強欲なる花嫁は総てを諦めない

浦霧らち

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49.裁可と勝鬨

 ローガンの宣言に、アグレオスは虚をつかれたような、狼狽える仕草を見せた。

「……ローガン」

 ぽつりと呟かれた名は、臣下に向けたものではなかった。記憶の底に沈めていた、幼馴染の名を呼ぶような響きだった。
 だが、その声に答える者はいない。アグレオスの頬が、僅かに痙攣する。一瞬、彼の胸の奥に疼いた痛みのようなものが、誰にも気取られずに消えた。
 エルンストだけが、その一連の機微を見た気がした。

「王室の定めたはずの保護林管理は、すでに王室自身の怠慢によって破綻しております。ゆえに、再測量と区域の再定義は不可避。その暫定措置として、我らが責任をもって伐採を実施する──これが、我々の最終的な提案にございます」

 畳み掛けるのは今しかない、エルンストは資料の最後の頁を掲げ、はっきりと言い切った。
 謁見室に、完全な静寂が落ちた。誰もが、王の一言を待っている。
 アグレオスは肘をついたまま、しばし沈黙した。鋭い眼差しは、どこか遠くを彷徨っている。

「……陛下」

 沈黙を破ったのは老臣の一人だった。声には明らかな焦燥が滲んでいる。

「仮にも王室の定めた保護林管理に瑕疵があるなどと認めれば、王権そのものが揺らぎます。ヴァルトシェイドがその疑義を呈すなど──」
「黙れ」

 一言で、すべてが断ち切られた。低く、鋭く、感情を押し殺した声。

「我が王権が、それほど脆いとでも?」

 老臣は言葉を失い、押し黙る。
 重苦しい静寂ののち、アグレオスは玉座の肘掛けに体重を預け、冷ややかに告げた。

「よかろう。再測量を前提に──保護林の五分ごぶまでの伐採を許可する」

 たった、五分。それは〝譲歩したように見せかけた拒絶〟に他ならない数字だった。この期に及んで往生際が悪すぎる。
 ローガンは口を開きかけたが、その前に、エルンストが一歩進み出た。

「畏れながら、陛下」

 澄んだ声が、謁見室に凛と響いた。

「その割合では、燃料不足の根本的解決には至りません」
「……申したな、強欲。五分でも十分な譲歩だ」

 アグレオスの眼が、エルンストを刺すように睨む。

「林相、材積、更新速度を踏まえれば、五分は管理のための伐採にすら届きません。燃料供給にも、王都への木材供給にも、実質的効果は皆無です」

 淡々と、冷静に。数字はエルンストの味方だ。

「伐採率一割五分。これが、生態系を破壊せず、循環を維持したまま、王都と領地の双方に利益を生む現実的な下限にございます」

 謁見室が、目に見えてざわめいた。王の譲歩を、エルンストはあっさりと蹴り飛ばしたのだ。

「一割五分だと?」
「はい。理想を言えば、一割五分から二割でしょう」

 若い王の顔色が、見る間に険しくなる。

「身の程を知れ、公爵夫人。保護林は王権の象徴でもある。貴様たちが刻める森ではない」
「承知しております。ゆえに、数で申し上げております」

 エルンストは一枚の資料を、滑るように差し出した。侍従が受け取り、あたふたしながら王へと届ける。アグレオスがそれに目を通すのを待たず、エルンストは続けた。

「先王の治世において、一時的に認可された伐採率も、ほぼ同等の数値でした。そして」

 エルンストは、一文を静かに告げた。

「その政策に署名されたのは、陛下のご尊父であらせられます」

 貴族たちの顔が青褪め、空気の波が引く。
 アグレオスの指が、玉座の肘掛けを強く掴んだ。

「……死人の名を出すな」

 荒く、鋭い声。だがエルンストは、退かない。
 王の動揺を誘うことが目的だ。帝国人はフェンリュクス王家の事情など知りもしない、だからこそ言いたい放題言えるのだ、とエルンストは素知らぬ顔で口を開く。

「王家の威信を穢すためではございません。先王の御意志と、現行政の乖離を私は憂慮しているだけです」

 エルンストがわざとアグレオスを煽っていることを、この場の全員が気づいていた。

「現在、ヴァルトシェイド領民の冬季一人当たり燃料消費量は、王都平均の六割。さらに王都における炉工需要は増加傾向。来季、二割の資材不足が確定しております」
「……」
「五分伐採では、王都需要の穴埋めにもなりません。ですが一割五分であれば、王都、地方双方の不足を同時に解消できます」

 静かに、しかし容赦なく。

「つまるところ──」

 エルンストは、微笑を浮かべたまま、泰然自若として明言する。

「五分は〝慈悲〟、一割五分は〝投資〟でございます」

 この瞬間、謁見室の空気が完全に凍りついた。

「貴様……王を相手に、商談をしているつもりか」
「はい。陛下は国王であらせられますが、同時に国家経営者でもございます」

 王の指が、ぎしりと音を立てる。

「一割五分など、過去に前例がない」
「前例がないのは、管理と記録がなされていなかったからです」

 宰相が低く咳払いをした。誰かが息を呑んだ。王の目が、一瞬だけ泳いだ。

「我がヴァルトシェイドは、これまでも森林資源の運用管理において、領内及び王都にて良好な数字を残しております。管理・税収・更新計画、そのすべてを──我々は安全に運用する力を実績として示してまいりました」

