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1巻
1-2
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「お前に依頼したいことがある。言っておくが拒否権はない」
席につくなりいきなり告げられた言葉に、俺の決意と愛想笑いが一瞬にして消え失せそうになる。
拒否権がないってことは、承知するまで帰す気はない、もしくは、断ったら存在ごとなかったことにされるってこと?
高位貴族にありがちな高慢な物言いを聞き流し、どうやって穏便にこの場を切り抜けるべきか必死に考えを巡らせた。
『身代わり屋ジェイド』というマイナーな二つ名を知っていたことからも、コイツは俺がどういう仕事をしている人間かってことを承知の上でああいう声のかけ方をしてきたわけで。依頼っていうからには『そっち方面』で俺に頼みたいことがあるんだろう。
ちなみに俺、表向きは『グリーデン歌劇団』っていうドルマキア王都で大人気の劇団に所属する売れない役者で、普段は素行の悪さから舞台に上がらせてもらえず、歌劇団の主宰者である団長の温情で『雑用係』として働いていることになっているが、実は劇団が秘密裏にやっている『身代わり屋』という裏稼業のほう専門の役者をしているのだ。
『身代わり屋』は、依頼人の指定通りの人物を演じることで高額な報酬を得る仕事で、時には危険を伴うこともあるかなりヤバい仕事だ。
俺も貴族のボンクラ息子の代わりに入学試験や官吏の採用試験を受けたりっていう些細なものから、婚約破棄のお手伝いで結婚詐欺師になったり。時には色仕掛け的なものを使って他国の要人に接近し、スパイの真似事をしたこともある。
劇団でもその裏稼業のことを知るのはほんのひと握りの人間のみ。
仕事内容によっては違法スレスレどころか、時には法に触れるようなこともやったりするため、『グリーデン歌劇団』が関わっていると知られるわけにはいかず、依頼自体も特殊なルートを通さないとできない仕組みになっている。しかもどんな依頼でも必ず受けるわけではないし、従事する人間の指名もできない。それをあらかじめ了承できない依頼人は、依頼内容を聞く前にお引取り願っているらしい。
なのに普段劇団に寄り付きもしない俺を捜し出し、直接指名するなんてありえないことをしてきた挙げ句、拒否権はないとかふざけたことを言ってくるなんて、ルール違反もいいとこだ。
「申し訳ございませんが、俺には貴方のおっしゃっている意味がよくわからなくて……。ここまで来ておいてなんですが、たぶん人違いじゃないかと……」
戸惑ってますっていうのを前面に出しつつ、おずおずとそう告げる。
すると男は不快だとばかりに眉間の縦皺を深くし、俺に鋭い眼差しを向けてきた。
やば。もしかしてこれ、しくじったパターン……?
「あくまでもシラを切るつもりならそれでもいい。お前に話が通じないなら、元締めのほうを潰した上で、お前が俺の言うことを聞きたくなるようにすれば済む話だからな。こちらはお前らが組織ぐるみでやってるあこぎな商売について既に調査済みだし、お前がどの案件にどれだけ関わっているのかも、とっくに把握済みだ。『グリーデン歌劇団』を犯罪組織として告発して潰すだけのネタは揃っている」
あ、これ完全詰んだわ。
そこまで言われちゃうと、俺ひとりで対峙するには分が悪すぎる。
尻尾巻いて逃げるみたいで格好悪いけど、下手に言質とられてマズい事態になる前に、戦略的撤退を試みたほうがよさそうだ。逃げるが勝ちって言葉もあるし!
「俺だけでは判断つきかねることもあるので、この件は改めてご連絡差し上げるかたちにさせてください!」
相手の返事も聞かず、無理矢理会話を終わらせてソファーから立ち上がったその時。
「え!? うわッ……!」
不意に腕を掴まれたのと同時に足を払われ、俺は突然のことに対応できずにバランスを崩してしまった。
無様にも、ソファーに仰向けに倒れることになった俺。
その視界に、端整な男の顔が入り込む。
さっきまでローテーブルの向こう側にいたくせに、なんて早業。
そして背中に当たる柔らかいクッションが大きく沈み込んだと思ったら、不自然な重みと共に身体がソファーに縫い留められたかのように動かせなくなった。今まで力ずくで押さえ込まれるっていうシチュエーションは何度か経験したけど、ここまであっさり手際よく転がされたのは初めてだ。
それほど体重をかけているようには感じないのに、男に乗られた下半身はピクリとも動かない。
顔のすぐ横で押さえ込まれた腕から伝わってくるのは、少し高めの体温。そのリアルな人肌の感覚が、今俺の身になにが起こっているのかを的確に教えてくれている。
こういう時は下手に抗わず、隙を狙って反撃に転じるのが一番なんだけど……
服越しにでもわかる立派な体躯。隙のない身のこなし。
たぶんこの男にとって俺みたいな戦いの素人を押し倒すのは、息をするくらい簡単なことなんだろう。
……うん。全くやれる気がしない。
俺はすぐに無駄な抵抗を諦めて全身の力を抜き、俺の動きを完全に封じた男の顔をまっすぐに見つめた。
「あんな適当な言葉で逃げられるとでも思ったか? 最初に言ったはずだ。──『拒否権はない』とな」
無愛想で高圧的な態度はさっきとなにも変わらない。でも至近距離にある濃い紫色の瞳にはさっきまでは見えなかった、獲物を狙う獣のような獰猛な色が見え隠れしていて、妙に落ち着かない気分にさせられた。それでも視線だけは逸らすまいと、じっと男を見据える。
男はそんな俺を見て、わずかに口角を上げた。
「お前に与えられた選択肢は二つ。劇団を潰された後で俺の言うことを聞くか、お前らがやってることを全部見逃す代わりに、すぐに依頼を受けるか。──お前が好きなほうを選ぶんだな」
拒否権はない依頼に、実質ひとつしかない選択肢。
完全な敗北を悟った俺は、息が触れ合うほどの距離にいる男がまとう爽やかな柑橘系のフレグランスの匂いを感じながら、コレ、一生忘れられない香りになりそうだな、なんてぼんやりと思った。
◇
その後、穏便な話し合いの末、依頼を受けることを快諾させられた俺は、『ユリウス・ヴァンクレール』と名乗った男と共に、グリーデン歌劇団が所有する劇場内にある総支配人室に向かっていた。
いくら依頼を受けることが決定事項でも、一応組織の一員である以上筋は通さなきゃならないわけで。特に契約の類いはちゃんとしとかないと後々マズいことになりかねないから、劇場の総支配人でもある団長がいる場で依頼内容の確認をすることにしたんだけど……
──正直足取りが重くてたまらない。
今まで何度も痴情のもつれ的なことで団長には迷惑をかけてきたけど、今回の件はその比じゃないし。大袈裟でもなんでもなく、マジで劇団存続の危機だからな……
俺が所属する『グリーデン歌劇団』は、歌にダンスにお芝居にと多彩な構成で客の心を鷲掴みにしている大人気の劇団だ。
