魔法使いの弟子の勤労

ルカ

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第三話 魔法の修行

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「ブライアント様、もうすぐ朝食のお時間です」
 部屋の扉を叩く音でテアは目を覚ました。布団を跳ねのけ枕元の眼鏡を掴む。
「(もう朝食? しまった、寝坊!?)」
 慌てて身支度をしていると、模様付きの壁紙や暖炉が備わった清潔な部屋の様子が目に入る。一昨日までは元倉庫、昨日は貨物車両で目覚めていたとは思えぬ激変ぶりにテア自身まだ実感がわかなかった。
 眼鏡は少し迷ったが――着けたままにして部屋を出た。
 階段を急いで降りて居間に入ると、花瓶を手にしたメイジーと出くわした。途端、厳しい表情に見据えられる。
「御髪を整えるぐらいの時間はまだございますが」
 テアは階段を往復することになった。
 好き放題の方向に伸びる髪を纏め、洗面器に張った水で顔も洗った。その際、指が耳輪に触れて、ふと外側へ引っ張ってみた。耳が痛むだけで外れる様子は全く無く、なんとなく恐ろしくなってすぐに止めた。
 再び居間に入ると、テーブルの用意を終えたメイジーが出ていこうとしていたところだった。テアは静々とその後を付いていった。
「? こちらに何か御用が? 朝食は居間にご用意します」
「手伝いを……」
 おずおずと言うテアに、メイジーは淡々と切り返した。
「お心遣いだけ頂戴します」
 字面だけなら丁寧な断りに、テアはその意味がすぐには理解できなかった。ベイカー家では誰よりも早く起きて一家の朝食を毎日準備していたのは彼女だったからだ。待つだけで食べさせてもらえる食事など想定していなかった。
 固まっているばかりのテアにメイジーが向き合う。
「ブライアント様、あなた様が励むべきことは何でございましょうか」
「……?」
「この家の一切の家事は、私の仕事。それでお給金を頂き生活しております。おままごとは必要ありません。それより、あなたのお勤めは魔法の鍛錬のはずです。エヴァンズ様のお弟子様となられたのですから。一時も無駄にするべきではないと思います。居間でエヴァンズ様をお待ちください」
 メイジーが去ると、入れ替わりにエヴァンズが階段から降りてきた。
「おはよう」
「おはよう、ござい、ます……」
 テアは落雷の余韻の最中だったが、エヴァンズはさして気に留める様子も無く居間に入った。
 その後ろ姿を見て、テアは昨日の事を思い出した。
 浴室で昏睡した後、しばらくしてメイジーに起こされた時には既に部屋にいて、半分眠りながら食事を取り、手伝ってもらいながらなんとか身支度をして再び朝まで眠ったのだ。
 浴室を見てひどく感動したのは覚えているが、その時何を口走ったかは記憶が曖昧だった。ちなみに、浴室から自分で部屋に移動した記憶はない。
「(最悪……とんでもなく最悪だ……お二人から呆れられて当然……)」
 居間を覗き見てから、テアは恐る恐るテーブルに近付いた。家の主人の顔色を横目で盗み見ても、呆れて冷淡なのか、それともこれが平常なのか、判断がつかない。
 花瓶の花が飾られているテーブルに、エヴァンズは自室から持ってきたいくつかの物を置いた。
「(木の棒? いえ、そのわりには形が整ってる)」
 そのうちの一つをテアが注視していると、エヴァンズが口を開いた。
「昨日、列車でした話の続きをする」

 *****
 昨日。ロンドンの駅からリーブラ魔法学校へ向かう列車の中。
 中央から地方へ向かう方向のため車内に混雑は無い。二等客室に乗ったテアとエヴァンズはボックス席で向かい合って座っていた。
