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第七幕

白鷺の剣

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◇◇◇◇◇◇

「柚菜ーっ!!」

俺は声の限り叫んだ。

行灯の炎ひとつの暗い部屋の中でも、柚菜の顔が土気色に変わっていくのを感じた。

『白鷺、死んでもあなたを守るから。だから私の分まで幸せに生きて』

さっき俺の手を握ってそう言った柚菜の言葉を思い返して、再び涙が頬を伝った。

初めて柚菜を見た時、何と可愛らしい女なんだろうと思った。

真っ直ぐに俺を見る瞳に、直ぐに恋に落ちた。

正真正銘の一目惚れだ。

冷たくしたのは、これ以上柚菜を知ると自分の物にしそうだったからだ。

そうなれば、雅の生き霊が彼女を襲うだろう。

それだけは避けたかったんだ。

なのに、こんなことになるなんて。

俺は、雅の懐剣を胸に受け、力なく横たわる柚菜の手を握り締めた。

「柚菜、お願いだ。死なないでくれ」

その時激しい閃光が部屋に射し込み、やがて銀色の光が全てを照らした。

あまりの事に何が何だか訳がわからない。

「どうしているかとちょっと見に来てみりゃ……」

突然深くて低い辺りを震わすような声が響き、俺は柚菜の身体を抱いたまま、慌てて部屋の天井から床までをくまなく見回した。

すると漆黒の長い髪と瞳を持つ精悍な男が部屋の中央に現れて、憮然とした表情で部屋をグルリと一瞥した。

「おい、マジかよ」

「あなたはもしや……!」

宗太郎と村外れの寺の住職である慈慶さんが、驚いたように現れた男を見上げた。

「おい、お前ら。ちょっとおとなしくしてろ」

それから漆黒の瞳の男は、飛び交う青白い光の玉を見て、懐からなにかを取り出した。

あれは……!

見覚えがあった。

たしか……柚菜の背中に……。

驚く俺には眼もくれず、男は続けて口を開いた。

「刀から解放された魂共!柚菜の勇気に感謝するんだな!浄化してやるからさっさと失せろ!」

ギラリと黒い瞳を光らせて男が剣を一振りすると、青白い光の玉は音もなく消えていき、瞬く間に跡形もなくなった。

「おのれ、小癪な……!」

苦し気な息遣いとその言葉をきいて黒髪の男は忌々しそうに舌打ちすると、雅の生き霊に向き直った。

「おいそこの生き霊。よくも俺の可愛い妹分を痛め付けてくれやがったな」

漆黒の瞳が怒りに燃えていて、男がどれだけ柚菜を大切に思っているのかが、手に取るように分かった。

「俺の可愛い妹に手ぇ出してただですむと思うなよ」

雅の生き霊の眼から涙が溢れるのが見えた。

「どうして、私じゃダメなのよ……白鷺……」

俺を見て、雅が苦痛に頬を歪めた。

「雅、すまない」

「愛してくれさえすれば……許すのに」

血を吐くような生き霊の声に、黒髪の男はフンと鼻を鳴らした。

「お前はいつまで白鷺にしがみつく気なんだよ。心ではもう分かってんだろうが。白鷺にあるのはお前に対する罪の意識だけで、それが愛情でないってことに。
もう潮時だ。
柚菜の強さを見ただろう?生身の人間が愛をかけてお前に立ち向かったんだぞ」

雅の生き霊が泣き崩れた。

「相手の弱味に付け込んで愛だなんてほざいてんじゃねえよ。
憎しみや独りよがりを正義や愛情と勘違いせずに前を向け!
自分の肉体から離れず、しっかりと両足を踏みしめて生きろ。
お前の肉体に恥じないように」