五年前、俺がここの団長に拾われた時には、まだたった十人ほどの小さな旅芸人一座でしかなかったが、それから間もなくドルマキア王国による大陸制覇という名の武力侵攻が終わり、人々の生活にも気持ちにも余裕が出てきた影響か、王都で行った公演が大成功し、あれよあれよという間に人気に火がついた。
そして、本格的に王都に腰を据えることになったのが三年前。
今じゃ王都に専属の劇場まで持つ、押しも押されぬ人気劇団になっている。
現在行っている演目も異例のロングランで、何度も繰り返し観たいという観客が後を絶たず、今までにないほどの勢いで客足も収益も伸びていた。
人気の役者を何人も抱えていて、この劇団に入りたいと望む人や、その役者に憧れる人が大勢いると聞き及んでいる。
もし劇団が潰されてしまったら、そんな人たちの夢も希望も憧れも積み重ねてきた努力も全てなくなってしまうわけで。俺はそれを一生後悔しながらこの先の人生をユリウスの手先として生きていくことになるのかもしれないのだ。
総支配人室と書かれた部屋の扉の前に到着すると、軽く四回ノックし、中の返事を待たずに開けた。無作法だけど、これは俺とボスの間で決めたルールであり、四回のノックの意味は『厄介事あり』。
これだけで俺がどういった方向の用件でここを訪れたのかがボスには即座に伝わるってわけ。
そしてあえて返事を待たずに開けるのは、俺が無作法者だという周りが抱くイメージをより強く印象付けるため。俺が『ジェイド』という色んなことにルーズな設定の人間でいるために必要な小細工だ。
「ボスいるー? ちょっと話があるんだけどー」
いつも通りの砕けた口調で呼びかけると、机に向かってなにかを書いていたボスがゆっくり顔を上げた。
そして俺の背後にいる男のほうに素早く視線を走らせてから、再び俺と視線を合わせる。
「おや。お帰りジェイド。もしかしてそちらは新しい恋人かな? それとも美人局にでも引っかかって慰謝料請求されてるほう?」
「どっちでもないけど、まあ、強いて言うなら後者かな?」
「それは穏やかじゃないね……」
「そうなんだよ~」
俺たちの軽いやり取りに、後ろから冷ややかな空気が流れてくる。
冗談通じないなぁ……。脅されてることに変わりはないんだから、大きく外れてるわけじゃないと思うんだけど。
まあ、でもこの様子じゃ、おふざけはこのくらいにしといたほうが良さそうだ。
これは単にコイツを苛立たせるためにやってるんじゃなく、ボスがこの男について考察するための時間稼ぎでやってることだし。
俺が目配せすると、ボスは苦笑いしながら椅子から立ち上がり、まだ入り口付近に立ったままのユリウスのほうに歩み寄った。
「はじめまして、お客人。私はこの劇団の団長でここの総支配人をしております、リヒター・グリーデンと申します。一応ジェイドの保護者のような立場でしてね。この子がなにか失礼を? 慰謝料の請求なら弁護士を通してお話しさせていただきますので、お名前とご連絡先を頂戴してもよろしいですか? 後日弁護士のほうから改めて話し合いの日程等のご連絡を差し上げます。今後このようなことがないよう、この子にはよく言って聞かせますんで」
丁寧な口調ながらも畳みかけるような言い方は、相手のペースにさせないためのボスの常套手段。
わざと的外れなことを言って相手が苛立ちの感情を見せたところで本題に入るのだ。
そうすると不利な交渉が、いくらかこちらに有利に傾くこともあるらしい。
ボスの策が功を奏したのかどうかは不明だが、ユリウスはいい加減にしろ的な空気を漂わせ、自分のほうから本題に入ってくれた。
「茶番は結構。俺はユリウス・ヴァンクレールだ。コイツの『特別な出資者』になりにきた。すぐに契約の手続きを頼む」
『出資者』というのは、通常は劇団への金銭的支援者のことを指す言葉だが、そこに『特別な』っていう言葉がつくと、裏稼業である『身代わり屋』の依頼人のことを指す隠語になる。
「ジェイドをご指名とはなかなかお目が高い。ですがこの子に関する手続きには少々お時間を頂戴することになっておりまして」
前置きもへったくれもないユリウスの物言いに、ボスの表情がわずかに警戒の色を帯びる。
柔和な笑みを浮かべているように見えるのに、モノクルの奥にある瞳が全然笑っていなかった。
「コイツは既に了承済みだ。今さら契約できないなんてことは認めない。それともコイツや他の人間がお前の指示でしてきた『雑用』とやらをここで全部挙げ連ねていけば、俺の用件をすぐに聞いてもらえるのか?」
「なるほど。本人が既にお受けすると言った以上、できませんとは言えませんね。少々やり方がスマートじゃないのが気になりますが、そこはお互い様ということで目を瞑りましょう。このような手段に出られるということは、そちらも色々と余裕がないということなのでしょうし」
さすがボス。暗に犯罪まがいのことをやってるのを知ってるぞって脅されてんのに、あくまでも立場は対等だって示すだけじゃなく、相手の痛いとこまで突くなんて。すぐに相手の意図とかそういう色んな要素を考慮しながら、有利な方向に話を進めていけるのは本当にすごいと思う。
俺なんて話し合いとか交渉とか、すぐに面倒になってあっさり流されるもんな……
かつての俺は自分を守るためにやたらと誰かの顔色を窺って、周りの空気を読むことに神経を注いでいた。しかし、それなりに賢く立ち回り、図太く生き抜こうとしたところで、ドルマキアで体験したような圧倒的な支配と暴力で心も身体も一方的に蹂躙されるだけの環境では、それを発揮する気力さえなくなる。
だから、俺はもう誰かの身代わりで動く時以外は、そういった賢い振る舞いをしないことに決めた。
そういうの、『ジェイド』でいればする必要がないからすごく楽だし、はっきり言って仕事以外じゃやりたくない。
「どうぞおかけください。正式な契約は、お話を伺ってからにいたしましょう」
先ほどの緊張感を漂わせた雰囲気から一転。ボスがにこやかに席を勧めると、ユリウスは相変わらずニコリともしないものの、素直にソファーに腰を下ろした。
俺もその正面に座ったボスの隣に座る。
できればこの話なくならないかな、と淡い期待を抱きながら。
でもそうは問屋が卸さないわけで。
「それでは、お聞かせいただきましょうか。このドルマキア王国の近衛騎士団長ともあろうお方が、このような真似をしてまでジェイドにさせたい『雑用』がどういったことかを」
ああ、やっぱり……
俺はボスの言葉にガックリと肩を落とす。
名前を聞いた時、そうじゃないかとは思ったものの、あえて別人だと思い込もうとしてた俺の努力が儚く散った。
だってこの人、貴族のお忍びって感じの服装してるけど、なんか色々隠せてないんだよね。無駄に姿勢はいいし。無駄に顔はいいし。無駄に気品があるし。
でもよりにもよって、王太子の側近中の側近からの依頼なんて最悪としか言い様がない。
俺、できればドルマキアの王族とその関係者とは、一切関わりたくないんだけど。
ただでさえ厄介事の匂いしかしなさそうな雰囲気なのに、なんて思ってたら。
「かつてリンドバル王国という国があったことを覚えているか?」
ユリウスの口から、最も聞きたくない話題が飛び出した。
まさか……?
