AM0:52

ももくり

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「あー!ソレきっと片瀬さんだわ」
「研究開発で陰気臭い女ときたら絶対にそうよ」
「ふうん。あの人、片瀬さんっていうんだ~?」
 
「男だらけの部署だからって、アレは無いよねえ」
「あんなに前髪伸ばして、鬱陶しくないのかなあ」
「ていうか、あのダサ眼鏡どこ行けば買えるワケ」
 
「プッ、笑っちゃうよね、ガリ勉ちゃんみたいで」
「ほんとほんと。あーでも安心だわ」
「高岡さんに一番近い女性が、あれだもの」
 
「奪われる心配しなくて済むよね」
「高岡さん、競争率激しいから」
「理系男子でしかもカッコイイって最強だわ」
 
 カラ…カラ…カラ…
 
 音を立てぬよう細心の注意を払いながらトイレットペーパーを丸める。定時10分前にトイレで雑談し放題だなんて、なんと羨ましい職場なのだろうか。連日深夜まで研究に明け暮れる我らとは大違いだ。
 
 それにつけても、室長が憎い。あんなどうでもイイ用事を私に頼んだりするから、こんな状況に陥ってしまったのだ。滅多に来ない本社で、自分に対するしょっぱい評価を聞かされてしまうとは、なんたる不運。まあこの眼鏡が時代遅れなことには違いないが、だからどうしたと言うのだ。
 
 って、うわっ!こんな時間。急いで研究棟に戻らねば。予定した時間に帰れなくなってしまうではないか。ああ、もう仕方ないと観念して私は個室ドアを開ける。
 
「えっ?」
「わ…」
「ウソォ」
 
 突き刺さる視線に気付かないフリをしながらザブザブ手を洗う。そのままエアタオルで乾かしているうちに彼女達が姿を消したので、残された私は深くて長い溜め息を吐いた。
 
 
 
 ──研究棟に戻ればすぐに隣席の高岡さんが話し掛けてくる。この人のチームは忙しい日とそうで無い日の差が激しいが、どうやら今日は安穏とした日だったらしい。
 
「麻友ちゃん、今から一緒に飲みに行かない?」
「残念ですけど今日はちょっと予定が」
 
「えーっ、そう言ってまた一人で映画観るんだろ」
「違いますよ。高校時代の先輩が親からイタリアンレストランを譲り受けたとかで、そのお披露目パーティーに招かれちゃったんです」
 
「なんだ、そっか」
「はい。なので飲みはまた今度…って、ええっ?!ああ、もうどうしよう!」
 
 ここで私はスマホを見て項垂れる。
 
「なに?」
「いえ…別に…」
 
「言ってよ、水臭いなあ」
「あー、えっと、実は元カレもそのパーティーに来る予定なんですけど」
 
「へ、へえ、そうなんだ?」
「パーティーの後で私と話がしたいと言うから、どうにかそれを回避したくて」
 
「回避…ねえ…」
「ええ、回避です。それでそのパーティーってパートナー同伴可なので、誰か一緒に連れて行けば盾になってくれるんじゃないかと思って。弟にそれを頼んでおいたところ、急に来れなくなったと…」
 
「いいよ」
「な、何がですか?」
 
 近い、顔、近過ぎるって!
 
「俺、一緒に行ってあげる」
「えっ」
 
「だって、困ってるんだろ?俺、丁度ヒマだし」
「でも、あの…」
 
 そのまま静かな攻防戦が繰り広げられたが、タイムリミットが迫ったため私が折れることとなった。
 
「なんでそんなに抵抗するかなあ?」
「…うっ。色々と有るんですよ」
 
 他人から見れば些末なことだろうが、私にとっては大問題なのだ。
 
 
 
「高岡さん、お待たせしました」
「全然待ってないよ…って、うわあ、化けたなあ」
 
 駅のトイレで着替えたついでに前髪を分けて簡単に化粧もした。顔面を人前で晒すのは久々なので、なんだか死ぬほど恥ずかしい。
 
「眼鏡無くて大丈夫?ちゃんと見えてる?」
「はい。実はアレ、度が入っていないので」
 
「え?伊達ってこと?」
「はい、伊達なんです」
 
「そう…なんだ?」
「ふふっ。私、目が覚める程の美人でしょう?」
 
「うん、正直驚いた」
「普通、こんなことを言ったら傲慢な女だと思われますよね」
 
「ははっ、かもね。だけど事実、今まで出会ったどの女性よりも綺麗だ」
「知ってます、小さい頃からずっとそう言われ続けてきましたから」
 
 美人で頭もいい。
 
 だから勘違いしてしまったのだ。選ばれし自分は無条件に誰からも愛される存在で、望めばどんな人の心も奪えると。だが慢心した己を戒めるかの如く、初めての恋は呆気なく散った。
 