 空腹の限界だったテアは与えられた食事を食べた。紙袋の中には皆同じ具のサンドウィッチがみっしりと詰めてあるだけで、単調でパンの乾燥も酷かったが、彼女にとってそんなのはどうでも良かった。
 最後の一欠片を口に入れた時やっと我に返り、対面する相手を見れば窓の外の景色を眺めている。テアは急に恥ずかしくなり口元を手で覆って咀嚼した。
「(そういえばこの人は食べないのかしら……それとも、もしかしてこの人の分も私が食べちゃった? そもそもこれの代金は……)」
「昨晩は、火魔法と接触型気絶魔法を行使していたが、他に使える魔法はあるか?」
 いつの間にかこちらを向いていた冷静な顔に驚き、テアは口の中の物を音を立てて飲み込んでしまった。
 動揺しながらもなんとか回答をひねりだす。
「火の――魔法、は確かに使えるんですけど気絶、魔法? というのは昨日が初めてで、使えるというか、相手を気絶させようなんて気も全く――」
 確かに使える、と自分で言ってしまってからテアは慌てて付け加えた。
「でも、火の魔法も竈に火を入れて、終わったら消すことしかできないんです。昔は火力がうまく調整できなくて、最近は、竈以外の場所に火を出すこともしてません。昨晩の事は全部、偶然です。何かの間違いかも……」
 テアは悪事の言い訳をするように振舞った。今思い出してみても信じられず、あの時の自分は自分ではないようにさえ思えた。
 エヴァンズは感情の起伏を見せずに続ける。
「相手を気絶させた時に爆ぜた光、あれを見るのは初めてだった?」
「――いえ、いえ。そういえば、半年前くらいに急に――竈の火をもっと強くしようとした時に間違って出てきて」
「それからずっと使っていた?」
「はい。ランプの光として毎晩……」
 そこから、テアのこれまでの生い立ちの話になった。
 孤児になった事、近隣の町のパン屋に引き取られ働いていた事、十二歳まで通っていた学校では読み書きや計算が主で魔法はほぼ教えられなかった事、キャロルに賭け魔法へ連れてこられた経緯――それらに加えて、テアが気にしていた「何故あの場にエヴァンズが来たのか」という話題にもなった。
「仕事の調べ物をしにあの周辺を訪れていた。爆発のあった場所のすぐ近くに宿を取っていたので、行った」という事だった。
「今から話すのは、魔法についての基礎的な解説だ」
 一通り話し終わって、エヴァンズが改めて口を開いた。
「まず、この世界は五純素というもので成り立っている」
 大切な話が始まる予感はしていたが、のっけから世界の成り立ちについては壮大過ぎてテアは動揺した。
「その五純素のうち、火・風・水・土をまとめて四純素。そして第五番純素がルブ――光と呼んだりもするが、副反応で光が発生することが由来。君がランプの光にしていたのがこれだ。この世にはこの五つの純素が、直接見えなくても溶け込んでいる。あらゆるモノが――例えば窓の外のあの木、鳥、この座席や、私も。テア、君にも――」
 急に名前を呼ばれ、テアは未知のものに捕まれ引きずり込まれた心地がして目を丸くした。
「――何もないように見えるこの宙にも。割合を変えながら、皆、五純素を持っている。その純素に作用を及ぼす力が魔力、魔法となる。それを使えるのが、魔法使い」
 本当に理解できたか自信は無いが、テアは慎重に頷いた。思えば日常で魔法を使っていたのに、魔法とは一体何なのか今まで深く考えてこなかったし、あの町では「隠して抑える方法」以外を誰も教えてくれなかった。
「四純素の魔法をこなせないと第五番純素ルブは取り扱えない。しかし君の場合は火のみを扱っていたにも関わらず、ルブの及ぶ範囲である気絶魔法を使っている。おそらく、本来は四純素全てに対する魔力を持っているが、使用状況を限定され火魔法だけを扱えるようにされていた。だがそれでも魔力が消えることは無く、むしろ増加していった。ルブに対する魔力が光として現れ、ついには暴発のような形で気絶魔法が発現した。年齢も鑑みて君は生涯魔力が消えることの無い体質だ」
