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第1章 目の覚めるような美女、目のやり場に困る美女

眼に見えない隔たり

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「ごめん。さすがに馴れ馴れしかったかな?」

「いえ、そんなことはありません。ありがたいお言葉です。昂良さんにとっては、九波さん達や深堂夫妻も家族、ということなのですね」

「そうだね、少なくとも僕はそう思っている」

 会話は途切れ、何とも言えない微妙な空気が僕と稟の間に横たわった。家族の話題はもう少し打ち解けてからの方が良さそうだ。僕は稟を引き連れて店内の奥へと進む。

「えーと……何の話をしていたっけ――そう! 僕はこの店がお気に入りでね、席を間借りさせてもらってここで仕事をしたりもしている」

 愛用の席は店内の一番奥。仕切りが高く、半個室のような形態になっている。稟の面接の際にも利用したが、動線上、他の客が近づくことがないため、仕事を依頼してくる客人のプライバシーを守るにもうってつけの席だったりする。

 ふと、自分の仕事について、まだ稟に話していないのではないかという疑念が生じた。相槌もないからもしやと思って振り返ると、案の定、稟は申し訳なさそうに僕の様子を伺っていた。

「自らの至らなさを口にするのは大変心苦しいのですが、昂良さんはどのようなお仕事をされているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ごめん、こちらの配慮が足りなかった。HCMGって会社の執行責任者をしているんだけど、聞いた事ある?」

「申し訳ありません。存じ上げないです」

「まぁ知らなくても無理はない。正式名称は『ヒイラギクライシスマネジメントグループ』と言うんだけど、ニッチな業務内容に加え、母が社長を務める会社の一つでしかないし、僕は世間への露出を極力控えているから。何故? そりゃこんなハンサム・金持ち・良識者という三拍子揃った人間国宝が世に出たら世間が大騒ぎになっちゃうからさ」

「その通りです! 兄さんはこの国の至宝なんです!」

 深堂夫妻との打ち合わせを終えたラムネがいつの間にか会話に割って入ってきた。おまけに九波もこれ見よがしに参加してきやがる。

「稟さん、ボケが渋滞しているように見えますが、ここまでが柊兄妹合作のネタなんです。あとは放置するなり、愛想笑いで返すなりしていただければとりあえずOKです」

「ネタじゃありません! 富士山がこの国の最高峰であることと同じように揺るぎない事実です!」

 すごいな僕。世界文化遺産の霊峰並みにこの国を代表する人間だったのか。

「そうですね、昂良さんは素晴らしい御方だと私も思います」

「わ、わかってくれますか古戸森さん! 嬉しい……私、もっと兄さんの偉大さを世に広める活動に励みます」

「あのー、僕って意外に恥ずかしがり屋さんだからほどほどにね。話を戻すけど、HCMGは保安関連サービスを手掛ける危機管理コンサルティング会社なんだ。玄翁衆はかつて柊一族の敵対勢力に対する諜報活動、破壊工作なんかに明け暮れてたんだけど、そんな物騒な仕事はもう昔のことだし、これまで培ってきた人物警護の心得や護身術を世の為人の為に使おうと思って、九波達玄翁衆の面々を顧客の要請に基づいて派遣してるんだ」

「三月から四月はどこも労働市場の移動が激しくなるので、人手不足から急場凌ぎの護衛任務を受けたり、新任警備担当者への出前講座をしたりと結構忙しくなるんです。依頼者も海外含め全国津々浦々の様々な事情を抱えた人達でして、俺達玄翁衆も泊まり込みで出張しがちになるから、この時期は東邸も閑散としてるんですよね。あ、ちなみに、俺の割り当てがおじさんだらけの職場ばっかりなのは昂良さんの悪意だと思ってます」

「だって女性が多い場所に九波を派遣して喜ばせるのはなんか癪だから」

「ほらやっぱりね! おかげで俺の勤労意欲はまったく上がりませんよ」

 吠える九波。信仰対象への侮辱と取った『うちの兄は神様なんです』教徒のラムネは冷たい軽蔑の眼差しを向ける。

「女性がいないと仕事にやる気を出さないのは人としてどうかと思いますけど」

「辻斬りみたいにさらっと正論で俺を傷つけないでください……」

 会心の一撃を喰らった九波は瀕死状態である。一連のコントに稟も楽し気だった。雰囲気も良くなったことだし、開店準備の邪魔になってもいけない。僕はラムネ達に声を掛ける。

「さて、案内はこんな感じかな。ラムネはそろそろ大学に行く時間だろう? 東邸うちに戻ろうか」 
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