時繋ぐ者の物語ー転移の騎士ー

初心者青年

文字の大きさ
1 / 1

なんてことない日常

しおりを挟む
その日は、なんてことのない日常だった。

スマホのアラームが軽快な音楽を鳴らしている。画面に表示された時刻は午前七時。

勇人はスマホとは反対側を向いていたが、寝返りを打って体の向きを変えた。眠そうに手を伸ばしてスマホを手に取り、画面を確認してアラームを止めると、再び眠りに落ちそうになる。

すると、階段を駆け上がる足音が響き、部屋の扉の向こうから声がした。



「勇人、勇人。早く起きなさい。遅刻するわよ」



勇人は布団の中で腕を伸ばし、目をこすりながら上体を起こした。右手で枕元を探り、手に触れたスマホをつかんで画面を表示させた。時刻は七時五分。いつもより少しだけ早い。

パジャマ姿のまま、ぼさぼさの髪をかきながら階段を下りていった。



「おはよ」



キッチンで朝食の準備をしている母親に声をかけた。



「おはよう、勇人。今日はちゃんと起きられたのね。テーブルの上に朝ごはんあるから、冷めないうちに食べちゃいなさい」



勇人はキッチンを抜けてリビングへ向かう。

テーブルの上には、味噌汁、焼き鮭、スクランブルエッグ、海苔、そして湯気の立つ湯飲み。いかにも“朝ごはん”らしい風景が広がっている。

その向かいでは、すでに食事を終えた父親が新聞を広げながら、スーツ姿でコーヒーをすすっていた。



「おはよう」

「おう、おはよう。今日は早いんだな」



そう言いながら、父親は新聞から顔を上げることなく応じる。

勇人は父の向かいに腰を下ろし、箸を手に取る。

味噌汁の椀に箸を入れ、軽くかき混ぜて一口すすった。温かい汁が、空腹と寝起きの体にじんわりと染みわたる。

焼き鮭に手を伸ばし、しっかり焼かれた皮をぱりぱりと音を立ててはがす。骨を避けながら身をほぐし、口に運ぶ。ほのかな塩味が口に広がり、ご飯に自然と手が伸びた。

スクランブルエッグも、少しずつ口に運ぶ。味付けのされていない、卵本来のやさしい味が広がる。

その間に、父親は残りのコーヒーを飲み干し、新聞をたたんで立ち上がる。玄関へ向かい、姿見の前に立ち止まった。

ネクタイの曲がりを直し、スーツの襟や髪形を確認する。鏡越しの自分に小さくうなずくと、革靴に足を通す。



「行ってくる」



父親がそう言うと、母親は食器を片付ける手を止めて玄関へ向かう。



「行ってらっしゃい。忘れ物はない?」



父親は短く返事をし、玄関の扉を開けて出ていく。

母親は片足だけスリッパを履いたまま、扉から少し身を乗り出し、父の背中に向かって声をかけた。



「しっかりね」



そう言って見送ると、扉を静かに閉める。

その頃、勇人は食事を終え、食器を流しに運ぶ。水を張ったシンクにそっと浸けると、洗面所へ向かった。

歯を磨き、口をすすぎ、顔を洗う。冷たい水が肌に触れ、ぼんやりとしていた頭がすっきりとしていくのを感じる。

タオルで顔を拭き、鏡をちらりと見やってから二階の自室へ戻った。

パジャマを脱ぎ、シャツを着て、ボタンを一つひとつ留める。ズボンに足を通し、ベルトを締め、ネクタイを軽く結ぶ。

ベッドの横に置かれたリュックを手に取り、肩にかけて階段を降りる。

階段の下では、母親が水筒とお弁当を手に持って待っていた。



「はい」



と差し出され、それを受け取ってリュックの中にしまう。



「忘れ物はない?」

「ないはず」



勇人はそう答えると、玄関へ向かい、靴を履く。



「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」



扉を開けて外に出ると、朝の空気はすでにじめっとしていて、じわりと暑さを感じた。

母親に見送られながら、勇人はいつも通り、高校へと向かって歩き出す。