 生涯魔力は消えない、という指摘にテアは絶望的な思いがした。
「じゃあ、あんな事を、また、起こしてしまうんですか……?」
 賭け魔法の場で、動かなくなったキャロルを前に血の気が引いた感覚を思い出した。あの時は本当に死なせてしまったのだと思った。今もまた、座っているのに体の拠り所を失った気がしてテアはスカートを強く握った。
「魔法は鍛錬で自分の制御下に置ける。暴発は二度と起きない」
 冷静なエヴァンズの声でテアは顔を上げた。
「魔法は本来、強く明確な意志のもとで発現する。意思が無ければ魔法も無い。君の意図しない気絶魔法は多重事故のような特殊な例だ。そもそもは自分の範疇を超えたりはしない。だがそれも修行のうち、意志と魔法が結びつき固定される」
 テアを困惑させてきた、感情を読み取りにくくする何事にも動じない態度が――この時は不安に揺れるテアを引き止める楔となった。テアは縋る思いがした。
「制御が出来ないうちは、魔力に耐性のない相手に直接触らないことだ。君の気絶魔法は対象に接触していたことで発現した。魔法の成功率は『対象との距離』に比例する。基本的に、魔法を行使する対象との距離が近ければ近いほど成功率は上がり、最も高いのが対象に触れた状態」
 そう言われ、今まで使ったことも無い魔法をキャロルにかけられた理由が少しテアの腑に落ちた。
「逆の立場で言えば防御が難しいということでもある。魔力に耐性があっても相手の魔力が弱くても、一時的に影響を受ける可能性が高い」
「は、はい……」
 一を聞いただけでその何倍も帰ってくる知識量にテアは圧倒されていた。決して早口ではなく、落ち着いて余裕のある語り口なのが救いだった。
「君が使った気絶魔法は、魔法の属性のうち『人体操作系統』に入る。属性は魔法使いによってそれぞれだが、私もその内の一人」
「人体、操作」
「魔法で人間を操る術。気絶させたり、五感を狂わせたり、本人の意思ではない動きをさせたり――記憶を改変・忘却することも出来る。君はそのような力の素質を持つ魔法使いだ」
 テアは貨物車両で逃げる時に、光が爆ぜた後でベイカー氏が愉快な動きで線路から出て行ったのを思い出した。
「そんなことが、私に?」
「修行すればその内の何かしらは会得出来る」
「はあ……」
 実感できずテアが曖昧な返事をした時、車掌が巡回にやってきた。エヴァンズが切符を取り出して対応する。
 車掌が出ていくと、話が途切れたのを機会にテアは意を決して口を開いた。
「あの、ずっと聞きたかったんですけど……」
「何を?」
「あなたはどうして私を、会ったばかりの私を、弟子にしようと思ったんですか」
「私と同じ、生来の人体操作属性は数少ない。中でも君には、鍛錬も無く自力で気絶魔法を行使する程の力があったから」
 ずっと引っかかっていたことを聞けてテアの疑念は少し晴れた。話の筋は通っており、人身売買の危機からは遠ざかっている。
 積極的に魔法を極めたいとは思えなかったが、行く所のない自分が居場所を得るにはこの師の弟子として生活する以外、今のところ選択肢が無い。どうせ一生付き纏うならば、既に発現している分は制御出来るようになりたいとテアも思った。
 丁度、機関車が蒸気を吐き出す音が、終業の鐘の代わりに鳴った。
 *****

 居間のテーブルに師弟そろって着席すると、エヴァンズは列車でした話をざっと口頭で復習した。
 上目遣いで聞いていたテアは意外で仕方が無かった。まず家に来てからの失態を咎められるか、口も利いてもらえないかもと思っていたのだ。無表情で悠然としているのに変わりはなく、その内心を汲み取ることは出来ない。