「ジェイドには、そのリンドバルの第三王子であったジェラリア王子という方の身代わりを頼みたい」
嫌な予感ほどよく当たる。
脅しをかけられてまで身代わりを演じる人物が、まさかの『俺自身』って……
──神様はよほど俺に平坦な道を歩かせたくないらしい。
「お待ちください。リンドバル王国は既に五年前になくなった国。何故今さらそこの第三王子の身代わりが必要なのですか?」
ボスの問いかけに俺も激しく同意。色んな思いが心の中に渦巻くが、それよりもなによりも、今さらなんで俺の名前が出てくるのか不思議でたまらない。あれだけほったらかしにしといて今さらすぎるでしょ。
すると、俺たちの疑問にユリウスが言いづらそうな感じで口を開く。
「……実はあまり公にはされていないが、そのリンドバルのジェラリア王子という方は、七年ほど前に王太子殿下の側室として我が国に嫁がれているのだ。戦時中の混乱期になにかがあったらしく、行方不明になっているのだが……」
その話は本当に公にはされていないようで、ボスもわずかに驚いたような表情をしていた。
俺はというと、その後に続いたユリウスの話に、別の意味で驚きすぎて目が点になった。
「非常に言いにくいことなのだが、王太子殿下は最近までその事実をご存知ではなく、捜そうにも時間が経ちすぎていて難しい状況で……」
「行方不明だってこと知らなかったの!?」
五年も経ってるのに!?
「……いや。王太子殿下はジェラリア王子が自分の側室となっていたこと自体、ご存知なかったんだ」
「は?」
なに言っちゃってんの? この人。
俺と結婚してたこと、王太子が知らなかったってどういうこと……? え? そんな馬鹿なことってある!? それだったら一回も会いにこなかったのも納得だけど、だったらあのドルマキア国王の玉璽入りの婚姻証明書はなんだったんだって話だよね?
「結婚相手の王太子殿下でさえも側室がいたことを知らなかったのに、今さら身代わりっていります?」
率直な意見を述べると、ユリウスは少しだけ苦々しい表情になった。
「諸々の事情で、今度のマレニセン帝国との同盟締結の調印式に、ジェラリア王子にも出席してもらわなければならなくなった。どこで聞き付けたのか、帝国側の使者がそのジェラリア王子の知り合いらしく、どうしても会わせてほしいと言ってきているんだ」
もうジェラリアとして生きていく気がない以上、その知り合いに会うのはマズい気がする……っていうか俺の知り合いって誰だよ!? なんか怪しい匂いがプンプンするんだけど! これ絶対断ったほうがいいよね? 断れないかな……?
「なんだ、あまりの重大任務にプレッシャーでも感じたか? まあ、無茶を言っていることは百も承知だ。だがそれを断るわけにはいかない諸々の事情がこちらにもあってな。ジェラリア王子が嫁いでこられた時の年齢は十三歳。まだあどけなさが残る容姿だったそうだが、成長したジェラリア王子の姿を知る者は誰もいない。天才とまで言われている『身代わり屋ジェイド』ならなんとかできると信じている。──言っておくが、国の機密事項を聞いたんだ。今さら断れると思うなよ」
俺が無言になった理由を誤解したらしいユリウスが俺に釘を刺してくるが、正直それどころじゃない。
思わずボスを見ると、難しい顔で首を横に振られた。
引き受けろってことらしい。国に恩を売っておくチャンスだとか思ってるんだろうな……
まあ、俺も本気で告発されてここを潰されたらかなわないので引き受けるしかないんだけどさ。
でも正直気乗りしないどころの話じゃない。
自分で自分の身代わりなんてどうすりゃいいわけ?
かろうじて表情には出さなかったものの、内心激しく動揺する俺をよそに、ユリウスとボスの間で細かい契約の内容が決まっていく。
俺はそれをほとんど聞き流しながら、ただひたすらこの仕事をしないためにはどうしたらいいか、なんていう無駄なことを考えていた。
そんなわけで俺は、自分の身代わりを依頼されるというなんともマヌケな理由で、二度と戻ることはないと思っていたドルマキアの王宮へ向かうことになったのだった。
第二章 不本意な始動
ユリウス・ヴァンクレールになかば脅迫されるかたちで、よりにもよって過去の自分の身代わりを演じることが決まってから一週間。
ジェイドとしての流されるがまま、気の向くままの怠惰な生活に一旦終止符を打った俺は、不本意ながらリンドバル王国のジェラリア王子として、かつて地獄のような日々を過ごしたウィステリア宮に舞い戻った。
「はぁ……」
ユリウスが去り、ひとりになった途端、なんだかどっと疲れが出た気がして、俺は盛大な溜息を吐きながらフカフカのベッドに寝転がる。そしてふと思い出し、かつて俺の唯一の癒しだったネズミがよく顔を出していた穴があった場所に目を向けた。その場所は、当然のことながら穴が塞がれており、元からなにもなかったかのように高そうな壁紙が貼られているだけで、ネズミの姿など見当たらない。
明るい室内。キレイに整えられた部屋。
あの時とあまりに違いすぎる状況に苦笑いしか出てこない。これなら嫌な思い出しかない部屋でも、過去に囚われずになんとかやっていけるかもしれないな、なんて思った直後。
不意に指先から徐々に全身が冷えきっていくような感覚に見舞われ、怖くなった俺は、これ以上体温を失ってしまわないよう自分の身体をギュッと抱き締めた。
五年前。祖国リンドバルの滅亡と国王の処刑を聞いた日の夜。
俺は突如この部屋に押し入ってきた黒ずくめの男と対峙した。
まあ、対峙したっていうよりは、ヒステリックなオバサンに散々痛め付けられて死にかけていた時に、たまたまその男がやってきて、ぼんやりとする意識の中でうっすら目を開けたら、ちょうど俺の顔を覗き込んでいた男と目が合っただけなんだけど。
あの日は朔の夜で、いつも以上に闇に包まれた室内は当然のことながらなにも見えない。男の瞳の色さえわからなかったけれど、意思の強そうな瞳だなという印象だけは鮮明に残っている。
そいつが地獄からの使者のように思えた俺は、最後の力を振り絞って自分の望みを伝えた。
──殺してくれ、と。
男はなにも答えず、ただじっと俺を見据えていた。
意識があったのはそこまで。次に目を開けた時、俺は既にボスに助けられた後だった。
その時の話を聞くと、虫の息といった状態で森の中で倒れているところを、その日たまたま近くで野宿をしていて用を足しに来たボスに運良く発見されたのだという。
それから何度も死線をさまよったものの、劇団のみんなの献身的な看護の甲斐あって、なんとか一命をとりとめた。
行くあてなどない俺は、そのまま劇団の一員として一緒に旅をすることになったのだ。
結局、あの男が何者で、なんの目的でここに来て、どうして俺をここから連れ出してくれたのかは一切わからない。
ただ、今となっては、あの時心の底から真摯に願った俺の望みを無視して、新しい人生を始めるきっかけを作ってくれたことには感謝している。
俺は目を閉じてジェラリアの意識を追い出すと、ようやく戻り始めた体温にホッとしながら、ジェイドとしてこれからのことを考えた。
三ヶ月後に行われるマレニセン帝国との同盟締結の調印式までここで側室として過ごし、最終的にジェラリアの知り合いだという人物に会ってやりすごすことができればミッションクリア。
言葉にすればそれだけのことだけど、実際は難しいことが多すぎる。
せめてジェラリアっていう人物の設定だけでもガッチリ決まってれば楽なんだけどな……
本来ならそういった細かい設定を決めたり、必要な情報を集めたりというのは自分でやるもので、俺はいつも役に入るための下準備に最低一ヶ月はかける。
でも今回はすぐにでも依頼にとりかかってほしいという希望だったし、あちらさんが段取りやら準備やら必要な諸々を全部請け負ってくれるっていうので、その辺は全部お任せ状態だった。
だから俺はただ身体ひとつで王宮に行き、ヤツらが考えるジェラリア王子になりきればいいって思ってたのに……
困ったことに、ジェラリアという人物を実際に知る人間が誰もいないため、やたらとふわふわしたイメージばかりを伝えられ、イマイチよくわからないというのが現状だ。
一番よく知ってるのは間違いなく俺だろうけど、たぶん思った通りにやると、求められているものと違う人物になりそうな気がしてならない。……本人なのに。
性格もそうだけど、行動パターンとかそういうのもよくわかんないよな……
ずっとここで暮らしていたかのように振る舞うのは、まあいいとして、男の側室って普段なにして過ごすのが普通なの? って感じ。
ぶっちゃけ夜は女性と同じ役割を求められるんだろうけど、それ以外の時間も同じようには過ごせないだろ?
