異世界産業革命。

みゆみゆ

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はじめての転生

第17帖。お色気むんむん、イコンに会う。(改良農具普及のため従姉妹イコンを訪ねる)。

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 シャーリー姫、悠太郎、それに美末を乗せた馬車はゆっくりと進んでいた。おどおど侍女は城の門の前で待つように言ってある。
 馬車での席順はもちろん、悠太郎とシャーリー姫が隣り合う。通路を挟んだ向かいに美末。

 王都ルテキア。
 その中央に流れる川には中洲が2つある。一方がルテキア城のある中洲。
 そして馬車は今、もう片方の中洲に向かっていた。

「中洲が2つあるのは知っていたが、地名はあるのか? 両方との中洲じゃ、区別が出来ない」
「んー」とシャーリー姫は困った笑い。「普通、中洲って言ったらお城のある方だから」
「そうか」
「そうよ」

 どうも口が重い。そんなにしゃべりたくないことなのだろうか。
 それ以上、聞かないことにした。
 
 気付く。
 ルテキア城の中洲へ架かる橋は立派だった。それにどちらの対岸からも渡ることが出来た。
 ところが、2つ目の中洲へ架かる橋はたった一本。それも木製で古めかしい。馬車が渡るだけでたわんでいる気がする。そればかりか重みで崩壊しそうな錯覚を抱かせる。

「怖いなあ、この橋」
「そりゃ普段は使うことないからね」
「もし用事があったらどうするんだ? ルテキア城の中洲からしか行けないじゃないか。市内に直接行けないなんて不便だよ」
「だって行く用事ないもの」

 シャーリー姫は素っ気なく答える。

 悠太郎はふと、橋の上から欄干らんかん越しに、2つ目の中洲が川と接するあたりに目線を送る。
 護岸工事されていない。
 中洲とは文字通り、川の中に浮かぶ洲のことだ。言うなれば砂浜だ。そこに一艘のボートが、腹を上にして置かれている。

 ――なるほど。

 ああすれば橋を使わずとも、市内と往復が可能だ。
 これから向かう先にいる人は一体全体どういう人なんだ? 少なくとも王族であるはずだ。なのにこの不遇な感じ。橋は1本しかない上に古い。市内に行きたければあのボートを使うよりなさそうだ。

 これから会う相手を、シャーリー姫は従姉妹だといった。従姉妹ならば家族も同然じゃないか。存在を嫌がるなんて、どうなっているんだろう。
 もしかすると世代交代にありがちな、後継者争いで負けた人が閉じ込められているのだろうか。王族ならありそうな話だった。

 ――だからシャーリーは言いよどんだのかな。

 馬車が橋を渡りきると、半ば朽ちた門がある。門衛はいない。馭者ぎょしゃが馬車の速度をゆるめると、護衛として乗っていた騎士たちがその門を開けた。
 錆びた門は、錆びついた音を立てて開く。

「おや……」

 門の中に広がる景色は、意外や意外。極めて美しい庭だった。
 池のまわりには季節の花が色とりどりに咲き乱れ、蝶や鳥が、花の蜜を吸い、果実をついばむ。悠太郎たちの乗る馬車を見ても彼らは驚く様子もなく、ぽけっとした顔で眺めてきた。

 池の周囲は散策路になっているらしい。
 間隔を置いて常夜灯のようなものが立っている。その散策路のスタート地点は、馬車の進む道の先。そこに建つ一件のあずま屋であった。

「王族の住む別荘とは思えないなあ。あずま屋じゃないか」

 馬車から降りて、感想をもらす悠太郎。

「小屋ってこと? んー。まあそうね」

 シャーリー姫は言った。
 降りるとき、お付きの騎士が手を伸べるのだった。シャーリー姫はドレスのすそを踏まぬようにして降りた。

「僕もああすべきだったかな」と、悠太郎は美末に尋ねる。
「いいんじゃないですか。どっちでも」
「美末はああしてほしい?」
「……どっちでも」
「そう?」
「そう」

 シャーリー姫は、振り返って言う。

「ユーリ。これから行く先はね。魔窟だからね」
「魔窟?」
「そうよ。コワーイ人が住んでるの。嫌だったらすぐ帰るからね! 分かった?」
「ああ、うん。どういう人なんだ一体。教えてくれよ」
「怖いけど信用が置ける人よ」
「……? そうかい? よく分からないが」
「うん。宴会場で食べた野菜とかは、これから会う人が作ってるの、全部ね」
「へー。さながら王の農場の責任者か」
「そんなとこ。でもコワイ人よ!」
「分かった、分かった。とにかく会ってみよう」

 あずま屋の戸を叩く。

「こんにちはー。イコン義姉ねえさーん」
「はーい!」

 透き通った声。
 出て来たのは美人だった。

 すらりとした体付き。長いブロンドの髪は、xviedoのスクショなんかでよく見る典型的な欧米美人。
 ゆったりしたドレスから長くて艶やかな足を見せている。おお、見事なエロい年上お姉さん!

