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昼の喧騒が去った食堂は嘘みたいに静かになる。
長い木製のテーブルの一角にノート(的な紙束)を広げ、私は翌週の献立案とにらめっこしている。羽ペンを走らせていると、ふわりと香ばしい匂いが鼻腔を刺激した。
「少しは休め」
顔を上げると、レオンハルトが湯気の立つカップを差し出していた。
琥珀色の液体、異世界仕様ではあるけれど紅茶だ。
「ありがとうございます」
両手で受け取り一口含む。苦味と酸味がじんわりと舌に広がって、張りつめていた頭が少しだけほぐれた。
「考えすぎだ、もっと肩の力を抜いたらどうだ」
「……分かってはいるんですけど」
隣に腰掛けたレオンハルトは、私のノートをちらりと覗く。
「来週の分まで作るつもりか?」
「騎士団の訓練予定が変わることもありますし、余裕を見ておかないと」
「相変わらずだな」
呆れたような、それでいて優しさを含んだ声。
私たちは紅茶を飲みながら、しばらく他愛のない会話をした。
新しい香辛料の話、最近やたらと食べる量が増えた騎士の話、厨房の鍋が一つ歪んだ話、どれもとりとめのない内容だ。
その流れが、ふと途切れた。
「……そういえば」
チーフがカップを置き、少しだけ表情を改める。
「聖女が召喚される理由、聞いたことはあるか?」
「そういえば、ないですね。気にもしてませんでした」
そう答えるとチーフは苦笑する。
「聖女ってのは、人間の能力を飛躍的に向上させる神聖術を行使できる存在だ」
淡々と語られる言葉が静かな食堂に落ちていく。
「身体能力、魔力耐性、回復力、それらを底上げする聖なる御業、しかも一人だけじゃない、数千人規模で強化できるんだ。もし戦争になれば戦況をひっくり返すほどの力を持っている」
「……」
「だから各国はこぞって異世界から聖女を呼ぼうとする」
私は、無意識にカップを強く握りしめていた。
「すでに周辺国では数名の聖女の存在が確認されている」
「じゃあ……、私以外にもこの世界に誰かが召喚されている……」
「しかし召喚には膨大な魔力が必要となる。列強に比べて国力が劣るアルゼリオン王国では十年に一度が限界だと言われている」
十年に一度、その言葉がずしりと胸にのしかかる。
そんな重たいものだったなんて……。
私は視線を落とし、膝の上で指を絡める。
「もし……私が、ちゃんとした聖女だったのなら……。つまり、そうじゃないということは……」
言葉が自然と零れた。
「国にとっては大きな損失ですよね……」
チーフは否定しなかった。その沈黙が答えだった。
「……私」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
ぽん、と頭に大きな手が置かれた。
「気にするなって言うのは無理かもしれないが、そもそも召喚が成功する保証なんてどこにもなかったんだ。こんなことを話したのはな、いつか誰かの口から聞かされるよりは、俺から話しておいた方がいいと判断したからだ」
彼はいつもの口調で言った。
「お前はお前のままでいい。お前は十分すぎるほど役に立っている」
「……でも」
「結果を見ろ、現に騎士たちの状態は明らかに良くなっている」
真っ直ぐな視線が逃げ場を塞ぐ。
「俺の師匠が昔こんなことを言っていた、『料理ってのは魔法と同じだ』ってな」
「魔法と同じ?」
「ああ、腹を満たし幸福にする。健康にもするし不健康にもする。元気にもするが、不機嫌にもなる。そんなこと、どんな魔術でもできやしない。だから料理は最強の魔法だってな」
「素敵な師匠ですね」
「そう、だからそういった意味でお前は聖女と一緒さ」
「チーフ……」
「ついでと言うわけじゃないがチドリ……、念のために聞くが昨晩なにかあっただろ?」
ふいに話題が変わる。
「え?」
「リリアの様子が朝からおかしかった」
本当にこの人は部下のことをよく見ている。
ここまで言われて黙っていくことはできない。だから私は家畜小屋で起きたことをすべて話した。話し終えたとき、自分の指先が微かに震えているのが分かった。
「おそらくペルギルス王国の特務機関【ベガ】の仕業だろう……」
チーフは呟いた。
「……特務機関? ベガ?」
「暗殺、攪乱、諜報を専門にする連中だ。アルゼリオン王国とペルギルス王国は敵対している。聖女召喚の儀式の痕跡に気付き、聖女を暗殺するために刺客を送り込んだんだ」
嫌な予感が背中を這い上がり、私は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってください、それじゃあ……」
喉の奥が渇いていく。
「実質的に私が狙われていたってことですか!?」
「ああ、そういうことになるな」
「そ、そんな……」
「今回はマヌケな刺客で助かったが、二度目がないとは限らない。騎士団に相談して護衛を付けさせるか」
「ご、護衛!?」
思わず椅子からずり落ちそうになる。
「そ、そこまでしてもらわなくても……! だって私はただの料理人で……」
「いや」
きっぱりと遮られた。
「もうお前はただの料理人ではない」
「……へ?」
「なんたって〝食堂の聖女様〟だからな」とチーフは苦笑する。
「や、やめてくださいその呼び方……」
「冗談だ」そう言いながらも目は真剣だった。
「騎士団の幹部もお前を高く評価している。一人くらい護衛をよこしてくれるはずだ」
「はあ……」
なんだかすごいことになってしまった。
そして三日後、私の顔は盛大に引きつっていた。
理由は護衛として派遣されたのが、あいつだったからに他ならない。
「チェンジで」