側室だった約一年半。側室どころか人間らしい生活もさせてもらえなかったから、俺の実体験は参考にならないし。これは後から来るっていう侍従と要相談だな……
こんなにやりづらい依頼は初めてだ。
そしてもうひとつ問題が。
それはマレニセン側の俺の知り合いとかいう人物のこと。
実はその人物に若干心当たりがあるのだ。
けど、もしその人だった場合、結構マズいことになりそうなんだよな。
――たぶん、いや確実に俺が『本物』だってバレる。
依頼的には大成功だけど、それがドルマキアにバレたら俺、どうなるんだろう?
……無事でいられる気がしない。
「どうするかな……」
思わず呟いたところで、不意に部屋の扉がノックされた。
ベッドから起き上がり返事をすると、少しの間をおいて扉が開き、二人の人物が入ってきた。
この二人がさっきユリウスが言っていた、俺の面倒を見てくれる人と、護衛をしてくれる人で間違いないだろう。
ひとりは白いシャツに黒いベストとズボンという侍従のお仕着せを着た、優しそうな顔立ちの茶髪の青年。
もうひとりはオレンジがかった金髪。さっきユリウスが着ていたのと同じ白い軍服を身にまとっていることから、近衛騎士だとわかる。さすがに容姿も重要視される職業だけあって、華のあるイケメンだ。
「失礼致します。本日よりジェラリア殿下の身の回りのお世話をさせていただきます。侍従のハウルでございます」
「ジェラリア殿下の護衛を務めさせていただきます。近衛騎士団所属クラウド・ワーグナーです。よろしくお願い致します」
「ジェイドです。よろしくお願いします」
ジェラリアと呼ばれたが、あえてジェイドとして二人に挨拶する。まだジェラリアって名乗れるほど役に入り込めてないし、今はまだただのジェイドでいることを許してもらいたい。
さて、とりあえずユリウスが言うところの『詳しい話』ってやつをしてくれる人も来たことだし、お仕事に取りかかりますか。
◇
「は!? そんな話聞いてないんですけど!」
なーんか滅茶苦茶厄介なことになってる依頼内容に、俺は思わず大きな声を出してしまった。
俺に説明してくれた二人はあらかじめこの反応を想定していたのか、気まずそうな顔をするものの、焦った様子は見られない。こっちにしてみたら、騙された感、ハンパじゃないんですけど……
「俺に依頼されたのはリンドバルのジェラリア王子の身代わりとして、三ヶ月後に行われるマレニセン帝国との同盟締結の調印式に出席することだったと記憶してるんですが」
「はい。その通りでございます。ジェラリア王子として調印式に出席し、マレニセン帝国側の使者とお会いいただくというのが、今回の依頼内容で相違ございません」
うん。そうだよね。俺とハウルさんの認識は同じだよね? でもさ。
「その前に開催される歓迎のレセプションパーティーへの出席とか、国内の主要貴族の妻子たちを集めたお茶会の主催とか、側室としての仕事までしなきゃいけないなんて、全然聞いてないんですけど!」
『側室としてドルマキアに来たジェラリア』というキャラクターを演じるにあたって、ずっとここで暮らしてる感じに振る舞うのが当たり前だと思ってたし、側室としてどう過ごすのかとか考えてたけどさ、それはあくまでも設定の話であって、実際にするとなると話は別だ。
「ご滞在いただく間は、本来ジェラリア殿下がされるはずだった役割を担っていただくと伺っております」
「引き受けた以上、ジェラリア殿下の身代わりは完璧にこなすつもりでいるけど、それとこれとは話が別でしょ」
「今のドルマキアは国王陛下が病に臥され、後宮の主たる王妃殿下も不在。近々国王陛下として即位される予定の王太子殿下と、その側室であるジェラリア殿下にその役割を務めていただくしかないのです」
公にはされていないが、俺に王太子の側室になるよう命令してきたドルマキア国王は数年前病に倒れ、とてもじゃないが国王という重責を担える状態じゃないらしい。
俺のことを散々痛め付けてくれた王妃は、今回のジェラリア王子が行方不明になっているという一件も含めて、色々とやらかしていたのが発覚し、今後その罪に問われる予定になっていて、今はどっかに幽閉されているんだってさ。
事情は理解したけど、でもやっぱりそれは『ジェイドである俺』の仕事じゃない。
「うん。それ、本物だった場合の話ね。いくら俺が優秀な身代わり屋だっていっても、偽者には変わりないんだから、なるべくバレないように、できるだけ目立たず大人しくしてるのが普通だと思うんだけど」
クラウド・ワーグナーと名乗ったユリウスの部下をチラリと見ると、俺とハウルさんの話に口を挟む気はないのか、はたまた俺の反応を窺っているのか、ハウルさんの隣にピシッと立ったまま、俺のほうをじっと見ている。なんか観察されてるっぽくてやだな……
「ジェラリア殿下は病弱で、ドルマキアに来てからの約七年、ウィステリア宮から一歩も外へ出ない生活をしてたことになってるんだから、今後もそれでいいんじゃないかな? 調印式の件は向こうの熱烈なアピールに応えたってことで、無理を押して出ることにすればいいだけだし」
「いえ、そういうわけにはいかないのです。公の場にお出ましになる以上、ジェラリア殿下がドルマキアにいらっしゃるという事実を国内外にアピールすべきだという話になりまして。今まで全く姿を現さず、その存在すら知られていなかった側室がいきなり帝国との調印式にだけ出席するというのは、逆に怪しまれ、こちらの事情を探られてしまいかねませんので」
こちらの事情って、側室がいる事実を王太子が知らなかったこととか? 酷い環境に押しやって監禁した挙げ句、王妃が俺を虐げてたこととか? 行方不明になっていたにもかかわらずそれを五年間隠し通してたこととか?
でもこの政略結婚にドルマキア側の旨味は一切ないんだし、滅亡した国の訳あり第三王子のことをアピールする必要性はゼロどころかマイナスだと思う。
マレニセン側の使者が俺が予測した通りの人物なら、むしろそういう心配はいらないと思うし。
「いやいやいや。リスキーすぎでしょ……。俺がジェラリア王子の身代わりになるのは一時的なものだし、そもそも、その目的も帝国の使者と会うだけの話でしたよね? その帝国の使者がジェラリア王子の知り合いだっていうから、会った時にボロが出ないよう、この三ヶ月はジェラリア王子という人物に成り代わるのに必要なことを学習する時間だと思ってたんですけど、違うんですか!?」
「はい。その通りでございます。ですので、ジェラリア殿下としていくつか公務をこなしていただきたいのです」
話が噛み合わない……。俺は若干遠い目になってしまった。
席につくなりいきなり告げられた言葉に、俺の決意と愛想笑いが一瞬にして消え失せそうになる。
拒否権がないってことは、承知するまで帰す気はない、もしくは、断ったら存在ごとなかったことにされるってこと?
