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第一章:営業一課 風巻程時
昼休みに、部長が来た。
しおりを挟む営業部の昼休みは、戦闘よりも騒がしい。
ガタン、と椅子の軋む音。
社装スーツを半脱ぎした社員たちが、皿を抱え、机を囲む。
それは日常の休息というより、次の戦闘に備える“補給”のようなものだった。
「おっ、空いてますね。……四人席、いけそうです」
トレーを手にした風巻程時が、わずかに弾んだ声で言う。
昼食戦線での小さな勝利。そんな安堵が顔に浮かんでいた。
後ろから草薙が肩を並べてくる。
「確保~。戦闘よりこっちのほうが競争率高いな……」
矢口と二ノ宮もすぐに追いつき、営業一課の面々は自然と一つのテーブルに集まった。
「……で、プレゼン、結局出したんか?」
箸を割りながら矢口がふと言う。
敬語はない。いつも通り、ちょっと気の抜けた声だ。
「うん。昨日の夕方、提出しておきました。芹沢さんに見てもらってから……」
風巻の返事は静かで、どこか慎重だった。
それは自信よりも、“ちゃんと見てもらえただろうか”という不安の裏返し。
「おー、初ソロ提出か! どうだ、感慨深いものがあるだろう?」
草薙がニヤッと笑う。
「いやいや……ちゃんと読んでもらえてたら、嬉しいですけど」
風巻は笑いながらも、どこか目が泳いでいた。
「部長に届いたかどうかは、まだ不明ですね」
二ノ宮の声は、いつも通り淡々としている。箸の動きも変わらない。
そのとき、最後に芹沢がトレーを持って合流した。
昼の騒がしさをものともせず、柔らかな笑みで座る。
だがその直後、空気が一変する。
「この席、空いてるか?」
背後から落ちた低い声に、四人の手が同時に止まった。
食堂全体の雑音の中で、なぜかその声だけがくっきりと響く。
風巻の手がわずかに震える。箸の先が、皿に軽く当たった。
矢口がぎこちなく笑い、草薙は気まずそうに空いた椅子を差し出す。
二ノ宮は無言でスペースを詰めた。
芹沢だけが、変わらない声で応じた。
「どうぞ、部長」
現れたのは、天道令司。営業部全体を束ねる、部長。
黒のネクタイ、無駄のない動作、そして容赦のない判断。
その天道が、社食のテーブルに座る。
それだけで、テーブルの空気が一段、静かになった。
「……ここのは、悪くない」
ミートボールパスタを前に、天道が静かに言う。
味の評価か、昼食を選んだことへの自己肯定か。
誰も返さない。返せない。
全員、箸を動かすふりをしながら、食べ物の味がまるでしない。
耐えきれず、風巻が口を開いた。
「あの、その……昨日出した資料、読んでいただけましたか?」
一拍の間。
天道はパスタを切りながら答える。
「読んだ。改行が多いが、まあ、読めた」
それだけの言葉に、風巻の胸の奥が一気に緩んだ。
肩の力が抜け、息がゆっくりと流れ出す。
言葉にしない“ありがとうございます”が、そのまま表情ににじんでいた。
矢口が空気を変えようとする。「部長、最近、前線出てないんですか?」
「現場に立つ理由が、ないからな」
抑揚のない答え。それでも、重みだけが残る。
芹沢が、少しだけ微笑んで言う。
「でも、見てくださってたんですね」
天道は一度だけ視線を上げる。
「見てる。必要な時だけ」
感情はない。だが、その言葉には、確かに意思があった。
そのとき、通路を歩く別部署の若手が天道に気づき、深く会釈する。
天道はただ頷き、パスタを淡々と食べ続けた。
食事が終わると、天道は席を立つ。
トレーは手に、ナプキンや箸を丁寧にまとめて、片付け場所へと向かう。
背筋は伸び、姿勢は変わらない。
ただそれだけで、場の重さが変わっていく。
「……なんか、緊張しただけな気がする」
草薙が、残った水を飲み干しながら呟いた。
「部長、存在感えぐいっすわ……」
矢口の口調も、どこか脱力していた。
ふと、風巻の視線が、テーブルの端──天道が座っていた席に止まる。
ナプキンが一枚、置き去りにされている。
折り目はきれいに整い、しかし裏返しのままだった。
風巻はそっとそれを手に取る。
指先が、かすかに震えていた。
裏に走り書きされた文字。
――承認済み。プレゼン、次は“口頭”でやってみろ。
目が瞬く。
声にならない声が、喉の奥に浮かぶ。
だが、口は開かない。
代わりに、呼吸だけがゆっくりと、胸の奥を満たしていく。
「……これ、部長が……?」
問いのような、呟きのような言葉。
それを受けたのは、芹沢だった。
「……たぶん、ね」
その声は、あたたかいというより、静かだった。
誰かを見守る者のように。
風巻はナプキンを二つに折り畳むと、それを胸ポケットにしまう。
誰にも見せないように、そっと。
握りしめるわけでも、誇らしげに掲げるわけでもない。
ただ、大事なものとして、そこに収めた。
昼の騒がしさは変わらない。
けれどその中で、風巻の背筋はわずかに伸びていた。
静かに、けれど確かに、“見られていた”という手応えが、胸の奥に灯っていた。
それは言葉にできない承認だった。
でも──風巻は、それで十分だと思った。
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