この星は、戦闘開始が午前9時って決まってます。

ワタナベジュンイチ

文字の大きさ
8 / 27
第一章:営業一課 風巻程時

昼休みに、部長が来た。

しおりを挟む

営業部の昼休みは、戦闘よりも騒がしい。
ガタン、と椅子の軋む音。
社装スーツを半脱ぎした社員たちが、皿を抱え、机を囲む。
それは日常の休息というより、次の戦闘に備える“補給”のようなものだった。

「おっ、空いてますね。……四人席、いけそうです」

トレーを手にした風巻程時が、わずかに弾んだ声で言う。
昼食戦線での小さな勝利。そんな安堵が顔に浮かんでいた。

後ろから草薙が肩を並べてくる。

「確保~。戦闘よりこっちのほうが競争率高いな……」

矢口と二ノ宮もすぐに追いつき、営業一課の面々は自然と一つのテーブルに集まった。

「……で、プレゼン、結局出したんか?」

箸を割りながら矢口がふと言う。
敬語はない。いつも通り、ちょっと気の抜けた声だ。

「うん。昨日の夕方、提出しておきました。芹沢さんに見てもらってから……」

風巻の返事は静かで、どこか慎重だった。
それは自信よりも、“ちゃんと見てもらえただろうか”という不安の裏返し。

「おー、初ソロ提出か! どうだ、感慨深いものがあるだろう?」

草薙がニヤッと笑う。

「いやいや……ちゃんと読んでもらえてたら、嬉しいですけど」

風巻は笑いながらも、どこか目が泳いでいた。

「部長に届いたかどうかは、まだ不明ですね」

二ノ宮の声は、いつも通り淡々としている。箸の動きも変わらない。

そのとき、最後に芹沢がトレーを持って合流した。
昼の騒がしさをものともせず、柔らかな笑みで座る。
だがその直後、空気が一変する。

「この席、空いてるか?」

背後から落ちた低い声に、四人の手が同時に止まった。
食堂全体の雑音の中で、なぜかその声だけがくっきりと響く。

風巻の手がわずかに震える。箸の先が、皿に軽く当たった。
矢口がぎこちなく笑い、草薙は気まずそうに空いた椅子を差し出す。
二ノ宮は無言でスペースを詰めた。

芹沢だけが、変わらない声で応じた。

「どうぞ、部長」

現れたのは、天道令司。営業部全体を束ねる、部長。
黒のネクタイ、無駄のない動作、そして容赦のない判断。

その天道が、社食のテーブルに座る。
それだけで、テーブルの空気が一段、静かになった。

「……ここのは、悪くない」

ミートボールパスタを前に、天道が静かに言う。
味の評価か、昼食を選んだことへの自己肯定か。
誰も返さない。返せない。
全員、箸を動かすふりをしながら、食べ物の味がまるでしない。

耐えきれず、風巻が口を開いた。

「あの、その……昨日出した資料、読んでいただけましたか?」

一拍の間。
天道はパスタを切りながら答える。

「読んだ。改行が多いが、まあ、読めた」

それだけの言葉に、風巻の胸の奥が一気に緩んだ。
肩の力が抜け、息がゆっくりと流れ出す。
言葉にしない“ありがとうございます”が、そのまま表情ににじんでいた。

矢口が空気を変えようとする。「部長、最近、前線出てないんですか?」

「現場に立つ理由が、ないからな」

抑揚のない答え。それでも、重みだけが残る。

芹沢が、少しだけ微笑んで言う。

「でも、見てくださってたんですね」

天道は一度だけ視線を上げる。

「見てる。必要な時だけ」

感情はない。だが、その言葉には、確かに意思があった。

そのとき、通路を歩く別部署の若手が天道に気づき、深く会釈する。
天道はただ頷き、パスタを淡々と食べ続けた。

食事が終わると、天道は席を立つ。
トレーは手に、ナプキンや箸を丁寧にまとめて、片付け場所へと向かう。
背筋は伸び、姿勢は変わらない。
ただそれだけで、場の重さが変わっていく。

「……なんか、緊張しただけな気がする」

草薙が、残った水を飲み干しながら呟いた。

「部長、存在感えぐいっすわ……」

矢口の口調も、どこか脱力していた。

ふと、風巻の視線が、テーブルの端──天道が座っていた席に止まる。
ナプキンが一枚、置き去りにされている。
折り目はきれいに整い、しかし裏返しのままだった。

風巻はそっとそれを手に取る。
指先が、かすかに震えていた。

裏に走り書きされた文字。

――承認済み。プレゼン、次は“口頭”でやってみろ。

目が瞬く。
声にならない声が、喉の奥に浮かぶ。
だが、口は開かない。
代わりに、呼吸だけがゆっくりと、胸の奥を満たしていく。

「……これ、部長が……?」

問いのような、呟きのような言葉。
それを受けたのは、芹沢だった。

「……たぶん、ね」

その声は、あたたかいというより、静かだった。
誰かを見守る者のように。

風巻はナプキンを二つに折り畳むと、それを胸ポケットにしまう。
誰にも見せないように、そっと。
握りしめるわけでも、誇らしげに掲げるわけでもない。

ただ、大事なものとして、そこに収めた。

昼の騒がしさは変わらない。
けれどその中で、風巻の背筋はわずかに伸びていた。
静かに、けれど確かに、“見られていた”という手応えが、胸の奥に灯っていた。

それは言葉にできない承認だった。
でも──風巻は、それで十分だと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...