雅の生き霊が言葉を失い項垂れた。

「俺はなあ、剣神なんだよ。刀を侮辱したお前を赦すわけにはいかねぇ!」

「白鷺……ごめんなさい」

剣神だと名乗った黒髪の男は、剣を真横にし、顔の正面に構えると何やら人の言葉ではないような言葉を発した。

「あ、ああああっ!!」

たちまちのうちに、見えない波のような空気の流れが起こり、それが雅の生き霊を包み込んだ。

するとその見えない空気の波が、瞬く間に銀の光に変わり、雅の生き霊がかすみ始めた。

「白鷺……もう邪魔はしません。いままでごめんなさい」

最後にそう言い残すと、雅は徐々に薄くなり部屋から静かに消えていった。

目の前の出来事すべてが夢の中よりも奇妙で、俺は動くことが出来ず、ただただ剣神を見上げた。

「……さてと」

小さく息をついてそう言うと、剣神はゆっくりと踵を返して俺を見下ろした。

「刀匠西山白鷺」

俺の名を呼び、剣神はその漆黒の瞳を光らせて続けた。

「俺は剣神であり武神、建御雷神(タケミカヅチノカミ) だ」

タケミカヅチノカミ……。

「まあ、俺の名は長いらしくてな、柚菜はミカヅチと呼んでいたがな」

そう言いながら剣神ミカヅチは、膝をついて柚菜を覗き込んだ。

俺は必死だった。

「ミカヅチ様、お願いだ。柚菜を助けてください」

そんな俺を一瞥して、剣神ミカヅチは低い声で問い掛けた。

「お前に覚悟はあるのか?
……いいか。知っての通り、こいつは未来から来たんだ。お前を愛したがゆえに、未来の素晴らしい生活を捨ててな」

言うなり剣神ミカヅチは、俺の額に剣の柄を押し付けて呪文を唱えた。

「……っ!!」

その瞬間、俺の頭の中に見慣れない風景が広がった。

見上げるほどの建物、細長く空気を裂くように移動する見たこともない物体。

人々の服装は着物でなく、髪型もまるで違う。

食べ物、飲み物、照らす明かりも何もかもが俺の想像を越えている。

「まだまだあるが……これで十分だろ」

今のが……柚菜が暮らしていた世界なのか。

俺は呆然としながらも剣神ミカヅチを見つめた。

「柚菜は、あの世界でお前の刀と出逢い、一目で虜になってたぜ」

俺の刀を……?

