今と言う時代━━

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今と言う時代━━

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 作家でエッセイストの内山田長一郎は、スランプに陥っていた。アイデアが浮かばないのだ。これまで湯水の如く浮かんできていた様々なアイデアが寝て起きたら涸渇していた。


 各編集部には色々手を打って〆切りを伸ばして貰ったのだが、それも今日の夜が限界だと言われている。


 内山田はこれまで順調な作家人生を送ってきていた。デビュー以来、単行本は毎年何かしらの賞にノミネートするので、雑誌や新聞、テレビ、ネットなどで良く取り上げられてきたのだ。これによって認知度は高く、次の単行本を待つファンも少なくない。


 どうしてこうなったのか。


 自宅のリビングで、まるでマンガのように頭を抱えて右往左往する内山田。理由は簡単で、彼が今までその才能だけで書き上げてきたパンツァーだからだ。


 作家にはプロッターとパンツァーの二種類いる。プロッターとは小説を書き上げる前に、どのような小説を書くか、最初から最後まで構成(プロット)を決めてから書くタイプの作家で、パンツァーとはその逆、構成なんて決めずにその場の勢いで書き上げるタイプの作家を言う。


 パンツァーと聞くと格好良いと思う人もいるかも知れないが、その成り立ちは「seat of the pants」という海外のイディオムで、計器が少なかった時代の昔の飛行機乗りが、シートから伝わってくる振動を頼りに勘で操縦していた事を由来としている。つまり本当にパンツから来ているのだ。


 実際にはプロッターやパンツァーにも色々なタイプがいて、ガッチリ構成を決めてから書き始めるプロッターから、内山田のように本当に全く何も考えずに書くパンツァーまでグラデーションが存在する。


 今までその才能だけで小説を書き、世間に称賛されてきた内山田は、その才能の涸渇によって、何も書けなくなっていたのだ。


 今回内山田が書かなければならないのは、短編小説一本に、エッセイが二本だ。内山田は文字入力がそこそこ速いので、一日でこれらを書く事は可能だし、これまでもそんな書き方をしてきた。しかし今回はまるで違った。


 まずアイデアが思い浮かばないのだ。短編小説にしろエッセイにしろ、内山田は身近な題材をモチーフにして書いてきた。例えばボールペン。例えばカッター。例えば定規。例えばラムネ。例えばコーラ。例えばティッシュペーパー。便器。冷感スプレー。メガネケース。リモコンスイッチ。WiFiルータ。間接照明。マウスにマウスパッド。


「こう思い返してみると、室内にある物ばかりだな」


 右往左往していた内山田だったが、冷静に思い返してみると、自分が題材としてきた物が家の中で完結している事に、今更ながら気付いた。内山田は生粋のインドア派だった。


 となれば、これは外出するしかないと思い立つのは当然の事だ。白Tシャツと膝上の短パンに着替え、街をぶらぶらする事に決め、内山田は外に出た。


 特に外は変わっていない。最初内山田はそう思っていた。しかし歩いている者たちの格好が自分とまるで違う。何やら銀色にキラキラしていて、未来感を漂わせた格好の者が絶滅したフクロオオカミを散歩させているかと思えば、自動運転の車から降りてきたのは着流しを来たチョンマゲの男だ。今は何時代なのだ? と嘆息しながら、内山田は久し振りに馴染みの定食屋に入る。


「おや、先生いらっしゃい」


 アンドロイド化した店主が、五十年ぶりに外に出た内山田に、まるで昨日も来たかのように声を掛ける。


「ここら辺もすっかり変わったねえ」


「そうですかい?」


 給仕をするロボットに、昼定食を頼むと、一分もすればロボットが白飯味の何かが収められたチューブパックに、サバ味噌味のブロックバー、味噌汁のゼリーを持ってきた。


 内山田は、代わり映えのしない完全栄養食ばかり食べるよりも、やはり外で食べる飯は美味いな。と思いながらこれらを食べ終えると、支払いを済ませて、また街をぶらつく。


 それにしても変わったものだ。空をUFOが飛び交うのは当たり前となったし、月に火星や金星のテラフォーミングも進んでいる。タイムマシンで様々な時代に行けるようにもなったし、それに付随してタイムリープで人生をやり直すなんて当たり前の時代だ。


 内山田も現在から百五十年前の過去の時代に、己の書いた原稿を送って、好評を博している。編集部は会った事も無い内山田相手に、良くやってくれている。


 こんな時代に作家をしているなんて、馬鹿げた生き方だ。他の作家は生成AIでプロットやストーリーを作ったりしているそうだし、自分もそうやって時代に則した作家となって生きていくのも一つの答えだろう。


 しかし内山田はそれを拒否してこれまで作家として頑張ってきたのだ。そのプライドをドブに捨てる事は出来ない。アイデアは未だ出てこないが、それでも脳内の真っ白な画面と向き合って、何か最初の一行でも文字入力してみようと思い立つ。もしかしたら思わぬ物語が紡げるかも知れないから。内山田は街道沿いのカフェの大型ガラスに映る、カクカクとした己のロボットの身体を見ながら、そう考え直し、脳内の画面にこう打ち込んだ。


 今と言う時代━━、

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