そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

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第3章 誰かが死ぬということ

殺戮を愉しむ獣

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 一瞬に、一呼吸のうちに、スピッツベルゲンが正面から肉薄する。おぞましい殺意が瘴気のように玲士朗達を内面から蝕んでいった。足元には、不気味に蠢く漆黒の影が忍び寄り、恐怖に駆られた玲士朗達は、半ば取り乱しながら散り散りになってスピッツベルゲンから距離を取る。

 彼らが退避した直後、地面を侵食した黒い影から、金切り音と共に鋭利な尖角が無数に突き出す。まるで剣山のようなそれは、スピッツベルゲン固有の殺戮手段――古来より人類社会において広く用いられた「串刺し」による処刑――であった。人の肉体など軽々と突き破り、想像を絶する苦痛の果てに死をもたらす凶器の大群に、玲士朗達は戦慄した。

「あ――!」

 態勢を崩した柚希を、スピッツベルゲンは見逃さない。肉食獣のような感知力と力強さで無防備な少女に狙いを定める。

「柚希!」

 玲士朗は怯懦きょうだの支配を押し返すように、スピッツベルゲンを背後から追う。しかし、並外れた俊敏さは彼の追随を許さなかった。

 地面に蹲る柚希を串刺しにして高く掲げ、その瑞々しく若い肉体を喰い千切らんと、黒い影を従えたスピッツベルゲンが襲いかかる。本体に先駆けて食指を伸ばす黒い影が柚希を飲み込むのを阻止したのは、メーネの生み出す清光の防壁――彼女の強い拒絶の意志を具象化した『心意結界しんいけっかい』だった。鮮烈な青緑色の眩光げんこうを嫌って、黒い影は返す波のように遠ざかる。スピッツベルゲンの進路を阻むメーネは、かつての自分の成れの果てと真正面から対峙した。

 もはや生前の面影はない。身体のほとんど全てを虫の大群のような黒い影に侵食され、肌は蒼白で腐食している。赤い唇からは体液を垂れ流し、人語ではない雑音が口腔から漏れ出ていた。

 鋭利な牙を突き立てようと頬まで裂けた大口を開けるその姿はまさに原初の獣である。メーネは先代の救世主に対する崇敬の念と親愛の情をかなぐり捨てる。

 ――私の友人を傷つけないで!

 まなじりを決したメーネは、猪突猛進するスピッツベルゲンを心意結界で押し留め、渾身の力で弾き返す。

 スピッツベルゲンは吹き飛ばされながらも、俊敏な身のこなしで態勢を立て直し、体躯を纏う黒い影から赤黒い杭のような塊を速射砲のように射出し続ける。

 応戦するメーネは幾重にも折り重なる光の帯を展開し、超高速で襲いかかる数十の杭を迎え撃つ。超高速で回転運動を続ける光の帯に触れた杭は音もなく切り裂かれ、細切れになって地面に落下していく。

 円月輪チャクラムの如き様相を見せる光の帯を伴って、今度はメーネがスピッツベルゲンとの距離を詰める。メーネの周囲を縦横無尽に駆け巡る光の帯が、スピッツベルゲンの不可視の防壁とぶつかり合い、迸る力が煌めく粒子となって現れては消えていく。明らかにスピッツベルゲンは防戦一方だった。

 だが、彼の魔物は怯む様子もない。防壁を解いた瞬間、黒い影を凝集させて、巨大な杭を数本投げ放つ。これまでの杭とは比べ物にならない質量がメーネに襲いかかり、その吶喊とっかんを断念させる。

 スピッツベルゲンは執拗に柚希を屠らんと欲していた。弱者から血祭りに上げ、その肉を喰らい尽くすという本能に従うが故、である。天上間近まで飛び上がり、未だ動けない柚希に向けて、赤黒い杭を豪雨のように射出する。

「破界剣『織り成せ幕壁』!」

 詩音が柚希の前に躍り出て、巨大な光の城壁群が飛来する杭を弾き返す。柚希は、乱れた呼吸のまま目の前に佇む詩音の背中を見上げた。

「ありがとう、詩音」

「いいのよ。でも、やっぱり本調子じゃないわね。無理しちゃダメよ柚希」

「う、うん……ごめん……」

 柚希は自らの不甲斐ない姿に情けなさが募るばかりだった。昨夜の葬送の儀を経てから心身に変調を来している。原因不明で、得体の知れない症状が怖ろしくもあって、心が押し潰されるかのような苦しさに絶えず苛まれるのだった。

 そんな柚希の様子を一瞥して、詩音は唇を噛んだ。柚希が自責の念に苛まれているのは明らかだったが、本来、彼らが生きるはずだった世界であれば、そんな思いを抱くこともなかったのだ。

 柚希を苦しめるだけでなく、危害を加えようとするスピッツベルゲンに怒りが沸々と沸き起こる。たとえその正体が、かつてテルマテルを救った七人目の救世主であり、もう一人のメーネであろうと関係ない。詩音にとって護るべき存在は、八人目の救世主になろうとしているメーネと、幼馴染達を置いて他にはないのだから。

