素顔のままで

堀井九太郎

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素顔のままで

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(おまえ、いったい誰だ)
 駅のホームの鏡を覗きこみながら、ぼくは思った。
 目はくりっと丸く輪郭がシャープで、鼻は小振りながらもツンと高く、肌はゆで卵のように白くてシワもシミも全くない。
 そんな顔が鏡に映っている。
 ぼくはこんな顔ではない、おそらく。
 おそらく、と付け足さざるを得なかったのは、実のところ自信がないのだ。自分の顔をよく覚えていない。
 自分の顔が自動的に補正され美しく写るプリクラが登場したのは、もうずいぶんと前のことだ。同じことがスマートフォンのカメラ・アプリでもできるようになったのは当然の流れで、その機能があらゆるカメラに搭載され、ビデオカメラでもそれができるようになり、さらに鏡に映った姿までもが自動的に補正されるようになった。ついには窓ガラスに映る姿をも美しくする技術が開発され、まもなくそれが実装された窓ガラスの販売が始まるらしい。
 修正されるのは顔だけではない。全身を撮影すれば、男性なら長身で逆三角形の胸板に、女性ならば細身の、とはいえしっかりとくびれのある身体に補正される。
 いまや写真や動画では補正されることがあたりまえになっていて、補正なしで写真や動画を撮りたければ、そのための特別なアプリを用意する必要がある。
 ぼくはもう何年も自分の素顔を見ていない。
 最後に見たのは、どこかの寺の池のほとりに立って、池の水に顔が映ったときだったと思う。しかしそのときも、すぐにたくさんのコイが集まってきて波紋でぐちゃぐちゃにされてしまったので、そこにどんな顔があったかよく覚えていない。

 胸のポケットでスマートフォンが振動した。
 ディスプレイに姉の名が表示されている。
 姉からのテレビ電話だ。姉は五年前にイギリス人と結婚し、それ以来ロンドンに住んでいる。両親ともに既に他界していることもあって、この五年間姉とは一度も顔を合わせていない。
 ぼくは「応答」ボタンを押した。
 ディスプレイに電話の向こうの顔が表示される。
 ぼくの記憶にある姉の顔とはちょっと違う。いや、ちょっとどころではない。日本人の顔ですらない。碧の瞳、ブロンドの髪、彫りの深い顔。お、おまえは、いったい誰なんだ。
 しかし、聞こえてきた声は確かに姉のものだった。最近では声をも美しく修正するアプリが増えているが、幸いそれは使っていないようだ。
 電話の向こうで姉がいった。
「いま家を出るとこ。到着は、そっちの明日の午前十一時よ」
「あ、忘れてた」
 そうだ。明日だ。姉が五年ぶりに日本に帰ってくるのだ。ひと月ほど前にそういわれたが、うっかり忘れていた。
「ちょっとぉ。しっかりしてよ。迎えはだいじょうぶよね」
「ああ、そうだね。そういえば迎えにいくと約束したっけ」
「たよりないわねぇ。五年ぶりの日本だから、お土産とかいっぱいあるのよ。車で来てよ。頼むわよ」
「いくよ、いくよ。いくけどさ――」
「なに?いくけど、なんなの」
「いや、いいんだ」
「なによ。いいかけたんだから、いいなさいよ」
「なにか目印になるものあるかな。どんな色の服を着てくるとか、めだつ帽子をかぶっているとか、どんなスーツケースをもっているとか」
「なにそれ。どういうこと。実の姉の顔を忘れたっていうの?」
「いや、そういうわけではないんだけど――」
とはいったものの、ぼくには自信がなかった。この五年間、何度かテレビ電話で話をしたけれども、そのたびに姉の顔は異なった。もはや、もともとどんな顔だったか思い出せなくなってしまったのだ。家に帰れば姉の顔写真があるにはあるが、素顔で写っているのは姉が小さいころのものばかりで、大人の顔になってからの写真は全て大幅に修正されてしまっている。
「もう。ばかなこといってないで、ちゃんと来なさいよ。わかったわね」
と、姉はぷりぷりとした声でいって、一方的に電話を切った。

