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第三章
昔日の片想い
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過去を思い出した真白の意識は、現実に浮上する事なく濃い闇の中に取り残されていた。
一刻も早く王李を……綾瀬を助けたい気持ちは変わらないのに、一瞬でもこんな私が行っても良いのだろうかと躊躇してしまったが故に堕ちてしまった。
焦るあまり自分の事なのに上手く考えがまとまらず、膝を抱えて蹲っていると背中に仄かな暖かさと誰かが寄りかかっている重みを感じて、すごく驚いた。
「だ、誰っ!?」
“……ねぇ、また一人なの?”
その声は、紛れもなく自分のものだった。
淡々と話す声は冷たくて、首の後ろに頭まで預けわざと重くして振り返る事を拒否している。
「一人じゃないよ」
“本当に?”
どうしてそんな意地悪言うの?と言い返したくなっても、疑い深くなる気持ちも分かってしまうから結局何も言えなくなってしまう。
孤独だった頃の自分を思い出してから、クラスメイト達が手の平を返した様に冷たくなる瞬間や視線、陰口もまざまざと思い起こされて自分の中に芽生えた猜疑心が止まらない。
“ねぇ、そんな簡単に信じられるものなの?大丈夫?騙されてるんじゃない?”
「だ、騙されてない!!」
“綺羅だって突然居なくなったじゃない”
「でも、帰って来てくれた!!」
“雪乃は?酷い事されたの、もう忘れちゃったの?”
ズキンと痛む胸に追い打ちを掛ける声が続く。
“白馬も騙してたじゃない”
「やめてよっ!!」
避けてきた話題に耐えきれず、気づいたら声を上げて遮っていた。
ずっと考えない様にして逃げていたのを見透かされて、ばくばく鳴る心音が苦しくて、痛い。
背中に寄り掛かったままのもう一人の私が、白馬に裏切られた事をすんなり認めているのが余計に悔しかった。
「……なんで?そんな簡単に割り切れるもの?」
“信じたから痛い目にあったんでしょう?初めから距離を置くべきだったのよ。そしたらこんな事にはならなかった。全部、ぜーんぶ”
「信じなくても、毎日辛かったじゃない!!」
今度はもう一人の自分が押し黙ってしまった。
その時伝わってきた感情が、胸が詰まる位の哀しさで溢れている事に気づいた途端、これは私の猜疑心が形を成して現れた物なんだと真白は唐突に理解した。
「……傷つくのは、今も怖いよ。でも逃げない。私がなりたかった自分、知ってるでしょう?」
姫椿になりたい自分を問われて答えた、“普通”を生きる自分像。
“これが、普通だって言うの?騙されて、騙されて……振り回されて、傷ついてくばかりじゃない”
「でも、孤独じゃない。昔、図書室で綺羅が話しかけてくれて、嬉しかったあの時の気持ちが他の人達とも共有できてる」
“私は、傷つきたくない”
「私は、強くなりたい」
もう何も諦めたくない。
どんなに辛くても傍にいてくれる人達がいるから大丈夫。
そう思えただけで強く心が動いた。
「これからよ。全部、全部!!やる事沢山あるの。白馬にだって、これから直接聞くんだから!!ごちゃごちゃ言ってないで、行くよ!!」
半ば強引に振り返って背後にいる自分の手を取った。
驚く自分と目が合って、その表情の中に期待と不安が入り混じっているのが見えた気がしたのも束の間に、瞬く光と共に一枚のタロットカードに姿が変わった。
空中に浮かぶカードは以前、姫椿が使っていた愚者のカードだ。
発動させる時に姫椿は、正位置の愚者と呼んでいたのを思い出しながら手に取る。
昔読んだ本には確か……新しい世界の始まりとか、そんな意味合いを含んでいた気がする。魔法効果といい、こうなる事を想定した上でタロットカードを使ったのなら姫椿はかなり凄い人なのかも知れない。あの、ざっくりした魔法についての説明を思い出しながら真白は感嘆の声を漏らした。
魔法を使いたいって気持ちだけあれば、なんでもいいのよ。
使いたい技をイメージして叫ぶだけ。
よくあるでしょ?火を使いたいなら、炎よ!とか。そんな感じ。
私がカードを使うのは、意味も込めやすいし……見た目かっこいいから!