蝉の鳴き声が、遠くから近くから、耳をつんざくように響いてくる。まるでオーケストラのようだが、うるさくてたまらない。夏の暑さを、さらに熱くしている気がする。

通学路を歩いていると、突然背中に軽い衝撃を受けた。



「よう。珍しく早いじゃん、勇人」



振り返ると、そこには小学校からの友人、翔平がいた。

制服のシャツの袖はラフにまくり上げられ、第一ボタンは外されたまま。ネクタイもゆるく、制服を少し着崩している。

いたずらっぽく笑った翔平の口元からは、片方の八重歯が覗いていた。



「いつも遅刻ギリギリのお前が、なんで今日はこんなに早いの?」

「別に。今日はたまたま早く起きられただけだよ」



勇人がそう答えると、翔平は笑いながら歩調を合わせて並んだ。



「今日、古文の小テストあるの知ってる?」

「え、マジ?」



勇人が目を丸くする。



「マジマジのマジ。先生、何度も言ってたろ」

「全然覚えてない……」

「だと思った」



翔平は肩をすくめて苦笑いする。



「教室着いたら範囲教えてやるよ。古文はお昼の後だし、それまでにどうにかなるっしょ」

「マジ助かる。お前がいなかったら詰んでたわ」



そんな他愛のない会話を交わしながら、二人はゆっくりと、しかし確実に、今日もまたいつもの高校へと歩いていく。





時間は放課後へと移る。

教室には、掃除の音や友人たちの笑い声がまだわずかに残っていた。

勇人は自分の席で、机に突っ伏していた。体を起こすのも面倒なほど、ぐったりしている。



「古文、どうだったよ?」



前から聞こえた声に顔を上げると、翔平がこちらを覗き込んでいた。



「なんとか全部埋めたよ。あってるかは知らんけど」

「お、やるじゃん」

「お前のおかげだわ。ほんと感謝」



翔平は笑いながら、勇人の前の席の椅子に腰かける。背もたれにだらりともたれながら、足を軽く揺らしていた。



「で、このあとなんか用事ある?」

「いや、特にないけど」



勇人がそう答えると、翔平の顔にぱっと笑顔が広がる。八重歯がちらりと見える。



「じゃあさ、駅前にできたクレープ屋、行こうぜ。一緒に」

「は? 女子かよ」

「違ぇよ。話題になってんじゃん、SNSとかで。流行りに乗ってるだけ」



翔平は悪びれずにそう言って、椅子をくるりと回した。



「甘いもんもたまには悪くないぜ?」



勇人は苦笑しながら、立ち上がる準備を始める。



「まあ、たまにはいいか」



勇人がそう言って椅子から立ち上がると、翔平の口元がニヤリと歪む。



「よし決まり。……で、当然お前のおごりな」

「は?」

「だって俺、今日お前に古文の範囲教えてやったろ? 命の恩人よ?」

「それくらいで恩人名乗るな」

「いやいや、あれがなかったらお前、“白紙提出”だった可能性あるからな。ワンチャン留年まであった」

「ねぇよ」



翔平は肩をすくめ、立ち上がって勇人の肩を軽く叩いた。



「というわけで、財布の中身、よろしく頼むわ。俺はバナナチョコ生クリーム」

「もう決めてんのかよ……」



勇人は呆れながらも、どこか楽しげな翔平のテンションにつられて、小さく笑ってしまう。

気がつけば、肩の力が少し抜けていた。





駅までの道のりを、二人は他愛もない会話をしながら歩いた。

街はまだ明るく、制服姿の学生や買い物帰りの主婦たちで賑わっている。

駅前の広場に出ると、すぐに目当てのクレープ屋が見えた。

新しくできたばかりの小さなキッチンカータイプの店舗で、カラフルなのぼりと甘い香りが風に乗って漂ってくる。



「お、あれあれ。見ろよ、めっちゃ並んでんじゃん」



翔平が指をさす先には、女子高生のグループやカップルに混じって、制服姿の男子もちらほら並んでいた。



「……なあ、ちょっと場違い感すごくないか?」