 電車がホームに入ってきた。
 ぼくは電車に乗り、帰宅ラッシュで混む車内を見渡した。
 男ばかりである。女性の姿がほとんどない。
 このところ若い女性はあまり出歩かなくなった。ディスプレイ越しならば理想の容姿となれるので、親や兄弟姉妹以外に素顔を晒すことを避けるようになったのだ。仕事は家で勤務できるものを選び、買い物は全てオンライン・ショッピングで済ます。友人たちとの交流も、SNSでバーチャルなパーティーや会食ができるので、それを利用する。
 ぼくはため息をつき、姉との電話を切ってから握ったままだったスマートフォンの写真アプリを立ち上げ、一枚の写真を開いた。
 輝く笑顔を振りまく女性が表示された。女優の原石はらいしみさと。驚いた猫のような丸い瞳、上品ながらもピンと通った鼻筋、乳白色のつややかな肌。肩も腰も華奢で足は細く長く、それでいてそよ風になびきそうな豊かな胸。女優としてはあまり売れていないが、人はみな彼女こそが完璧な容姿のもちぬしだという。女性たちはみな彼女に憧れる。
 理想的な容姿なので、テレビや映画に映るときも、薄い化粧をすることはあっても、デジタル処理による修正は一切しないのだという。素顔をそのまま世間に晒す女優はおそらく彼女だけだ。いや、この国でありのままの姿でいる唯一の女性といっていいのかもしれない。
 ぼくは日に何度も彼女の写真を眺める。飾りのない彼女の姿は、ぼくを奥のほうから癒してくれるのだった。
 
 家に着いた。
 いつもならすぐに部屋着に着替えるのだが、今日はスーツのままで簡単な夕食を済ませ、歯を入念にみがいてからパソコンの前に座った。
 今夜は婚活パーティーへの参加を申し込んでいる。パーティーといってもバーチャルなものだ。参加者は一カ所に集まらず、各自好きな場所でインターネットを通じてパーティーに参加する。
 パーティーの開始まであと十分。
 パソコンにセンサーをつないだ。このセンサーはぼくの声や姿のみならず、匂いや熱、空気の流れをも感知する。映像用のゴーグル、音声用のヘッドホンを装着し、ぼくの周囲に匂いや熱、風などを送り出す装置をセットする。これらによって、離れた場所にいながらにして、実際に会っているような感覚で他の人と接することができるのだ。顔はゴーグルで隠れているが、事前に登録した画像に基づきコンピューターが作りだす顔が自動的に映像に組み込まれる。素顔を晒そうという人は誰もいないので、それで全く問題がないのだ。
 婚活パーティーが始まった。
 主催者からパーティーの流れなどについての説明があり、続いて第一回目のトーク・タイムである。
 ディスプレイに参加者の女性がひとりずつ現れる。ディスプレイの下部にはその女性の名前、年齢、職業、趣味など、あらかじめ記入された内容が表示される。ひとりとの会話の時間は二分間。ディスプレイ上に経過時間が表示され、二分が経つと強制的に画面が切り替わって次の女性が表示される。参加者は男女それぞれ二十名ずつ。第一回目のトーク・タイムでは二十名全てと会話をする。
 ぼくは驚き、
(お、おまえら、いったい誰なんだ)
と頭のなかで叫んだ。ディスプレイに表示される女たちの顔がどいつもこいつも同じなのだ。髪型が違わなければまるで見分けがつかない。
 いや、よくよく見れば全く同じというわけではない。顎の線や耳の形など微妙な違いはある。しかしながら、どいつもこいつもよく似ている。女優の原石みさとに。
 昨今、写真であれ動画であれ鏡であれ、修正される程度はどんどん大きくなっており、女性の修正後の顔が誰もが理想と考える顔に近づいてきている。その結果、パーティーに参加した女性の顔がどれも原石みさと風になってしまっているのだ。
 しかしながら、顔が似ていても、原石みさとの柔らかく優しい声や風にそよぐ柳のような身のこなしとは似ても似つかない。
 しわがれた声、くぐもった声、耳に刺すようなかん高い声、変声期の少年のような中途半端に低い声。声にもいろいろあるものだなあ、などと思いながら、ひとりずつと短い会話をしていく。会話といっても、相手から聞かれることにぼそぼそと答えるだけだ。自分から質問するほど相手に対する興味が湧いてこない。
 ようやく最後のひとりとなった。
 遠慮がちにぼくの前に現れた女性の顔を見て、ぼくは目をしばたたいた。原石みさとに似ているどころか、そっくり同じなのだ。
 ぼくは、むか腹を立てた。ここまでそっくりに仕上げているとなるともはや原型は全く残っていないのだろう。大胆に過ぎるではないか。面の皮がスイカの皮くらい厚いに違いない。
 彼女の声を聞いてぼくの怒りはいや増した。声までも似せているではないか。でも、微妙に違う。どこか下品な感じがする。
 根の卑しさは完全には隠せないのだ。
 その挙動を見て、ぼくの怒りは頂点に達する。身のこなしまで真似ている。さすがに身体の動きまで美しく見せるアプリは存在しないだろうから、原石みさとが出演するテレビや映画を見て練習したのだろう。
 そこまで自分を隠して人を真似たいのか。なんとも下劣な女だ。
 一回目のトーク・タイムが終わった。
 ここで中間投票をおこなう。気になった相手の番号を入力するのだ。番号を入力すると、その相手に自分が投票したことがすぐに通知される。
 一回目のトーク・タイムのあいだ、ぼくはうんざりした気分を隠しきれずにいた。
 そんな覚めた態度が興味を惹いたのか、それともぼくの仕事や学歴などのプロフィールが受けたのかはわからないが、ぼくには五人の女性から票が入った。そのなかにはトーク・タイムの最後に話をした女の票もあった。
 一方、ぼくは誰にも票を入れなかった。払った参加費が無駄になるから投票しなければ、と思ったけれども指が動いてくれなかった。
 二回目のトーク・タイムはナンバー・ディスプレイ機能のある電話のような仕組みで、各参加者がもう一度話をしたい相手の番号のボタンを押すと、相手のディスプレイには自分を呼び出している人の番号が表示される。呼び出された方が受信ボタンを押せば、ふたりでの会話が始まる。キャッチホンのような機能もあって、呼び出している相手が会話中だったり他の誰かを呼び出し中の場合、相手のディスプレイには呼び出されていることが表示されるので、その相手が会話や他への呼び出しを中止すれば会話が可能となる。
 中間投票で誰にも票を入れなかったぼくのところには誰からも呼び出しがないものと思っていたが、二回目のトーク・タイム開始を告げる電子音の直後に五人がほぼ同時にぼくを呼び出した。中間投票でぼくに票を入れた五人である。
 五人のことをほとんど覚えていない。かろうじて一回目の最後に話した下劣な女のことが記憶にあるが、その他については印象すらない。顔が似たり寄ったりで会話に興味がなかったのだから覚えていないのも当然というべきだろう。
 ぼくは、一回目の最後に話した女以外の四人から適当に選び、会話をした。そして頃合いを見計らって次に移った。二回目のトーク・タイムは全部で三十分。興味のない相手とつまらない会話をして三十分をどうにかつぶした。その間、一回目の最後に話した女からの呼び出しを知らせるランプが点灯し続けていたが、最後まで彼女の受信ボタンは押さなかった。
 最終投票の時間となった。
 参加者は気に入った相手を第三希望まで記入して提出する。主催者側でマッチングがなされ、結果が通知されるのだが、白紙で提出したぼくのマッチングが成立する可能性は皆無だった。
 ぼくは結果を待たずにパソコンの電源を落とし、
「ああ、カネと時間の無駄をした」
とつぶやいて、ゴーグルとヘッドホンをはずした。

