宇宙彼女

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宇宙彼女

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 自分は恐怖症だと言う人間は数多くいるだろう。高所恐怖症から始まり、閉所恐怖症に先端恐怖症、珍しい所だと、視線恐怖症や水恐怖症なんて人間もいる。


 僕はその中でも更に珍しく、宇宙恐怖症だ。そんな恐怖症あるのか? いったい宇宙のどこに恐怖を感じるのか? これを聞いて思う所は人それぞれだろうが、僕の宇宙恐怖症の場合、宇宙の壮大さに飲み込まれるような気がして怖くなるのだ。崖から下を覗いた時に吸い込まれそうな気になるあれに似ている。


 僕の家族は僕が幼い頃に山村に移り住み、民宿を経営している。その初日の事だ。父が「夜空が凄い綺麗だぞ」と僕を抱えて外に出たのは。


 僕はそのあまりの美しさに息を止めて夜空に魅入り、そしてそのまま気絶した。呼吸をしなかったのだから当然だろう。僕のこの癖は年を重ねても治る事がなく、暗くなり星が瞬き出すと、それに魅入って動けなくなり、最終的に気絶するのだ。


 家族はそれが分かっているから、夜に僕を家から出す事はなく、夏祭りや花火大会など、夜の楽しさを知らずに生きてきた。


 山村だから学校まで往復するのも時間が掛かり、小学校中学校まではギリギリ夕方までに家に帰れていたのだが、高校ともなると授業時間も伸びれば、登下校の時間も伸びるので、どうしても帰りは夜になってしまう。この事に一計を案じた僕の家族は、僕を都会に住む叔父の所に預ける事としたのだ。


 初めての都会は思っていた以上の人混みで、駅構内には標識こそあるものの、どっちに向かったら良いのかまるで分からず、叔父と合流出来た頃には、すっかり日は沈んでいた。


「大丈夫かい?」


 と事情を知る叔父は僕の目を伏せるが、私は見上げた夜空に、別段何かを感じ取る事がなかった。思ったのは「なんか暗い」くらいのものである。


「はい。大丈夫です」


 僕の家族から僕の症状について散々聞かされていたであろう叔父は、肩透かしを食らったようにポカンとしていた。


 都会の夜は明るい。宇宙から撮った日本の写真を見た事のある人間なら知っていると思うが、夜だと言うのにとても明るいのだ。そんな明るい中で夜空を見上げても、星も殆ど見えない薄暗闇が淀んでいる程度の印象でしかなかった。


 要は僕の体質的に都会暮らしが合っていたのだ。住まわせて貰っている叔父に迷惑を掛ける訳にもいかないと、ファミレスでバイトも始め、帰りが19時20時を過ぎる事も少なくなかったが、夜に街を歩いていても僕は夜空に魅入る事なく普通に歩けていた。


 大学生になると僕にも彼女が出来た。何の因果か彼女は宇宙が好きな人だった。星占い程度なら可愛いもので、星座にも詳しく、どの流星群がいつ流れるのかチェックするし、国際宇宙ステーションのルートにまで目を通しているくらいのマニアだった。


 なんでそんな子と付き合う事になったかと言えば、大学の学園祭で、彼女が入会している宇宙研究会と言うサークルが造った自作プラネタリウムを友人たちと見に行ったのがきっかけだ。


 宇宙研究会では毎年プラネタリウムを自作しており、今年のプラネタリウムは渾身の出来だったらしく、OBらもお墨付きの逸品で、見に来た客は誰も彼も「最高でした!」とか「素晴らしかったです!」とか、そんな言葉を残して去っていく中、僕だけが、「普通に良かったと思いますよ。今後も頑張って下さい」と言って去っていったのだが、それが彼女のプライドを刺激したらしい。


「何が普通だったの? どこが普通なの?」


 会心の出来の物を、普通呼ばわりされては誰だって嫌な気分になる。あれ以来そうやって僕に付きまとうようになった彼女に、僕は自分の体質、宇宙恐怖症の事を話した。


「つまり、僕が息を止めて気絶する程でなければ、君たちの自作プラネタリウムはまだまだって話だ」


 この言葉に嘘は無かった。実は宇宙研究会の自作プラネタリウムを見る前に、世界一と呼ばれるプラネタリウムクリエイターの日本人が造ったプラネタリウムを見て気絶していたのだ。都会の夜に慣れていたので、もう夜を埋め尽くす星空を見ても気絶しないだろうとの過信から、プラネタリウムに行ったのだが、見事に敗北して帰ってきたのだ。だからこそ、宇宙研究会の造ったプラネタリウムがまだまだだと言い切れた。


「なら、私に本物の星空を見せてよ」


 彼女は行動力の人だった。プラネタリウムクリエイターの話とともに、実家の話も併せて話したのがいけなかった。本物の星空を見せろと駄々をこねる彼女に根負けして、僕は彼女を連れて久々に帰省したのだ。


「いつから付き合っているんだい?」


「家に連れて来たって事は、結婚も視野に入れているんだよね?」


 両親はのりのりで、「そんなんじゃない」と何度言っても聞く耳を持たなかった。そして彼女とうちの両親は波長が合った。何故って、僕が都会に行っている間に、民宿の横に小さな天文台が併設されていたからだ。それに彼女は大喜びし、予定を延長して、実家に居続けたのだ。


 外堀を埋められた男に逃げ場は無く、僕は彼女と付き合う事となったのだが、普通に付き合う分には特に不満は出ない。事情からインドア派である僕の趣味であるゲームやマンガ、アニメにも付き合ってくれるし、一人暮らしでちゃんと家事も熟しているので、料理なんかも意外と得意だったりする。


 が、やはりと言うか、相手がこちらに付き合ってくれるのだから、こちらだって向こうに付き合うのは当然の話で、それがとにかく宇宙宇宙宇宙なのだ。宇宙を題材にした映画を観させられるのは序の口で、プラネタリウムにも連れて行かれるし、流星群を見る為に山に連れて行かれたりもした。美しい星空を見たら気絶すると言っているのに、理系の彼女的にはその線引きがどの辺なのかを知りたくてしょうがないらしい。


 そうやって大学四年間を騒がしく過ごした僕と彼女は、僕は普通に都心のゲームメーカーに就職したのだが、彼女が就職したのは、プラネタリウムの製造をしているメーカーだった。一貫している。


 彼女の凄い所はこれで終わらなかった事だ。彼女が就職してから、彼女のメーカーが出すプラネタリウムは評判を呼び、世界中から製造依頼が来るようになった。それはそうだろう。何せ僕が気絶する程美しいのだから。


 そして彼女はこの実績を足掛かりに、民間の宇宙船開発事業社に転職し、民間の宇宙船パイロットとなったのである。これにはメディアも食いつき、


「何故、宇宙船パイロットになったのですか?」


 と記者会見で彼女に尋ねた所、


「彼氏と宇宙で結婚式を挙げる為です!」


 なんて答えたものだがら、僕にまで取材攻勢が回ってくる始末。彼女の一言は話題を呼び、彼女の勤める民間宇宙船開発事業社にはスポンサーが殺到し、ついには彼女と僕の世界初の宇宙結婚式が執り行われる運びとなった。


 そして今僕はパイロット席で天を見上げている彼女の横で、両手を組んで天に祈っていた。


「どうか、生きて帰ってこれますように!」

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