「火・風・水・土に魔力で作用を及ぼすものを純魔法。それに加えてルブにまで作用を及ぼすものを全魔法と呼ぶ。人体操作は全魔法の範囲。その基礎になる純魔法の鍛錬から始める」
 エヴァンズは本を開いてテアに見せた。その頁には四つの小さな丸とそれを囲む大きな丸が描かれた図があった。
「魔法においての『作用』とは、対象の五純素を『操作』あるいは宙に溶けている五純素を『抽出』したり、逆に宙へ『返還』したりすることだ。肝心なのは『五純素の総量は作用を受けても変わらない』こと。燃えている火を消しても、その分の火純素がこの世から喪失されたのではない。宙に返還されたというだけだ」
 テアは段々追いつけなくなって口が開いていた。
「君が火魔法で行っていた、竈に火を満たすのが火魔法・抽出、消すのが火魔法・返還に該当する」
「(あ、そうだったんだ)」
 そんな難しい魔法は使った覚えがないと思って話を聞いていたテアは、やっと点と線が繋がった。
「魔法を行使する鍛錬の初期段階では、口頭呪文と杖を使用する。この杖は――」
 エヴァンズがテーブルに置いていた木製の杖を掲げたと同時に、テアは反射的に手で自分の頭を庇う動作をした。
「――――」
 居間に沈黙が流れた。
 珍しく彼の言葉に間が空いたのに気付いて、テアは我に返り、顔を赤くした。
「ごめんなさい。あの、違うんです、か勘違いをして、しました」
「そうか」
 エヴァンズは――間が空いた瞬間は見ていないのでテアはわからないが――いつもの冷静な態度だった。
「続けても、問題無いか?」
「はい」
 テアは顔が赤いままで姿勢を直した。変に思われたに違いないと思った。
「杖と口頭呪文は、魔力を集中させ効率よく魔法を行使する為の補助に要る」
 エヴァンズは杖を静かにテーブルの上に置いて、花瓶を手に取るとそこから花を抜いた。透明なガラスの瓶の中には、容器の半分の量の水だけがある。
 再び杖を手に取ると花瓶に向けた。
「花瓶の水よ、宙に跳ねろ」
 途端、水の一部が玉となって花瓶の口より高く跳ね、また元の水へと入り戻った。
「これは水魔法・操作。初歩ならば、操作・抽出・返還の三つの作用の中で操作が一番難易度が低い」
 エヴァンズはテアの前に杖を置いた。
「杖の握り方は細くなっている方を先端に、利き手で軽く握る」
 テアは指示に従い恐る恐る杖を握った。装飾も無く素朴だが、手触りはするりとしてよく馴染んだ。
「魔法の成功率は『対象との距離』に比例し、近いほど成功率は上がる。花瓶の口に杖を構え、呪文を唱える際に軽く叩く」
 テアは花瓶の口に杖の先を置いて構えた。
「よく集中して、意思を研ぎ澄ませ明確にする。『花瓶の水よ、宙に跳ねろ』」
 テアはしばらく口をもごつかせた後、緊張で揺れる声で唱えた。
「花瓶の水よ、宙に跳ねろ」
 ガラスを叩くコン、という音が居間に響いた。水面に波紋が広がる。
 しかし波紋はガラスが叩かれ生じたもので、水自体は動くことは無かった。
 テアは眉をハの字にしていた。
「続けて」
「……花瓶の水よ、宙に跳ねろ」
 何度か唱えても水は動かない。杖を直接水に突っ込むべきかとテアは切羽詰まった。
「意思を補強するのは想像。記憶から想像を連れてくる。水溜まりに飛び込んで、足元で跳ねる水を」
「(水溜まり――足を――?)」
 テアは困惑し少し考えた後、目を伏せた。
 土砂降り、土にできた窪み、お使いから急いで帰る道、水溜まり、跳ねて膝にまでかかる水。
「花瓶の水よ、宙に、跳ねろ」
 唱えて、テアは首を傾げた。
「ん?」
 気のせいかと思い、もう一度唱えガラスの縁を叩く。
 何度もそうするうちに、小さな水の玉は高さを増して――ついに、二人が見上げる高さまで跳んだ。
