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第一章:route蓮子
06:人の話を聞け
しおりを挟む当然かのように私の名を呼んだそいつの首根っこをつかみ、
向けられる視線から逃げるように空いているいる会議室へやってきた。
ガッデム!
今度は私が連れ込むことになろうとは!
「人気のないところに連れてきて、何がしたいんだ?ん?」
「文句よ!文句を言う為に決まってるでしょう!?」
私と180度反対な感情を顔に貼り付けにやにやしている男に、殺意が沸く。
昨日キスをされた後、確かにそれ以上のことは何もなかった。
寧ろ、夕食だと案内された居間には私の好物が並び、そのあとは広くて綺麗な旅館のようなお風呂、最後はふかふかの布団が用意され、
おやすみと言って彼は部屋を出て行った。
そして、どこからか急に現れた着物姿の女性に、
『虎次郎様がいつ奥様を連れ帰ってくださってもいいように用意しておりましたの!』
と、シルクの寝間着を渡され、何とか眠り翌朝目を覚ますと、隣の部屋に私の最低限の荷物が運ばれていた。
そう、私の、部屋の、荷物が、そこにあったのだ。
どうやったのかなんて考えなくても明白だ。
住居不法侵入。窃盗。新たな犯罪である。
なのにそのまま、朝食をいただき、あの馬鹿デカいお重を持たされて、車に乗せられ、いつも通りの時間に出社をした。
拉致られた後で、一体何を普通に過ごしているのだろう。
自分の神経の図太さに身震いがする。
恐ろしいのは、
シルクの寝間着に高級羽毛布団と思われる寝具は寝心地が最高で、
化粧品から下着から洋服から、私の部屋から持ってきたものの他にも必要なものがきちんと揃えられていて、
朝食も私の好きなものオンパレード状態で、
お弁当まで持たされ、車で会社まで送ってくれる。
至れり尽くせりとはまさにこのことかと思う程、非日常な贅沢っぷりが提供され、長い事一人暮らしをしている私にはご褒美に思えてしまったことである。
誰が私の部屋から下着を運んできたのかという疑問は今わいたので、
後で是非じっくりと問い質したいと思う。
「文句か。そうか、くく、何が気に食わない?」
何故だか楽しそうにしている目の前の男を睨みつけるが、
何をしたいのか、その表情からは全く読めない。
「あなた、何をしてるかわかる?犯罪よ」
「そうか」
…”そうか”?
返す言葉の選択を間違えていませんか?
平然としている男は、それから?と挑発するように投げかけてきた。
「目的を言いなさいって言ってるでしょう!?」
「最初から言っているだろ。結婚しろ、と」
「だから何なのよそれ、私の借金の肩代わりでもしてくれたの?」
王道な展開でよくある、借金返済を理由に好き勝手される少女漫画的展開なの!?
「借金?借金があるのか?いくらだ?」
…あれ、これはちょっと引いている…?
もしかして手を引いてくれるいいチャンスなのでは。
「3億よ」
「わかった、すぐに用意させよう。それにしても借金か、風吹に調べさせた時はそんな報告なかったんだが」
用意できるのかよ。
え、本当に何なのこの人。
「あーもう!借金なんてないわよ!」
「なんだ?気を引きたかったのか?」
「手を引いて欲しかったの!」
「それは難しいな、結婚するのは確定事項だ」
「あんたねぇ、本当にずっとそればっかり、…!」
「ちがう、虎、だ」
「は?」
「あなたじゃない。虎と呼べ」
「呼ぶわけないでしょ!?人の話聞いてる!?」
会話のキャッチボールがまるで出来ないこの男の何処が仕事もできるいい男なのか!
