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変化
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翌朝。
「ウィリアム、今日は私が朝食を作るわ」
コーデリアが宣言すると、ウィリアムは一瞬だけ目を見開いた。
「……お嬢様が、料理を?」
「何か文句があるの?」
「いいえ、とんでもない」
「お嬢様が、料理に挑戦されるとは。素晴らしいことです」
「……からかってるの?」
「いいえ。心から、そう思います」
――今まで一度も台所に入ったことないのに。
「大丈夫よ。セシリアとエリーから料理の本を借りてきたの」
コーデリアは台所のテーブルを指差した。そこには、何冊もの料理本が積み重ねられている。
「借りられるだけ全部借りてきたわ。大丈夫、全部読んだから」
「全て……ですか」
「読み書きだけは得意なのよ」
コーデリアが胸を張る。ウィリアムは料理本の山を見て、一瞬だけ困ったような顔をした。でも、すぐに微笑む。
「では、お手伝いを……」
「一人でやるわ!」
強く言うと、ウィリアムは静かに頷いた。
――これは、私の戦いなの。
「……かしこまりました。ですが、お嬢様」
「何?」
「もし、何かございましたら、すぐにお呼びください。私は、すぐそばにおります」
ウィリアムの声が、優しく響く。その目は、悲しげではなく、温かかった。
*
台所でコーデリアは、自分で書き写したメモを見つめていた。何冊もの料理本から、一番簡単そうなレシピを選んで、丁寧に書き写したもの。
背後では、ウィリアムが心配そうに寄り添っている。
『スクランブルエッグの作り方
1. 卵を割る
2. 塩を少々
3. バターで焼く』
――簡単じゃないの。やることは三つだけ。読むのは得意なんだから。
卵を手に取りテーブルに叩きつける。
ガシャン。黄身が、床に飛び散った。
「……」
「大丈夫です、お嬢様」
すぐ背後から、ウィリアムの優しい声が聞こえた。
「最初は、誰でもそうなります。私も、何度も床を汚しました」
すぐ後ろからウィリアムの声が耳元にかかった。
しかし、コーデリアはそれどころではない。
もう一個。今度は慎重に。ボウルに――入った!
「お見事です、お嬢様」
「……まだ、途中よ」
塩を手に取る。少々って、どれくらい?慎重に振りかける。フライパンにバターを落として、火をつける。強火?弱火?……強い方が早いわよね。
バターが、激しく跳ねる。
「きゃっ!」
卵を流し込むと、ジュワッという音とともに、白い煙がもくもくと上がる。
「え? え? どうして!?」
「お嬢様、火を弱めてください」
ウィリアムの声が、耳元で聞こえる。さっきより、近い。手が伸びてきて、二人の手が重なった。コーデリアは料理に必死で、それどころではない。
慌てて混ぜるが、卵はフライパンにこびりつき、焦げた匂いが部屋中に広がる。
一緒に、火加減を調整する。
「お嬢様、大丈夫です。落ち着いて火を消しましょう」
「……分かってるわ」
火を消すと、煙がゆっくりと消えていく。沈黙。
やめろとか、危ないとか、そんな言葉を言われないかとコーデリアは焦っている。
しかし、ウィリアムは何も言わなかった。
コーデリアは、新しい卵を手に取る。
「今度こそ」
背後から、ウィリアムの静かな気配を感じる。その温かさが、心を落ち着かせた。卵を割ると、今度は綺麗にボウルに落ちた。
「お見事です、お嬢様」
塩を、慎重に振りかける。少しだけ、本当に少しだけ。
「その塩加減、完璧です」
ウィリアムの声が、すぐ近くで聞こえる。フライパンにバターを落として、火をつける。今度は弱火。バターがゆっくりと溶けていく様子を、じっと見つめた。
「火加減も、申し分ありません。お嬢様は、本当に飲み込みが早い」
卵を流し込むと、ジュワッという優しい音が響く。木べらで混ぜると、卵がふわふわと膨らんでいく。
「……できた」
「とても良い香りですね。私の作るものより、ずっと美味しそうです」
ウィリアムの声が、耳元で囁くように響く。
コーデリアは小声で呟いて、皿に盛る。黄色い、ふわふわの卵。振り返ると――ウィリアムが、すぐそこにいた。真後ろに。
「お見事です、お嬢様」
「でも、1回目は失敗したから……」
テーブルの上にはもうひとつ、少々焦げた料理が乗った皿。
「焦げたのは、私が食べるわ。ウィリアムにはこれを」
「いいえ、お嬢様」