綾瀬は、色彩を呪文にしているよ。
本当、なんでもいいの。出来ちゃうから。自分を信じてみて。
「何でもいい」
それなら私は、あの輝いていた物を使ってみたい。
目を閉じて、深呼吸をする。
「開け、黎明の鍵」
ガチャっと鍵の開く音と閉じている瞳からでも分かる眩しさ、そして引っ張られていく身体に怖くなって力んだ手に確かに感じる鍵の感触。
ふわっと鼻を掠めた柑橘と石鹸の香りに目を開けると、目の前に現れた真白に心底驚いた顔をしている王李がいた。
「ま、真白?」
名前を呼ばれて、悪戯が成功した時みたいな嬉しさが込み上げてくる。
よかった、間に合った。
両手で王李の頭を挟む様に掴んで固定する。
「っ、せーの!!!」
ごちん
渾身の頭突きをお見舞いした。
「っっっ、ま、まし、真白さん?………っ、てめぇぇぇぇ」
衝撃と痛みと怒りに震える王李に、同じ様に痛むおでこをさすりながら真白は告げた。
「窮地、でしょ?来たよ」
顔を上げる王李に上手く笑えているかは分からない。
頬を伝う涙が、約束を果たせた事に対する達成感なのか過去を思い出したからなのか……多分、全部だろう。
「かっこよすぎだろ……」
俯く王李の呟きに、王李もあの時の事を覚えているのだと知って胸がいっぱいになった。
「……退きなさいよ。今、大事な話をしてる途中なんだから」
冷ややかな口調に振り返っても、そこにいるはずの人物を真白は認識出来なかった。
魔法の概念を掴んだばかりの真白の瞳に映る世界は多彩な刺繍色で溢れていたのに、その中で歪な蚕の繭玉を想像させる巨大な黒い塊に息を呑む。
ゆっくりと幼虫が這っている姿にしか見えなくて肝が冷えた。
変な冷や汗が全身から出るのを感じて、頭の中では“逃げろ”と警報が鳴り後先考えずに行動した事を悔いる余裕もない中で、それでもここだけは譲れないと真白は声を上げた。
「退きません」
「はぁぁ!?邪魔しないでよ、真白ちゃんは部外者なの!!私達は今、家族の話をしてるんだから」
「家族?」
「そうよぉ?愛し合ってる家族の話ぃ」
何の事?と王李に目配せしても真っ青な顔をしたまま目も合わず、絶望感に苛まれ静かに怯え震えている姿は見てるこっちが痛々しくなる。
そんな王李を満足そうに嘲笑う声だけが響く中、真白は大切な人を無差別に傷つける白椿に腹が立っていた。
「何の事かわからないけど嘘はやめて下さい」
「嘘?私が、嘘をついてるって言うの?」
楽しそうな声が一変し歪な黒い塊がぶつぶつ泡立ち今にも沸騰しそうになった。
いきなり爆発したらどうしようという不安と葛藤しながら、気圧されている事を悟られまいと真正面を見据える。
直感で嘘をついていると言ったのだが白椿は明らかに動揺していた。
「そうよ。私は何があっても王李を……綾瀬を信じます。何を言われようが、ちゃんと本人から話を聞くし、何でも話して欲しい。頼りにならないかもしれないけど、私はずっと綾瀬の味方です!!」
「生意気なっ!!」
黒い泡が一斉に弾けて真白へ向け黒い粒が飛散するのを見て、すぐさま真白は王李の技を見様見真似で声に出す。
「す、翠」
しかし少し怯んでしまった真白の声に反応した魔法は、王李が出した物より弱い光で所々に綻びのある魔法陣が床に現れて霧散してしまった。
鱗粉の煌めきに似た光を絶望的に見ながら、もう駄目だと覚悟を決める直後、一回り大きな手が肩に乗り見上げると懐かしい人が前を見据えていた。
「萌黄」
真白が築いた陣の上に強固な魔法陣がパズルが組み上がる様に形成されていく様子は息を飲む程の美しく、一瞬にして力強い木々の芽吹きを連想させる緑色に包まれた。
その中に立つ綾瀬の佇まいに目を奪われる。
背中に揺れる長い赤髪も綺羅と同じ漆黒のコートもあの時のままで、王李の変幻を解いた本来の綾瀬が自分よりも歳上の人なんだと改めて思い知る。
王李が急に大人になってしまった様な寂しさを感じるが、此方の視線に気づいて振り返った時の気を許してくれている雰囲気は王李の頃のままで……なんだかこっちが綻んでしまう位、嬉くなった。
「綾瀬っ!!」
綾瀬のお陰で黒い繭に包まれていた白椿の姿をはっきり捉えることが出来た。
真白は歓喜の声を上げる白椿を見ながら、綾瀬の登場を喜んでいるのは自分だけじゃないと気を引き締め直す。
だって、さっきは間一髪だった。
まだまだ自分の未熟さを思い知りながらも、この先は綾瀬に託すべきだろうと思いながら手に持っていた黎明の鍵を投げた。