 悠太郎は素直な感想を抱く。

 ――なんっ、だ、この色気の権化ごんげみたいな人は!

 これがシャーリー姫の従姉妹。イコン義姉さん。
 お色気がムンムン漂う。悠太郎は一瞬で心を囚われるのだった。

「あら。シャーリー。どうしたの? 見慣れない方だけど、もしかして勇者様ね。卯の侯爵を追い払ったっていう」

 ようこそ、とイコンは悠太郎の手にキスをした。
 DT高校生の悠太郎にとってはこれで充分だった。時と場所が許せばこれだけで1週間はシコれる。

 イコンは媚びるような目で、悠太郎を見た。

 深い藍色の目。じっ……と見ているとその瞳には悠太郎自身が映っていた。心まで囚われたのごとく、悠太郎はボンヤリしてしまう。

 イコンは問う。

「ねえ、ユーリとか言ったわね?」
「はっ、はい」
「あんたまだ若いのに卯の侯爵を追っ払ったんだってねえ。一体どうやって?」
「いやあ。その、単なる話し合いです」
「話し合い? あの傍若無人の侯爵がそれで引き下がったのかい」
「本人じゃありません。その長男の……」
「あー。長男! あのいい男の方か!」
「そうです」と言って、気付く。イコンは卯の侯爵と面識があるかのようである。そればかりか長男とも。

 ――何者だ、この人は?

 王族であることは確実だ。だが、あのとき、あの戦さの場面にはいなかった。武人ではないからこの点は良い。
 しかしながら戦捷を祝う昨日の祝賀会に姿がなかった。この点は納得が行かない。

 ――ハブられてんのかな?

「んー? どしたの? 勇者様」と、イコンは再び媚びる猫のようにすり寄る。
「いえ……」
「イコン義姉さん」
「あらなーに、シャーリー」
「その人とあたしはいずれ結ばれるんです」
「そうなのね」
「そうです。だからその……」
「ん? そっちのミスエって子は? もの言いたげよ?」
「わたしは……」と美末は言いかける。「ゆーたろーと一緒にいると誓いました」

 あらあら、とコロコロ笑うイコン。
 どう見ても楽しんでいる。この関係を。

 再び悠太郎に笑いかけるのだった。
 
「勇者様はモテるわ。困りますこと」
「は。はあ」と素直に照れる悠太郎。
「ささ、勇者様。拙宅へようこそ。お茶でも淹れますわ」
「どうも」
「ごゆっくりなさって。シャーリーのお客なら歓迎よ。うふ」
「あ、ども」

 さりげなくイコンの手が腰にまわされる。悠太郎はますます体が固くなる。でも悪い気はしなかった。

「……」

 シャーリー姫は面白くなさそうな顔である。

「シャーリー」と美末が声をかける。「だから嫌だったんですか」
「……そうよ」とシャーリー姫は答える。「あの人はいっつも! いっつもこうよ。ダンナを亡くした未亡人。その設定でどれだけの男をタラし込んだか」
「設定なの?」
「ダンナを亡くしたのは本当だけど、ああもフシダラじゃ嘘なんじゃないかって疑っちゃうわ。ほんとに男って……」
「その男の中にゆーたろーが入りそうですね」
「……あんた余裕ね」
「ああ見えてゆーたろーを信じていますから」
「あれを見ても? デレデレしちゃってさ。手なんか握っちゃって」
「……。不安ですね」
「ねえ、ここは一時休戦と行きましょう」
「休戦」
「そうよ。あたしもあんたも利害は一致するはず」
 
 美末は考える。

「いいでしょう」と答えた。







「どう?」
「は、はい。とても……いいです」
「うふふ。おいしいでしょ」
「はい。珍しいです」

 イコン宅。あずま屋の南の縁側に、ガラス張りの部屋がある。サンルームとも称すべき部屋で、明るく、心地よい。オシャレな空間だった。
 ここを見たとき悠太郎は驚いた。10世紀、ガラス技術は未熟で、透明なガラスを作ることが出来なかった。難しい、ではなく、作れなかった。
 今でも教会のステンドグラスはカラフルなのが当然だが、あれは10世紀頃、色付きガラスしか作れなかった時代の名残だ。

 それなのにこのサンルームには透明なガラスがふんだんに使われている。悠太郎にとっては見慣れた部屋で、植物園の温室みたいだ。でも10世紀を生きる技術者には脅威の固まりの部屋だ。

 そんなサンルームの中。
 歴史ありそうな木製テーブルを囲む面々。イングリッシュカフェで見るような、オシャレなお菓子が並べられている。すなわちよく挽いた小麦に砂糖、バター、牛乳を混ぜて焼いたもの。
 単なるクッキーである。白いクッキー。

 ――10世紀にもうこんなものがあったのか。

 悠太郎は目を見張る。
 収穫した小麦はまず石臼で挽かれる。このときあまり挽かなければ黒パンになり、よく挽けば白パンになる。もちろんよく挽いた白パンは高級品で、王族や貴族にしか食べられない。

