恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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聖なる夜の涙

《2》

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*****


突拍子もないことが起きたのは、翌日のクリスマス当日だった。
午後から半休を取った私はそのまま圭吾さんの入院する病院へと向かった。

「さあ、帰るぞ」
「は?」

病室のドアをノックして開けた途端、ネクタイを結び終わった圭吾さんがこちらを振り返ってこう言い放った。
硬直する私をチラリと横目で見ると、圭吾さんはまるで他人事のように語る。

「主治医は過労だといってたから、もう十分やすんだ。それに精密検査の結果はまだ先だ。後で封書で送ってもらえばいいだろう」

う、嘘でしょ?先生は取り敢えず一週間の入院だって……。

「それによく考えてみろ。過労はストレスを避け十分な睡眠と栄養が要るんだ。ここにいたらその全部が不足する」

は?なにそれ。

「いや、でも……」
「おまけに俺がここにいたら会社的にも大打撃になりかねない。年末までには缶詰の輸出量と木材の輸入を今の二倍にしてやらなければ」

してやらなければって。
やだ、どうしよう。
この暴挙を止められるのはいったい誰なだろう。
く、黒須さんは?!黒須さんなら……。

「黒須なら、今頃日本海の宿へ美味い蟹を食いに向かっているだろうな。休暇とセットで航空券とわが社の契約会社傘下の宿の宿泊券をくれてやった」

あ……。そう言えば黒須さんは休みをもらってたっけ。
それにしても……私が黒須さんを求めているのを素早く察知するなんて……な、なんて勘が鋭いのかしら。

「精算方法としては後日指定口座に振り込む。それからもう既にタクシーは手配済みだ」

……帰る気満々だ。
せめてもう一日、身体を休めればいいのに……。
それとも、今日は外せない予定があるとか……?
そう考えた瞬間、心臓がドキッとした。
……もしかして、花怜さん……?花怜さんと会うとか?
圭吾さんがパソコンバッグを持ち上げて私を見た。

「家に帰るぞ。早く来い」
「え、でも……そ、の……」

本当に、本当になす術がなかった。


*****

「……あの……何か食べますか?」

家についてシャワーを浴び終えた圭吾さんに、私はオズオズとこう切り出した。
圭吾さんは上下ともブラックのスウェットに身を包み、冷蔵庫から炭酸水を取り出した後私を振り返った。

「……彩となら……食べる」

あの広い病室で、一人きりの食事はきっと味気無かっただろうな。

「お昼すぎちゃいましたね。私急いで作ります。パスタなんてどうですか?」

私がそう言うと圭吾さんは軽く頷き、続けて口を開いた。

「……それから……少し付き合ってもらいたい所があるんだ」

……付き合ってもらいたい所?私に?

「いいですけど、じゃあそれまではゆっくり休んでくださいね」
「分かった」

圭吾さんが眠っている間に凌央さんのところへ行って荷物を取ってこよう。
確か今日の凌央さんのスケジュールは、出勤しないで個展の作品を進める予定だったもの。
それに、LINEを入れただけで直接謝っていないし。
私は昼食を食べた後、眠っている圭吾さんを起こさないように寝室の前の廊下を静かに進むと玄関ドアを開けた。