高位貴族にありがちな高慢な物言いを聞き流し、どうやって穏便にこの場を切り抜けるべきか必死に考えを巡らせた。
『身代わり屋ジェイド』というマイナーな二つ名を知っていたことからも、コイツは俺がどういう仕事をしている人間かってことを承知の上でああいう声のかけ方をしてきたわけで。依頼っていうからには『そっち方面』で俺に頼みたいことがあるんだろう。
ちなみに俺、表向きは『グリーデン歌劇団』っていうドルマキア王都で大人気の劇団に所属する売れない役者で、普段は素行の悪さから舞台に上がらせてもらえず、歌劇団の主宰者である団長の温情で『雑用係』として働いていることになっているが、実は劇団が秘密裏にやっている『身代わり屋』という裏稼業のほう専門の役者をしているのだ。
『身代わり屋』は、依頼人の指定通りの人物を演じることで高額な報酬を得る仕事で、時には危険を伴うこともあるかなりヤバい仕事だ。
俺も貴族のボンクラ息子の代わりに入学試験や官吏の採用試験を受けたりっていう些細なものから、婚約破棄のお手伝いで結婚詐欺師になったり。時には色仕掛け的なものを使って他国の要人に接近し、スパイの真似事をしたこともある。
劇団でもその裏稼業のことを知るのはほんのひと握りの人間のみ。
仕事内容によっては違法スレスレどころか、時には法に触れるようなこともやったりするため、『グリーデン歌劇団』が関わっていると知られるわけにはいかず、依頼自体も特殊なルートを通さないとできない仕組みになっている。しかもどんな依頼でも必ず受けるわけではないし、従事する人間の指名もできない。それをあらかじめ了承できない依頼人は、依頼内容を聞く前にお引取り願っているらしい。
なのに普段劇団に寄り付きもしない俺を捜し出し、直接指名するなんてありえないことをしてきた挙げ句、拒否権はないとかふざけたことを言ってくるなんて、ルール違反もいいとこだ。
「申し訳ございませんが、俺には貴方のおっしゃっている意味がよくわからなくて……。ここまで来ておいてなんですが、たぶん人違いじゃないかと……」
戸惑ってますっていうのを前面に出しつつ、おずおずとそう告げる。
すると男は不快だとばかりに眉間の縦皺を深くし、俺に鋭い眼差しを向けてきた。
やば。もしかしてこれ、しくじったパターン……?
「あくまでもシラを切るつもりならそれでもいい。お前に話が通じないなら、元締めのほうを潰した上で、お前が俺の言うことを聞きたくなるようにすれば済む話だからな。こちらはお前らが組織ぐるみでやってるあこぎな商売について既に調査済みだし、お前がどの案件にどれだけ関わっているのかも、とっくに把握済みだ。『グリーデン歌劇団』を犯罪組織として告発して潰すだけのネタは揃っている」
あ、これ完全詰んだわ。
そこまで言われちゃうと、俺ひとりで対峙するには分が悪すぎる。
尻尾巻いて逃げるみたいで格好悪いけど、下手に言質とられてマズい事態になる前に、戦略的撤退を試みたほうがよさそうだ。逃げるが勝ちって言葉もあるし!
「俺だけでは判断つきかねることもあるので、この件は改めてご連絡差し上げるかたちにさせてください!」
相手の返事も聞かず、無理矢理会話を終わらせてソファーから立ち上がったその時。
「え!? うわッ……!」
不意に腕を掴まれたのと同時に足を払われ、俺は突然のことに対応できずにバランスを崩してしまった。
無様にも、ソファーに仰向けに倒れることになった俺。
その視界に、端整な男の顔が入り込む。
さっきまでローテーブルの向こう側にいたくせに、なんて早業。
そして背中に当たる柔らかいクッションが大きく沈み込んだと思ったら、不自然な重みと共に身体がソファーに縫い留められたかのように動かせなくなった。今まで力ずくで押さえ込まれるっていうシチュエーションは何度か経験したけど、ここまであっさり手際よく転がされたのは初めてだ。
それほど体重をかけているようには感じないのに、男に乗られた下半身はピクリとも動かない。
顔のすぐ横で押さえ込まれた腕から伝わってくるのは、少し高めの体温。そのリアルな人肌の感覚が、今俺の身になにが起こっているのかを的確に教えてくれている。
こういう時は下手に抗わず、隙を狙って反撃に転じるのが一番なんだけど……
服越しにでもわかる立派な体躯。隙のない身のこなし。
たぶんこの男にとって俺みたいな戦いの素人を押し倒すのは、息をするくらい簡単なことなんだろう。
……うん。全くやれる気がしない。
俺はすぐに無駄な抵抗を諦めて全身の力を抜き、俺の動きを完全に封じた男の顔をまっすぐに見つめた。
「あんな適当な言葉で逃げられるとでも思ったか? 最初に言ったはずだ。──『拒否権はない』とな」
無愛想で高圧的な態度はさっきとなにも変わらない。でも至近距離にある濃い紫色の瞳にはさっきまでは見えなかった、獲物を狙う獣のような獰猛な色が見え隠れしていて、妙に落ち着かない気分にさせられた。それでも視線だけは逸らすまいと、じっと男を見据える。
男はそんな俺を見て、わずかに口角を上げた。
「お前に与えられた選択肢は二つ。劇団を潰された後で俺の言うことを聞くか、お前らがやってることを全部見逃す代わりに、すぐに依頼を受けるか。──お前が好きなほうを選ぶんだな」
拒否権はない依頼に、実質ひとつしかない選択肢。
完全な敗北を悟った俺は、息が触れ合うほどの距離にいる男がまとう爽やかな柑橘系のフレグランスの匂いを感じながら、コレ、一生忘れられない香りになりそうだな、なんてぼんやりと思った。
◇
その後、穏便な話し合いの末、依頼を受けることを快諾させられた俺は、『ユリウス・ヴァンクレール』と名乗った男と共に、グリーデン歌劇団が所有する劇場内にある総支配人室に向かっていた。
いくら依頼を受けることが決定事項でも、一応組織の一員である以上筋は通さなきゃならないわけで。特に契約の類いはちゃんとしとかないと後々マズいことになりかねないから、劇場の総支配人でもある団長がいる場で依頼内容の確認をすることにしたんだけど……
──正直足取りが重くてたまらない。
今まで何度も痴情のもつれ的なことで団長には迷惑をかけてきたけど、今回の件はその比じゃないし。大袈裟でもなんでもなく、マジで劇団存続の危機だからな……
俺が所属する『グリーデン歌劇団』は、歌にダンスにお芝居にと多彩な構成で客の心を鷲掴みにしている大人気の劇団だ。
五年前、俺がここの団長に拾われた時には、まだたった十人ほどの小さな旅芸人一座でしかなかったが、それから間もなくドルマキア王国による大陸制覇という名の武力侵攻が終わり、人々の生活にも気持ちにも余裕が出てきた影響か、王都で行った公演が大成功し、あれよあれよという間に人気に火がついた。
そして、本格的に王都に腰を据えることになったのが三年前。
