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4 貴様は殺す
日が暮れ、王宮の回廊に灯りが入り始めた頃。
ようやく食堂の後片付けが終わり、私はリリアと並んで宿舎へ向かっていた。
石造りの回廊に靴音が静かに響く。
昼間は騒がしかった王宮も、この時間帯になると人影はまばらで、どこかひんやりとした静けさが漂っている。
「今日も疲れたね」
「ほんとくたくた。明日は明日でスープの仕込みが多い日だし、早く休みたいな」
そんな他愛もない会話をしていた、そのときだった。
ぶひぃ、ぶもぉ。
風に紛れて、かすかに家畜の鳴き声が聞こえた。それもいつもの穏やかな鳴き方とは違う。落ち着きがなくて、どこか荒れているような気がする。
「ねえ、今の鳴き方、ちょっといつもと違う感じしなかった?」リリアが足を止めた。
「そうかな?」
違和感はあったけど早く帰りたい私は、気付かないフリをしていた。
「いつもあんな鳴き方しないよ。ちょっと様子見てこない?」
「もう暗いし、明日でもいいんじゃない?」
「でも、もし家畜たちに何かあったら献立にも影響でるんじゃない?」
そう言われてしまえば、それ以上は言えない。
王宮内で飼育されている家畜たちは城を敵軍に包囲されたときの非常食の役割も兼ねているらしい、いわば生命線だ。
私は小さくため息をついて頷いた。
「……分かった。すぐ見て、なにも異常がなかったらすぐ戻ろうね」
私たちは二人で家畜小屋へ向かった。
藁と獣の匂いが混じる空気の中、リリアは慣れた様子で家畜小屋の柵で仕切られた飼育スペースの中を覗き込んでいく。
豚たちは落ち着きを取り戻しているようだけど、一体なんだったんだろう?
「大丈夫そうだけど……、あれ?」
リリアの視線が暗闇に向けられた次の瞬間だった。暗闇の中から伸びてきた太い腕が、リリアの手首をがっちりと掴み、あっという間に羽交い絞めにした。
「――っ!?」
声にならない悲鳴。リリアの喉元に鈍く光る刃が当てられる。
「動くな。動いたら、こいつを殺す」
低く、湿った声が私に告げる。
暗闇から姿を現した黒ずくめの男がリリアを盾にして立っていた。
頭が、真っ白になる。
「声を出しても殺す。いいな」
私に向けられた男の視線に血の気が引いて全身が硬直する。
「おい、黒髪の女。こいつの両手をこのロープで縛れ」
男はロープの束を私の足元に投げた。
「……っ」
身体が震えて上手く動かない。
逆らえばリリアが……。
私は歯を食いしばり、言われた通りにロープを取った。震える手でリリアの両手首を縛っていく。
涙を浮かべたリリアが必死に私を見る。助けて、と声にならない声で。
彼女が怯える様子を楽しむかのように、男は満足そうに舌なめずりをした。
「まさかこの俺様が使用人ごときに見つかるとは思わなかったぜ。さてさて、ただ殺しちまうにはもったいねぇな……。お前、服を脱げ」
「え……?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「じょ、冗談ですよね?」
「冗談なわけあるか、早くしろ!」
怒鳴り声に肩が跳ねる。
「ひっ……」
恐怖に押されるようにシャツの裾に指をかけた私の視界が涙で滲んでいく。
「……いや、待て」
男がじろじろと私とリリアを見比べる。
「よく見たら、こっちの女の方が若いな。お前はそこで大人しくしてろ」
はあ!?
思わず声が出そうになるのを私は必死で堪えた。そして男の手がリリアの胸を鷲掴みにしようとした、正に次の瞬間だった。
ガタン!
飼育スペースを囲っていた柵が勢いよく開き、「ぶひぃぃぃ!」と声を上げながら豚たちが一斉に飛び出してきた。彼らは縦横無尽に家畜小屋の中を走り回る。
藁と埃が舞って不明瞭になった視界の中で、「なんだ!?」と男が声を上げた。
風を切る音とともに一人の衛士が現れた。剣が閃き、男の腕が弾かれる。同時にリリアの腕を掴んで引き寄せると彼女の背中を押して私の方に突き飛ばした。そして流れるような動きで男を地面に叩き伏せてしまう。
「――っ!」
何が起きたのか理解する前に、すべてが終わっていた。
衛士は男の両腕をロープで縛り上げると、立ち上がってシャツのボタンを外そうとしたまま固まる私を一瞥して鼻で嗤い、「貧相な体で助かったな」と吐き捨て、そのまま男を引きずって行ってしまった。
衛士と謎の暴漢がいなくなった後も私はしばらく動けなかった。
「……チドリ……」
リリアの声で我に返った私は彼女を抱きしめた。
「よかった……ほんとに……」
「……ごめんねチドリ、私がここに来ようなんて言わなかったら……」
「気にしないで、一番怖い思いをしたのはリリアなんだから……。それにしてもあの男、一体なんなのよ……」
「……たぶん敵国の密偵だと思う」
「敵国の密偵?」
「暗殺したり、情報を盗んだり、わざと混乱を起こしたりする人が稀に城内に侵入することがあるって聞いたことがある」
私は小さく頭を左右に振る。
「……違うよリリア、私が言ったのは衛士の方だから」
「え?」
「さっきの衛士さんの名前、分かる?」
きょとんとしたリリアは少し考えてから、「えっと、暗かくてハッキリと見えなかったけど、あの声とシルエットはクラウディオ、衛士隊のクラウディオさんだと思うけど……」と答えた。
――クラウディオ。
私は胸の前で拳をぎゅっと握りしめた。
貧相な体で助かったな、ですって……、貴様の名前は絶対殺すリストに入れたからなッ! クラウディオ!!