「おぉお……」
「これが純魔法のうち、水魔法・操作。上出来だ」
 感動で呆けていたテアは我に返るとすぐ師匠を窺った。褒められたのかと思ったが、声音と同じく彼の表情に特段の感情は見受けられなかった。
「次は水魔法・抽出と返還を行う。まずは抽出。花瓶を水で満たす」
「呪文は……」
「呪文は定型文はあるが、完全な決まりは無い。何より自分の意思を明確に表す言葉を選ぶ。簡潔で直接的なものがいい。今回は定型文ならば『水よ花瓶に満ちろ』」
 テアは目を閉じた。
「(想像――水、水、増やす。蛇口……? 蛇口から瓶一杯に水をそそぐ感じかな)」
 テアは目を開いて唱えた。
「水よ花瓶に満ちろ」
 瞬間的に満ちた水は花瓶の口から吹き出し、大量の飛沫となって辺りに散った。
 皺を寄せて目をつぶるテアの顔も滝つぼに突っ込んだようになっている。
 エヴァンズが指を振ると、テーブルを、テアを、そして彼を濡れそぼらせている水はあっという間に姿を消した。冷静な声が知らせる。
「そして今のが水魔法・返還」

 メイジーが丁度朝食を運んできて、朝の修行は中断した。
 机の上を片付けているエヴァンズに、テアは杖を返すつもりで「杖はどうしたら……」と尋ねたが「基本的に常に携帯しておく」と回答された。
 テアは戸惑いながらも黙って指示に従った。どうやらこの杖は自分の物となったらしかった。
 その後、修行の続きを話しながら学校へ向かった二人は、まず校長室を訪れた。
 校長とエヴァンズが二人っきりで話してる間、テアは廊下に出ていた。その間、朝の数々の失態を思い出して打ちひしがれていた。師匠は感情を露にしないが、気に病んでくるとあの目の形が睨んでいるように見えてきて仕方ない。
「テア」
「はいっ」
 急に扉が開き、テアは勢いよく師匠に返事をした
「中へ。ガーディリッジ校長から説明がある」
 入室したテアをガーディリッジが一瞥する。
「では、私はこれで失礼します」
「ええ。今日もよろしくお願いしますエヴァンズ先生」
「(えっ、私だけ?)」
 テアは目で師匠に縋ったが、無情に、しかし静かに扉は閉められた。
「どうぞこちらへ。ブライアントさん」
 促されて、テアは足音も無く歩を進め客用の椅子へ着いた。ガーディリッジが昨日見せたくるくる変わる表情は、今は成りを潜めている。
「正式にあなたの採用が決まりました。丁度欠員の採用を行おうとしていたところで、施設管理室長もエヴァンズ先生が言うならそのようにということで」
 ガーディリッジは書類をテアの前に出し、眼鏡を掛けた。文面に指をさしていく。
「昨日言った通り、職は施設管理補助員。職務内容は――……あの、何か不備が?」
 校長の前で眼鏡を外していたテアは、目を限界まで険しくして書類の文字を読み取ろうとしていた。
「もしかしたらあなたも目がお悪い?」
「あ、すいません、その……はい」
 テアは外した眼鏡を握っていた手をちらりと見せた。
「あるなら掛けたらどうです?」
 ガーディリッジはそれが然も当然と不思議そうな顔をしている。テアは逡巡したが、おずおずと装着した。
「お若いのに大変ですな。では続きを。職務内容は魔法が使えなくてもできる雑よ――簡単な校内作業を担います。と言っても、我が校の職員である事には変わりありませんから、生徒さんをの成長を見守り時に励まし、危険が迫れば守る盾となる――まあ無理の無い範囲で。詳しい職務内容は後で管理室の者に説明させます。そういえばあなたの年齢に近い管理員がいたので、彼に色々と頼みましょう」
 職務をこなせるか自信がなく、テアは浅く頷いた。
「出勤形態はこのように。給金はこの額。安くて申し訳ないですが規定なのでご勘弁を。毎月末に、直接あなたへ渡すようにとエヴァンズ先生が」