 エルンストは柔らかく、大袈裟に、大胆な声で話す。完全に商人の喋り口だった。
 アグレオスがその整った唇を噛み締めた。感情の波が、玉座に波紋となって揺れる。
 エルンストはこの場にいる全員の視線を一手に集め、まるで観客席からの声援を一身に受ける劇の主役のように、堂々と振る舞う。その様子が、アグレオスの苛立ちを助長させた。
 その揺らぎへ、今度はローガンが一歩、前へ出る。

「陛下」

 低く、よく通る声。

「伐採によって生じる全責は、ヴァルトシェイドが負います。すべて、公爵家の名において担保を」

 しかし、次の瞬間──。

「……黙れ、ヴァルトシェイド!」

 アグレオスの感情が、ついに剥き出しになる。
 その声には、抑えきれない敵意が滲んでいた。
 謁見室の空気が、極限まで張り詰めた。

「何ひとつ、お前を信用できると思うか!」

 王の言葉には、もはや理屈がない。

「お前の言葉など……、ヴァルトシェイドなど……!」

 敵意。恐怖。焦燥。
 だがローガンは動じず、静かに答えた。

「ローガン・ヴァルトシェイドは──陛下が王であられる限り、王権と王国への忠節を尽くす所存です」

 アグレオスは唇を噛んだまま、拳を握りしめた。
 王の逡巡が見えるようだった。どちらが正しいのかなど、今の彼にはわからないだろう。感情と理性が入り混じり、王を苛んでいる。
 アグレオスの呼吸が荒い。怒りと焦りと動揺が、その瞳の奥に見えた。

「陛下、ここは……」

 老臣の一人が声をかけようと口を開く。だが、アグレオスはそれを手で払った。

「くだらぬ……」

 アグレオスは椅子に深く腰を沈め、長い吐息を漏らす。
 数瞬後──王は、歯噛みするように言った。

「……上限一割五分だ。これ以上は認めぬ」

 エルンストとローガンは、ゆっくりと跪いた。完璧な恭順の姿勢だ。
 エルンストは内心では歓喜が爆発しそうだったが、それを悟らせることはない。

「ただし、再測量は速やかに済ませよ。期限内に監察官に再測量図を提出、監査は春以後とする」

 アグレオスはエルンストを睨みつけたまま言った。エルンストはその視線を受け流す。

「寛大なご裁可に、心より感謝申し上げます」

 アグレオスの目には、今度こそ明確な怒りと敵意が宿っていた。しかし、エルンストは怯むことなく微笑み、胸に手を当てて深く一礼した。ローガンもそれに続く。
 エルンストは謁見室の様子を伺う。貴族派は皆唖然としてこちらを見ていた。
 やがて、廷臣たちのざわめきが波のように広がっていく。
 王が折れた。
 老臣たちは困惑と不満を露わにし、若手貴族は興奮したように囁き合う。
 あのローガン・ヴァルトシェイドが──そしてその傍らに立つ、公爵夫人がすべてを覆してしまった。
 アグレオスは苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がり、杖を取った。

「これにて本件の審議を終了する。両名、下がってよい」

 エルンストは心の中で喝采を叫んだ。
 アグレオスの不満げな表情を見やりながら、エルンストは静かに踵を返した。

「王都の方々は、来季の暖房費が安くなることを楽しみにしていただければ幸いです」

 エルンストは、最後の最後まで煽り散らすことを忘れない。

「なっ……お待ちください!」
「どういう意味か、夫人!」
「木材価格を下げる……ということか!」
「王都の流通を乱すおつもりですか!?」

 エルンストたちを呼び止める声が次々と飛んでくる。
 王都での木材の独占販売で荒稼ぎをしている人物たちだろう。
 特定の商人が王都の木材市場を独占しようとしていることに起因し、流通が停滞し、価格が不当に高騰している。結果、王都の市民、特に中産階級以下の家庭では冬の暖房費が生活費の大半を占めるほど逼迫しているのだ。エルンストの耳にも届くほど問題視されている。
 ヴァルトシェイドが適切な価格で木材を供給すれば、市民の負担は大幅に軽減されるだろう。
 エルンストの口角が上がる。

「ヴァルトシェイド公爵夫妻、謁見退出」

 官吏の号令とともに、エルンストとローガンは並んで謁見室を後にした。重厚な扉が閉ざされ、広間の喧騒が遠ざかる。

「……やりましたね、ローガン様」

 エルンストが小声で言うと、ローガンはしっかりと頷いた。

「……ああ」

 ローガンは小さく笑う。その声音には、微かな達成感が滲んでいた。
 エルンストはじわじわと興奮が募り、落ち着かない。
 勝利の昂り。血潮が駆け巡る。
 だから、ローガンの隣で歩くだけでは物足りなくなってしまった。

「ローガン様……、あの、はしたないとお叱りくださっても構いません。ですが、あの──」
「君が望むままに」
「では、勝利の、ほ、抱擁を……」

 エルンストが少し照れ臭そうに言うと、ローガンの腕が広げられた。
 エルンストは躊躇うことなくその胸に飛び込む。力強い腕がしっかりと受け止めてくれるのが嬉しくて、エルンストは顔を擦り寄せた。

「やった! 勝ちました!」
「ああ。君はよくやってくれた」
「ふふふ、ローガン様の力ですよ」

 エルンストがそう言って笑うと、ローガンはエルンストの後頭部を優しく撫でてくれた。
 勝利の喜びに胸が満たされていく。昂った興奮はしばらく落ち着きそうにない。
 誰も見ていない廊下で、二人はしばらく抱き合っていた。
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