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vol.6

あなたに一粒チョコレート

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***

泣きながら、スマホをタップした。

たったワンコールで、菜穂につながる。

「菜穂っ、私、私っ」

菜穂が笑った。

『はいはい。分かってるよ、春。私はちゃんと分かってる。思いきり頑張りなさい!今からレシピ送るから』

菜穂の声の後、スマホからヨシ君の声が聞こえた。

『春ちゃん、頑張れよ』

「ヨシ君……うん、私、頑張る」

涙を拭くと、私は空を見上げた。

伝えなきゃ。

この想いを瑛太に伝えなきゃ。

今更遅いのは分かってる。

だけど、この気持ちを一生伝えないままなんて、絶対に後悔する。

伝えた瞬間、恐らく幼馴染みの関係は終わってしまうだろう。

でも、それでもいい。

想いを伝えないままいるよりも、ずっといい。

私は菜穂から届いたレシピを開くと、大急ぎでスーパーを目指した。

****

「春、なにそれ」

ママがレジ袋と泣き腫らした私の顔を交互に見ながら驚いたように言った。

「ママ、キッチン借りるね!それともしも瑛太が来ても追い帰して」

「えっ」

「悪いけどママもあっち行ってて」

「え」

「ごめんね」

ママはしばらく私の顔を見ていたけど、やがて察したようにフワリと笑った。

「ママ、今日はパパとデートするわ。久々に街で待ち合わせしようかな。ああ、あんた夕飯は適当に食べといて。はい、これ」

……ママ……。

ありがと、ママ。

「うん、パパと楽しんできて」

私はママに泣き笑いの顔で頷くと、手渡されたエプロンを握りしめた。

***

今になってつくづく、三木さんの気持ちがよく分かった。


『本番に備えてチョコレート作り練習しときたくて……』


確か彼女はこう言っていた。私、不器用だからって。

ああ!きっと私は三木さん以上に不器用だ。

正直、今までろくにお菓子作りなんかしたことがない。


『この生チョコレシピ、超簡単なのに、味は最高なのよ。すぐ出来るから頑張ってね!』


菜穂のLINEにはそう書いてあったけど……本当?!

生クリームの分量を間違えたの?何でこんなにドロドロしてるの?

……湯煎の温度が高すぎたとか?!

……これが成功なのか失敗なのか、さっぱりわからないんですけど……。

時計を見ればもう午後六時だった。

なんとか出来上がったものをバットに流し込み、冷蔵庫に入れたものの……本当に完成するのか不安でたまらない。

しかも今気づいたけど、『一晩冷蔵庫で冷やし固める』って書いてある。

一晩冷やしてたら、バレンタインデーが終わってしまう。

多分菜穂は、美味しくて私でも簡単に作れるっていうのを重視してるはずで、一晩冷やすって項目は忘れてるんだと思う……。

どうしよう。

そうこうしている間に二時間が過ぎ、時間は午後八時となっていた。

実はチョコ作りの間に何度か瑛太からLINEが入っていたけど、私はそれを読まなかった。

だって、チョコが出来てないもの。

なのに、とうとうここにきて着信を知らせるメロディーが鳴り始めた。

画面を見てギョッとする。……やっぱり瑛太だ。

LINEに既読がつかないのを見て、電話をしてきたのかもしれない。

どうしよう……まだ生チョコが完成してない。

それに、ちゃんと自分の気持ちを伝えたいのに、先に瑛太の口から谷口さんとの交際宣言が飛び出したら、きっと私はショックで死んでしまう。

だってそうでしょ?

完成してないチョコも、伝えられなかった想いも、辛すぎて無理。

でも瑛太はなかなか諦めてくれなくて、着信音は鳴りやまない。

ああ、もう!

……もし話がしたいとか言われたら、頭が痛いって断ろう。

観念して電話に出ると、当たり前だけど瑛太の声がした。

「春」

「……うん」

「……」

「……」

重苦しい沈黙。苦しくてズキズキと痛む胸。

その沈黙を、瑛太が先に破った。

「何で避けるの」

「……避けてない。頭が痛くて」

「嘘つけ。玄関先でおばさんに会った」

「そ、うなんだ……あの、ママはパパとデートで」

「知ってる。春に会いたいって言ったら、『もう少し待ってやって』って言われたし」

「……それは……その……」

ここまで話した後、瑛太が大きく溜め息をついた。

「もう数時間待ってる。俺もう限界」

「え?!」

「だから、もう待てないっつってんの。今から行くから」

嘘でしょ、それは困る。

だって、チョコが……。

その時、ハッとして私は硬直した。

……ママが出かける時玄関で見送ったけど……鍵をかけてない。

瑛太が素直にインターホンを押して、私がドアを開けるのを待ってるわけがない。

絶対勝手に入ってくる!

