彼がスーツを脱いだなら

ももくり

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彼の両親に会ってみた!

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山田君の表情を見ると、
今にも泣きそうな子供みたいな顔をしていて。

もう無理だと思った。

…そう、私が。だって、こんな山田君を見ていたくない。やっと笑えるようになったのに。人に心を許せるようになったのに。人というのは本当に贅沢な生き物で。10人のヒトと仲良くなっても、たった1人のヒトに傷つけられただけで、人生が終わったかのように落ち込む。優しい言葉よりも、冷たい言葉の方がより深く浸透するなんて、何て厄介なんだろう。

「もう止めよう、山田君。この人には何を言っても無駄だよ。腰が痛いのに介護職を選んだような人だし。素人の私ですら、重労働だって分かるよ?お年寄りの体を抱えたり、支えたり。それをすると分かってて『腰痛が再発』って、当たり前すぎて逆に驚くわ。仕事を選ぶときに何も考えてないんだよ。ただ給料さえ貰えればイイって。きっと毎日誰かを恨むことに精一杯で、それ以外のことに頭が回らないんだね。そんな人生、最悪。

ねえアンタ、自分が悪くても全部責任転嫁してそうやって一生、山田君を恨んで生きてれば?ほんと無責任だよねえ。妻子を養っていけないのも、山田君のせいにしちゃうんでしょ?山田君は、仕事が嫌だからって辞められないの。これから大勢の社員とその家族のため、重責を背負って生きていくんだから。金持ちだからって妬んでいるようだけどね、子供の頃から将来が決められてて、それに向かって生きて来たの、この人は!逃げようと思っても逃げられないんだよ。そりゃもう、覚悟が違うんですからねッ。

アンタもゴチャゴチャ言ってないで妻子のために覚悟しなさいっての!安易に昔の友人を頼ったりしないで、死ぬ気で仕事を探して働け!そんな腐った魚のような目をして、毎日ダラダラ生きてるんじゃないッ!」

ガタンッ!!

私を睨んだかと思うとユウジは急に立ち上がり、そのまま大股で去っていく。

「ちくしょ、伝票を置いていきやがったなッ。あの男どこまでゲスいんだ。ったくもうッ!!きいい、悔しいよ~山田君…」

フーッフーッと猫みたいにして怒っている私の頭を撫でながら、山田君はなぜか突然笑い出す。

「ふあっ、あは、あはははッ。んもう、乃里、強すぎ!!」
「え、ええっ?!つ、強くなんかないよ。だって私はただ…」

山田君を守ろうとしただけ。そう、私はこの人を守りたかったのだ。確かに大切に育てられたせいで脆い部分も多く、いろいろと不器用で敵を作り易いけれど。そんな欠点を覆い隠すほど、この人は無垢だ。そして私はずっと山田君に無垢でいて欲しい。

「…乃里がいてくれて、良かった」

遠くを見つめながら山田君がそうポツリと呟く。だから私はそれを聞こえないフリで微笑む。

「ユウジ、これで変わってくれるといいな。俺のことを嫌ったままでもいい。時には憎しみも、生きる活力になるから。それで俺を見返そうとして、本気で就活して、ガツガツ働くようになったら本望だ。最初からあんなにヤル気が無かったワケないし。きっと思い通りにならなくて心が折れたんだよ」
「うん、そうだね。…だといいね」

何度でも言おう。私は、こういう山田君の無垢さが大好きだ。時には泣きたくなるほど、愛おしくなる。

「さあ、もう時間が無い。まずは俺の両親からだ。行くぞ、乃里ッ!」

いつも淡々としている山田君が、珍しく気合を入れた。てっきりそれは、両親に彼女を紹介するというセレモニーで緊張してるだけかと思っていたら。



「…んまあ、ヨシ君お帰りなさーい!!やだもうやだもう、相変わらずハンサムちゃん。お母さんね、教えて貰ったの。ヨシ君みたいな目を、桃花眼と言うんですって。妖艶で異性を惹きつけてしまうらしいわよ!!」

初めて会った山田ハハはそれはもう強烈だった。なんというかマリー・アントワネット的な?