 それから数日後。
 なにげなくテレビをつけると、そこには原石みさとの姿があった。
 なにかの対談番組のようだ。眉目秀麗の男性アナウンサーが丸いローテーブルをはさんで座る原石みさとに質問をしている。
 男性アナウンサーの隣に座るアシスタントの女性の顔を見て、ぼくは苦笑した。原石みさとに似ているのだ。むろんこちらは修正された顔が画面に映っているのだが、双子が向かい合っているかのようで、なんとも滑稽な画だった。
 男性アナウンサーが本物のほうの原石みさとに最近経験した恥ずかしい話をなにか話してほしいといっている。
 意地の悪い質問だ。
 原石みさとは、はにかみながらも口を開いた。恥ずかしがる姿も美しい。

「実はわたし。何日か前に婚活パーティーに参加したんです。あっ、そんなに驚かないでください。恥ずかしいじゃないですか。
 前から興味があって、どんな感じなのか一度見てみたかったんです。それに私も二十九じゃないですか。長いこと彼氏もいないし、まわりでわたしより年上ですてきな人はみんな結婚しているし。ひょっとしていい人に出会えないかな、なんて気持ちもあったんですよ。
 大騒ぎにはならなかったですよ。とっても光栄なことなんですけど、最近、写真やビデオや鏡のなかの女性の顔は、わたしに似てきているじゃないですか。だから、わたしが参加してもばれないんじゃないかとは思っていたんですが、実際全然ばれないんです。参加されたかたに失礼かもしれませんけど、ちょっといたずらをしているような感じで面白かったです。
 その結果ですか?そうですよね。いわなくちゃだめですよね。実はわたし、ふられちゃったんです。いいなと思った人はいたんです。ちょっと無愛想で、婚活パーティーに来ているのに女性に興味がないような顔をしている変わった人で、なんだかその感じがクールで気に入っちゃいました。でもなんだか嫌われちゃったみたいで。最後にその人に告白の投票をしたんですが、断られたんです」

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みんなの感想(1件)

2019.03.27 ユーザー名の登録がありません

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2019.03.28 堀井九太郎

感想いただきありがとうございます。
勉強させていただきます!!

解除

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