それが私の第一声だった。
長い木製のテーブルの一角にノート(的な紙束)を広げ、私は翌週の献立案とにらめっこしている。羽ペンを走らせていると、ふわりと香ばしい匂いが鼻腔を刺激した。
「少しは休め」
顔を上げると、レオンハルトが湯気の立つカップを差し出していた。
琥珀色の液体、異世界仕様ではあるけれど紅茶だ。
「ありがとうございます」
両手で受け取り一口含む。苦味と酸味がじんわりと舌に広がって、張りつめていた頭が少しだけほぐれた。
「考えすぎだ、もっと肩の力を抜いたらどうだ」
「……分かってはいるんですけど」
隣に腰掛けたレオンハルトは、私のノートをちらりと覗く。
「来週の分まで作るつもりか?」
「騎士団の訓練予定が変わることもありますし、余裕を見ておかないと」
「相変わらずだな」
呆れたような、それでいて優しさを含んだ声。
私たちは紅茶を飲みながら、しばらく他愛のない会話をした。
新しい香辛料の話、最近やたらと食べる量が増えた騎士の話、厨房の鍋が一つ歪んだ話、どれもとりとめのない内容だ。
その流れが、ふと途切れた。
「……そういえば」
チーフがカップを置き、少しだけ表情を改める。
「聖女が召喚される理由、聞いたことはあるか?」
「そういえば、ないですね。気にもしてませんでした」
そう答えるとチーフは苦笑する。
「聖女ってのは、人間の能力を飛躍的に向上させる神聖術を行使できる存在だ」
淡々と語られる言葉が静かな食堂に落ちていく。
「身体能力、魔力耐性、回復力、それらを底上げする聖なる御業、しかも一人だけじゃない、数千人規模で強化できるんだ。もし戦争になれば戦況をひっくり返すほどの力を持っている」
「……」
「だから各国はこぞって異世界から聖女を呼ぼうとする」
私は、無意識にカップを強く握りしめていた。
「すでに周辺国では数名の聖女の存在が確認されている」
「じゃあ……、私以外にもこの世界に誰かが召喚されている……」
「しかし召喚には膨大な魔力が必要となる。列強に比べて国力が劣るアルゼリオン王国では十年に一度が限界だと言われている」
十年に一度、その言葉がずしりと胸にのしかかる。
そんな重たいものだったなんて……。
私は視線を落とし、膝の上で指を絡める。
「もし……私が、ちゃんとした聖女だったのなら……。つまり、そうじゃないということは……」
言葉が自然と零れた。
「国にとっては大きな損失ですよね……」
チーフは否定しなかった。その沈黙が答えだった。
「……私」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
ぽん、と頭に大きな手が置かれた。
「気にするなって言うのは無理かもしれないが、そもそも召喚が成功する保証なんてどこにもなかったんだ。こんなことを話したのはな、いつか誰かの口から聞かされるよりは、俺から話しておいた方がいいと判断したからだ」
彼はいつもの口調で言った。
「お前はお前のままでいい。お前は十分すぎるほど役に立っている」
「……でも」
「結果を見ろ、現に騎士たちの状態は明らかに良くなっている」
真っ直ぐな視線が逃げ場を塞ぐ。
「俺の師匠が昔こんなことを言っていた、『料理ってのは魔法と同じだ』ってな」
「魔法と同じ?」
「ああ、腹を満たし幸福にする。健康にもするし不健康にもする。元気にもするが、不機嫌にもなる。そんなこと、どんな魔術でもできやしない。だから料理は最強の魔法だってな」
「素敵な師匠ですね」
「そう、だからそういった意味でお前は聖女と一緒さ」
「チーフ……」
「ついでと言うわけじゃないがチドリ……、念のために聞くが昨晩なにかあっただろ?」
ふいに話題が変わる。
「え?」
「リリアの様子が朝からおかしかった」
本当にこの人は部下のことをよく見ている。
ここまで言われて黙っていくことはできない。だから私は家畜小屋で起きたことをすべて話した。話し終えたとき、自分の指先が微かに震えているのが分かった。
「おそらくペルギルス王国の特務機関【ベガ】の仕業だろう……」
チーフは呟いた。
「……特務機関? ベガ?」
「暗殺、攪乱、諜報を専門にする連中だ。アルゼリオン王国とペルギルス王国は敵対している。聖女召喚の儀式の痕跡に気付き、聖女を暗殺するために刺客を送り込んだんだ」
嫌な予感が背中を這い上がり、私は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってください、それじゃあ……」
喉の奥が渇いていく。
「実質的に私が狙われていたってことですか!?」
「ああ、そういうことになるな」
「そ、そんな……」
「今回はマヌケな刺客で助かったが、二度目がないとは限らない。騎士団に相談して護衛を付けさせるか」
「ご、護衛!?」
思わず椅子からずり落ちそうになる。
「そ、そこまでしてもらわなくても……! だって私はただの料理人で……」
「いや」
きっぱりと遮られた。
「もうお前はただの料理人ではない」
「……へ?」
「なんたって〝食堂の聖女様〟だからな」とチーフは苦笑する。
「や、やめてくださいその呼び方……」
「冗談だ」そう言いながらも目は真剣だった。
「騎士団の幹部もお前を高く評価している。一人くらい護衛をよこしてくれるはずだ」
「はあ……」
なんだかすごいことになってしまった。
そして三日後、私の顔は盛大に引きつっていた。
理由は護衛として派遣されたのが、あいつだったからに他ならない。
「チェンジで」
それが私の第一声だった。
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