「私は、一回目のをいただきます。お嬢様が最初に作られたもの。それが、一番大切です」
ウィリアムの目が、優しい。
「……変なの」
ウィリアムは、いつもこうだ。コーデリアが何を言っても、どんなに強がっても、ずっとそばにいてくれる。
*
「お待たせ、ウィリアム」
コーデリアが皿を置くと、ウィリアムは静かにそれを見つめた。ダイニングテーブルに置かれた、黒い何か。沈黙が流れる。
「……スクランブルエッグよ」
「お嬢様の、初めての料理ですね」
「……文句があるの?」
「いいえ、とんでもない。お嬢様の初めての料理を、私がいただけるとは。こんなに光栄なことはありません」
ウィリアムはフォークを手に取って、丁寧に一口運ぶ。
「いただきます」
口に入れる。一瞬、顔が――ほんの一瞬だけ――歪んだ。でも、すぐに笑顔に戻る。
「……どう?」
「美味しいです。お嬢様が、私のことを想って作ってくださった。その気持ちが、何よりも嬉しい」
――嘘。絶対嘘。
「本当に?」
「はい。料理は、心を込めて作るもの。お嬢様の心は、確かに伝わりました」
ウィリアムはもう一口食べる。また一口、そしてまた一口。顔色一つ変えずに、黙々と食べ続ける。フォークが皿に触れる、小さな音だけが響く。コーデリアはその様子を見つめていた。この人、全部食べるつもりなのだろうか。
自分も一口食べてみると――しょっぱい。焦げている。殻が、口の中でジャリッと音を立てた。
「待って!」
コーデリアが叫ぶと、ウィリアムはフォークを止めた。
「お嬢様?」
「……食べないで。不味いわよね……」
小声で言って、俯く。ウィリアムは静かにフォークを置いて、優しく微笑んだ。
「お嬢様。顔を上げてください」
「……でも」
「お願いします」
コーデリアが顔を上げると、ウィリアムの目が優しく微笑んでいた。
「お嬢様は、今日初めて台所に立たれたのですよね」
「……そうよ」
「それなのに、ここまで形になっている。本当に、素晴らしいことです」
「でも……」
「私も、最初は失敗ばかりでした。卵を焦がして、塩を入れすぎて、何度も何度も失敗しました」
「……ウィリアムが?」
「はい。ですが、諦めずに続けたから、今があります。お嬢様も、必ずできます」
ウィリアムが、そっと手を伸ばす。
「私が、そばでお手伝いいたします。次は、もっと上手くいきます。私が保証します」
この人は、いつもこうだ。私がどんなに失敗しても、どんなにわがままを言っても、いつも優しく微笑んでくれる。いつも、そばにいてくれる。胸が、熱くなる。
「……ありが……」
言いかけて、止まる。やっぱり恥ずかしい。言えない。
「お嬢様?」
「何でもないわ!」
慌てて立ち上がって、失敗作の皿を掴んで台所へ逃げる。
――馬鹿! せっかくのチャンスだったのに!
背後から、ウィリアムの優しい笑い声が聞こえた。
*
台所。
コーデリアは、台所の隅に置いた皿を見つめていた。黄色い、ふわふわの卵。2回目の、成功作。
――私が、作ったの。
フォークを手に取って、一口食べてみる。
――美味しい。
少し塩が多いけど、ちゃんと卵の味がする。
――できた。
胸が、温かくなる。
「お嬢様」
ウィリアムの声が聞こえた。振り返ると、ウィリアムが台所の入口に立っている。
「……何?」
「お嬢様が作られた料理。本当に、美味しかったです」
「……嘘ばっかり。不味かったでしょう」
「いいえ。お嬢様の心が、込められていました。それが、何よりも美味しかったのです」
その言葉に、胸が熱くなる。
「……ありが……」
言いかけて、止まる。やっぱり恥ずかしい。言えない。
「お嬢様?」
「何でもないわ! 次は、もっと美味しく作るんだから!」
慌てて顔を背ける。背後から、ウィリアムの優しい笑い声が聞こえた。そして、小さく囁くような声が。
「お嬢様。あなたは、本当に素晴らしい」
*
その夜、ベッドの中。
コーデリアは天井を見つめていた。月明かりが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
――今日、『ありがとう』を言えなかった。また、恥ずかしくて。
枕を抱きしめると、柔らかな感触が心を落ち着かせる。でも、少しは成長した?料理が、できるようになった。ウィリアムと、一緒に。心が、温かい。
――そういえば。
今日の料理のこと。ウィリアムの声が、すぐ背後から聞こえていた。耳元で、囁くように。「お見事です、お嬢様」「その塩加減、完璧です」「とても良い香りですね」。あの時、ウィリアムはどこにいた?
