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はじめての転生
第6帖。ご都合主義万歳再び。(中世の時間の概念)。
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それから土地を見る。小麦畑を仮城に向かってたどると、その間に何もない土地がある。
「あの土地は?」と悠太郎はたずねた。
百姓夫は、またもおずおずと答えるのだった。
「あれですございまずか。休閑地です。昨年あそこは小麦畑でしたから」
「ああそうか。連作障害……」
悠太郎は思い出す。
米と違い、小麦は毎年同じ土地で作ることが出来ない。理由はよく分からないが土地の力が弱まり、小麦が病気にかかりやすくなる。だから休閑地を設けて土地を休ませなければならない。
「休閑地はどのくらいありますか」
「どのくらい……というのは期間のことでございますか。それならば1年か2年か、それ以上です。それとも場所ならばおおよそ2ヶ所です」
つまりこの百姓夫婦は、毎年農地を変えているのだ。現代風に言い直せば、二圃制をしていると言える。
これでは土地にかなりの負担をかけている。危険な森を切り開いて作った農場である。なるべく有効活用したい気持ちは分かるが、二圃では土地を休める期間が足りない。
「分かりました。お手数かけました」
「へえ、とんでもございません」
百姓夫婦はうやうやしくお辞儀をした。
「ユーリ、もういいの?」
シャーリー姫はキョトンとしている。たぶん、悠太郎が彼らに尋ねた理由を分かっていないのだ。
「ああ。帰ろう。王都まではまだかかる?」
「あと数時間で着くわよ」
「ん? あと数時間?」
「そうよ。それが何か? ああ、もしかしてあの仮城を王都だと思ったの? ちちち、甘いわよ。あれは卯の侯爵に備えて造った仮城よ。王都の城よりもずっと小さいわ」
城は騎士や兵たちの駐屯地であり、またいざというときには立てこもる防御施設である。普通、城と城との間隔は、最長でも「兵が1日で歩ける距離ごと」とされている。城は兵站地と宿舎の役割も兼ねているのだ。
ところがあの仮城は、卯の侯爵とモメていた場所まで数時間しか離れていない。常識よりも近い。それだけ王様が卯の侯爵を脅威と感じているからなのだろう。
が、悠太郎が疑問に思ったのはそこではない。
――王都まで数時間、だって?
シャーリー姫の答え方に違和感を持ったのだった。
だから聞き返す。
「シャーリー、1日は何時間あるか知ってる?」
「24時間でしょ」
「じゃ、1時間は何分?」
「60分よ。バカにしてるの? 1分は60秒よ。こんなの常識よ」
「じゃあ1年は……」
「1年は365日。4年に1回ある閏年なら366日。どっちにしたって12ヶ月。そして今月は11月。なーに? 何かの試験?」
「何でもないよ。うん。何でもない」
――翻訳か?
中世に秒、分、時間という概念はない。精密な機械式の時計がないのだから正確に時を計れないのだ。
閏年を設ける習慣はあったから4年に1回、1年が366日になるのはいい。けれども「今月は11月」などという言い方はしない。中世では12ヶ月のそれぞれに聖人の呼び名を振り、その名で月を表した。たとえば11月ならノベンベルの月と称す。
そして「あと数時間で着く」という言い方など絶対にしない。中世で時間を知りたくば水時計や砂時計を備えた教会の鐘を聞くしかなかった。鐘が何回鳴ったとき、あるいは太陽が1番高くなったとき、とかいうあいまいなことしか言えないのだった。
それなのにシャーリー姫は時間の概念を持っている。これはおかしい。
「美末」と悠太郎は言う。
「はい?」
「ちょっとこっちへ」
馬車の陰に二人っきりになる。
「何? どうかしましたか」
「翻訳とかってされてるのかな。その、シャーリー姫の言ってることが中世にしてはおかしいんだ」
「言葉がですか」
「そう言われてみれば言葉が通じてるのも変だな。それに概念も」