****


「彩!ご家族は大丈夫だったか?!」

凌央さんの家につくと私は凌央さん本人と立花さんに迎えられた。

「お陰様で大事には至りませんでした。ありがとうございます」

私がペコリと頭を下ると、後ろから立花さんが私だけに聞こえるように口を開いた。

「凌央には言ってないから」

……立花さん……。
きっと彼女は、いずれ私から伝えるべき事を自分が先に口に出すのは良くないと思ったのだろう。

「ほんとに色々とすみませんでした」

そんな私の頭を凌央さんはクシャリと撫でて笑った。

「気にするな。それより彩が掃除や洗濯、料理をやってくれたお陰で助かったよ。な、優!」

私から視線を立花さんに移して、凌央さんはいたずらっぽく笑った。

「……ええ、凄く」

それから凌央さんは優さんの頭を手の甲で小突くと、

「仕事はデキるけど優は料理が下手でな。いや、料理だけじゃなくて掃除も」
「り、凌央っ!」
「はははは!」

立花さんが顔を赤くして凌央さんの胸を拳で叩き、凌央さんはそれを避けるように身体を仰け反らせた。

……なんだか、お似合いだな。
つい最近の事なのに、二人のキスシーンが遥か昔の事のように感じる。

それから、思い出してももう辛くはなかった。
何かから解き放たれたように爽やかな気持ちでふたりを見ることが出来て、ホッとする自分がいる。
私は……どうやって凌央さんを通りすぎたんだろう。
そう思った時、凌央さんに見せられたあの赤の画を思い出した。

様々な感情を赤だけで表現した凌央さんのあの画。
あの画の赤の中に、私が凌央さんに抱いた赤色もあったのだろうか。
またいつかあの画を見たら、彼に対する赤色がどれか分かるかな。

「彩、荷物を下まで運んでやる」

私は素直に頷いた。

「凌央さん、ありがとうございます」
「じゃあ、私も今日は帰るわ」
「おう。世話かけたな、優」


****

三人でエレベーターにのり、エントランスを出た時、一番先を歩いていた凌央さんが立ち止まった。

「彩、迎えが来てるぞ」
「え?」

見知った姿に私の胸がトクンと跳ねる。
アプローチの先の道路。
点滅するハザードランプと、その車に寄りかかるようにして立っているスラリとした男性。

いつもスーツで身を固めているけど、今日は皮のジャケットからVネックのインナーがチラリとのぞく、ラフでありながらもシャープさを忘れない服装だった。

そんな圭吾さんの姿にキュッと胸が鳴る。
思わず胸に手をやった私を見て、凌央さんがバッグを私の肩にかけた。

「あんな顔してこっち見てたら、嫌でもお前を迎えに来たって分かる」

含み笑いをした凌央さんに、私は少し笑った。
凌央さんは勘違いしてる。でも、それでいい。
立花さんが圭吾さんに深々と頭を下げた後、私を見て笑った。

「じゃあね、彩さん」
「はい。お二人とも、また」

ペコリと頭を下げて踵を返すと、私は圭吾さんへと駆け出した。

「圭吾さん!」
「彩」

圭吾さんは凌央さんに会釈をした後、私の肩の荷物を取り、口を開いた。

「何故言わないんだ。俺を起こしたら送ってやれたのに。早く乗れ」

その眼がまたしても不機嫌そうだったけど、ここは私も負けていられなかった。

「圭吾さんは過労で倒れたんですよ?休んでないといけない人に言えるわけないじゃないですか」

少しだけ強くこう言うと、私は先を続けた。

「どうして私がここだと分かったんですか?」

だって、私は凌央さんの家を誰にも教えた事ないもの。
すると決まり悪そうに私から眼をそらして圭吾さんは口を開いた。

「彼の住所は……知り合いに聞いた」

知り合いに……。
二人とも経営者だし、共通の知り合いがいても不思議じゃないけど……。

「……どうして?」
「……」

だって子供じゃないんだから自分で運んだ荷物くらいひとりで持って帰ってこられる。
……それとも、私を花怜さんの代わりにしちゃったお詫びかな。

「圭吾さん。私もう怒ってないんで大丈夫ですよ。それより、付き合って欲しい所ってどこですか?」
「……」

運転するその横顔が、何故かやたらとぎこちない。
……そんな顔をされると、凄く不安なんだけど……。
圭吾さん、と声をかけようとした時、まだ発進して間なしだというのに彼はハザードランプを点滅させて車を路肩に停車した。

「行きたい店があるんだ」
「お付き合いします。どこのお店ですか?」
「アルテミス」

アルテミス……。
心臓に何か尖ったものが突き刺さったような感覚に思わず肩がビクンと跳ねた。
アルテミス……そうだ。
以前圭吾さんにクリスマスの予定を聞かれた時にアルテミスの話をした。