剣神ミカヅチは、柚菜が握りしめたままの脇差、柚姫に視線を落として呆れたように微笑んだ。

「この脇差だよ、柚菜が惚れた刀は」

剣神ミカヅチは続けた。

「あの時こいつが惚れた刀で、惚れた男のために命を懸けるとは……大した女だぜ」

この脇差を、柚菜はもとの世界で見ていたのか。

固く閉じられた柚菜の瞼はピクリとも動かず、俺はなりふり構わず剣神ミカヅチに懇願した。

「どうか、柚菜を連れて行かないでください!俺は、柚菜を一生かけて守り抜きます。なんなら、俺の命と引き換えでも構わない」

剣神ミカヅチは、俺を真正面から食い入るように見据えたが、やがて諦めたように息をついた。

「そういや俺は、まだお前に借りを返してなかったぜ」

言うなり柚菜の胸に深々と刺さった雅の懐剣を握ると、彼はニヤリと笑った。

「覚えてるだろ?柚菜がしつこくお前に付きまとって剣を作ってくれと頼んだのを。あれは俺の為なんだよ。ひょんなことからちょっと問題が起きてな」

剣神ミカヅチは、更に続けた。

「お前が剣を作ってくれなかったら、俺はチンケな神社から出られなくなるところだったんだ。感謝するぜ」

よく分からなかったが、柚菜のために作った剣が役に立ったようだった。

「ちょっとどいてろ」

言うなり俺を押し退けて、剣神ミカヅチはゆっくりと眼を閉じた。

「ちっとばかり、骨が折れる作業なんだ。声かけんじゃねえぞ!」

言うなり再び呪文を唱え始め、剣神ミカヅチはきつく眉を寄せて眼を閉じた。

たちまちのうちに柚菜と剣神ミカヅチの周りに激しい赤い炎のような靄が巻き起こり、俺はその赤い炎に弾き飛ばされた。

住職と宗太郎も壁まで吹き飛び、顔をしかめている。

赤い膜のようなものは、荒々しく風を巻き起こしながら柚菜と剣神を包み込んでいて、その激しさに俺は思わず眼を細めた。

漸くその膜の赤みが消えていき風が治まってきた頃、剣神ミカヅチの声が響いた。

「ああ、力を使い果たすところだったぜ」

荒い息を繰り返しながら剣神ミカヅチは額の汗をぬぐい、カランと懐剣を床に放り投げた。

「これ、お前があの生き霊の本体に作ってやったんだろ」

俺は立ち上がりながら頷くと、その懐剣を見つめた。

「念は殺しといた。持ち主に返してやれ」

床に放り出された懐剣を手に取ると、剣神ミカヅチは真正面から俺を見つめて低い声で続けた。

「借りは返したぜ、刀匠白鷺。くどいようだが柚菜は俺の可愛い妹みたいなもんだ。大事にしないとただじゃおかねぇぜ」

俺が深く頷くと、剣神ミカヅチは男らしい頬を僅かに歪めて笑った。

「じゃあな。柚菜に宜しく言っといてくれ」

「ミカヅチ様」

「あ?」

肩越しに振り返った剣神ミカヅチに、俺は白鷺一翔を拾い上げて差し出した。

「これをお納めいただきたい」

剣神ミカヅチは、俺を見下ろして唇を引き結んだが一言低い声で問い掛けた。

「……いいのか?」

「貴方に預けておいた方が、白鷺一翔も安らげると思います。この刀には……無理をさせ過ぎました」

俺の言葉を聞いて、剣神ミカヅチはニヤリと笑った。

「そうか。じゃあ持ってくぜ」

頭をあげた時には既に剣神ミカヅチの姿はなく、俺は白々と明け始めた部屋の中を見回し、横たわる柚菜を再び胸に抱き上げた。

「どうだ、柚菜は」

宗太郎と慈慶さんが心配そうに柚菜を覗き込み、俺はそっと柚菜の髪を撫でた。

「助けてくれたんだ、剣神ミカヅチが」

「そうみたいだな。きっとすぐ目覚める」

宗太郎が俺の肩を何度も擦り、俺はそれに答えるように頷くと、こみ上げる涙を必死で抑えて柚菜を抱き締めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇

数日後。

「いやあ、しかし良かったな、柚菜!」

宗太郎が満面の笑みを浮かべて私の肩を抱いた。

「すぐ目覚めると思ってたのに、三日も眠り続けるものだから心配したぜ」

「ごめんね、心配かけて」

私は宗太郎を見上げると、彼の盃にお酒を注いで微笑んだ。

そんな私を何故か宗太郎は眼を真ん丸にして見つめたけど、やがて僅かに眉を寄せた。

「柚菜、お前はやっぱ可愛い!なあ、白鷺なんかやめて俺の家に」

その時、無理矢理腕を引っ張られて宗太郎から引き剥がされると、私は白鷺の胸に抱かれた。

慌てて見上げると、白鷺は宗太郎を憮然とした表情で一瞥し、

「お前はいつまでここにいるんだ。早く帰れ」

「なんだよ、まだ昼じゃねぇか!なんなら、もう一日」

「ダメだ」

白鷺は冷たく言い放つと、今度は私を見下ろした。

「柚菜は俺のものだ」

至近距離から見つめられて、そんな嬉しい言葉をかけられて、私は思わず息を飲んだ。

『柚菜は俺のものだ』

心臓がドキドキと煩くて、頬に密着した白鷺の胸が熱くて、私は夢中で彼を見上げた。

「白鷺、だいす」

「ああもう!俺が帰ってからにしろっ」

宗太郎が呆れたように私達を見て帰っていき、私は彼の後ろ姿を見送ると白鷺に向き直った。

向き直ったものの……やだ、なんか恥ずかしい。

私は身を起こすと白鷺の隣に戻った。

「私も会いたかったな、ミカヅチに」

雰囲気を変えたい気持ちも手伝って、私はポツンとそう呟いた。

私が雅さんの生き霊に刺されて気を失った後のことは白鷺と宗太郎から聞いたけれど、やっぱりミカヅチには会いたかった。

「あの分だと会いに来そうだな、お前に」

白鷺が盃を傾けてから私をチラリと見た。

「剣神ミカヅチは、物凄くお前を可愛がってる様子だったから」

私はミカヅチとの出逢いや、彼と交わした言葉の数々を思い出しながら微笑んだ。

それから急にミカヅチとの会話が蘇った。

『柚菜、背中の剣はどうする?』

『消さないで、ミカヅチ』

『分かった。じゃあな』

『うん』

……これって……眠ってる時に、夢だと思ってた会話だ。

今思えば、ミカヅチが眠ってる私に会いに来てくれたんだろうな。

ありがとね、ミカヅチ。

その時、白鷺が大きく咳払いをした。

我に返って咄嗟に白鷺の方を向くと、白鷺はムッとして私を睨んでいた。

「な、なに?」

「他の男の事を考えるな」

「は?!ミカヅチだよ!?神様だよ!?」

「いくら神でも男だろう。
……こっちに来い」

盃を置いた白鷺の瞳が甘く輝いていて、私はゴクリと喉を鳴らした。

白鷺の首から肩にかけての逞しいラインや、少しはだけた着物からチラリと見える厚い胸板が私をドキドキさせる。

やだやだ、私、欲求不満みたいじゃん!