「これ!ありがとう」
放物線を描いて綾瀬の手の平に収まった鍵は今も輝きを失っていない。
勿論、対になっている南京錠も白椿の胸元にある。
確かに受け取ったと言う代わりに小さく微笑まれ何だか照れ臭くなっていると……突然、べしゃっと生々しい音に合わせて視界が真っ黒に染まった。
淡い緑色の結界のお陰で何ら影響はなかったものの、白椿の仕業なのが嫌でもわかる。
「綾瀬!!」
肩を怒らせ、こっちを見てよと言わんばかりの声量が鼓膜を劈いた。
ぶつけられる独占欲には真白ですら恐怖を覚えるのに当の綾瀬は無関心だった。
ごっそり感情が抜け落ちた様に綺麗な無表情で魔法陣についた汚れを手を振る仕草で取り除く。
「な、何で?何で無視するの?やっと……やっと逢えたのに!!!」
瞳に大粒の涙を浮かべて声を震わす姿はもう女優か何かかと思う位、喜怒哀楽が激しい白椿に真白は釘付けになった。
悲痛な叫びには何故か胸が締め付けられてこっちが苦しくなる。
苦しいと思う気持ちには身に覚えがあるからだろうか。
あぁ、本当に好きなんだな。
恋しくて恋しくて歪んでしまった恋心と、でもその気持ちが報われない事を真白は今まさに目撃していた。
音のないため息をついた綾瀬の冷めた態度は、既に恋だの愛だのという年頃の男女が憧れて夢中になる感情とは別の次元にいるんだと思い知らされる。
綾瀬と白椿、そして姫椿の間に何があったのかは知らないが側から見ても綾瀬には白椿に対する気持ちが微塵もないのは明らかだった。
「お、怒ってる?綾瀬をすぐに取り返しに行かなかった事。怒ってるんでしょう?だから待てなくて、待ちきれないから直接会いに来た……うん、私、分かってる。分かってるから!!だって私達、愛し合ってるんだもん」
王李に語りかける時とは違う、甘える声音。
しかし、自分に酔っているとしか思えない内容に真白は小首を傾げた。
恋は盲目と本で読んだ事があるけれどこれは……相手の気持ちを気にせずに自分しか見えてない恋に恋している感じと表現した方がしっくりする。
こんな相手に何を言っても徒労に終わるんじゃないかと心配になって綾瀬を見ても表情が変わっておらず何を考えているのか読めない。
「ね?一緒に帰りましょう?私と牡丹と綾瀬の三人で暮らしましょう?」
両手を広げて綾瀬を抱きしめる仕草を見せる白椿を見ながら、綾瀬はさっき取り落とした大鎌を再び手中に召喚させた。
正直な所、もうこの女の前に綾瀬として本来の姿を晒す気はなかった。
姫椿が自分の為に色々根回ししていたのも知っていたが、白椿相手には全て無意味な事だと知っていたし、自分が姫椿を想っている事を一向に信じてない姫椿の態度にも若干失望していたから黙認していた。
姫椿は、見ているだろうか?
今、もう一度この女と対峙している俺の姿を。
話を誇張してありもしない“子供”の話まで持ち出してくる双子の片割れをどう見ているのだろう。
囚われていた二年間、過ちを犯す事はしてないと言い切れるが、薬漬けにされ意識のない時に何かされていたら?と考えた途端に自信が砕け散ってしまった。
白椿の事も自分の事も信じられない状況下で、唯一、真白が信じると伝えてくれた。俺の味方だと叫んでいた。
だから真白が信じてくれた自分を信じてみたいと思ったんだ。
手にした大鎌の色を錆色に変え、肉体を切れる状態に変更する。
話が通じない相手ならもう消えればいい。死すら喜ぶかも知れないが、自分の中には“殺す”以外の選択肢はない。
だが綺羅からのレージの伝言も無視できない。
“生きたまま白椿を渡せ”
姫椿を救う為には、あの藪医者の力が必須だろう。
なら、今出来ることは何だ?と自分に問うた時に目の前にチラつく赤い南京錠が目に止まる。
そうだ。
俺のが欲しいものは常に一つと決まっている。
白椿が自分に執着している様に、俺は姫椿に執着している。
お互い報われない者同士。
この昔日の片想いに今、幕を降そう。
一刻も早く王李を……綾瀬を助けたい気持ちは変わらないのに、一瞬でもこんな私が行っても良いのだろうかと躊躇してしまったが故に堕ちてしまった。
焦るあまり自分の事なのに上手く考えがまとまらず、膝を抱えて蹲っていると背中に仄かな暖かさと誰かが寄りかかっている重みを感じて、すごく驚いた。
「だ、誰っ!?」
“……ねぇ、また一人なの?”