今じゃ王都に専属の劇場まで持つ、押しも押されぬ人気劇団になっている。
現在行っている演目も異例のロングランで、何度も繰り返し観たいという観客が後を絶たず、今までにないほどの勢いで客足も収益も伸びていた。
人気の役者を何人も抱えていて、この劇団に入りたいと望む人や、その役者に憧れる人が大勢いると聞き及んでいる。
もし劇団が潰されてしまったら、そんな人たちの夢も希望も憧れも積み重ねてきた努力も全てなくなってしまうわけで。俺はそれを一生後悔しながらこの先の人生をユリウスの手先として生きていくことになるのかもしれないのだ。
総支配人室と書かれた部屋の扉の前に到着すると、軽く四回ノックし、中の返事を待たずに開けた。無作法だけど、これは俺とボスの間で決めたルールであり、四回のノックの意味は『厄介事あり』。
これだけで俺がどういった方向の用件でここを訪れたのかがボスには即座に伝わるってわけ。
そしてあえて返事を待たずに開けるのは、俺が無作法者だという周りが抱くイメージをより強く印象付けるため。俺が『ジェイド』という色んなことにルーズな設定の人間でいるために必要な小細工だ。
「ボスいるー? ちょっと話があるんだけどー」
いつも通りの砕けた口調で呼びかけると、机に向かってなにかを書いていたボスがゆっくり顔を上げた。
そして俺の背後にいる男のほうに素早く視線を走らせてから、再び俺と視線を合わせる。
「おや。お帰りジェイド。もしかしてそちらは新しい恋人かな? それとも美人局にでも引っかかって慰謝料請求されてるほう?」
「どっちでもないけど、まあ、強いて言うなら後者かな?」
「それは穏やかじゃないね……」
「そうなんだよ~」
俺たちの軽いやり取りに、後ろから冷ややかな空気が流れてくる。
冗談通じないなぁ……。脅されてることに変わりはないんだから、大きく外れてるわけじゃないと思うんだけど。
まあ、でもこの様子じゃ、おふざけはこのくらいにしといたほうが良さそうだ。
これは単にコイツを苛立たせるためにやってるんじゃなく、ボスがこの男について考察するための時間稼ぎでやってることだし。
俺が目配せすると、ボスは苦笑いしながら椅子から立ち上がり、まだ入り口付近に立ったままのユリウスのほうに歩み寄った。
「はじめまして、お客人。私はこの劇団の団長でここの総支配人をしております、リヒター・グリーデンと申します。一応ジェイドの保護者のような立場でしてね。この子がなにか失礼を? 慰謝料の請求なら弁護士を通してお話しさせていただきますので、お名前とご連絡先を頂戴してもよろしいですか? 後日弁護士のほうから改めて話し合いの日程等のご連絡を差し上げます。今後このようなことがないよう、この子にはよく言って聞かせますんで」
丁寧な口調ながらも畳みかけるような言い方は、相手のペースにさせないためのボスの常套手段。
わざと的外れなことを言って相手が苛立ちの感情を見せたところで本題に入るのだ。
そうすると不利な交渉が、いくらかこちらに有利に傾くこともあるらしい。
ボスの策が功を奏したのかどうかは不明だが、ユリウスはいい加減にしろ的な空気を漂わせ、自分のほうから本題に入ってくれた。
「茶番は結構。俺はユリウス・ヴァンクレールだ。コイツの『特別な出資者』になりにきた。すぐに契約の手続きを頼む」
『出資者』というのは、通常は劇団への金銭的支援者のことを指す言葉だが、そこに『特別な』っていう言葉がつくと、裏稼業である『身代わり屋』の依頼人のことを指す隠語になる。
「ジェイドをご指名とはなかなかお目が高い。ですがこの子に関する手続きには少々お時間を頂戴することになっておりまして」
前置きもへったくれもないユリウスの物言いに、ボスの表情がわずかに警戒の色を帯びる。
柔和な笑みを浮かべているように見えるのに、モノクルの奥にある瞳が全然笑っていなかった。
「コイツは既に了承済みだ。今さら契約できないなんてことは認めない。それともコイツや他の人間がお前の指示でしてきた『雑用』とやらをここで全部挙げ連ねていけば、俺の用件をすぐに聞いてもらえるのか?」
「なるほど。本人が既にお受けすると言った以上、できませんとは言えませんね。少々やり方がスマートじゃないのが気になりますが、そこはお互い様ということで目を瞑りましょう。このような手段に出られるということは、そちらも色々と余裕がないということなのでしょうし」
さすがボス。暗に犯罪まがいのことをやってるのを知ってるぞって脅されてんのに、あくまでも立場は対等だって示すだけじゃなく、相手の痛いとこまで突くなんて。すぐに相手の意図とかそういう色んな要素を考慮しながら、有利な方向に話を進めていけるのは本当にすごいと思う。
俺なんて話し合いとか交渉とか、すぐに面倒になってあっさり流されるもんな……
かつての俺は自分を守るためにやたらと誰かの顔色を窺って、周りの空気を読むことに神経を注いでいた。しかし、それなりに賢く立ち回り、図太く生き抜こうとしたところで、ドルマキアで体験したような圧倒的な支配と暴力で心も身体も一方的に蹂躙されるだけの環境では、それを発揮する気力さえなくなる。
だから、俺はもう誰かの身代わりで動く時以外は、そういった賢い振る舞いをしないことに決めた。
そういうの、『ジェイド』でいればする必要がないからすごく楽だし、はっきり言って仕事以外じゃやりたくない。
「どうぞおかけください。正式な契約は、お話を伺ってからにいたしましょう」
先ほどの緊張感を漂わせた雰囲気から一転。ボスがにこやかに席を勧めると、ユリウスは相変わらずニコリともしないものの、素直にソファーに腰を下ろした。
俺もその正面に座ったボスの隣に座る。
できればこの話なくならないかな、と淡い期待を抱きながら。
でもそうは問屋が卸さないわけで。
「それでは、お聞かせいただきましょうか。このドルマキア王国の近衛騎士団長ともあろうお方が、このような真似をしてまでジェイドにさせたい『雑用』がどういったことかを」
ああ、やっぱり……
俺はボスの言葉にガックリと肩を落とす。
名前を聞いた時、そうじゃないかとは思ったものの、あえて別人だと思い込もうとしてた俺の努力が儚く散った。
だってこの人、貴族のお忍びって感じの服装してるけど、なんか色々隠せてないんだよね。無駄に姿勢はいいし。無駄に顔はいいし。無駄に気品があるし。
でもよりにもよって、王太子の側近中の側近からの依頼なんて最悪としか言い様がない。
俺、できればドルマキアの王族とその関係者とは、一切関わりたくないんだけど。
ただでさえ厄介事の匂いしかしなさそうな雰囲気なのに、なんて思ってたら。
「かつてリンドバル王国という国があったことを覚えているか?」
ユリウスの口から、最も聞きたくない話題が飛び出した。
まさか……?
