌てて袴の裾を絡げ、引っ張られるがままに走った。
「おい、待ちなさい!」
文信が二言三言叫んだが、その声は次第に聞こえなくなった。最初は、父の言いつけを破って屋敷の外へ出てしまった不安に襲われた悉乃だったが、やがて嬉しさと楽しさが勝った。
武雄と一緒に走っているのだ。初めて、自分の足で。ハッハッと息を弾ませ、風を切っている。さすがに武雄も手加減してくれているようで、悉乃の走りやすい速さで走ってくれている。こんな風に走れるなんて、今日は信じられないことの連続だ。
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