>おほほ、パンが無ければ
>ケーキを食べればいいじゃない。

そう言えばこの話、実は“ケーキ”じゃなくて“ブリオッシュ”が正解なのはご存知か?当時はパンに使用する小麦とブリオッシュに使用する小麦では、倍以上も価格に差が有り。つまり原料の高いパンを買えないのであれば、安いブリオッシュを買いなさいという意味で、アントワネットの言葉ですら無いらしい。

以上、豆知識ね、豆知識。

って、誰に語っているんだ私ッ。なぜ彼氏の両親に挨拶に来て、ひたすら現実逃避をしているのか?…理由は簡単、山田ハハの独壇場だからだ。

「でね、ヨシ君のことを知らないって言うから、たぶん一番カッコイイ男のコですって教えたの。そしたらスグに分かったのよ~。スゴクない?ヨシ君、今度会ったら添田さんの奥さんに挨拶しておくのよ。あの方、ヨシ君のことをベタ褒めしてくださったんだからッ。その辺のアイドルよりずっと素敵だって…あーたらこーたら…」

息継ぎしてくださいよ、息継ぎ。

「んハッ」

唐突なまでの息継ぎ。しかも、ゼエゼエ言ってるし。ようやくココで山田チチがその話を止めた。

「なあ、母さん、そろそろ本題に入らないと。2人とも時間が無いみたいだしさ」
「ええっ、だって2泊していくんでしょ?ヨシ君の帰りを心待ちにしていたのに、そんな冷たいことを言わないでよお」

ウルウルとした瞳で夫と息子に訴えかける。ウチの母よりも年上だと聞いていたのだが、なんだこの恐ろしいまでのメス臭は。元々、モデルをしていたとかでミスなんとかにも選ばれた人らしいのだが。全身の手入れは怠りなく、死ぬまで現役という感じだ。応接室の黒皮ソファに座りながら足を組むその姿はまるで女帝で。というか、最初からずっと私のことを敵視しているようなのは気のせいか?

「2泊なんかしないよ、1泊で帰る。相変わらず俺の話を聞いていないんだな」
「嘘っ。だって3連休なのに?3連休よ3連休」

「仕方ないんだ。最終日に乃里の同期が結婚式するんだって。それに合わせて向こうに戻るよ」
「そのコだけ帰らせれば済む話でしょ?そこのあなた!子供じゃないんだし1人で帰れるわね」

おおっ、早くも嫁姑問題、勃発か?!

「…う、あ、はい、1人で大丈夫です」
「あらやだ改めてジックリ見たけど地味なコね。やだヨシ君、こんなコしかいなかったの?アナタならもっと素敵なコが選び放題のは…」

チッ。

気のせいかな。
山田君もしかして舌打ちした?

すると傍若無人だったはずの山田ハハが、急にシュンとなる。そのハハのご機嫌を取ろうとする山田チチ。

「ああ、ほ、ほら、お前。吉一が選んだお相手なんだからさ、そういう言い方は無いだろ?もう結婚まで考えているそうだし」
「ええっ?ヨ、ヨシ君が結婚??」

ほんとヒトの話を聞いていない人だなあ。しかも私をギンと睨んでいる。

「もし孫がこっちに似たら?愛せるかしら私…」
「こ、こら、何を言い出すんだよ」

チッ。

再び、山田君の舌打ちでハハは
背筋をピィンと正して座り直す。

どうやらこの家の勢力図は、“山田君>ハハ>>>>>チチ”…らしい。スウッと息を吸って、山田君が堂々と宣言した。

「結婚は俺の仕事が落ち着いてからにする。だからこっちに戻って数年後かな?出来れば、過干渉を避けるため、新婚生活は2人だけで過ごしたい。その後は同居してもいいと思ってる。とにかく乃里は俺が選んだ女性だ。もし、傷付けるようなことが有れば、俺はもう二度とこの家に戻らないから。特に母さん、宜しく頼むよ」

『別居』の部分で激しく山田ハハが抵抗したが、これを息子が強引に言いくるめ。渋々と山田ハハは私に和解を申し出てくる。

「うふっ、最後にひと言だけ言わせてね。絶対にヨシ君に似た子を産んでちょうだい。そうしないと可愛がってあげないわよ」

…って、どうやって?ねえ、どうやって??
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