「ジェイドには、そのリンドバルの第三王子であったジェラリア王子という方の身代わりを頼みたい」
嫌な予感ほどよく当たる。
脅しをかけられてまで身代わりを演じる人物が、まさかの『俺自身』って……
──神様はよほど俺に平坦な道を歩かせたくないらしい。
「お待ちください。リンドバル王国は既に五年前になくなった国。何故今さらそこの第三王子の身代わりが必要なのですか?」
ボスの問いかけに俺も激しく同意。色んな思いが心の中に渦巻くが、それよりもなによりも、今さらなんで俺の名前が出てくるのか不思議でたまらない。あれだけほったらかしにしといて今さらすぎるでしょ。
すると、俺たちの疑問にユリウスが言いづらそうな感じで口を開く。
「……実はあまり公にはされていないが、そのリンドバルのジェラリア王子という方は、七年ほど前に王太子殿下の側室として我が国に嫁がれているのだ。戦時中の混乱期になにかがあったらしく、行方不明になっているのだが……」
その話は本当に公にはされていないようで、ボスもわずかに驚いたような表情をしていた。
俺はというと、その後に続いたユリウスの話に、別の意味で驚きすぎて目が点になった。
「非常に言いにくいことなのだが、王太子殿下は最近までその事実をご存知ではなく、捜そうにも時間が経ちすぎていて難しい状況で……」
「行方不明だってこと知らなかったの!?」
五年も経ってるのに!?
「……いや。王太子殿下はジェラリア王子が自分の側室となっていたこと自体、ご存知なかったんだ」
「は?」
なに言っちゃってんの? この人。
俺と結婚してたこと、王太子が知らなかったってどういうこと……? え? そんな馬鹿なことってある!? それだったら一回も会いにこなかったのも納得だけど、だったらあのドルマキア国王の玉璽入りの婚姻証明書はなんだったんだって話だよね?
「結婚相手の王太子殿下でさえも側室がいたことを知らなかったのに、今さら身代わりっていります?」
率直な意見を述べると、ユリウスは少しだけ苦々しい表情になった。
「諸々の事情で、今度のマレニセン帝国との同盟締結の調印式に、ジェラリア王子にも出席してもらわなければならなくなった。どこで聞き付けたのか、帝国側の使者がそのジェラリア王子の知り合いらしく、どうしても会わせてほしいと言ってきているんだ」
もうジェラリアとして生きていく気がない以上、その知り合いに会うのはマズい気がする……っていうか俺の知り合いって誰だよ!? なんか怪しい匂いがプンプンするんだけど! これ絶対断ったほうがいいよね? 断れないかな……?
「なんだ、あまりの重大任務にプレッシャーでも感じたか? まあ、無茶を言っていることは百も承知だ。だがそれを断るわけにはいかない諸々の事情がこちらにもあってな。ジェラリア王子が嫁いでこられた時の年齢は十三歳。まだあどけなさが残る容姿だったそうだが、成長したジェラリア王子の姿を知る者は誰もいない。天才とまで言われている『身代わり屋ジェイド』ならなんとかできると信じている。──言っておくが、国の機密事項を聞いたんだ。今さら断れると思うなよ」
俺が無言になった理由を誤解したらしいユリウスが俺に釘を刺してくるが、正直それどころじゃない。
思わずボスを見ると、難しい顔で首を横に振られた。
引き受けろってことらしい。国に恩を売っておくチャンスだとか思ってるんだろうな……
まあ、俺も本気で告発されてここを潰されたらかなわないので引き受けるしかないんだけどさ。
でも正直気乗りしないどころの話じゃない。
自分で自分の身代わりなんてどうすりゃいいわけ?
かろうじて表情には出さなかったものの、内心激しく動揺する俺をよそに、ユリウスとボスの間で細かい契約の内容が決まっていく。
俺はそれをほとんど聞き流しながら、ただひたすらこの仕事をしないためにはどうしたらいいか、なんていう無駄なことを考えていた。
そんなわけで俺は、自分の身代わりを依頼されるというなんともマヌケな理由で、二度と戻ることはないと思っていたドルマキアの王宮へ向かうことになったのだった。
第二章 不本意な始動
ユリウス・ヴァンクレールになかば脅迫されるかたちで、よりにもよって過去の自分の身代わりを演じることが決まってから一週間。
ジェイドとしての流されるがまま、気の向くままの怠惰な生活に一旦終止符を打った俺は、不本意ながらリンドバル王国のジェラリア王子として、かつて地獄のような日々を過ごしたウィステリア宮に舞い戻った。
「はぁ……」
ユリウスが去り、ひとりになった途端、なんだかどっと疲れが出た気がして、俺は盛大な溜息を吐きながらフカフカのベッドに寝転がる。そしてふと思い出し、かつて俺の唯一の癒しだったネズミがよく顔を出していた穴があった場所に目を向けた。その場所は、当然のことながら穴が塞がれており、元からなにもなかったかのように高そうな壁紙が貼られているだけで、ネズミの姿など見当たらない。
明るい室内。キレイに整えられた部屋。
あの時とあまりに違いすぎる状況に苦笑いしか出てこない。これなら嫌な思い出しかない部屋でも、過去に囚われずになんとかやっていけるかもしれないな、なんて思った直後。
不意に指先から徐々に全身が冷えきっていくような感覚に見舞われ、怖くなった俺は、これ以上体温を失ってしまわないよう自分の身体をギュッと抱き締めた。
五年前。祖国リンドバルの滅亡と国王の処刑を聞いた日の夜。
俺は突如この部屋に押し入ってきた黒ずくめの男と対峙した。
まあ、対峙したっていうよりは、ヒステリックなオバサンに散々痛め付けられて死にかけていた時に、たまたまその男がやってきて、ぼんやりとする意識の中でうっすら目を開けたら、ちょうど俺の顔を覗き込んでいた男と目が合っただけなんだけど。
あの日は朔の夜で、いつも以上に闇に包まれた室内は当然のことながらなにも見えない。男の瞳の色さえわからなかったけれど、意思の強そうな瞳だなという印象だけは鮮明に残っている。
そいつが地獄からの使者のように思えた俺は、最後の力を振り絞って自分の望みを伝えた。
──殺してくれ、と。
男はなにも答えず、ただじっと俺を見据えていた。
意識があったのはそこまで。次に目を開けた時、俺は既にボスに助けられた後だった。
その時の話を聞くと、虫の息といった状態で森の中で倒れているところを、その日たまたま近くで野宿をしていて用を足しに来たボスに運良く発見されたのだという。
それから何度も死線をさまよったものの、劇団のみんなの献身的な看護の甲斐あって、なんとか一命をとりとめた。
行くあてなどない俺は、そのまま劇団の一員として一緒に旅をすることになったのだ。
結局、あの男が何者で、なんの目的でここに来て、どうして俺をここから連れ出してくれたのかは一切わからない。
ただ、今となっては、あの時心の底から真摯に願った俺の望みを無視して、新しい人生を始めるきっかけを作ってくれたことには感謝している。
俺は目を閉じてジェラリアの意識を追い出すと、ようやく戻り始めた体温にホッとしながら、ジェイドとしてこれからのことを考えた。
三ヶ月後に行われるマレニセン帝国との同盟締結の調印式までここで側室として過ごし、最終的にジェラリアの知り合いだという人物に会ってやりすごすことができればミッションクリア。
言葉にすればそれだけのことだけど、実際は難しいことが多すぎる。
せめてジェラリアっていう人物の設定だけでもガッチリ決まってれば楽なんだけどな……
本来ならそういった細かい設定を決めたり、必要な情報を集めたりというのは自分でやるもので、俺はいつも役に入るための下準備に最低一ヶ月はかける。
でも今回はすぐにでも依頼にとりかかってほしいという希望だったし、あちらさんが段取りやら準備やら必要な諸々を全部請け負ってくれるっていうので、その辺は全部お任せ状態だった。
だから俺はただ身体ひとつで王宮に行き、ヤツらが考えるジェラリア王子になりきればいいって思ってたのに……
困ったことに、ジェラリアという人物を実際に知る人間が誰もいないため、やたらとふわふわしたイメージばかりを伝えられ、イマイチよくわからないというのが現状だ。
一番よく知ってるのは間違いなく俺だろうけど、たぶん思った通りにやると、求められているものと違う人物になりそうな気がしてならない。……本人なのに。
性格もそうだけど、行動パターンとかそういうのもよくわかんないよな……
ずっとここで暮らしていたかのように振る舞うのは、まあいいとして、男の側室って普段なにして過ごすのが普通なの? って感じ。
ぶっちゃけ夜は女性と同じ役割を求められるんだろうけど、それ以外の時間も同じようには過ごせないだろ?