正直飢えてるけどな!

「早く来い」

「あ、あのっ!」

私の大きな声に驚いたのか、白鷺は少し眉を上げた。

「あの実はね、私ずっと聞きたいことがあったの。白鷺に」

「……なんだ」

傍に寄れと言ったのをスルーしたからか、少し苛立たしげな白鷺は、私を斜めに見つめた。

「あのね、白鷺流って名前は、白鷺城からとったの?それに白鷺流はいつから?」

「……?」

白鷺は不思議そうに首をかしげた。

「……私の住んでた時代にね、白鷺流の記録がなくて……。ほかの有名な刀匠は、名刀と言われる刀がいくつも残ってるし記録もある。
でも白鷺の刀の記録は何もないみたいで……。
どうして?」

私のたどたどしい質問に、白鷺はホッと息をついて答えを返した。

「白鷺流とは、刀の地肌の模様が羽根のようだからと聞いている。
俺の名前の『白鷺』は、城からとったらしい。……父に聞いたことはないが恐らく、流派名と合わせただけだと思う」

白鷺は続けた。

「記録がないのは、白鷺流は代々忍刀を専門としていたらしいから、そのせいかも知れないな」

「忍刀って?」

「忍びの者が持つ、特殊な刀だ。流派を確立した初代から俺の父の代までは、主に忍び……いわゆる忍者と呼ばれる者達に刀を作っていたらしい」

忍者専門の日本刀……。

「白鷺流は幕府が鎌倉にあったころから、忍刀には名を彫らないのが慣わしだから、柚菜の時代にもしも白鷺流の忍刀が発見されたとしても、気付く者はまずいないだろう」

そうだったんだ……。

「なんか、勿体無い」

「なぜ?」

「だって播磨の地にもこんな腕の良い刀匠がいたって皆に知ってもらいたいもん。白鷺の刀が、有名な大業物にもひけを取らない刀だって」

私が少し声を大きくして言ったせいか、白鷺は驚いたように私を見た後、クスッと笑った。

「柚菜が知っていてくれたら、それでいい」

白鷺……。

「忍者と呼ばれる者が激減し、俺が白鷺流の十代目を継いでからは様々な刀を作るようになったが、それが後世に残るより、柚菜が傍にいて俺の刀を誉めてくれた方が何にも増して嬉しい」

「白鷺……」

その時、私はお祖父ちゃんが見せてくれた太刀を思い出した。

「私ね、白鷺流西山と彫られた太刀を見たのよ。素晴らしい太刀だった。お祖父ちゃん曰く、業物以上の凄い太刀だって」

白鷺が少し驚いたように唇を引き結んだけど、私は構わずに続けた。

「お祖父ちゃんがね、多分鎌倉時代の物だって」

「それは……俺の先祖がある武将に献上したものだ」

「ある武将って?!」

凄くワクワクして、私は白鷺を夢中で見つめた。

「お前が見たのはおそらく、羽柴殿が入城する際に急遽献上することになった太刀だろう。それまでは代々、西山家の家宝だった。初代白鷺流の当主、西山翔羽(しょうう)の渾身の一振りだからな」

