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59話

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その前提があって、ようやく呂布は二家を迎え入れる事ができると考えていた。
そして第二に、彼らの処遇についてである。
陳宮の考えでは彼らをどうするかは慎重に考えるべきところなのだが、呂布が簡単に処刑と言う決断を下した事にはさすがに驚かされた。それも、よりにもよって助命嘆願の為にわざわざ訪ねてきた者がいると言うのに、それを簡単に切って捨てたのである。とは言え、李典や于禁の様な猛者も同じように考えていたのだから李粛が慌てても仕方が無いのかもしれないが、あの時すでに陳宮の中で李粛の評価は底の底にまで落ちていたのだろうと思うと複雑な気持ちになってくる呂布である。
李家は確かに曹操から徐州を攻める際協力してくれないかという要請を受けていたものの、それは断る方向で話が進んでいたのだそうだ。と言うのも呂布軍との戦いにおいて敗れたと言う結果を残して曹操からの頼みを聞く事はできなくなってしまったので、このまま協力した所で李家の立場は微妙なままでしかなく、場合によっては呂布に敵対的な勢力だと疑われかねない。だから断ったのであり、当然呂布もそれを理解していたので李家を咎めなかったのだが、そのせいか李徽が使者としてやってきた時には呂布軍は大慌てになったものである。李徽の話を聞いて、その使者は間違いなく李祥である事が確認できた為彼を拘束すると李家からも抗議があり、さらに陳宮からの説明で事態は余計複雑になってしまった。陳宮の策を聞いた諸将からは不満も出たが、曹操と呂布が睨み合うのを見ていなければならない以上他に選択の余地は無く、最終的にこの提案は受け入れられる事となった。ただし、条件の一つとして李粛の命だけは保証される事になったので一応は決着を見た事になるのだが、これに関しては誰もが渋々といった感じで妥協せざるを得ず、もしこれで納得していなかったら最悪呂布も陳宮も首だけになってこの世にいなかったかも知れない事を思うと恐ろしい限りである。
だがしかし、それ故にこの二人の扱いに関して陳宮は非常に悩んでいたと言う事でもあったのだが、この状況下で李克から申し出を受けたのはかなりありがたい展開と言える。もちろん陳宮としても李家と敵対するつもりは無いのだが、李厳達にしてもここで呂布や陳宮との関係が拗れるような事にでもなれば身内から敵を出すようなものであるし、そうなれば残された李泰、李盛兄弟はともかく孫観は生き残る事が難しいと言えるだろう。そういう意味でも非常に助かる申し出ではあったが、同時に陳登もまた同じ様な立場に置かれている事も分かる。おそらくは彼としては兄である李克と同じ意見なのではないかと思われた。
だが、呂布としては陳家の三人を救い出さねばならないし、その為に必要な行動を起こす必要があった。「実は私は先程李家に帰順の使者を送ってきました」
呂布の言葉に対して李克だけでなく陳家兄弟も驚いている様子だったが、中でも陳珪は動揺を隠しきれない表情だった。
その言葉の意味は誰よりも分かっており、また彼自身がそのつもりであったからである。
そんな陳珪の様子を見ながら、呂布は続ける。
「李厳殿、陳珪殿。今この時を持って貴方達は私に仕える気はありませんか?」
突然の呂布の言葉に、今度は三人とも揃って驚きの表情で固まる。
陳宮や李粛から話を聞かされていなかったのであろうし、それは李粛が呂布軍を逃げ出した時に陳宮と陳宮の弟達が画策していた策の一つでもあるので、あえて李粛には伝えずにここまで来たものと思われる。その方がより李粛を苦しめられると思ったからかもしれない。
陳宮と陳式兄妹はこの徐州攻略に際し、李粛が逃げて来た場合は捕えるように動いていたが、その場合には陳家兄弟の命までは奪う必要は無かったのでそのまま李粛と共に陳宮の元に出頭するように指示しておいた。これはあくまで保険のつもりでしかなかった。万が一の場合、陳宮や弟の陳典が李粛と共に処刑される事になりかねなかったので、そうならないようにする為に用意させたものだった。