「何言ってんだよ。時代はジェンダーレスだぜ」

「使い方間違ってんだろ、それ」



翔平はどこ吹く風と列の最後尾に並び、メニュー表をじっと見つめる。

パステルカラーで描かれた可愛らしいイラストの中から、目を皿のようにして選んでいる。



「俺、さっき言ったとおり、バナナチョコ生クリーム。あとタピオカミルクティーもつけちゃおうかな」

「おい、飲み物まで頼む気かよ。財布の中身で足りるか微妙なんだけど」

「大丈夫大丈夫、君ならやれる」



勇人はため息をつきつつ、メニューに目を移す。



「……じゃあ、俺はいちごカスタードで」

「乙女か」

「うるせぇ」



並んでいる間も、翔平は周囲の女子グループに聞こえるか聞こえないかという声量でボケたりして、勇人を苦笑いさせる。

順番が来てクレープを受け取ると、駅前の喧騒を少し離れたベンチに座り、二人は甘いクレープを頬張っていた。



「……意外と、うまいな」



勇人がクレープをひと口かじりながらつぶやくと、翔平は満足げにうなずく。



「だろ? たまには甘いもんもアリだよな」



ひとしきり味わってから、勇人がふと思い立ったように口を開く。



「てかさ、お前何回か来てる感じだろ? どのクレープが一番うまいんだよ、実際」



翔平は口にクレープを入れたまま、わずかに目を細めた。



「お、ついに味の沼に足突っ込んだか? クレープ道に興味を持ち始めたな?」

「違ぇよ。普通に気になっただけだ」



翔平は残り少なくなったクレープをかじりながら、少し考える素振りを見せる。



「個人的にはチョコ系が鉄板だけど、期間限定の“塩キャラメルナッツ”とか、マジでやばいぞ。あれは犯罪級」

「それ言いすぎなやつだろ」

「いや、マジ。あれは甘さとしょっぱさの黄金バランス。あと“抹茶白玉あずき”も捨てがたい」

「急に和テイスト入れてくんな」

「だから悩むんだよ! それがクレープの深みなんだよ!」



翔平はどこか誇らしげに言うと、最後のひと口を頬張った。



「……お前、クレープに人生かけてる?」

「人生じゃねぇけど、胃袋はかけてる」



勇人は噴き出しそうになりながらも、自分のクレープに目を落とす。



「……塩キャラメルナッツ、今度食ってみるわ」

「それ正解。俺が保証する」



ふたりはそんな他愛もない会話を交わしながら、夕暮れのベンチでしばらくのんびりと過ごし、翔平と駅で別れた勇人は、ゆっくりと帰路に就いた。

日はすっかり傾き、空は紫とオレンジが混ざり合うグラデーションを描いていた。

家の扉を開けると、ただいま、と声をかける。



「おかえり、勇人。晩ごはんすぐだから、着替えたら降りてきて」



母親の声がリビングから返ってくる。

勇人はいつものように自室へ向かい、制服を脱いで部屋着に着替えると、階段を下りた。

テレビではバラエティ番組が流れており、父親がソファに座って笑っている。

勇人もその隣に腰を下ろし、なんとなく画面を眺める。

やがて夕飯が食卓に並び、三人で食事を囲む。

今日のメニューは唐揚げと冷や奴、味噌汁。

特別なものではないが、どれも慣れ親しんだ味だ。



「今日は暑かったねぇ」

「クーラー効きすぎて会社寒かったよ」



両親の会話が行き交う中、勇人は黙々と箸を進めた。

夕食を終えると、しばらくスマホをいじりながらゴロゴロし、風呂に入る。

湯船に浸かる時間は短く、さっと体を洗って風呂を出ると、部屋に戻ってベッドに横になる。

天井を見つめながら、ぼんやりと思う。

(なんてことのない、一日だったな)

スマホのアラームを確認し、充電ケーブルに差し込む。

明日の準備はすでにできていた。

まもなく瞼が重くなり、勇人は静かに眠りについた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...