あのさ~

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あのさ~

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「あのさ~」


 リビングでこれから夕飯にしようと言う時の事だ。話し掛けてきた妻に、不機嫌になる自分がいる。「あのさ~」は妻の口癖で、俺に文句を言う時に出るのを知っているからだ。


「家に帰ってきて、靴下脱ぎっぱなしって、子供じゃないんだから」


「……悪かったよ。次から気を付けるよ」


「あのさ~、次からっていつ? 私、毎回注意しているよね?」


 うるさい。面倒臭い。靴下なんて気付いた時に洗濯機にでも放り込んでおけば良いじゃないか。そう思うも、それを口に出せばまた文句を言われるのが分かっているので、俺はだんまりを決め込むのだ。


「あのさ~、聞いているの? 人形じゃないんだから、返事くらい出来るでしょ?」


「はいはい。今靴下片付けますよ~」


 と俺が椅子から立ち上がれば、


「はあ、もう私が洗濯かごに入れておきました。あのさ~、言われてからやるとか、情けなくならないの?」


 ならんよ。悪いけど、妻の言い分は理解出来るが、全く心に響かないのだ。何だろう? 言い方? 「あのさ~」を聞くと、逆にやる気が失せるのだ。俺をその気にさせたいなら、別の言い方に直して欲しいものだ。


「あのさ~」


「俺、メシにしたいんだけど」


 何かを言い掛けて、それを俺が先回りして封じたからか、あからさまに機嫌を悪くする妻。


「じゃあ、とっとと食べちゃって」


 はいはい。言われなくても。と俺は椅子に座り直し、妻が買ってきたスーパーの惣菜に手を付ける。今日は妻が買い物してくる日だったから、煮物やら唐揚げやらがパックのままテーブルに置かれている。美味い。売り物だから当然か。料理下手な妻が作るよりもウン倍マシだ。レンチンしてあるから更に美味い。


「あのさ~」


 食べ終わったパックを簡単に洗い、プラスチック用のゴミ箱に捨てたところで、妻のいつもの口癖が炸裂した。


「何? ゴミなら今捨てたけど?」


 まだ何か文句があるのか? と自分でも分かる冷ややかな視線を妻に向けてしまった。が、妻はそんな俺の視線に気付いていないのか、モジモジとうつむいている。それは明らかにいつもの妻と雰囲気が違っていた。何を言われるのか、心臓がドキドキしてきた。


「あのさ~、今日、病院行ってきたんだけど」


「病院!?」


 驚いて声を上げる俺に対して、下を向いたままの妻。何か大病か!? 確か半年前に妻の会社であった健康診断では、何の異常も無かったはずだが。それでも絶対は無い。


「あのさ~」


「うん」


「おめでとう。ってお医者様が」


「うん?」


 おめでとう? え? ええ? どういう…………!!


「ええっ!? おめでとうって、おめでとうって事!?」


 何やら恥ずかしそうと言うか、嬉しそうに頷く妻。


「え? ええ!? そ、それはおめでとうございます!」


「いや、おめでとうございます! って、あなたの子でもあるから」


「そうか。そうだよな。俺、父親になるのか」


「そうだよ。だから…………あのさ~、もっと、しっかりしてよね」


 お腹をさすりながら俺を見上げる妻の視線は、何かを期待しているそれだった。そうか、俺が父親か。こんないきなり聞かされて、実感は全く湧かないけれど、そうだよな、靴下を脱ぎっぱなしにしたり、トイレのフタを開けっ放しにしたり、ドタンバタンと戸を開け閉めするようじゃあ、親として情けないか。


「分かったよ。「あのさ~」されないように俺も努力するよ」


「何それ?」


 と首を傾げる妻。


「そっちの口癖だろ? 気付いて無かったのか?」


「あのさ~、私がそんな事言う訳……」


 そこで妻は自らの口を塞いだ。そして真っ赤になる妻。本当に気付いていなかったようだ。ちょっと可愛いと思ってしまったじゃないか。


 まあそれは置いておいて、生まれてくる子が男の子か女の子か分からないが、妻に「あのさ~」と言われない子に育てる為にも、俺が率先して動かないとな。

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