その声は、紛れもなく自分のものだった。
淡々と話す声は冷たくて、首の後ろに頭まで預けわざと重くして振り返る事を拒否している。
「一人じゃないよ」
“本当に?”
どうしてそんな意地悪言うの?と言い返したくなっても、疑い深くなる気持ちも分かってしまうから結局何も言えなくなってしまう。
孤独だった頃の自分を思い出してから、クラスメイト達が手の平を返した様に冷たくなる瞬間や視線、陰口もまざまざと思い起こされて自分の中に芽生えた猜疑心が止まらない。
“ねぇ、そんな簡単に信じられるものなの?大丈夫?騙されてるんじゃない?”
「だ、騙されてない!!」
“綺羅だって突然居なくなったじゃない”
「でも、帰って来てくれた!!」
“雪乃は?酷い事されたの、もう忘れちゃったの?”
ズキンと痛む胸に追い打ちを掛ける声が続く。
“白馬も騙してたじゃない”
「やめてよっ!!」
避けてきた話題に耐えきれず、気づいたら声を上げて遮っていた。
ずっと考えない様にして逃げていたのを見透かされて、ばくばく鳴る心音が苦しくて、痛い。
背中に寄り掛かったままのもう一人の私が、白馬に裏切られた事をすんなり認めているのが余計に悔しかった。
「……なんで?そんな簡単に割り切れるもの?」
“信じたから痛い目にあったんでしょう?初めから距離を置くべきだったのよ。そしたらこんな事にはならなかった。全部、ぜーんぶ”
「信じなくても、毎日辛かったじゃない!!」
今度はもう一人の自分が押し黙ってしまった。
その時伝わってきた感情が、胸が詰まる位の哀しさで溢れている事に気づいた途端、これは私の猜疑心が形を成して現れた物なんだと真白は唐突に理解した。
「……傷つくのは、今も怖いよ。でも逃げない。私がなりたかった自分、知ってるでしょう?」
姫椿になりたい自分を問われて答えた、“普通”を生きる自分像。
“これが、普通だって言うの?騙されて、騙されて……振り回されて、傷ついてくばかりじゃない”
「でも、孤独じゃない。昔、図書室で綺羅が話しかけてくれて、嬉しかったあの時の気持ちが他の人達とも共有できてる」
“私は、傷つきたくない”
「私は、強くなりたい」
もう何も諦めたくない。
どんなに辛くても傍にいてくれる人達がいるから大丈夫。
そう思えただけで強く心が動いた。
「これからよ。全部、全部!!やる事沢山あるの。白馬にだって、これから直接聞くんだから!!ごちゃごちゃ言ってないで、行くよ!!」
半ば強引に振り返って背後にいる自分の手を取った。
驚く自分と目が合って、その表情の中に期待と不安が入り混じっているのが見えた気がしたのも束の間に、瞬く光と共に一枚のタロットカードに姿が変わった。
空中に浮かぶカードは以前、姫椿が使っていた愚者のカードだ。
発動させる時に姫椿は、正位置の愚者と呼んでいたのを思い出しながら手に取る。
昔読んだ本には確か……新しい世界の始まりとか、そんな意味合いを含んでいた気がする。魔法効果といい、こうなる事を想定した上でタロットカードを使ったのなら姫椿はかなり凄い人なのかも知れない。あの、ざっくりした魔法についての説明を思い出しながら真白は感嘆の声を漏らした。
魔法を使いたいって気持ちだけあれば、なんでもいいのよ。
使いたい技をイメージして叫ぶだけ。
よくあるでしょ?火を使いたいなら、炎よ!とか。そんな感じ。
私がカードを使うのは、意味も込めやすいし……見た目かっこいいから!