 テアは目を丸くした。
「お金がもらえるんですか?」
「じゃなかったら何で働くんですか……?」
 校長はテアより目を丸くしている。
「内容が確認出来たら、ここに署名を。魔動筆記は? では手動でよろしい」
 借りた羽根ペンで名前を記し、ガーディリッジに書類を渡す。
「まあ、補助員なんて腰掛けですからご心配なく。おいおいはエヴァンズ先生の体面のためにも、彼の助手職に就いていただかなければ。あ、純魔法も満足でない事は周囲に敢えては言わなくてもよろしいですよ。生徒さんへの面目が立ちませんからな。何か聞かれたら適当に誤魔化してください」
 校長は当たり前のように話したが、テアは何もかもに重圧を感じた。
「では、本日は事前研修としましょう。施設管理室は今忙しい時間なので――ひとまず、この私が、直々に。校内を案内してさしあげます」
「あ、ありがとう、ございます……」
 テアはか細い声で答えた。

「今私たちがいるのが中央棟。職員室や施設管理室などがあります。貴方の師匠の研究室もこの上に。窓から見える左右の棟は主に座学の教室棟です」
 校長室を出た二人は中央棟の一階を進んだ。
「我が横道十二宮会第七領・リーブラ魔法学校は全寮制です。低学年・中学年・高学年に別れ、それぞれ二年・三年・三年間の充実したカリキュラム。一番下は十歳、一番上は一七歳前後。ああ、あなたと同い年の生徒さんにも会うことになるでしょうな」
 中央棟横の出入り口から渡り廊下に出た。裏にある別の建物に繋がっている。
「そういえばエヴァンズ先生から、あなたが気絶魔法を発現させた経緯を聞きました。パン屋の同僚と若者同士のいざこざに巻き込まれてしまったが、それを魔法で怪我人なく解散させたそうですな。見た目によらず――いえ失礼。穏やかそうとお見受けしておりましたが、案外肝の据わった方だ。流石エヴァンズ先生のお弟子に見初められるだけの事がある」
 ガーディリッジは機嫌が良さそうに話した。大筋はその通りだがテアは微妙な思いがした。何より、重要な単語が抜けている。
「(賭け魔法……やっぱりここでも言ったらいけない事なのかな)」
「ここは実習棟です。丁度自立飛行の授業をしていますよ」
 階段を上って出た先は縦に長い円形のホールで、天井は無く空が覗いていた。壁際は階層ごとに通路になっている。
 そのホールの中央の空間を、箒に乗った魔法使い達が飛んでいた。
「飛んでる!」
 思わず声を上げてしまったテアは、すぐ我に返って手で口を覆った。
「ふっふふ、隠さなくとも宜しい。わかりますよ。自立飛行は花形の一つですからな。物を飛ばす物体操作系統に比べて、自身が飛ぶ術を得る者は限られている。魔法使いとして優れているかどうかではなくこればかりは生まれ持った性質が強い。希少さで言えば、人体操作系統には適いませんが……」
 テアは校長を見た。
「ご存じない?」
「少し……あまりいないとはエヴァンズ――先生、から聞いています」
「あの方は慎み深いですからな。もう少し大っぴらに宣伝してもらってもいいんですが……いえ何でも。人体操作系統は特に生まれ持った性質に拠るものです。我が校でも高学年でエヴァンズ先生の授業を受けられるのは一握り。そのうち努力で五感混乱などを習得できても、あなたの師匠のように記憶改変や忘却まで自在に使える魔法使いともなれば世界中でも限られてきます。極められた人体操作は最高階級十番に最も近いとも言われている――あなたの師匠はそんな方です。尊敬しない者は少なくとも我が校にはいませんよ。そして、鍛錬もなしにいきなり気絶魔法から使い始めたあなたもその才能が十分に有ります。驚異的とも言えます。少々すっとばし感は否めませんが」