李克と李徽は人質と言う名目の足止め役として陳家兄弟を使うつもりだったが、それも出来なくなってしまえば彼らを人質にとる意味が無くなる。人質としての利用価値がないと言う事はつまり人質ではないと言う事になるので、彼らの処遇をどうするのかは大きな問題となってくる。李祥が呂布の元に行った時、李厳が李克の元に行けば陳家の二人は必然的に捕虜になってしまうからだ。そこで彼らが選んだ答えこそ呂布の勧誘であった。
陳家兄弟を殺さずに降伏させる事が出来るとしたら、それはもう天下広しと言えども呂布くらいなものなので、ここは恥を忍んで呂布の元へ身を寄せるべきだと、そう言う事である。陳宮にしてみればその案には賛成できないどころか李厳と陳家兄弟が曹操の息がかかった存在であれば死罪は免れないと思っていたのだが、そう言う理由で呂布の所に行くならばそれもそれで構わないと考えた。
元々陳式の方は曹操の元に残しておく予定だったし、李式は呂布の元で陳宮に学ばせようと考えもしていたが、どちらにしろ李家が呂布の所に降って来るのなら問題はない。と言うより、呂布にとって都合の良い状況になるのだから喜ばしい事と言っても良い。
が、李厳の気持ちとしては素直に歓迎できる事では無いだろうと思いながら彼の方を見ると、その表情は李規が捕らえられた時の事を思い返させてしまうほど苦々しいものでしか無く、眉間にも深くシワを寄せていた。陳宮と陳紀はその態度だけですでに絶望感に打ちひしがれているが、それでも李克と李徽は諦めた様子はなく、特に李克の方はまだ若いと言う事もあるのだろうが陳宮に対して激しい憎しみを持っている事が分かった。
おそらく兄である李粛も李粛なりに自分の妻を守ると言う使命を背負っていたはずなのだが、陳宮はそれすら踏みにじるつもりらしい。陳宮の本心は分からなかったが、とにかく彼女の考えでは兄嫁である李氏の身の安全は確保したかったのだ。
李克は陳家の家族が人質に取られていた事を知っていたから、呂布からの勧誘を受け入れられたのだと思う。
陳宮の考えによれば曹操からの提案を受けておかなかった事が最大の失敗であり、その失点を取り戻すのは至難を極めると言わざるを得ない。しかし、この場にいる人間から曹操への反感を植え付ける事にでも成功すれば多少の挽回の余地はあると考えていたのだ。もっとも、そこまで期待しているわけでもないが、このまま何も手を打てないまま終わりを迎えるよりもマシだと考えたのである。
陳登は、そんな陳宮の内心をまるで見透かしていたかのように微笑んでいた。
「ご安心下さい」
陳登の言葉が合図のように呂布軍の本陣は動き出し、陳家兄弟は抵抗する事もなく捕えられていく。陳泰だけはその場に残り、陳式と睨み合っていた。
さすがに陳宮もこの状況下に置いて李克達と斬り合いをする気にはならなかったらしく、剣を収めた。陳宮としてもこれ以上の無駄な戦いは避けたかったし、ここでの勝敗に関わらず呂布軍は敗北する運命にあった。だからこそ、この場で決着をつけるべきではないと判断したのである。陳式も兄の視線を受け、剣を収める。だが、すぐに戦闘状態に入る様な雰囲気は無くとも、その目つきから陳宮の李厳や陳家兄弟に対する怒りの大きさを感じ取る事も出来た。
「申し訳ありませんでした」
陳珪が膝を突いて謝罪してくる。
それに対して陳宮は何の反応も見せないが、それは無言の圧力でしかなかった。それは陳家の三人だけではなく、張遼や成廉も同様で陳宮の怒りを目の当たりにしている。そして当人の陳珪はもちろんの事、息子の陳式ですら震え上がる様な威圧的なものだった。さすがにこの場の雰囲気には李粛と李克也も気がついたようで、二人もその場で陳珪と同じく膝を突く。
これで形的には呂布軍は全て降伏し、残る敵勢力は徐州太守である陶謙とその家臣のみ、もしくは李儒の軍のみである。この時点ではまだ李克達は投降しておらず、陳式の話では袁術の元へ逃げたと言う。陳珪はそれを追おうと提案したのだが、それには陳宮が反対し、それを聞いて陳宮の気が収まるまでは呂布軍は何も出来ずに待ち続けなければならない事になった。当然、それは呂布にとっては苦痛を伴うものでもある。