 玲士朗がスピッツベルゲンに斬りかかり、間断ない投擲攻撃が止んだ隙を見逃さず、詩音は展開した剣の刀身を格納する。さしづめバットを振るかのような構えに剣を持ち直し、再び刀身を外側に向けて展開した。

「破界剣『蹴散らせ封陣ふうじん』!」

 眼に見えないボールを打ち込むように詩音は剣を横一文字に振るう。すると、展開された刀身から煌めく光が波濤のように奔り、スピッツベルゲンの防壁に衝突して、相殺されずに貫通した力が黒い影もろとも激しく吹き飛ばした。

 壁にめり込むほどの衝撃波を受けて尚、スピッツベルゲンは健在だったが、動きが止まったことで鷹介は攻撃の好機を得た。引き絞った弦から矢庭に二本の矢を連続で射る。

 スピッツゲルゲンをその場に磔にしようと放たれた矢だったが、黒い影から射出される杭が豪速の矢を迎撃する。次いでメーネと玲士朗が連撃を試みるが、スピッツベルゲンの強固な防壁は悉く外部からの干渉を拒絶していく。致命傷を負わぬまま、スピッツベルゲンはその場から脱し、速度を増した俊敏さで玄室の前まで難を逃れた。四つん這いになって獲物の足掻きを観察するスピッツベルゲンの、まだ人の面影が残るかんばせには、玲士朗達の決死の攻撃も嘲笑うかのような余裕が、その歪んだ笑みに明瞭はっきりと刻み込まれている。

 鷹揚にして泰然。スピッツベルゲンは享楽を見出したのか、玲士朗達の攻撃を待ち構え、返り討ちにする戦術に移行したらしい。

「とんでもない硬さと速さだな」

 鷹介のぼやきに、メーネは深刻な面持ちで応じた。

「何とか動きを止めなければ」

 詩音はスピッツベルゲンから視線を外さず、呟く。

「私の結界をぶつけるのは効果ありそうだったわね。あとは素早く核を破壊しなきゃいけないところだけど……」

「考えがあるわ」

 声を上げたのは梢だった。

「観察して分かったことがある。アイツは防御している間、攻撃できない。でも詩音やメーネは防壁を張りながら攻撃ができる。そこに勝機があるわ」

「どう戦う?」

 玲士朗の問いに、梢は息を呑んでスピッツベルゲンを睥睨した

「玲士朗、メーネ、鷹介、私の四人で四方からアイツを囲んで動きを封じ、防壁を張らせ続ける。そして詩音が最前みたいにアイツを無防備にしたら、素早く玲士朗が核を破壊するの」

 合理的な構想力と緻密さにおいて、竹馬ナインの中で悟志と一、二を争う梢の提案に、玲士朗達は疑いなど少しも持たない。打開策が示された以上、あとは完遂のために力を尽くすのみであると、誰もが気持ちを奮い立たせた。

 メーネは、戦場に在ってこれまでとは打って変わった梢の冷静さに驚きを隠せなかったが、その洞察力と状況判断の的確さには信頼を寄せるに十分だった。精悍な梢の横顔を、メーネは頼もしさと共に見つめた。

「やりましょう」

「詩音と玲士朗の連撃が肝だな。できそうか?」

「やるさ、でないとアイツを倒せない」

 果敢に言い切る玲士朗だったが、詩音は表情を曇らせた。

「それも心配だけど、核がある場所も正確に分からないと……」

「分かるよ」

 未だ苦しそうに喘ぎながら柚希は断言した。自らの胸部の中央辺りを指さして見せる。

「私達の心臓の位置に、核がある。何でか分からないけど、はっきり感じるんだ」

 実際に危険を冒して戦うのは玲士朗達であるから、戦いに参加しない自分の発言ほど無責任で、軽々しいものはないと柚希は弁えていた。それでも、柚希は自分の感覚に自信を持っていたし、幼馴染達の助けになればとの一心だった。

 後ろ暗い表情を見せる柚希に、玲士朗は励ますような語調でいった。

「そんな顔するなよ。俺は信じるぞ」

 柚希は玲士朗の背中を見上げた。肩越しに柚希を見る玲士朗の視線とぶつかる。

「一緒にアイツを倒そう、柚希」

 玲士朗は決意も新たに、鞘から漆黒の刀を抜いてスピッツベルゲンを力強い眼差しで見据える。鷹介は昂然と、詩音は敢然と、梢は毅然と、メーネは決然としてそれぞれ倒すべき敵と相対する。

 柚希もまた、共に戦う意思を持って、スピッツベルゲンの愉悦に歪む笑みを凝望した。肩を並べて剣を振るうことはできなくても、心は共に在る。この強い思いが、仲間を傷つけようとする悪意を打ち砕く剣となって彼らを助けることを柚希は願い続けるのだった。
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