「元カレと言っても、高校時代に半年付き合った程度なんですけどね。相手はめちゃくちゃイケメンで、その高校では今でも伝説になっているみたいですよ」
 
 そんな彼の隣りにはいつも、一人の地味な女のコが寄り添っていて。幼馴染だというそのコとの仲はよく取り沙汰されたが、何より本人が否定していたし、私からの告白にも即OKしてくれたので全面的に信じることにしたのだ。
 
 両想いになれたことが嬉しくて、我が人生の春を噛み締めていた時に受けた彼の友人からの忠告。
 
 >アイツの本命は、あの幼馴染だよ。
 
 その友人曰く、取り巻きが幼馴染に嫌がらせを始め、日に日にその内容が過激になっていくことに彼は苛立っていたのだと。ある日、取り巻きのうちの一人が『あんな地味女を選ぶくらいなら、自分にもチャンスが有るはず』と言って迫り、それに対して彼は『じゃあお前らよりも美人と付き合えば文句無いってことか?』と反論していたらしい。
 
 >アイツはその言葉を実行しただけで、
 >本気でキミを好きなワケじゃないんだ。
 
 つまり、単なる緩和剤。 
 顔さえ良ければ誰でも良かったのだ。
 
 考えれば考えるほど、負のスパイラルに陥った。長いあいだ自分の利点は容姿だと思っていたが、そんなもの老いてしまえば価値が無くなる。きっと年月を重ねる毎に誰からも相手にされなくなっていくのだろう。ああ、私という人間の本質を愛してくれる男性はいないのか?心と心で触れ合う…そんな恋愛をしてみたい。まだ見ぬアナタに早く出会わなければ!
 
 …って多分コレ、
 遅れて発症した厨二病なんですけどね。
 
 彼に別れを告げた私は、大学進学を機に美人であることをヤメた。前髪と古臭い眼鏡で顔を隠し、とにかく中身を見てくれとばかりに積極的に交友関係を広げ、地味なくせして博識で面白い女として評価を上げることに励んだのである。
 
 しかし、残念ながら彼氏は出来ない。
 
 いい加減、前髪は鬱陶しいし、事ある毎に曇る眼鏡も面倒臭い。そろそろ元の姿に戻ろうかとも考えたが、その切欠が見つからない。どいつもこいつも友人止まりとなって、それ以上の関係を望んで来ないのだ。どうやら容姿というのは彼女選びの第一関門で、私は早々に除外されてしまうらしい。
 
 そのまま社会人となり、男だらけの職場で働き出したことで更に転機を失った。元の姿に戻れば『なに色気づいてんだ』と嘲笑されそうで、いつまで経っても美人に戻れない。っていうか、戻れません!
 
 …てなことを電車の中で熱弁したところ、
 高岡さんは最後まで黙って聞いてくれた。
 
 
 
 ──さてさて。
 
 そんなこんなで、パーティーは大盛況のまま終宴を迎え。明日が土曜ということも有って、幾つかの塊がそれぞれの目的地に向かって歩いて行く。私もとっとと店を出ようとしたのだが、何故か引き留められてしまった。
 
「いよいよ対決だね!早くスッキリしちゃおっか」
「えっ、あの、高岡さん?私は…」
 
 どうしてだ。
 
 元カレとの対話は回避したいと最初に伝えておいたし、だからこそ貴方様をつれて来たというのに。
 
「片瀬さん!久しぶり」
 
 ほら、来ちゃったよ元カレが!
 しかも、地味な幼馴染までセットで!
 
「ちょっとだけ話したいんだけど、いいかな?」
「えっ、あ…、うん」
 
 逃げたいけど、逃げられない。
 隣りにいる高岡さんが私を離してくれないのだ。
 
 うおっ、目が潰れる、悔しいけど相変わらず超イケメンだな。さすが伝説の男だわ。そんなことを感心しているうちに、いつの間にか近くのコーヒーショップに連行されてしまった。それから驚きの早さで出て来たコーヒーをグビグビ飲んでいると、元カレがいきなり謝罪し出す。
 
「片瀬さん、ゴメン。健也のこと…」
「え?健也って、だ、誰だっけ」
 
 白々しくトボけてみることにした。
 
「覚えてないかな?高校時代、俺とよくツルんでた友達でさ、そいつと去年の暮れにたまたま再会して飲んだんだ。その時に片瀬さんのことが話題に出て、あの頃いきなり別れを切り出された…って愚痴ったら、『自分のせいかも』って。そこで初めてアイツが片瀬さんに忠告していたことを知ったワケ」
「あ…ああ。…うん、あれね」
 