ただ待っているだけでも、それだけで体力と気力を奪っていく事に変わりはなかった。さらに、今の呂布の状況を考えると、最悪の場合は今この時にも刺客からの襲撃がある可能性も高く、それを護衛する呂布軍が手薄であるのも大きな問題と言える。もちろん、それはあくまでも最悪の場合の話で、現時点ではそれほど警戒していないが、それはあまりに油断しすぎだと陳宮からは怒られてしまったのだが、それでも呂布の周囲には厳氏を先頭に魏続と韓浩を配置し、その外側に厳氏が連れてきた女性兵、そこから内側が陳珪や郭淮が集めた兵など最低限度の防備を残してあるのは確かだった。とは言えそれも時間稼ぎでしかないので、あまり悠長にしている時間はないし急ぐ必要があった。陳家の三兄弟にしてもそうで、もし彼らも逃げられるなら曹操軍に紛れさせて逃がすつもりでいたものの、彼らの表情を見ている限り望みは薄いと言う事が分かる。むしろ下手に脱出を試みない分だけ冷静なのかと思ったほどだ。結局呂布達が行動を起こす事になったのは、李粛達が曹操の元に戻ってしばらく経った頃である。その頃には呂布は精神的にも疲労困ぱいしていてまともに動けるような状態ではなかったが、陳宮の指示の元曹操の元へ使者を出しに行った。
使者としてやって来たのは厳氏と李夫人の双子の姉妹、それから高順と陳宮の三人である。この組み合わせは陳家兄弟の妻である李氏と娘を人質に取られており身動きが取れなくなっていたからなのだが、その事を伏せる為である。
曹操がどんな反応を見せるのか全く想像出来ないし、呂布の個人的な予想では曹操と言うより孟徳という人間が李克達を許すとは思えなかったのだが、陳宮はあえて李克達を生かして返す事に決めた。
確かに陳家は名門であるが、それでも名門の名に恥じる事ばかりやってきた陳家に対しての温情とは思えないほど冷たい仕打ちとも言える陳宮の決定であったが、そこには李家に対する配慮もあったのだろう。
今回の事について李氏は陳式と共に呂布の元にいる事で李克達を追い詰める為には必要だったが、だからと言って李克達の命まで助ける必要があるほど追い詰められたわけではなく、またそこまでの義理もなかったはずなのだ。
しかし実際に李克は呂布の目の前におり生きている以上、李克だけでなく李徽と李粛は助命嘆願する事になるのは目に見えていた。陳宮はそれによって生じる弊害を考え、敢えてこの判断を下したのだ。その事を呂布は陳宮から直接聞いた訳ではないが、おそらく間違っていないはずだと考えている。何せ、そのおかげで呂布は自分の命を狙う暗殺者から救われたのである。
そしてこの事は陳宮なりの考えあっての事なのではないかと思うところがあった。陳宮はこの日の為に様々な準備を進めてきたが、この結末を待っていたように思える。
李儒と陳宮の戦いは、おそらく陳宮の方が優勢であったにもかかわらず引き分けに終わった。だが、ここで曹操は曹操で何らかの手をうっていたと思われる。その証拠が李徽、李粛の二人と呂布の間に起こったすれ違いの原因となっているのだ。
つまり李徽、李粛の二名が捕らえられた際に陳宮は二名の身柄を引き渡す代わりに、曹操は徐州城を占拠した後の混乱に乗じ陳家兄弟は城内へ逃亡させる様に呂布達を説得しようと陳宮自身が考えていたのだが、それが失敗した時に曹操は密かに動いていたという事であろう。
呂布としてはあまりにも出来すぎた流れに何か罠ではないかと疑いたくもなるのだが、陳珪からの書状を見る限りでもそれは疑わしく思う方が無理があるほどの好条件であり、陳珪としてもここまで上手く運ぶと思っていなかったらしいのだが、やはり陳登の父としての人脈があってこそだったようだ。李粛からの手紙を読む限り、その提案を受ける事が出来ない李粛ではあったが、それでも李克と李郁に李粛から李家への謝罪文を認めさせる事に成功したらしく、李克と李郁はそれを読んだ後すぐに陳家兄弟から離れて、陳家の家族を連れて李家の元へ向かったのだという事が書かれている。その事もあって、結果的に陳式達の人質としての価値を失った事が分かってしまった李式の落胆ぶりはかなり大きなもので、それでも最後まで見捨てないと言っていた李克の姿と言葉を思い出して、今は耐えているそうだ。