「それはもちろん、翻訳していますよ。ゆーたろーが分かりやすいように」
「もちろんなのか! されていたのか! 翻訳!」
「だってそうでないと意思疎通が出来ないじゃないですか」
「それはそうだけど。まさかここまで手を尽くしてくれているとは!」
「そりゃそのくらいしますよ。そうでないと物事が進まないじゃないですか」
「ありがとう美末!」
興奮のあまり美末の頭をガシガシなでる。ぐわんぐわんと美末の頭が揺れる。
細い首は折れそうなほど前後する。
「……痛いです、ゆーたろー」
「あ、すまねえ。ちょっと興奮しちゃって。へへへ」
「えっ。人の頭をなでると興奮するんですか? 変態じゃないですか」
「くっ、そういうの結構傷付くよ」
でも美末は嫌そうな顔をしていない。なぜだか頭を抱えてプクーっと頬をふくらます。少しく顎を引き、結果的にやや上目遣い。
子供っぽいと正直思う。でもそこらへんが可愛らしい。
――抱いたらどういう反応をするんだろう。
そう思うが行動には移さない。何しろ童貞には荷が重い。今、女の子の頭をなでたことがむしろ信じられないほどである。
イケメンならば確実に許されることも悠太郎(現実バージョン)ならば許されず、事案扱いとなる。
美末は上目遣いのまま悠太郎を見ている。はじめは嫌そうであった。しかし次第に表情が緩解して、どころか口元にニヤニヤしたものを含んでくる。ありていに言えば照れているようだった。
「ゆーたろー」と美末は口を開く。
「ん?」
「……」
美末は無言のまま、悠太郎の手を取る。
「わわっ」
悠太郎は思わずその手を払ってしまった。けれども美末は顔を変えない。
「ち、違うよ」と悠太郎は美末の手を握った。
嫌だったわけではない、と示すために。そして実は嬉しかったのだ、と現すために。
言葉にはしない。したらたちまち白雪のように溶けるだろう。そして冬が過ぎたら春となるのが当然のように、美末との関係は今のままではいられなくなる。
ただ、もう一歩先へ進める可能性もある。
そうは思う悠太郎だが、しょせんは童貞である。決して先へ行こうとはせず、ただ握る美末の手を持て余した。このまま握っていて迷惑ではないのか。汚らしいと振りほどかれはしないか。僕の見ていないところで言いふらしたり、水道で丹念に手を洗ったりはしないか。
「……」
「……」
互いに沈黙していた。あのとき、あの白い霧の世界にいたときと同じように。
「ユーリ!」
沈黙を破ったのはシャーリー姫だった。
「え、な、何」
背中からシャーリー姫に呼ばれた。ほとんど意識せず、悠太郎は美末の手を離していた。
そのときの美末の表情ったらない。親の仇を見つけたと言わんばかりの睨み具合。もちろんシャーリー姫を、だ。
一方、悠太郎はそんな睨み具合に気付かず、シャーリー姫を見る。
「どうした。シャーリー」
「そろそろ行きましょう。さあ馬車に」
「ああ。……美末も行くぞ」
「……」
美末は無言であった。
「なんで何も言わない」
「別に何でもないですよ」
「怒ってる?」
「全然。ただこれだけは言っときます。わたしは自分の意思で馬車に乗るの」
「はあ? そうかい」
シャーリー姫が言うから馬車に乗るのではない、ということを美末は言いたかったのだった。むろん悠太郎には分からない。
◆
そして数時間後、視界が開ける。
「おー、壮観だなあ」
悠太郎は額に手を当て、感想を述べた。
まさしく壮観であった。
青い空。
灰色で石造りの巨大な町。
緑豊かな小麦畑。
これら3色のコントラストが実に見事に混ざり、森を抜けた途端に飛び込んできたのである。今まで視界の効かぬ森の中であったから、なおさら新鮮なものに悠太郎の目に映じた。
森を抜けるとまず一面の畑であった。境となっている川の向こうに青々とした小麦畑が広がる。ところどころに休閑地らしい広場がある。
ポツポツと人家らしいものが見えるが、これは単なる農機具小屋かもしれないと悠太郎は思った。
さっき見た城よりも規模の巨大な城を中心として町が広がっている。どうみても王都だ。巨大な都市が存在している。