――背後に、気配を感じていた。
――手が、重なった。
でも、料理に必死で、振り返らなかった。一緒に、火加減を調整した。「こう、ですか?」「はい、完璧です」。
――あれ?
コーデリアは、ベッドの中で固まった。
――ウィル、すごく近かったんじゃ……?
振り返った時、すぐそこにいた。真後ろに。こんなに、近くに?顔が、熱くなる。
「……馬鹿」
小声で呟いて、枕に顔を埋めた。今頃、気づくなんて。でも、心臓が、早く打っている。ウィリアムの、手。ウィリアムの、声。ウィリアムの、温かさ。あの距離。あの近さ。枕の中で、顔が熱い。
――料理に必死で、何も気づかなかった。でも、ウィルは、ずっとそばにいてくれた。真後ろで、見守っていてくれた。
もっと、成長したい。ウィルに、認めてもらいたい。そして……出ていかないでほしい。
「ウィル……」
小声で呼ぶと、その名前が、夜の静けさに溶けていく。でも、届かない。
――明日も、頑張ろう。明日こそ、『ありがとう』を言おう。そして、もっとウィルのことを……
そう思いながら、コーデリアは眠りに落ちた。心臓は、まだ早く打っている。
*
同じ夜。
ウィリアムは、自室で手紙を見つめていた。マグナス公爵家からの書状。
『返答期限:本状到着より一週間以内』
手紙が届いてから、今日でちょうど一週間。
――今夜。今夜、ノーウッド様に返事をしなければ。
ウィリアムは静かに目を閉じた。
「ウィリアム、今日は私が朝食を作るわ」
コーデリアが宣言すると、ウィリアムは一瞬だけ目を見開いた。
「……お嬢様が、料理を?」
「何か文句があるの?」
「いいえ、とんでもない」
「お嬢様が、料理に挑戦されるとは。素晴らしいことです」
「……からかってるの?」
「いいえ。心から、そう思います」
――今まで一度も台所に入ったことないのに。
「大丈夫よ。セシリアとエリーから料理の本を借りてきたの」
コーデリアは台所のテーブルを指差した。そこには、何冊もの料理本が積み重ねられている。
「借りられるだけ全部借りてきたわ。大丈夫、全部読んだから」
「全て……ですか」
「読み書きだけは得意なのよ」
コーデリアが胸を張る。ウィリアムは料理本の山を見て、一瞬だけ困ったような顔をした。でも、すぐに微笑む。
「では、お手伝いを……」
「一人でやるわ!」
強く言うと、ウィリアムは静かに頷いた。
――これは、私の戦いなの。
「……かしこまりました。ですが、お嬢様」
「何?」
「もし、何かございましたら、すぐにお呼びください。私は、すぐそばにおります」
ウィリアムの声が、優しく響く。その目は、悲しげではなく、温かかった。
*
台所でコーデリアは、自分で書き写したメモを見つめていた。何冊もの料理本から、一番簡単そうなレシピを選んで、丁寧に書き写したもの。
背後では、ウィリアムが心配そうに寄り添っている。
『スクランブルエッグの作り方
1. 卵を割る
2. 塩を少々
3. バターで焼く』
――簡単じゃないの。やることは三つだけ。読むのは得意なんだから。
卵を手に取りテーブルに叩きつける。
ガシャン。黄身が、床に飛び散った。
「……」
「大丈夫です、お嬢様」
すぐ背後から、ウィリアムの優しい声が聞こえた。
「最初は、誰でもそうなります。私も、何度も床を汚しました」
すぐ後ろからウィリアムの声が耳元にかかった。
しかし、コーデリアはそれどころではない。
もう一個。今度は慎重に。ボウルに――入った!