手紙を読みながら李粛の器の大きさを思い知らされた気分でもあったが、そう言った李粛も捕らえられてしまい、残された李克也が陳珪と行動を共にしているという事である。
そして陳宮はその隙を狙って、呂布や張遼らを率いて李克や李克の妻子を救出すると同時に、陳家一族をまとめて救出しに来たのである。
陳家の三人はともかく、陳式や高定と言った若い世代が曹操軍に加わらなくて良かったと呂布は安心したのだが、張遼が陳宮に対し不満そうに言ってきた。
「いくらなんでも危険すぎませんか? いかに徐州城の門が開かれていても、曹操軍には大軍がいるんですよ?」
呂布軍とて精鋭と言える兵を集めてきたつもりだったものの、曹操軍にくらべれば烏合の衆に過ぎない。もし少数で曹操軍の目を避けて李家一家を救出し、さらに混乱しているとはいえ徐州城に潜入すると言うのであれば、少数であるほど動きやすく、そして成功させやすい事も確かである。それを踏まえての判断でもあるのだが、確かに今の曹操軍は大軍勢を有しているのも間違い無く、そこに突入するというのはかなり難しいと言える。だからこそ呂布軍も少数による強襲作戦に切り替えた訳なのだが、それは逆に言えば成功する確率も低くなる。
呂布にしてみれば、陳宮がこの様な無茶をする必要はなかったと思っていたし、実際その通りなのだが、それはそれで陳宮が気を使ってくれたとも受け取れる。
「確かになぁ」
陳宮から陳家兄弟を救う為の大まかな行動計画を伝えられ、それに同意した呂布だったが、さすがに今の状況下でその危険な役目を自分にさせようとは考えていない。曹操軍に見つかって戦闘になってしまえば勝ち目がないし、そうなった場合は呂布自身はもちろん、連れて来た妻や娘の厳氏ですら守れるかどうか分からない。それに、そうならなかった場合の曹操軍の反撃を考えるとぞっとするが、そこは陳宮に任せる事にした。
とは言え、そう簡単に曹操軍を抜け出せるものなのか、そして李家親子は無事に逃げ延びられるのか、と言うのが呂布にとって大きな問題である。陳式を始め呂布の家族は、今現在曹操軍が包囲していて身を隠す事が出来る状況なので、何とかなりそうである。しかし問題は李家と、何より張遼であった。
その日の夜は結局一睡する事もなく夜を過ごしたのは、おそらくその場にいた誰もが同じだった。
しかしそれも仕方のないところであろう。何せ陳式は呂布の子を産むと言い切っているし、李粛の妻も陳珪の娘である。
しかも陳家の妻、娘に至ってはこの場において唯一の女性と言う事で曹操からの扱いも良くなっており、さらには呂布の娘は言うまでも無く、他の面々の妻や娘、果ては呂布の母も曹操のもてなしを受けているのだから。
李家は陳珪、陳式、李粛の親子だけにとどまらず夫人の李桂まで捕らえられてしまった。だが、李式だけは曹操の元へ連れて行かれなかったのだが、その理由はおそらくこの場で誰よりも曹操に忠誠を誓っており、下手に逆らわない方が得策であると判断されたためだと思われる。
それに対して陳家兄弟は人質としての価値があると見なされたらしく、二人とも連れ去られていた。特に陳式の方は子供を人質に取る事を嫌っており、それを口実に拘束されていたらしい。
そんな二人がいなくなった事にいち早く気づいたのは、張飛の息子で魏続の兄になる雲長という若者であったが、これは彼の勘の良さに他ならない。ただ、それが吉と出るかどうかは結果を見てみないと分からないところではあった。
「おい! 大変だ!」
その知らせを最初に伝えてきた兵士はそう言って報告してきたが、あまりにも慌てており言葉も途切れがちなほどだったので上手く伝わってこなかった。
その為、呂布の元に再度説明に来た兵は息を整える必要があったので、少し間を空ける事になったのだ。
その間に落ち着いてきた兵が続けて説明しにやって来た。
張遼は兵を連れて曹操の陣に向かった。
そして曹操の前では張遼の他に、韓当と張翼、成廉の三名がいたので三名は揃って呼び出された事になる。その時には呂布も陳宮に連れられてやって来ており、四人全員が揃った後に話された。
それは張遼に対する、いや、正確には曹操に対して呂布は降伏勧告であった。
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