「あの真ん中にある町が王都?」
「そうよ」
「名前ってあるの?」
悠太郎の問いかけにシャーリー姫は答える。
「ルテキア」
「あの土地は?」と悠太郎はたずねた。
百姓夫は、またもおずおずと答えるのだった。
「あれですございまずか。休閑地です。昨年あそこは小麦畑でしたから」
「ああそうか。連作障害……」
悠太郎は思い出す。
米と違い、小麦は毎年同じ土地で作ることが出来ない。理由はよく分からないが土地の力が弱まり、小麦が病気にかかりやすくなる。だから休閑地を設けて土地を休ませなければならない。
「休閑地はどのくらいありますか」
「どのくらい……というのは期間のことでございますか。それならば1年か2年か、それ以上です。それとも場所ならばおおよそ2ヶ所です」
つまりこの百姓夫婦は、毎年農地を変えているのだ。現代風に言い直せば、二圃制をしていると言える。
これでは土地にかなりの負担をかけている。危険な森を切り開いて作った農場である。なるべく有効活用したい気持ちは分かるが、二圃では土地を休める期間が足りない。
「分かりました。お手数かけました」
「へえ、とんでもございません」
百姓夫婦はうやうやしくお辞儀をした。
「ユーリ、もういいの?」
シャーリー姫はキョトンとしている。たぶん、悠太郎が彼らに尋ねた理由を分かっていないのだ。
「ああ。帰ろう。王都まではまだかかる?」
「あと数時間で着くわよ」
「ん? あと数時間?」
「そうよ。それが何か? ああ、もしかしてあの仮城を王都だと思ったの? ちちち、甘いわよ。あれは卯の侯爵に備えて造った仮城よ。王都の城よりもずっと小さいわ」
城は騎士や兵たちの駐屯地であり、またいざというときには立てこもる防御施設である。普通、城と城との間隔は、最長でも「兵が1日で歩ける距離ごと」とされている。城は兵站地と宿舎の役割も兼ねているのだ。
ところがあの仮城は、卯の侯爵とモメていた場所まで数時間しか離れていない。常識よりも近い。それだけ王様が卯の侯爵を脅威と感じているからなのだろう。
が、悠太郎が疑問に思ったのはそこではない。
――王都まで数時間、だって?
シャーリー姫の答え方に違和感を持ったのだった。
だから聞き返す。
「シャーリー、1日は何時間あるか知ってる?」
「24時間でしょ」
「じゃ、1時間は何分?」
「60分よ。バカにしてるの? 1分は60秒よ。こんなの常識よ」
「じゃあ1年は……」
「1年は365日。4年に1回ある閏年なら366日。どっちにしたって12ヶ月。そして今月は11月。なーに? 何かの試験?」
「何でもないよ。うん。何でもない」
――翻訳か?
中世に秒、分、時間という概念はない。精密な機械式の時計がないのだから正確に時を計れないのだ。
閏年を設ける習慣はあったから4年に1回、1年が366日になるのはいい。けれども「今月は11月」などという言い方はしない。中世では12ヶ月のそれぞれに聖人の呼び名を振り、その名で月を表した。たとえば11月ならノベンベルの月と称す。
そして「あと数時間で着く」という言い方など絶対にしない。中世で時間を知りたくば水時計や砂時計を備えた教会の鐘を聞くしかなかった。鐘が何回鳴ったとき、あるいは太陽が1番高くなったとき、とかいうあいまいなことしか言えないのだった。
それなのにシャーリー姫は時間の概念を持っている。これはおかしい。
「美末」と悠太郎は言う。
「はい?」
「ちょっとこっちへ」
馬車の陰に二人っきりになる。
「何? どうかしましたか」
「翻訳とかってされてるのかな。その、シャーリー姫の言ってることが中世にしてはおかしいんだ」
「言葉がですか」
「そう言われてみれば言葉が通じてるのも変だな。それに概念も」
「それはもちろん、翻訳していますよ。ゆーたろーが分かりやすいように」
「もちろんなのか! されていたのか! 翻訳!」
「だってそうでないと意思疎通が出来ないじゃないですか」
「それはそうだけど。まさかここまで手を尽くしてくれているとは!」