ようやく食堂の後片付けが終わり、私はリリアと並んで宿舎へ向かっていた。
石造りの回廊に靴音が静かに響く。
昼間は騒がしかった王宮も、この時間帯になると人影はまばらで、どこかひんやりとした静けさが漂っている。
「今日も疲れたね」
「ほんとくたくた。明日は明日でスープの仕込みが多い日だし、早く休みたいな」
そんな他愛もない会話をしていた、そのときだった。
ぶひぃ、ぶもぉ。
風に紛れて、かすかに家畜の鳴き声が聞こえた。それもいつもの穏やかな鳴き方とは違う。落ち着きがなくて、どこか荒れているような気がする。
「ねえ、今の鳴き方、ちょっといつもと違う感じしなかった?」リリアが足を止めた。
「そうかな?」
違和感はあったけど早く帰りたい私は、気付かないフリをしていた。
「いつもあんな鳴き方しないよ。ちょっと様子見てこない?」
「もう暗いし、明日でもいいんじゃない?」
「でも、もし家畜たちに何かあったら献立にも影響でるんじゃない?」
そう言われてしまえば、それ以上は言えない。
王宮内で飼育されている家畜たちは城を敵軍に包囲されたときの非常食の役割も兼ねているらしい、いわば生命線だ。
私は小さくため息をついて頷いた。
「……分かった。すぐ見て、なにも異常がなかったらすぐ戻ろうね」
私たちは二人で家畜小屋へ向かった。
藁と獣の匂いが混じる空気の中、リリアは慣れた様子で家畜小屋の柵で仕切られた飼育スペースの中を覗き込んでいく。
豚たちは落ち着きを取り戻しているようだけど、一体なんだったんだろう?
「大丈夫そうだけど……、あれ?」
リリアの視線が暗闇に向けられた次の瞬間だった。暗闇の中から伸びてきた太い腕が、リリアの手首をがっちりと掴み、あっという間に羽交い絞めにした。
「――っ!?」
声にならない悲鳴。リリアの喉元に鈍く光る刃が当てられる。
「動くな。動いたら、こいつを殺す」
低く、湿った声が私に告げる。
暗闇から姿を現した黒ずくめの男がリリアを盾にして立っていた。
頭が、真っ白になる。
「声を出しても殺す。いいな」
私に向けられた男の視線に血の気が引いて全身が硬直する。
「おい、黒髪の女。こいつの両手をこのロープで縛れ」
男はロープの束を私の足元に投げた。
「……っ」
身体が震えて上手く動かない。
逆らえばリリアが……。
私は歯を食いしばり、言われた通りにロープを取った。震える手でリリアの両手首を縛っていく。
涙を浮かべたリリアが必死に私を見る。助けて、と声にならない声で。
彼女が怯える様子を楽しむかのように、男は満足そうに舌なめずりをした。
「まさかこの俺様が使用人ごときに見つかるとは思わなかったぜ。さてさて、ただ殺しちまうにはもったいねぇな……。お前、服を脱げ」
「え……?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「じょ、冗談ですよね?」
「冗談なわけあるか、早くしろ!」
怒鳴り声に肩が跳ねる。
「ひっ……」
恐怖に押されるようにシャツの裾に指をかけた私の視界が涙で滲んでいく。
「……いや、待て」
男がじろじろと私とリリアを見比べる。
「よく見たら、こっちの女の方が若いな。お前はそこで大人しくしてろ」
はあ!?
思わず声が出そうになるのを私は必死で堪えた。そして男の手がリリアの胸を鷲掴みにしようとした、正に次の瞬間だった。
ガタン!
飼育スペースを囲っていた柵が勢いよく開き、「ぶひぃぃぃ!」と声を上げながら豚たちが一斉に飛び出してきた。彼らは縦横無尽に家畜小屋の中を走り回る。
藁と埃が舞って不明瞭になった視界の中で、「なんだ!?」と男が声を上げた。
風を切る音とともに一人の衛士が現れた。剣が閃き、男の腕が弾かれる。同時にリリアの腕を掴んで引き寄せると彼女の背中を押して私の方に突き飛ばした。そして流れるような動きで男を地面に叩き伏せてしまう。
「――っ!」
何が起きたのか理解する前に、すべてが終わっていた。
衛士は男の両腕をロープで縛り上げると、立ち上がってシャツのボタンを外そうとしたまま固まる私を一瞥して鼻で嗤い、「貧相な体で助かったな」と吐き捨て、そのまま男を引きずって行ってしまった。
衛士と謎の暴漢がいなくなった後も私はしばらく動けなかった。
「……チドリ……」
リリアの声で我に返った私は彼女を抱きしめた。
「よかった……ほんとに……」
「……ごめんねチドリ、私がここに来ようなんて言わなかったら……」
「気にしないで、一番怖い思いをしたのはリリアなんだから……。それにしてもあの男、一体なんなのよ……」
「……たぶん敵国の密偵だと思う」
「敵国の密偵?」
「暗殺したり、情報を盗んだり、わざと混乱を起こしたりする人が稀に城内に侵入することがあるって聞いたことがある」
私は小さく頭を左右に振る。
「……違うよリリア、私が言ったのは衛士の方だから」
「え?」
「さっきの衛士さんの名前、分かる?」
きょとんとしたリリアは少し考えてから、「えっと、暗かくてハッキリと見えなかったけど、あの声とシルエットはクラウディオ、衛士隊のクラウディオさんだと思うけど……」と答えた。
――クラウディオ。
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