いつ話をしたって、私が着地するのは『スタート地点に戻る』のコマだ。
振り出しに戻りつづけて、出だしのルートに既に慣れてきている自分が腹立たしい。
彼を説得するなんて、今すぐに叶うとはもう思えないのでここは一旦保留とする。
長引かせるつもりはないが、現時点でやるべきことは社内での私の平穏を確立することだ。
「とにかく!会社では話しかけないで」
今日も大人しく拉致られるつもりなんて毛頭ないが、
私の荷物があったという事は家がバレているということで、逃げ場がない事は理解した。
それに拉致られた先も、あまりのVIP待遇でまるで高級旅館だ。
百歩譲って、あそこに連れていかれるのは、まぁいいだろう。
いや全然よくはないのだけれど、自分から進んでいくわけでは勿論ないのだけれど、
害がなさそうなのは昨晩で分かった。
何度も言うが、自分から行くつもりは全くない。
「会社では平穏に過ごしたいの。おかしいでしょう?転勤から戻ってきた男と、接点もないはずの転職してきた女が、名前で呼び合う関係だなんて」
既にもうこいつによる呼び捨ての魔術により、私たちの関係は怪しまれているだろうが、
昔の知り合いだとかなんとか言って逃げて見せる。
上手く逃げ切って見せる…!
出来る、私にはきっとできる…!
「私とあなたは無関係!一切関係ない!声をかけるのはおろか、目を合わせるのも禁止!同じ空間にいないものとして!私の視界に髪の毛一本入れないで!」
「…………」
流石に、少し言い過ぎただろうか…。
いや、何でここで私が逆に心を痛めなければいけないのか。
訳が分からない。
出来ると言い聞かせているのだから、ここで弱気になってはいけない。
「………」
「えっと…」
でも、フリーズしたかのように固まったまま、口を開かないその姿を見ていると、
自分よりも縦も横もでかい男に対して僅かな罪悪感を感じる。
だが、僅かだ。
私は間違っていない。…はず。
ちらっと男を見上げると、目があって、ドキリとする。
おかしい。おかしい。
おかしいだろ、なんでドキリとなんて。
そして思い出すのは昨日のキスシーン。
自然と唇に目がいってしまい、慌てて目を反らした。
早く何とか言って欲しい。
沈黙が続けば続ける程、別の感情を生み出してしまいそうな自分がいた。
「で、いつ名前を呼んでくれるんだ?」
「…………」
待ってたの!?
ずっとそれを待ってたの!!??
その沈黙だったの!!??
ダメだ、こいつほんとに打っても響かないタイプだ!
私の僅かな罪悪感を返して…!
「あんたね、……んっ!ん、んーーーー!」
抗議の言葉を投げようと口を開いたのに、
それは陽を浴びることなく、逆に彼によって押し戻された。
記憶に随分と新しい、彼の唇の感触。
「ん、…んんっ…」
腰を引き寄せられて、撫でられて。
力をいれて離れようともがくのに、全く叶わない。
次第に力が入らなくなって、拒否する感情もふわふわしたものへと変わってしまう。
この男、媚薬でも仕込んでいるんじゃないかと思わせるほどキスが上手い。
まただ。
強引なようで、そうでない。
愛されているのではと錯覚してしまうような優しいキスに、絆されそうになる。
やっと離してもらえたと思えば、男は冒頭と同じく私とは180度違う顔で笑っていた。
「悪いが、やっと見つけたんだ。お前に記憶がなかろうと、手離すつもりは毛頭ない」
「……っ」
まだキスの余韻から抜けきれない私の頬に触れて、懐かしむように撫でた。
「〝虎〟と、お前は俺のことを呼んでいた。だから、そう呼べ」
冗談じゃない。
ふわふわした感情が段々と現実へ戻ってきて、怒りがこみ上げる。
また人の承諾もなく勝手にキスだなんて、と平手打ちの一つでもかましてやろうと右手をあげたとき、
分かっていたとばかりに腕をつかまれ阻止された。
「離して!一発殴らせなさい!」
「お前のそういうところ、変わってなくて安心する」
これ、平手打ちと見せかけて、直前でグーパンに変わるやつだろ?
と、得意げに言われて余計に募った苛立ちに、
何としても殴ってやろうと10分くらい格闘した。
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