側室だった約一年半。側室どころか人間らしい生活もさせてもらえなかったから、俺の実体験は参考にならないし。これは後から来るっていう侍従と要相談だな……
こんなにやりづらい依頼は初めてだ。
そしてもうひとつ問題が。
それはマレニセン側の俺の知り合いとかいう人物のこと。
実はその人物に若干心当たりがあるのだ。
けど、もしその人だった場合、結構マズいことになりそうなんだよな。
――たぶん、いや確実に俺が『本物』だってバレる。
依頼的には大成功だけど、それがドルマキアにバレたら俺、どうなるんだろう?
……無事でいられる気がしない。
「どうするかな……」
思わず呟いたところで、不意に部屋の扉がノックされた。
ベッドから起き上がり返事をすると、少しの間をおいて扉が開き、二人の人物が入ってきた。
この二人がさっきユリウスが言っていた、俺の面倒を見てくれる人と、護衛をしてくれる人で間違いないだろう。
ひとりは白いシャツに黒いベストとズボンという侍従のお仕着せを着た、優しそうな顔立ちの茶髪の青年。
もうひとりはオレンジがかった金髪。さっきユリウスが着ていたのと同じ白い軍服を身にまとっていることから、近衛騎士だとわかる。さすがに容姿も重要視される職業だけあって、華のあるイケメンだ。
「失礼致します。本日よりジェラリア殿下の身の回りのお世話をさせていただきます。侍従のハウルでございます」
「ジェラリア殿下の護衛を務めさせていただきます。近衛騎士団所属クラウド・ワーグナーです。よろしくお願い致します」
「ジェイドです。よろしくお願いします」
ジェラリアと呼ばれたが、あえてジェイドとして二人に挨拶する。まだジェラリアって名乗れるほど役に入り込めてないし、今はまだただのジェイドでいることを許してもらいたい。
さて、とりあえずユリウスが言うところの『詳しい話』ってやつをしてくれる人も来たことだし、お仕事に取りかかりますか。
◇
「は!? そんな話聞いてないんですけど!」
なーんか滅茶苦茶厄介なことになってる依頼内容に、俺は思わず大きな声を出してしまった。
俺に説明してくれた二人はあらかじめこの反応を想定していたのか、気まずそうな顔をするものの、焦った様子は見られない。こっちにしてみたら、騙された感、ハンパじゃないんですけど……
「俺に依頼されたのはリンドバルのジェラリア王子の身代わりとして、三ヶ月後に行われるマレニセン帝国との同盟締結の調印式に出席することだったと記憶してるんですが」
「はい。その通りでございます。ジェラリア王子として調印式に出席し、マレニセン帝国側の使者とお会いいただくというのが、今回の依頼内容で相違ございません」
うん。そうだよね。俺とハウルさんの認識は同じだよね? でもさ。
「その前に開催される歓迎のレセプションパーティーへの出席とか、国内の主要貴族の妻子たちを集めたお茶会の主催とか、側室としての仕事までしなきゃいけないなんて、全然聞いてないんですけど!」
『側室としてドルマキアに来たジェラリア』というキャラクターを演じるにあたって、ずっとここで暮らしてる感じに振る舞うのが当たり前だと思ってたし、側室としてどう過ごすのかとか考えてたけどさ、それはあくまでも設定の話であって、実際にするとなると話は別だ。
「ご滞在いただく間は、本来ジェラリア殿下がされるはずだった役割を担っていただくと伺っております」
「引き受けた以上、ジェラリア殿下の身代わりは完璧にこなすつもりでいるけど、それとこれとは話が別でしょ」
「今のドルマキアは国王陛下が病に臥され、後宮の主たる王妃殿下も不在。近々国王陛下として即位される予定の王太子殿下と、その側室であるジェラリア殿下にその役割を務めていただくしかないのです」
公にはされていないが、俺に王太子の側室になるよう命令してきたドルマキア国王は数年前病に倒れ、とてもじゃないが国王という重責を担える状態じゃないらしい。
俺のことを散々痛め付けてくれた王妃は、今回のジェラリア王子が行方不明になっているという一件も含めて、色々とやらかしていたのが発覚し、今後その罪に問われる予定になっていて、今はどっかに幽閉されているんだってさ。
事情は理解したけど、でもやっぱりそれは『ジェイドである俺』の仕事じゃない。
「うん。それ、本物だった場合の話ね。いくら俺が優秀な身代わり屋だっていっても、偽者には変わりないんだから、なるべくバレないように、できるだけ目立たず大人しくしてるのが普通だと思うんだけど」
クラウド・ワーグナーと名乗ったユリウスの部下をチラリと見ると、俺とハウルさんの話に口を挟む気はないのか、はたまた俺の反応を窺っているのか、ハウルさんの隣にピシッと立ったまま、俺のほうをじっと見ている。なんか観察されてるっぽくてやだな……
「ジェラリア殿下は病弱で、ドルマキアに来てからの約七年、ウィステリア宮から一歩も外へ出ない生活をしてたことになってるんだから、今後もそれでいいんじゃないかな? 調印式の件は向こうの熱烈なアピールに応えたってことで、無理を押して出ることにすればいいだけだし」
「いえ、そういうわけにはいかないのです。公の場にお出ましになる以上、ジェラリア殿下がドルマキアにいらっしゃるという事実を国内外にアピールすべきだという話になりまして。今まで全く姿を現さず、その存在すら知られていなかった側室がいきなり帝国との調印式にだけ出席するというのは、逆に怪しまれ、こちらの事情を探られてしまいかねませんので」
こちらの事情って、側室がいる事実を王太子が知らなかったこととか? 酷い環境に押しやって監禁した挙げ句、王妃が俺を虐げてたこととか? 行方不明になっていたにもかかわらずそれを五年間隠し通してたこととか?
でもこの政略結婚にドルマキア側の旨味は一切ないんだし、滅亡した国の訳あり第三王子のことをアピールする必要性はゼロどころかマイナスだと思う。
マレニセン側の使者が俺が予測した通りの人物なら、むしろそういう心配はいらないと思うし。
「いやいやいや。リスキーすぎでしょ……。俺がジェラリア王子の身代わりになるのは一時的なものだし、そもそも、その目的も帝国の使者と会うだけの話でしたよね? その帝国の使者がジェラリア王子の知り合いだっていうから、会った時にボロが出ないよう、この三ヶ月はジェラリア王子という人物に成り代わるのに必要なことを学習する時間だと思ってたんですけど、違うんですか!?」
「はい。その通りでございます。ですので、ジェラリア殿下としていくつか公務をこなしていただきたいのです」
話が噛み合わない……。俺は若干遠い目になってしまった。
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