綾瀬は、色彩を呪文にしているよ。
本当、なんでもいいの。出来ちゃうから。自分を信じてみて。
「何でもいい」
それなら私は、あの輝いていた物を使ってみたい。
目を閉じて、深呼吸をする。
「開け、黎明の鍵」
ガチャっと鍵の開く音と閉じている瞳からでも分かる眩しさ、そして引っ張られていく身体に怖くなって力んだ手に確かに感じる鍵の感触。
ふわっと鼻を掠めた柑橘と石鹸の香りに目を開けると、目の前に現れた真白に心底驚いた顔をしている王李がいた。
「ま、真白?」
名前を呼ばれて、悪戯が成功した時みたいな嬉しさが込み上げてくる。
よかった、間に合った。
両手で王李の頭を挟む様に掴んで固定する。
「っ、せーの!!!」
ごちん
渾身の頭突きをお見舞いした。
「っっっ、ま、まし、真白さん?………っ、てめぇぇぇぇ」
衝撃と痛みと怒りに震える王李に、同じ様に痛むおでこをさすりながら真白は告げた。
「窮地、でしょ?来たよ」
顔を上げる王李に上手く笑えているかは分からない。
頬を伝う涙が、約束を果たせた事に対する達成感なのか過去を思い出したからなのか……多分、全部だろう。
「かっこよすぎだろ……」
俯く王李の呟きに、王李もあの時の事を覚えているのだと知って胸がいっぱいになった。
「……退きなさいよ。今、大事な話をしてる途中なんだから」
冷ややかな口調に振り返っても、そこにいるはずの人物を真白は認識出来なかった。
魔法の概念を掴んだばかりの真白の瞳に映る世界は多彩な刺繍色で溢れていたのに、その中で歪な蚕の繭玉を想像させる巨大な黒い塊に息を呑む。
ゆっくりと幼虫が這っている姿にしか見えなくて肝が冷えた。
変な冷や汗が全身から出るのを感じて、頭の中では“逃げろ”と警報が鳴り後先考えずに行動した事を悔いる余裕もない中で、それでもここだけは譲れないと真白は声を上げた。
「退きません」
「はぁぁ!?邪魔しないでよ、真白ちゃんは部外者なの!!私達は今、家族の話をしてるんだから」
「家族?」
「そうよぉ?愛し合ってる家族の話ぃ」
何の事?と王李に目配せしても真っ青な顔をしたまま目も合わず、絶望感に苛まれ静かに怯え震えている姿は見てるこっちが痛々しくなる。
そんな王李を満足そうに嘲笑う声だけが響く中、真白は大切な人を無差別に傷つける白椿に腹が立っていた。
「何の事かわからないけど嘘はやめて下さい」
「嘘?私が、嘘をついてるって言うの?」
楽しそうな声が一変し歪な黒い塊がぶつぶつ泡立ち今にも沸騰しそうになった。
いきなり爆発したらどうしようという不安と葛藤しながら、気圧されている事を悟られまいと真正面を見据える。
直感で嘘をついていると言ったのだが白椿は明らかに動揺していた。
「そうよ。私は何があっても王李を……綾瀬を信じます。何を言われようが、ちゃんと本人から話を聞くし、何でも話して欲しい。頼りにならないかもしれないけど、私はずっと綾瀬の味方です!!」
「生意気なっ!!」
黒い泡が一斉に弾けて真白へ向け黒い粒が飛散するのを見て、すぐさま真白は王李の技を見様見真似で声に出す。
「す、翠」
しかし少し怯んでしまった真白の声に反応した魔法は、王李が出した物より弱い光で所々に綻びのある魔法陣が床に現れて霧散してしまった。
鱗粉の煌めきに似た光を絶望的に見ながら、もう駄目だと覚悟を決める直後、一回り大きな手が肩に乗り見上げると懐かしい人が前を見据えていた。
「萌黄」
真白が築いた陣の上に強固な魔法陣がパズルが組み上がる様に形成されていく様子は息を飲む程の美しく、一瞬にして力強い木々の芽吹きを連想させる緑色に包まれた。
その中に立つ綾瀬の佇まいに目を奪われる。
背中に揺れる長い赤髪も綺羅と同じ漆黒のコートもあの時のままで、王李の変幻を解いた本来の綾瀬が自分よりも歳上の人なんだと改めて思い知る。
王李が急に大人になってしまった様な寂しさを感じるが、此方の視線に気づいて振り返った時の気を許してくれている雰囲気は王李の頃のままで……なんだかこっちが綻んでしまう位、嬉くなった。
「綾瀬っ!!」
綾瀬のお陰で黒い繭に包まれていた白椿の姿をはっきり捉えることが出来た。
真白は歓喜の声を上げる白椿を見ながら、綾瀬の登場を喜んでいるのは自分だけじゃないと気を引き締め直す。
だって、さっきは間一髪だった。
