彼がスーツを脱いだなら

ももくり

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彼との時間が減っちゃった!

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大野さんと出会ったのはまだ裕基と付き合う前だったから、かれこれ3年前になるだろうか。当時の私はまだ入社半年目で、とにかく人脈を作りたがった。だから『彼氏づくり』というよりも他部署との交流目的としてのコンパだったのである。

>はい、では皆さん、カンパ~イ!!

取り敢えず男女交互に座らされたので、まずは周囲の状況をジックリ観察した。ごくごく普通の見た目なのに、正面の男性も右隣の男性も恐ろしいほど女慣れしており。しかもいつの間にか目当ての女性と姿を消し、それに気づいた左隣の男性がボソッと呟くのだ。

「怖い世の中だなあ」
「えっ?」

…それが大野さんだった。

「あいつら、営業部の中でも有名でさ。今回もヤリモクで参加したらしいんだよ。いやあ、でもまさか社内のコに手を出すとは」
「そうなんですか?確かに最初から可愛いコを狙ってましたよね。私には目もくれなかったけど」

自虐気味にアハハと笑うと、大野さんは恥ずかしそうに答える。

「いや、ああいう男はヤレそうな女にしか声を掛けないんだよ。その…愛宕さんは、そういう軽い感じじゃないから除外されたんだと思う。俺から見ると愛宕さんはスッゴク可愛い…よ」

女子をお持ち帰りした営業部の男たちよりも、数倍整った顔をしていて。この人が本気を出せばかなりモテそうなのに、そういう邪心を感じないというか…むしろその存在すら消しているようで。そんな控え目な雰囲気に興味を惹かれ、私は大野さんと3時間以上話し込んだ。彼いわく、小中高と男子校に通っていたせいで女性と話すことが苦手なのだと。紹介で何人かの女性と付き合ってみたけど会話は弾まず、苦痛以外の何物でも無かったと。『じゃあ私でリハビリしてくださいよ』などと冗談で誤魔化しながら連絡先を交換することになって。

「これほどゆっくり落ち着いて女性と話したのは生まれて初めてかもしれない。だってほら、女のコって皆んなファッションと芸能ニュースと食べ物の話しかしないだろ?だからこっちも薄っぺらいことしか話せなかったんだよ。ほんと愛宕さんは不思議な人だなあ」

いえいえ、山田君に鍛えられたお陰なんです。彼はお喋りな女が大嫌いで、そのくせ自身もそんなに話さないから自然と聞き上手になっちゃったんです。相手が話したいだろうなと思うことを少しずつ引き出し、その話題を膨らませておいて極力、自分のことは喋らない。そんな風に調教された賜物なんです。

…などと言えるワケもなく。

「大野さん、今度一緒に食事しましょう」
「いいね、是非!」

と別れたきり、連絡は一度も来なかった。だが再会した大野さんはまるで別人のように饒舌で、正面から私をジッと見て言うのだ。

「うわあ、愛宕さん、すっごく可愛い!どうしてそんなに可愛いの?何から何まで可愛いなんて、卑怯だよ。ああもう、ほんと好きなんだけど。俺の人生、愛宕さんに捧げちゃってもいい?ごめん、俺、気持ち悪いよね。でももうこの想いは止められないんだ。今から全力で行かせて貰う。だから、覚悟しておいて!」

私の口が『ふ』の形で固まったのは、『who are you?』の頭文字で。いきなり英語が浮かぶなんて、自分でもなかなかグローバルだと思う。…誰コレ?コレ誰?あのモジモジしていた大野さんは何処へ??そしてその隣に座っている水上さんが恐ろしいほど淡々と突っ込むのだ。

「大野、本当に気持ち悪い」

水上さんは31歳・独身。バリバリ仕事をこなし性格もサバサバしている。上司からは一目置かれ、後輩からも熱烈に慕われ。『ハンサム先輩』と呼ばれるのは、外見だけでは無く、中身も男前だからだろう。…でも、性別は女性だけど。私が来なければ男3女1で食事する予定だったはずなのだが、それでも納得な感じの御仁なのだ。そんな水上さんからの突っ込みを聞き流して大野さんは熱く語り続ける。

「俺ね、すっごく後悔したんだ。以前のコンパで愛宕さんが『今度食事でも』と言ってくれたのに、絶対に社交辞令だと思い込んじゃってさ。そのテに乗って電話なんかしたら引かれるに違いないだろうと連絡するのを我慢したんだよね。そしたら暫くして川瀬なんかと付き合い出すし。あれは本当にショックだったなあ。だって川瀬だよ?あんな女にだらしない男。社内では超有名だったのに、なんで引っ掛かるんだよ。

アイツなんかよりも俺の方がイイじゃん。自慢じゃないけど一途だし、絶対に幸せにする自信ある。たぶん愛宕さんと俺、価値観が似てるんだと思う。上っ面の軽い恋なんかじゃダメだ。心の奥から繋がったディープな恋がしたい。いつでも自分の考えと相手の考えをぶつけ合って、互いの気持ちが通じた恋をしたい。それが出来る相手はキミしかいないんだ。だから前向きに俺のことを検討して欲しい」

…えっと、たぶん素晴らしい恋愛観だと思う。この人の考えには大賛成なのだが、何故だろう。どう言えば良いのか自分でも分からないのだが、

「大野、重くてマジ勘弁…」

そ、そう!それ!!思わず気持ちを代弁してくれた水上さんを見る。すると彼女はこう続けるのだ。

「何ごとにも『起承転結』ってモンがあんのよ。大野、あんた今『起承』をすっ飛ばして『転』に行っちゃってるの、自分で分かって無いかな。ほら見なさい、愛宕さんの顔。引いてるわよ~。もし私でも、こんな告白されたら引くわ」
「…いや、俺、水上さんを口説くことは死んでもありませんから」

そ、そこ??

「お前の脳ミソ、鍋に突っ込んでやろうか」
「やれるもんなら、やってくださいよ」

こ、怖いいいい。曖昧な笑顔でその場を濁す私。慣れているのかジュニアは平然と鍋を取り分け、水上さんに御礼を言われている。終始こんな感じで食事会は進み、2時間コースは無事完了した。やっと帰れると安心したのも束の間。店を出ると大野さんが再び迫って来る。コンパの際に教えて貰った連絡先は、未練を断つため消去したのだと。だから改めて教えて貰えないだろうかと。

正直、教えたくは無かったのだが、あまりの気迫に負けてしまい。それから毎晩、怒涛の電話攻撃。しかも最低1時間は喋ってくださる。ちょうど山田君がいて、来客中だと伝えても彼は電話を切ってくれない。土日も強引に会う約束をさせられ、それが徐々に平日夜にも侵食して来て。

段々と山田君に会う時間が減ってしまうのだ。
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