「お見事です、お嬢様」
「……まだ、途中よ」
塩を手に取る。少々って、どれくらい?慎重に振りかける。フライパンにバターを落として、火をつける。強火?弱火?……強い方が早いわよね。
バターが、激しく跳ねる。
「きゃっ!」
卵を流し込むと、ジュワッという音とともに、白い煙がもくもくと上がる。
「え? え? どうして!?」
「お嬢様、火を弱めてください」
ウィリアムの声が、耳元で聞こえる。さっきより、近い。手が伸びてきて、二人の手が重なった。コーデリアは料理に必死で、それどころではない。
慌てて混ぜるが、卵はフライパンにこびりつき、焦げた匂いが部屋中に広がる。
一緒に、火加減を調整する。
「お嬢様、大丈夫です。落ち着いて火を消しましょう」
「……分かってるわ」
火を消すと、煙がゆっくりと消えていく。沈黙。
やめろとか、危ないとか、そんな言葉を言われないかとコーデリアは焦っている。
しかし、ウィリアムは何も言わなかった。
コーデリアは、新しい卵を手に取る。
「今度こそ」
背後から、ウィリアムの静かな気配を感じる。その温かさが、心を落ち着かせた。卵を割ると、今度は綺麗にボウルに落ちた。
「お見事です、お嬢様」
塩を、慎重に振りかける。少しだけ、本当に少しだけ。
「その塩加減、完璧です」
ウィリアムの声が、すぐ近くで聞こえる。フライパンにバターを落として、火をつける。今度は弱火。バターがゆっくりと溶けていく様子を、じっと見つめた。
「火加減も、申し分ありません。お嬢様は、本当に飲み込みが早い」
卵を流し込むと、ジュワッという優しい音が響く。木べらで混ぜると、卵がふわふわと膨らんでいく。
「……できた」
「とても良い香りですね。私の作るものより、ずっと美味しそうです」
ウィリアムの声が、耳元で囁くように響く。
コーデリアは小声で呟いて、皿に盛る。黄色い、ふわふわの卵。振り返ると――ウィリアムが、すぐそこにいた。真後ろに。
「お見事です、お嬢様」
「でも、1回目は失敗したから……」
テーブルの上にはもうひとつ、少々焦げた料理が乗った皿。
「焦げたのは、私が食べるわ。ウィリアムにはこれを」
「いいえ、お嬢様」
「私は、一回目のをいただきます。お嬢様が最初に作られたもの。それが、一番大切です」
ウィリアムの目が、優しい。
「……変なの」
ウィリアムは、いつもこうだ。コーデリアが何を言っても、どんなに強がっても、ずっとそばにいてくれる。
*
「お待たせ、ウィリアム」
コーデリアが皿を置くと、ウィリアムは静かにそれを見つめた。ダイニングテーブルに置かれた、黒い何か。沈黙が流れる。
「……スクランブルエッグよ」
「お嬢様の、初めての料理ですね」
「……文句があるの?」
「いいえ、とんでもない。お嬢様の初めての料理を、私がいただけるとは。こんなに光栄なことはありません」
ウィリアムはフォークを手に取って、丁寧に一口運ぶ。
「いただきます」
口に入れる。一瞬、顔が――ほんの一瞬だけ――歪んだ。でも、すぐに笑顔に戻る。
「……どう?」
「美味しいです。お嬢様が、私のことを想って作ってくださった。その気持ちが、何よりも嬉しい」
――嘘。絶対嘘。
「本当に?」
「はい。料理は、心を込めて作るもの。お嬢様の心は、確かに伝わりました」
ウィリアムはもう一口食べる。また一口、そしてまた一口。顔色一つ変えずに、黙々と食べ続ける。フォークが皿に触れる、小さな音だけが響く。コーデリアはその様子を見つめていた。この人、全部食べるつもりなのだろうか。
自分も一口食べてみると――しょっぱい。焦げている。殻が、口の中でジャリッと音を立てた。
「待って!」
コーデリアが叫ぶと、ウィリアムはフォークを止めた。
「お嬢様?」
「……食べないで。不味いわよね……」
小声で言って、俯く。ウィリアムは静かにフォークを置いて、優しく微笑んだ。
「お嬢様。顔を上げてください」
「……でも」
「お願いします」
コーデリアが顔を上げると、ウィリアムの目が優しく微笑んでいた。
「お嬢様は、今日初めて台所に立たれたのですよね」
「……そうよ」
「それなのに、ここまで形になっている。本当に、素晴らしいことです」
「でも……」
「私も、最初は失敗ばかりでした。卵を焦がして、塩を入れすぎて、何度も何度も失敗しました」
「……ウィリアムが?」
「はい。ですが、諦めずに続けたから、今があります。お嬢様も、必ずできます」
ウィリアムが、そっと手を伸ばす。
「私が、そばでお手伝いいたします。次は、もっと上手くいきます。私が保証します」
この人は、いつもこうだ。私がどんなに失敗しても、どんなにわがままを言っても、いつも優しく微笑んでくれる。いつも、そばにいてくれる。胸が、熱くなる。
「……ありが……」
言いかけて、止まる。やっぱり恥ずかしい。言えない。
「お嬢様?」
「何でもないわ!」
慌てて立ち上がって、失敗作の皿を掴んで台所へ逃げる。
――馬鹿! せっかくのチャンスだったのに!