 悲し気な表情で元カレは話を続ける。
 
「誓って言うけど、俺、そういう意図で片瀬さんを選んで無いよ。もちろん美人は美人だけど、明るくてイイ子だったから付き合おうと思ったんだ。確かにミドリのことも好きだったけど、当時は幼馴染としてなのか一人の女性としてなのかの境界線が曖昧でさ…って、あー、やっぱり言い訳っぽくなっちゃうな。でもほんと隠れ蓑にするために片瀬さんと付き合ったりしてないから!」
 
「…うん、…分かった」
 
 素っ気ない返事をしてしまったが、
 これは私史上最大の事件だ。
 
 あの時、本人に直接気持ちを確認していれば、超イケメンと幸せな高校生活が満喫出来たのか。そう、ウフフキャッキャの初交際が、未確認情報のせいで台無しだ。くそっ、美人として生まれた特権を全て放棄し、ひたすら地味に過ごしてしまったではないか!
 
 返せ、返してくれ、私の青春をッ!!
 
「内緒にしてくれと言われてたけど、実は健也って片瀬さんのことが好きだったみたいだよ。外見だけじゃなく、中身も素晴らしいとベタ褒めしてた。まあ、それは俺も同意見だな。片瀬さんって人間観察が上手いと言うか、きちんと相手のことを理解してるよね。本当は繊細なのに、そう見せないと言うか、それに場の空気を読む天才だと俺は思ってる」
「やだ、そんなに褒めないで、恥ずかしいよ」
 
「今日、こうして時間を貰ったのは、俺、やっと幼馴染を卒業してミドリと付き合い始めたんだ。お陰で毎日メチャクチャ幸せでさ。だから片瀬さんが当時のことを引き摺って不幸だったら嫌だなあと思って。でも、余計なお世話だったみたいだね。なんだかとても幸せそうだ。ふふっ、それはやっぱり隣りにいる彼氏さんのお陰かな?」
「か、彼氏?!あ、えと…」
 
 へどもどしている私を差し置いて、高岡さんが颯爽と返事する。
 
「うん、麻友は俺が幸せにするから安心してくれていいよ」
 
 それを聞いて目を丸くする私を、責める人はきっといないと思う。
 
 
 
 
 
「ああん、あっ、ダメ、ダメですって」
「ちっともダメじゃないよ。だって、知ってたんだろう?俺の気持ち」
 
 いやいや。
 マジで気付かなかったんですけど。
 
 凄いよね、この人。
 あんなにモサかった私に惚れてたんですと。
 
 仕事ダイスキ人間だから、私生活でも常に仕事のことを考えてて、食事中に仕事のことを話しても笑顔で受け答えしてくれる片瀬麻友、サイコー!!って思ってたらしくて。ちょくちょく食事に誘ったり、休日もなるべく一緒に過ごす様に努力してたけど、私が純すぎてなかなか先に進めなかったって。
 
『ニブすぎ』じゃなくて『ジュンすぎ』だから!
 漢字は似てるけど、そこんとこ要注意だよ!!
 
「ひゃあ、耳を舐めないでくださいいっ」
「なんで?俺のこと、嫌い?」
 
「す、すす、好きですけどお」
「じゃあ、いいよね?だって月曜から美人モードで出社するんだろ?そしたら皆んな麻友ちゃんを狙い始めると思うからさ」
 
「そっ、そんなこと…」
「あるね!絶対に狙う!だから早く俺のモノにしとかないと。はああ、好き、ほんと好き。俺、どうしたらいい?取り敢えずヤッちゃおうか、そしたらね、絶対に落ち着くと思うんだ」
 
 いきなりホテルに連れ込まれて、
 いつの間にかこんなことに!
 
 ほんとこの人、手際が素晴らしい!
 
「高岡さんのエロい顔、初めて見ます」
「麻友ちゃんがそうさせてるんだから、もちろん責任取ってくれるよね?」
 
「う…あっと、…ハイ」
「言ったね?!聞いたよ、やったあ!とうとう俺のモノだあ!」
 
 ぐちゅぐちゅ、はふはふ、ちゅぱちゅぱ。
 淫猥な音に包まれて、私は静かに瞼を閉じる。
 
 只今の時刻は深夜0:52
 きっと朝まで眠らせて貰えないのだろう…。
 
 
 
 ──END──
 
 
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※ちなみに元カレと幼馴染は『Blue in Green』のアオとミドリです。ミドリ、出番が少なくてきっとご立腹。
 
  
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