「そりゃそのくらいしますよ。そうでないと物事が進まないじゃないですか」
「ありがとう美末!」
興奮のあまり美末の頭をガシガシなでる。ぐわんぐわんと美末の頭が揺れる。
細い首は折れそうなほど前後する。
「……痛いです、ゆーたろー」
「あ、すまねえ。ちょっと興奮しちゃって。へへへ」
「えっ。人の頭をなでると興奮するんですか? 変態じゃないですか」
「くっ、そういうの結構傷付くよ」
でも美末は嫌そうな顔をしていない。なぜだか頭を抱えてプクーっと頬をふくらます。少しく顎を引き、結果的にやや上目遣い。
子供っぽいと正直思う。でもそこらへんが可愛らしい。
――抱いたらどういう反応をするんだろう。
そう思うが行動には移さない。何しろ童貞には荷が重い。今、女の子の頭をなでたことがむしろ信じられないほどである。
イケメンならば確実に許されることも悠太郎(現実バージョン)ならば許されず、事案扱いとなる。
美末は上目遣いのまま悠太郎を見ている。はじめは嫌そうであった。しかし次第に表情が緩解して、どころか口元にニヤニヤしたものを含んでくる。ありていに言えば照れているようだった。
「ゆーたろー」と美末は口を開く。
「ん?」
「……」
美末は無言のまま、悠太郎の手を取る。
「わわっ」
悠太郎は思わずその手を払ってしまった。けれども美末は顔を変えない。
「ち、違うよ」と悠太郎は美末の手を握った。
嫌だったわけではない、と示すために。そして実は嬉しかったのだ、と現すために。
言葉にはしない。したらたちまち白雪のように溶けるだろう。そして冬が過ぎたら春となるのが当然のように、美末との関係は今のままではいられなくなる。
ただ、もう一歩先へ進める可能性もある。
そうは思う悠太郎だが、しょせんは童貞である。決して先へ行こうとはせず、ただ握る美末の手を持て余した。このまま握っていて迷惑ではないのか。汚らしいと振りほどかれはしないか。僕の見ていないところで言いふらしたり、水道で丹念に手を洗ったりはしないか。
「……」
「……」
互いに沈黙していた。あのとき、あの白い霧の世界にいたときと同じように。
「ユーリ!」
沈黙を破ったのはシャーリー姫だった。
「え、な、何」
背中からシャーリー姫に呼ばれた。ほとんど意識せず、悠太郎は美末の手を離していた。
そのときの美末の表情ったらない。親の仇を見つけたと言わんばかりの睨み具合。もちろんシャーリー姫を、だ。
一方、悠太郎はそんな睨み具合に気付かず、シャーリー姫を見る。
「どうした。シャーリー」
「そろそろ行きましょう。さあ馬車に」
「ああ。……美末も行くぞ」
「……」
美末は無言であった。
「なんで何も言わない」
「別に何でもないですよ」
「怒ってる?」
「全然。ただこれだけは言っときます。わたしは自分の意思で馬車に乗るの」
「はあ? そうかい」
シャーリー姫が言うから馬車に乗るのではない、ということを美末は言いたかったのだった。むろん悠太郎には分からない。
◆
そして数時間後、視界が開ける。
「おー、壮観だなあ」
悠太郎は額に手を当て、感想を述べた。
まさしく壮観であった。
青い空。
灰色で石造りの巨大な町。
緑豊かな小麦畑。
これら3色のコントラストが実に見事に混ざり、森を抜けた途端に飛び込んできたのである。今まで視界の効かぬ森の中であったから、なおさら新鮮なものに悠太郎の目に映じた。
森を抜けるとまず一面の畑であった。境となっている川の向こうに青々とした小麦畑が広がる。ところどころに休閑地らしい広場がある。
ポツポツと人家らしいものが見えるが、これは単なる農機具小屋かもしれないと悠太郎は思った。
さっき見た城よりも規模の巨大な城を中心として町が広がっている。どうみても王都だ。巨大な都市が存在している。
「あの真ん中にある町が王都?」
「そうよ」
「名前ってあるの?」
悠太郎の問いかけにシャーリー姫は答える。
「ルテキア」
応援ありがとうございます!
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