背後から、ウィリアムの優しい笑い声が聞こえた。
*
台所。
コーデリアは、台所の隅に置いた皿を見つめていた。黄色い、ふわふわの卵。2回目の、成功作。
――私が、作ったの。
フォークを手に取って、一口食べてみる。
――美味しい。
少し塩が多いけど、ちゃんと卵の味がする。
――できた。
胸が、温かくなる。
「お嬢様」
ウィリアムの声が聞こえた。振り返ると、ウィリアムが台所の入口に立っている。
「……何?」
「お嬢様が作られた料理。本当に、美味しかったです」
「……嘘ばっかり。不味かったでしょう」
「いいえ。お嬢様の心が、込められていました。それが、何よりも美味しかったのです」
その言葉に、胸が熱くなる。
「……ありが……」
言いかけて、止まる。やっぱり恥ずかしい。言えない。
「お嬢様?」
「何でもないわ! 次は、もっと美味しく作るんだから!」
慌てて顔を背ける。背後から、ウィリアムの優しい笑い声が聞こえた。そして、小さく囁くような声が。
「お嬢様。あなたは、本当に素晴らしい」
*
その夜、ベッドの中。
コーデリアは天井を見つめていた。月明かりが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
――今日、『ありがとう』を言えなかった。また、恥ずかしくて。
枕を抱きしめると、柔らかな感触が心を落ち着かせる。でも、少しは成長した?料理が、できるようになった。ウィリアムと、一緒に。心が、温かい。
――そういえば。
今日の料理のこと。ウィリアムの声が、すぐ背後から聞こえていた。耳元で、囁くように。「お見事です、お嬢様」「その塩加減、完璧です」「とても良い香りですね」。あの時、ウィリアムはどこにいた?
――背後に、気配を感じていた。
――手が、重なった。
でも、料理に必死で、振り返らなかった。一緒に、火加減を調整した。「こう、ですか?」「はい、完璧です」。
――あれ?
コーデリアは、ベッドの中で固まった。
――ウィル、すごく近かったんじゃ……?
振り返った時、すぐそこにいた。真後ろに。こんなに、近くに?顔が、熱くなる。
「……馬鹿」
小声で呟いて、枕に顔を埋めた。今頃、気づくなんて。でも、心臓が、早く打っている。ウィリアムの、手。ウィリアムの、声。ウィリアムの、温かさ。あの距離。あの近さ。枕の中で、顔が熱い。
――料理に必死で、何も気づかなかった。でも、ウィルは、ずっとそばにいてくれた。真後ろで、見守っていてくれた。
もっと、成長したい。ウィルに、認めてもらいたい。そして……出ていかないでほしい。
「ウィル……」
小声で呼ぶと、その名前が、夜の静けさに溶けていく。でも、届かない。
――明日も、頑張ろう。明日こそ、『ありがとう』を言おう。そして、もっとウィルのことを……
そう思いながら、コーデリアは眠りに落ちた。心臓は、まだ早く打っている。
*
同じ夜。
ウィリアムは、自室で手紙を見つめていた。マグナス公爵家からの書状。
『返答期限:本状到着より一週間以内』
手紙が届いてから、今日でちょうど一週間。
――今夜。今夜、ノーウッド様に返事をしなければ。
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