まだまだ自分の未熟さを思い知りながらも、この先は綾瀬に託すべきだろうと思いながら手に持っていた黎明の鍵を投げた。
「これ!ありがとう」
放物線を描いて綾瀬の手の平に収まった鍵は今も輝きを失っていない。
勿論、対になっている南京錠も白椿の胸元にある。
確かに受け取ったと言う代わりに小さく微笑まれ何だか照れ臭くなっていると……突然、べしゃっと生々しい音に合わせて視界が真っ黒に染まった。
淡い緑色の結界のお陰で何ら影響はなかったものの、白椿の仕業なのが嫌でもわかる。
「綾瀬!!」
肩を怒らせ、こっちを見てよと言わんばかりの声量が鼓膜を劈いた。
ぶつけられる独占欲には真白ですら恐怖を覚えるのに当の綾瀬は無関心だった。
ごっそり感情が抜け落ちた様に綺麗な無表情で魔法陣についた汚れを手を振る仕草で取り除く。
「な、何で?何で無視するの?やっと……やっと逢えたのに!!!」
瞳に大粒の涙を浮かべて声を震わす姿はもう女優か何かかと思う位、喜怒哀楽が激しい白椿に真白は釘付けになった。
悲痛な叫びには何故か胸が締め付けられてこっちが苦しくなる。
苦しいと思う気持ちには身に覚えがあるからだろうか。
あぁ、本当に好きなんだな。
恋しくて恋しくて歪んでしまった恋心と、でもその気持ちが報われない事を真白は今まさに目撃していた。
音のないため息をついた綾瀬の冷めた態度は、既に恋だの愛だのという年頃の男女が憧れて夢中になる感情とは別の次元にいるんだと思い知らされる。
綾瀬と白椿、そして姫椿の間に何があったのかは知らないが側から見ても綾瀬には白椿に対する気持ちが微塵もないのは明らかだった。
「お、怒ってる?綾瀬をすぐに取り返しに行かなかった事。怒ってるんでしょう?だから待てなくて、待ちきれないから直接会いに来た……うん、私、分かってる。分かってるから!!だって私達、愛し合ってるんだもん」
王李に語りかける時とは違う、甘える声音。
しかし、自分に酔っているとしか思えない内容に真白は小首を傾げた。
恋は盲目と本で読んだ事があるけれどこれは……相手の気持ちを気にせずに自分しか見えてない恋に恋している感じと表現した方がしっくりする。
こんな相手に何を言っても徒労に終わるんじゃないかと心配になって綾瀬を見ても表情が変わっておらず何を考えているのか読めない。
「ね?一緒に帰りましょう?私と牡丹と綾瀬の三人で暮らしましょう?」
両手を広げて綾瀬を抱きしめる仕草を見せる白椿を見ながら、綾瀬はさっき取り落とした大鎌を再び手中に召喚させた。
正直な所、もうこの女の前に綾瀬として本来の姿を晒す気はなかった。
姫椿が自分の為に色々根回ししていたのも知っていたが、白椿相手には全て無意味な事だと知っていたし、自分が姫椿を想っている事を一向に信じてない姫椿の態度にも若干失望していたから黙認していた。
姫椿は、見ているだろうか?
今、もう一度この女と対峙している俺の姿を。
話を誇張してありもしない“子供”の話まで持ち出してくる双子の片割れをどう見ているのだろう。
囚われていた二年間、過ちを犯す事はしてないと言い切れるが、薬漬けにされ意識のない時に何かされていたら?と考えた途端に自信が砕け散ってしまった。
白椿の事も自分の事も信じられない状況下で、唯一、真白が信じると伝えてくれた。俺の味方だと叫んでいた。
だから真白が信じてくれた自分を信じてみたいと思ったんだ。
手にした大鎌の色を錆色に変え、肉体を切れる状態に変更する。
話が通じない相手ならもう消えればいい。死すら喜ぶかも知れないが、自分の中には“殺す”以外の選択肢はない。
だが綺羅からのレージの伝言も無視できない。
“生きたまま白椿を渡せ”
姫椿を救う為には、あの藪医者の力が必須だろう。
なら、今出来ることは何だ?と自分に問うた時に目の前にチラつく赤い南京錠が目に止まる。
そうだ。
俺のが欲しいものは常に一つと決まっている。
白椿が自分に執着している様に、俺は姫椿に執着している。
お互い報われない者同士。
この昔日の片想いに今、幕を降そう。
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軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
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