 危ない! という声が何処からともなくした。体制を崩した箒乗りがテアと校長すれすれを風を切って通った。教師が上空から叱責する。
 驚き固まっていたテアと校長は、身の安全を確認すると飛行場から出た。
「――あなた方の出会いは、師弟としては稀に見る幸運でしょう。師匠の得意魔法が特殊であればあるほどその弟子の適正が難しくなる。エヴァンズ先生は教育者ですし、わざわざ個人的に弟子を取ることは無いだろうと皆思っておりましたが……そもそも魔法使いの数が少なくなってきている。ロンドンをご覧に? 見たでしょう、どこも大量生産! 科学技術! 貨幣支配! それによって汚れ切った空気を!」
 通りがかった生徒が校長の声に身を引いた。ガーディリッジは咳ばらいをし生徒に挨拶をしてから続けた。
「そもそも魔法学校は、個人間の師弟制度では補いきれない教育を充足させるために始まったもの。我が子に魔法が発現すればその力を伸ばそうとしない親はいなかった。ですが近頃は、固定するのに何年にも及ぶ入念な鍛錬が必要な魔法よりも、都会で産業の僕となって働いた方が早く安定出来ると軽率に考える者が増えました。確かに生活には収入なり労働なりが必要不可欠です。真に上流の魔法使いならば己の魔法だけで衣食住を満たすことも可能ですが、その領域まで至れる者は稀有。とは言え、我が校を卒業する頃になれば工場で歯車の代わりをする以外の選択を得られるはずです。職を選ばねばロンドンなどは労働環境が底を抜けて人を人とも思わぬ劣悪ぶりですからな。嘆かわしい」
 生活とパン屋の労働は直結し今もよくわからないまま施設管理補助員へと流されようとしているテアには、職を選ぶなど縁遠い話に思われた。ふと、窓の外に目を奪われる。屋外にガラスで覆われた植物園があり、生徒たちが中で活動しているのが見えた。
 相手の集中が乱れたのにも気付かずガーディリッジが続ける。テアは慌てて傾聴に戻った。
「何より嘆かわしいのは、科学技術の発展が人々の魔法への憧憬を曇らせていることです。ガスどころか石炭の供給も無い辺境の地ならば純魔法でもまだ重宝されますが、都会は特に顕著です。我が校の経営にも影響が……そんな中でも人体操作系統は夢がある。自立飛行ですら、移動手段としてはホウキより鉄道の方が気楽で快適なんて言う者が出てきましたが、人間そのものを自在に操るなんて技を科学はまだ持たない。まあ麻酔薬などはありますが、五感混乱が多少脅かされた程度。エヴァンズ先生はうちの重要な屋台骨です。我が横道十二宮会第七領・リーブラ魔法学校もまた幸運なのです。そう、勝ち組です」
 ガーディリッジは誰に向けるでもなく拳を握った。テアはとりあえず何度も頷いた。
「しかし、あなたの育った街があの辺りだったことは、不運だったと思います。よりによって大規模な融解事件が起きた地域とは……そのせいで教育が歪み、あなたの才能も今まで見出されなかった。実に、実に惜しい。初めからうちに入学していれば今頃我が校を代表するスーパースターだったかもしれないのに」
 テアは昨日も聞いた言葉が引っかかっていた。確かその調査のためにエヴァンズがウィンフィールドを訪れたという話だった。
「ブライアントさんはよくご存じですよね? 事件を」
「いえ……」
「街の大人達から聞かされてないんですか? そこまで隠ぺい体質とはいやはや……四十年前に起きた魔法による大規模な街頭破壊事件です。街ぐるみの決闘型賭け魔法の場だったそうで……全くもって野蛮です。反面教師とするために教材に載るほどです。うちの生徒がそんな賭け魔法に参加したら、即! 退学ですよ」
 絶対に賭け魔法の場に居たことを口外してはならない、とテアは固く誓った。
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