 悠太郎はクッキーを1枚食べる。とても甘い。現代のクッキーとあまり変わりない。砂糖とバターがたっぷり入っている。

「おいしいでしょ? ワタシの手作りなのよ」
「はい。おいしいです。こんなにも砂糖を使うなんて」
「たまーのゼイタクでしてよ。お客様が来るときだけ用意するの」

 それでも悠太郎は違和感を覚えざるを得ない。平成でこそクッキーなどありふれた食べ物だ。だが10世紀に、こんな食べ物はない。
 まずよく挽いた小麦が高級品であること。それに砂糖がヨーロッパではそう簡単に手に入らない。1492年にコロンブスが北米大陸に到達し、カリブ海で砂糖が作られるようになり、ヨーロッパは砂糖の消費を開始したといっていい。
 一般庶民が入手できるようになったのはそれよりもずっとあと。それこそ20世紀の話だ。その頃のイギリス貴族の典型例として「クッキーを食べ紅茶を飲む」というのがある。

 だからこの時代にクッキーがあることを驚いたのだった。
 ついでに言えば10世紀のヨーロッパに紅茶は存在しない。ヨーロッパ人が紅茶の味を知ったのは早くても16世紀。いかに王族といえども10世紀に紅茶を味わえるはずがない。

 それが、カップには日本でもよくみる紅茶が注がれている。

 ――事実は小説よりも奇なり、というが。

 ここは異世界だから、と言えばそれまでだが、悠太郎の知る歴史とは異なっている。
 10世紀にはせいぜいハーブティーがあるのみだ。これは雑草なみによく見られ、雑草のように増える。ありふれた植物だったからである。

「それでシャーリー。何のための来たの?」
「農業に詳しい王族って言ったら、イコン義姉さんしかいないと思って」
「あら嬉しい。農業には他のどの王族よりも詳しくてよ。でもそれがどうして? 王族が土に詳しくなってどうするの?」

 それはそうだ、と悠太郎は思う。
 そんなことを学ぶくらいならば舞踏会に出席して貴族に顔を売る方が、王族にとってよっぽど役に立つ。
 もしくは周辺の侯領をめぐり、親睦を深めた方が役に立つのだ。

「イコンさん」と悠太郎は言う。
「イコンでいいわよ」
「ああ、うん。それじゃイコン。実は農具の先端に金属の覆いを付けようと考えている」
「金属の覆い?」
「そうだ。今までの木製の鍬や鋤では固い土地を耕せない」と、悠太郎は鍛冶場の親方にしたときと同じ話をした。

 すると、イコンは立ち上がり、悠太郎の手を持った。

「そうよ! やっぱりそうよね!」
「は、はい? 何です、突然」
「常々そう思っていたのですわ! 木製じゃ歯が立たない地面なんていくらでもあるじゃない! 森を切り拓いて農地にするときなんて、農具がいくらあっても足りないもの。栄養たっぷりだけど、だからこそ土が固い」
「そう、なんですか」
「そうよ! だから勇者様の言うことは正しいと思いますわ。ううん。今すぐにでもすべきよ!」
「そうですよね! いやあ、良かった。実はさっきルテキア城内の鍛冶屋に寄って親方に同じ話をしたんです」
「通じなかったでしょ?」
「あ、はい! もう話をしたことがあるんですか」
「そうよ! だいぶ前にね。でもねー。あの筋肉バカったら理解しないのよねー」
「筋肉……」
「脳みそまで筋肉なのよ、きっと」
「そんなあ」

 笑う。

「それで? つまりわたしにどうするの?」
「僕じゃなくてぜひやってもらいたいんだ」
「勇者様が言えばいいのに」
「僕じゃ無理です。そう、ネームバリューが欲しいんです」
「情けないわ」
「え」
「名前や立場じゃないのよ。どれだけ熱意があるかに人は動かされるのでしてよ。それなのに始めっからあきらめているようでは人は動かない」
「ああ、うん」
「とりあえず今日のところは泊まっていったら? 私のお庭をお見せしたいのよ」
「なるほど……」

 イコンは悠太郎の手を握る。
 このあたり男の扱いを心得ていると賞すべきであった。この手管で幾多の男を手玉に取って来たのである。
 簡単なことだが、やるとやらないとでは全然違う。

「ねえ、いいでしょ。勇者様のお話をじっくり聞きたいの。もちろん勇者様がイヤじゃなければ」
「僕はえーと」

 美末とシャーリー姫との言葉が重なる。

「ゆーたろーにはやることがあるんです」
「ユーリは忙しいですからイコン義姉さん」

 それを聞いて、イコンはコロコロ笑うのだった。

「あらそう?」
「はい、義姉さん。今日はこれで失礼します」
「もう帰るの。残念ね。そうだわシャーリー。是非、ローリエにも顔を見せてあげてくれないかしら」
「ローリエは元気なんですか。義姉さん」
「そりゃもう。顔だけでも見せてってよ。そうすればあの子も元気になるわ」
「そうですね」

 シャーリー姫には従姉妹が2人いる。
 姉のイコン。
 そしてもう1人が、妹のローリエである。
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