「姫路城に住むことになった豊臣秀吉に、あげちゃったの?!」

白鷺は少し笑って私を見た。

「羽柴殿に献上するのに、そこいらの並の刀ではダメだろう?」

そりゃそうかもしれないけど……。

でもなぜ、そんな由緒正しい太刀がお祖父ちゃんの従兄弟の家の縁の下から出てきたんだろう。

……それからやっぱり勿体無い。

そんな、代々大切にしていた太刀をあげちゃうなんて。

「柚菜」

白鷺が、ゆっくりと身を乗り出して私の肩を引き寄せた。

「唇が尖ってるぞ」

甘く笑った白鷺に私は焦って答えた。

「だって、やっぱり勿体無くて」

私がそう答えると白鷺は僅かに目を細め、申し訳なさそうな、気遣うような、何とも言えない表情で口を開いた。

「勿体無いで思い出したが、お前は……本当によかったのか?この時代に生きると決めて」

私は至近距離にある、白鷺の端正な顔を見上げて、真剣に言葉を返した。

「白鷺の傍にいない方が後悔する。白鷺がいない場所なら、私の生きる意味がない」

「柚菜……」

柔らかく呼ぶ白鷺に、私はフワリと笑いかけた。

「さあ飲もう、白鷺!今日は私の快気祝いでしょ?!」

「……ああ……そうだな」

その時、戸口がトントンと鳴った。

「白鷺」

聞こえてきた澄んだ声に、私と白鷺は顔を見合わせて硬直した。

……雅さんだ。

私はあの夜の決戦と胸に受けた刀の痛みを思い出して息が止まりそうになり、次第に恐怖が全身に広がった。

徐々に早くなる鼓動と、みるみるわき上がり背中を伝う冷や汗。

私は瞬きも忘れ、ただ戸口を張り付いたように凝視した。

「白鷺、話があるの」

「柚菜、下がってろ」

白鷺が土間に降りて戸口に近づく。

怖い、どうしよう……!

白鷺は私を振り返ることなく戸口を少し開けた。

雅さんの美しい顔がチラリと見える。

「白鷺、お別れを言いに来たの」

白鷺が戸口を開け終わる前に、雅さんはこう切り出すと儚げな微笑みを見せた。

「備前の母の調子が思わしくなくて……それであちらで縁談を」

「雅……」

何か言いかけた白鷺を、雅さんは言葉で止めた。

「明日、早くに立つから今日の内にお別れを言っておきたくて……。
白鷺、今までありがとう。どうぞお元気で」

雅さんはそう言うと、フウッと視線を私に止めた。

それから柔らかい声で私に声をかける。

「お嬢さん」

「……はい」

「白鷺とお幸せに」

こう言って深々と頭を下げると、彼女はゆっくりと踵を返した。

「雅、これを」

「あら……!」

雅さんは振り返ると驚いたように白鷺の差し出した懐剣を見つめたけど、そっと両手で受けとると胸元に収めた。

「さよなら、白鷺」

「ああ。元気で」

雅さんの姿が見えなくなるまで見送ると、私は白鷺を見上げた。

「雅さん、自分の生き霊には気付いてなかったんだね」

「ああ」

もしかしたら、様々な魂の悪戯も手伝って、生き霊が独り歩きしていたのかも知れないな……。

言葉少なく私にそういうと、白鷺はそっと手を握った。

「部屋に戻るぞ」

「……うん」

「柚菜」

「ん?……あ、きゃあっ!」

言うや否や、白鷺は私をフワリと抱き上げた。

「ちょ、ちょっと、白鷺っ」

私を抱き上げた白鷺は、一瞬だけこちらを斜めから見下ろして、魅力的な笑みを浮かべた。

「一目惚れだと言っただろう?」

キュッと胸が鳴って、私は夢中で白鷺の瞳を見つめた。

甘い光を宿したその瞳は凄く素敵で、どうしていいか分からない。

「お前も俺に惚れてるんだろう?なら」

そこで一旦言葉を切ると、私を部屋の床に下ろし、白鷺は昨日届いたばかりの真新しい布団に眼をやった。

それから再び私の瞳を見つめる。

「……」

「……」

それって……。

もうダメだ、死ぬ。

「白鷺ったら」

私が真っ赤になって俯くと、白鷺は屈み込んで私の唇にキスをした。

「っ……」

甘い甘い白鷺の口づけに、私は思わず眼を閉じた。

僅かに口内に触れた白鷺の舌先に、身体中が熱くなる。

「……白鷺」

「柚菜」

白鷺の少し節の目立つ指が、頬を撫でて首筋へと伝い、私はその心地よさにゾクッとして白鷺に抱きついた。

「可愛すぎるお前が悪い」

ああ、ダメだ。

彼がそう言って甘い眼差しを向けたから、私は観念して囁いた。

「白鷺が欲しい。全部」

「全部お前だけのものだ」

二度目のキスはもっと深くて凄く甘くて、私は白鷺に身を委ねた。

生きていこう、ここで。

動乱の幕末も、程なくしてやってくる明治維新も、これから訪れるであろう幸せや困難の中でも、私はしっかりと生きていける。

だって、白鷺の傍にいられるんだもの。

「白鷺、大好き」

私は再びそう言うと、白鷺を強く抱き締めて眼を閉じた。

真夏の暑い昼、賑やかな蝉の声が私と白鷺を包んでいた。






    白鷺の剣~ハクロノツルギ~
          完
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