花怜さんへのクリスマスプレゼントをまだ決めてないなら、代官山の《アルテミス》っていうジュエリーショップに可愛いのが沢山ありますよって……話した。

「アルテミスに行きたいんだが……付き合ってくれるか?」
「はい、もちろん」

……私は今、ちゃんと笑えているのだろうか。
圭吾さんが花怜さんにプレゼントするジュエリーを、ちゃんと選べるだろうか。
何かあるといつも急上昇する心臓の鼓動は何故か今、思いの外静かだ。
その代わり、軋む。
ギシギシと。

馴れなければ。馴れなければ、この痛みに。
私は呪文のようにそれを心の中で繰り返した。

****

代官山駅から程近いジュエリーショップ《アルテミス》は、クリスマスシーズンの為にいつにも増して賑わっていた。
店内はクリスマスを意識したディスプレイがなされており、まさに幸せいっぱいの空間にしあがっている。
それらを見回していると、まるで砂糖菓子のように可愛らしい店員さんが私と圭吾さんを見て微笑んだ。

「いいですねぇ~、私もこんな素敵な彼氏さんとクリスマス過ごしたいですぅ」

当たり障りのないようにお礼を言うも、胸は苦しい。
お店の中にはカップルが沢山いるにも関わらず、圭吾さんはその中のどの男性よりも目立っていた。
彼氏連れの女性ですら圭吾さんに眼を奪われているのは気のせいではないらしく、

「彼氏さん、かっこいいですね!みんな見てますよぉ」

先程の砂糖菓子店員さんが小声でそう言い、それに気づかない圭吾さんは辺りを見回していた。

「彩、どれがいい?」

……正直分からない。
だって私は花怜さんじゃないもの。
彼女の顔も知らず、好みも分からないのにどれがいいかなんて答えられない。

でもこう問いかけて私を見下ろす圭吾さんは少し照れ臭そうだ。
おまけにどうしていいか分からないといったように片手で口元を覆って、

「俺はこういうものに疎くて」

ああ、花怜さんは圭吾さんにこんな顔をさせるんだ。
普段冷静で冷ややかな彼を、しどろもどろで落ち着かなくさせてしまうんだ。
こんなにも花怜さんは圭吾さんを夢中にさせているんだと思うと、まだ見ぬ彼女の姿を想像せずにはいられなかった。

店員さんは「ごゆっくり」と微笑むと新たなお客さんの元へと去っていき、圭吾さんは少しホッとしたように息をついた。

「ネックレスでも指輪でもいい」
「圭吾さん」

ショーケースに視線を落としていた圭吾さんが、少し改まった私の口調に視線をあげた。

「ん?」

恐かった。
でも、訊きたい。

「どんな人ですか」

意気地のない私は、花怜さんの名前を口に出せず、こう聞くのが精一杯だった。
そんな私を見て、圭吾さんが動きを止めると唇を引き結んだ。

「どんな人か少しでも分かると……彼女好みのものが選べそうな気がして」

出来るだけ自然に言ったつもりなのに、何だか自分の声じゃないみたいだ。
やがて、恐くて震えそうになる私の耳に圭吾さんの声が届く。

「可愛くて凄く純粋で……とても素敵な人だ。値段はいくらでも構わないから彩の気に入ったものを選んで欲しい」

真っ直ぐで、潔い眼差し。
いつも素敵だと思っていたその瞳が、私の心臓を刺し貫く。

「……分かりました」

みるみる涙が溢れてきた。
俯いてそれを隠すと、涙が落ちるギリギリで彼に背を向けた。
一番離れたショーケースに足を進めながら、泣くな泣くなと呪文をかける。

好きな人の恋人の為にクリスマスプレゼントのジュエリーを選ぶ私は、きっと愚かな女だろう。
でもいい。

これはきっと罪と罰。
男性を見る眼がないからといって恋愛を諦めた罪と、婚約者がいるにも関わらず他の人に想いを抱いた罰。

私はこれ以上涙が出ないようにと祈りながらキラキラと光輝くジュエリーを見つめた。
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