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お茶会

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従者を連れた謎の幼女の後をついて行くこと少し。
目の前にはとても大きな門と、立派な薔薇の生垣に覆われた御屋敷が現れた。
慣れた手付きで門のベルを鳴らす幼女を横目に見ながら、とんでも無い所に呼ばれてしまったのではないかと、内心冷や汗が止まらない。 
屋敷の中から兎の獣人が出てきて門を開けるついでに見慣れない珍客をジロジロと見る。
「あら、お客様をそんなにジロジロ見るのは失礼でなくて?キチンとしてくれないと、私の印象まで下がってしまうわ。」
「も、申し訳ありません。奥様。して、この方は一体…?」
…奥様?え?彼女が?まだ幼女と言っても過言でないのに?
「この子ね?可愛いでしょう?道で一人で泣いていたのだから、お茶会に招待したの。あ、お名前はまだ伺って無いわね…。」
「あの…、貴女は一体…?」
「あら?そう言えば私も名乗って無かったかしら?私は、この屋敷の当主の公爵夫人よ?ふふっ。旦那様は居ないけど、夫人なのよ?」
公爵夫人で旦那は居なくて、けど夫人を名乗る…なんて、めちゃくちゃなんだ、と、頭を抱えてしまいたくなった。
そこに、幼女が…いや、公爵夫人はにっこりと笑みを浮かべて問うた。
「あなたは、だぁれ?」
途端に頭に雷が落ちた様な衝撃。私は…わたし、は…。
「私…私…。」
何故か知らないが、また両目から溢れてくる涙、涙。
「言えない事情があるのかしら?可愛い子。」
「いえ、いえ!違うんです!そんな事は無い筈…です。けど…。」
「…分からないのかしら?」
「はい…。」
ふぅーっと肺の中の空気を絞り出す。
そう、私はこのセカイに来てから、私の事が何も分からない。
公爵夫人は少し考えてから、隣の従者にお茶の用意を言いつけた。
「分からないのは仕方のない事よ?今お茶の準備をさせてるから、せっかくだし私の自慢の庭を一緒に見ましょう?」
「でも、こんな私みたいな怪しい者が居て、怖くないのですか?公爵夫人。」
「あらあら、見くびらないで頂戴?こんなに可愛い子が最初から悪さする為に泣いてる演技で気を引こうとしたようには、見えなかったから、私声を掛けたのよ?」
「それは、そうだけど…。」
あの時は押しつぶされてしまいそうな不安で泣いていたから。
「ほらほら、見てちょうだい!赤い薔薇には金の縁取り、白い薔薇には銀の縁取り、見事でしょう?」
私の事を気遣ってくれてるのか公爵夫人は薔薇の生垣に手を引いて説明してくれる。
「あれ?公爵夫人、ここの薔薇は縁取りが逆ですが、ワザとですか?」
「え?あら、そうね、赤い薔薇に銀の縁取り、白の薔薇に金の縁取り…間違えたのは誰かしら?」
うーん、と可愛らしい声で悩んでいる風を装って居たが目がしん、と据わって居たのを見て思わず背筋が冷たくなった。
「奥様、お茶の準備が出来ました。本日はお庭で飲まれますか?」
「そうね、ありがとう。ならそのままお庭で頂くわ。薔薇のジャムも用意して頂戴。」
公爵夫人のさっきの冷たい目は、声を掛けられると同時に消え去り、子どもらしい無邪気な態度で応対していた。
「さて、可愛い子。お茶も来たことだし、お茶会をしましょう!ウチで作った薔薇のジャムを紅茶に入れると最高に美味しいわ!」
「有難うございます。頂きます。」
薔薇のジャムなんて初めてだったけど紅茶に入れるとふんわりとした上品な薔薇の香りとジャムの甘みで緊張、警戒してきた心が解れるのを感じた。
「あの、公爵夫人。私、実は別のセカイから来てしまったと、言ったら笑いますか?」
「別のセカイ?どうやって?」
「その、私の分かる事は、大きな水溜りを踏んだ事だけなんですが…。踏んだ筈の水溜りからここの世界に落ちてきたみたいなんです。…それだけです。」
公爵夫人はお茶のカップをソーサーに置いてから、
「そうなのね…そうだったの。」
と呟いたきり、少し考える様な仕草をした。そしてまた一口紅茶を飲んで言った。
「あなたは、あなたの居たセカイっていうところには、本当に帰りたいの?」
それを言われて、私は言葉に詰まった。絞り出す声は掠れながらも一言。
「…分からないです。」
じりじり照りつける日差し。伸びる影はいつも一人きり。自分以外の周りには誰かしら一緒に伸びてる影。
私の影だけは、ぐんぐん伸びて、まるで私から離れようとしているかの様。
響く笑い声は誰の事を笑っているの?嫌だ、聞きたくない。
色々な記憶が洪水の様に激しく流れていく。あまりの勢いに思わず頭を抱える。
急に頭を抱え出した私を、公爵夫人は優しく抱きしめ、頭を撫でる。
「大丈夫よ、コッチでならあなたは、あなたらしく生きれる筈よ?だから、安心なさい。」
誰かに頭を撫でられるのは、本当に久しぶりの事で、優しい手付きに私は思わず声を上げて泣いていた。
この世界では、もしかしたら、私は居ても良いのかもしれない、その安心感からの涙だった。
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