私はスマホを放り出すと玄関へダッシュした。

瑛太が入ってくるよりも先に、鍵をかけようと思って。

なのに、

「俺の勝ち」

「っ!!」

「春」

「あの、えっと」

さっさと靴を脱ぐと、瑛太はいつものように上がり込んできた。

「……春」

それから私の真正面に立ち、瑛太は身を屈めた。

私を真っ直ぐに見る、美しい眼。

男の子らしい、精悍な頬。

瑛太……瑛太。

もう、逃げてはいられない。

ちゃんと伝えなきゃならない。

私は静かに深呼吸をすると、瑛太の手をそっと引いた。

「瑛太、こっちに来て。私も話があるの」

瑛太はそんな私を見て少し息を飲んだけど、引き結んでいた唇をゆっくりと開いて返事をした。

「……わかった」


***

私は切り分けた小さなチョコを、瑛太の前にそっと置いた。

まだバットの中の生チョコは、きっと固まり度合いが足りないだろう。

だから、ほんの一粒だけ。

でもこの一粒のチョコに、私は勇気をもらいたい。

私はこっちを見つめる瑛太に、思いきって告げた。

「瑛太、気付くのが遅くて、チョコも間に合わなくてごめん」

緊張で息が続かなくて、私は大きく息をした。

頑張れ、しっかりしろ、私。

「瑛太が好き。幼馴染みとしてじゃないの。ひとりの男の子としての瑛太が好き」

「……」

怖くて震えそうになる。

勇気が欲しくて、たった一粒のチョコを私は見つめた。

「こんなに好きだったなんて、こんなに瑛太じゃなきゃダメだったなんて今更気付いても遅いんだけど、でも、好きなの」

言い終わると、あまりのカッコ悪さに泣けてきて、私はズルズルと鼻をすすった。

カッコ悪いけど仕方ない。

だって私が悪いもの。

「私が言いたかったのはそれだけ。……瑛太は?瑛太の話は?」

私が涙を拭きながらこう言うと、瑛太は私を見つめた。

「……食べていい?」

「……うん……」

瑛太がそっとチョコを摘まむと、ゆっくりと口へ運んだ。

「うま」

「……ほんと?よ、良かった……レシピに一晩冷やし固めるって書いてあるのに後で気付いて」

「春。好きだよ」

……え……?

今……なんて……?

「ずっと春が好きだった。俺も幼馴染みとしてじゃなく、ひとりの女の子として」

心臓が止まりそうだった。

瑛太が……私を好き?

「だってあの、瑛太は谷口さんと」

瑛太が少し困った顔をした。

「先輩に告白されたんだ。付き合ってほしいって言われたけど断った。でも彼女、諦められないって……いつも朝、会いに来て」

「か、彼女じゃないの?!だって抱き締めたりキスしたりって」

瑛太が決まり悪そうに首を振った。

「急に後ろから抱きつかれたけど、キスなんかしてないよ。されそうになったけど」

あまりの事に言葉を返せなくて、私はただただ瑛太を見上げた。

「俺が好きなのは、春だよ。ずっと春だけ」

ずっと、私だけ……?

瑛太が僅かに両目を細めた。

「春。言うのが遅くなってごめん。でも春は俺のこと全然意識してなかったから言い出せなかった。俺が告白して、もしも春にフラれて、幼馴染みの関係が終わるのが嫌だったし。でも」

一旦ここで言葉を切ってから、瑛太は私に手を伸ばした。

「鮎川が……春に告白したって知って、しまったって思った。すげー焦って、イラついて意地悪言ってごめん」

瑛太……。

瑛太の大きな身体に包まれて、ドキドキするし涙が止まらない。

「おまけに春はちょっと鈍いだろ?谷口先輩のことも案の定勘違いしてるし、誤解を解こうとしてもなんか上手くいかなくて」

うん、うん。

鈍いは一言余計だけど、でも、嬉しい。

私は瑛太に抱きついて彼の胸に頬を押し付けた。

「瑛太、瑛太。大好き。これからもずっと」

瑛太がクスリと笑った。

「俺も。ずっと好きだよ」

幸せで幸せで死にそうだ。

そんな時、少しだけ瑛太が身を離した。

「春。さっきのチョコ、もっと食べたい」

「あのでも、一晩冷やさなきゃ固まらないみたいなんだけど……私もまだ味見してなくて」

「ダメ。待てない」

「じゃあ……」

「はい、味見」

……え?

見上げた瞬間、瞳を伏せた瑛太が頬を傾けた。

あ……。

初めて作ったチョコは甘くて優しい味がした。

多分、これが恋の味。

瑛太の温かさが嬉しくて、私は再び眼を閉じた。


****

翌日。放課後。

「いやあー、良かったー!ほんと、良かったー!」

浪川が、心底ホッとしたように私と瑛太を見た。

「なに、なんなのよ」

煩い浪川の声に菜穂が顔をしかめる。

そんな菜穂に浪川がニコニコと笑った。

「実は、俺の雑誌のせいで浅田と川瀬が仲たがいしたのかと思って」

は?

「雑誌って?」

何の事か分からない私と菜穂の前で、何故か瑛太が焦った。

「浪川、それは」

「あれ、言ってないの?」

浪川がキョトンとして、菜穂がイラついた。

「なによ、分かるように説明しろ」

「ほら、あのれいの雑誌だよ。浅田に借りてた野球雑誌にうっかり挟んだままにしちゃって」

その瞬間、瑛太がそっぽを向いた。

「あっ!あのエロい雑誌……!もしかして浪川のやつだったの?!」

すると浪川が申し訳ないと言ったように頭を掻いた。

「そうなんだ……で、翌日、浅田がずっと俺を睨んでたから、てっきりその雑誌のせいで川瀬がキレてるのかと」

菜穂ちゃんが心底呆れたように浪川を見た。

「あんたホントにバカだねー」

その時、浪川のスマホが鳴った。

たちまち画面を見た浪川の顔がほころぶ。

……ん?

私は浪川のスマホのストラップを見て眉を寄せた。

なんか、見覚えがある。

ちょっと待って……これって……。

「あーっ!」

私の叫び声に、三人がビクリと身体を震わせた。

「なによ、ビックリするじゃん!」

私は息を飲んで浪川を見つめた。

「な、浪川、もしかしてそのストラップ……」

浪川が照れながら満面の笑みで頷いた。

「実は……そうなんだ」

マジ?!そうなの?!

そうか……そうだったんだ。

私の心に三木さんのはにかんだ顔が浮かんだ。

三木さんは、浪川のことが……。

それから、三木さんから送られてきたLINEの画像を思い返す。

可愛くラッピングされたチョコと、シンプルだけどセンスのいいストラップ。

……良かったね、三木さん。

私は嬉しくて嬉しくて浪川を見上げた。

あの三木さんが選んだ浪川だもの。きっと素敵なところが沢山あるに違いない。

「浪川っ!普段どうでもいい浪川とか言ってごめんね。頑張ってね!」

「いや、どうでもいい浪川って言われた事ないけど。とにかく頑張るけど」

幸せに揺れる浪川のストラップを、私は見つめて微笑んだ。

***



「ふーん」

「……なに?」

部活を終えた瑛太との帰り道、私は真顔で瑛太を見上げた。

「どうしてあの雑誌が浪川のだって直ぐに言わなかったの?」

「……」

瑛太は私から眼をそらすと、なにも言わずに黙々と歩いた。

「浪川を庇ったの?」

「……」

「……でも見たんでしょ」

「……見た……」

「変態」

「ごめん」

「ダメ」

「ごめんって」

瑛太が私の手を握って引き寄せた。

それから私の耳に小さく囁く。

「もう見ない」

「じゃあ、バーガーおごって」

「ん」

「瑛太、大好き」

「俺も春が好きだよ」

私は大好きな彼の手をしっかりと握ると、夕暮れの中を弾むように歩いた。



       *あなたに一粒チョコレート*
               
                                            end
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